9. 夫婦じゃん

「おはよう」

「…………おはよう、彼方」


 優斗の一日は彼方の声で始まる。


 目覚ましをかけているはずなのに彼方はいつも鳴る前に目を覚まし、本来鳴るべき時間に優斗を起こすのだ。


 ちなみに優斗は彼方と一緒のベッドで寝てはおらず、床に座って体に悪い体勢で寝ているということもない。


 彼方のベッドの隣に簡易ベッドを設置してそこで寝ている。


 彼方とコミュニケーションが取れるようになってすぐに彼方を説得して買って来たのだ。


「ふわぁあ、んじゃ顔洗ってくるな」

「…………うん」


 握っていた彼方の右手を離すと少し寂しそうにするのは朝から心臓に悪い。

 彼方が寝るのを怖がらなくなればこの羞恥プレイから解放されるかもしれないが、その気配はまだ無かった。


 彼方の部屋を出て顔を洗い制服に着替えてリビングで待っていると、彼方もまた部屋から出て来て同じく身だしなみを整える。


 ここからは朝の家事の時間だ。

 といっても優斗に出来ることはほどんど無い。


 洗濯を優斗がするわけにもいかないし、朝食作りは彼方に止められるからだ。

 唯一の仕事はゴミ出し。


 それが終わると彼方がせっせと働く様子を所在なさげに見つめることしか出来ない。


「おお、美味そう」


 朝食はクロワッサンにスクランルエッグにベーコンサラダにコーンスープ。

 どこぞのビジネスホテルの朝食ビュッフェかと思えるメニューだが、朝の忙しい時間だというのに盛り付けに拘っていてシンプルな朝食なのに不思議と写真映えする。

 これが写真好き女子の力なのだろうか。


 朝食と並行して準備していたお弁当を二人分作り終えたら、彼方は優斗の隣に座って一緒に朝食を頂く。


 正面では無くて隣なのがポイントだ。


「もっと食べる?」

「あ、ありがとう。これで十分だから」


 先に食べ終わった優斗にクロワッサンを差し出して来るのだからたまらない。

 しかも程よい大きさにちぎったものをつまんで優斗の口に向けて来るのだ。

 『手掴みあ~ん』であり、もし受け入れようものなら彼方の小さな指まで口に含んでしまいそうだ。


「(早く来週になってくれええええ!)」


 三日月家は一週間ごとに朝食を洋食か和食かに変えていて、両親を亡くした今もそのパターンを続けている。

 和食であればこのような攻撃を受けることが無いから安心なのだ。


 朝食を食べ終えた後は優斗が洗い物をして一緒に登校タイム。


「その猫さんがオモチャを奪ってケンカになっちゃったの」

「へぇ。猫のケンカだと結構激しかったんじゃないか」

「ううん、じゃれてるみたいな感じで可愛かった」


 雑談をしながら二人並んでゆっくりと歩く。

 極稀に後輩ズがやってくることもあるが基本は二人だけ。


 会話の内容はもっぱら彼方が過去に経験したお話。

 この日は猫カフェに行った時の話だ。


「(無意識にリハビリしてるのかもな)」


 過去の話となれば自然と家族との想い出に触れる機会も出てくる。

 まだ両親がテーマの中心となることはないが、話の中でその影がちらつくことがある。


 こうして過去と向き合うことで少しずつ現実を受け入れようとしているのかもしれない。


 そんなことを思いながら優斗は耳を傾けるのであった。




「それじゃあまた後でな」

「うん、待ってる」


 学校に着くと彼方を教室まで送り届けてから自分の教室へ向かう。

 そして閃や委員長達との『優斗の日常』を過ごすことになる。

 同時に彼方は友達と『彼方の日常』を過ごしているのだろう。


 そんな二人が再度交差するのがお昼休み。

 優斗は毎日必ず彼方の元へ向かい一緒にお弁当を食べる。


 そのお弁当はもちろん彼方が作ったものだ。

 彼方が食欲を取り戻して自分で弁当を作り始めた時、作るのが当たり前だとでも言うかのように優斗の分まで準備した。

 もちろん断れるわけなど無く、こうしてありがたく頂いている。


「(良かった。今日のメニューは安全だ)」


 一番危険なのは『からあげ』だ。


 もし彼方の弁当箱をチラりとでも見てしまったのならば、彼方は目ざとくそのことに気が付いて行動を起こすだろう。

 程良い大きさで程良く掴みやすく程良く差し出しやすいがゆえに、『食べたいの?』からの『あ~ん』の究極定番即死コンボが発生してしまうのだ。


「今日の体育マジでしんどかったぜ」


 昼食中の話題は午前中の授業に関してが多い。

 その話題が尽きると朝のように他愛もない話をするか、あるいは彼方の友達が混ざって別の話で盛りあがることもある。


 この日もいつも通りの話題で普通に話をしていて、からあげのような地雷もないだろうと優斗は油断していた。


「やっぱり持久走とかよりもサッカーとかの球技の方が……って彼方どうした?」

「…………」


 彼方はご飯を食べるのを止めて優斗の方をじっと見ていた。

 そして箸を置き優斗に向かって手を伸ばす。


「え、ちょっ、彼方?」


 その指が優斗の唇のすぐ横に触れた。

 そしてそこについていたハンバーグのソースを拭ったのだ。


「あ、ああ、そういうことか。サンキュな」


 『あ~ん』以外にも攻撃方法があったのかと、想定外の事態に優斗は少しだけ動揺した。

 しかし彼方の攻めはこれで終わらない


「ちゅっぱ」

「!?!?!?!?」


 ソースのついた指を舐めとったのだ。

 優斗の唇横についていたソースを。


 間接キスのような行動と、舐めるという艶めかしい動作に優斗の脳内は大混乱。

 優斗の方が恋する乙女であるかのように真っ赤になって照れてしまっている。


「ねぇねぇ今の見た!?」

「見た見た。あんなの漫画でしか見たこと無いよ」

「くそぅ、見せつけやがって!」

「爆発しろ!」


 二人のイチィチャ昼食タイムは定期的にクラスに爆弾を落とすのであった。




「彼方、帰ろうぜ」


 そして放課後。

 二人は揃って家路に向かう。


 時々買い物をして帰ることもあるが、一緒に遊んで帰ることはほとんど無い。

 彼方の友達に誘われた時くらいか。


 優斗も誘ったことはあるのだが、それよりも早く帰って家事をしたいと言われた。

 花の高校生として家と学校を往復するだけなのはどうかとも思うが、カラオケに行きたいなどと言われても困るし、彼方が特に不満を覚えていないようなので今はもう誘わないようにしている。


「ただいま~」

「ただいま」


 一緒に『ただいま』と言うのも慣れたものだ。

 最初の頃は冗談めかして言っていたのに、今では自然と口に出るようになっていた。


「んじゃ俺はちょっとだけ家に戻るな」

「うん」


 帰宅してから夕飯までの間の行動は日によってまちまちだ。


 彼方は洗濯物を取り込んだり掃除をすると決めているようだけれども、好きでやっているので手伝いにくい。

 そのため優斗はこの時間に自宅に帰って洗濯をしたり郵便物を確認するなどの家事をすることが多い。

 なお、溜まった欲望の処理もこの時間に急いでやる。


 夕飯前に彼方が両親との楽しい悲しみの時間を過ごしたら、いつ攻撃が来るかとドキドキしながら彼方お手製の夕食を並んで食べる。

 この辺りはずっと変わらないルーチンだ。


 夕食後は勉強。

 それが終わるとお風呂。


 これがとても悩ましい。


 以前はこの時間にこっそりと家に戻って作業していたけれど、今はそれを夕方にやってしまっている。

 そして彼方は風呂のために優斗が家に戻ることを認めない。

 風呂に入った後にわざわざ外出するのは大変だからという理由らしいが、だからといって三日月家の風呂に入るのはもっと大変なのにその理由を説明出来ず説得出来なかった。


 お風呂に関する優斗の悩み。


 それは彼方が入っている間に悶々としてしまう事、ではない。

 もちろん悶々とはするけれども、それよりも重要なことがあるのだ。


 それすなわち、どちらが先に入るか、という話である。


 最初のころは優斗が先に入った。

 彼方が浸かったお湯に入るのことがどうしても出来なかったからだ。


 しかしこれはこれで大問題があった。


『(風呂上がりヤバい! 肌が火照って色っぽい!)』


 風呂からあがり可愛いパジャマを着た彼方が肌を上気させたまま優斗の真横に座ろうとするのだ。

 せっかく清めた体なのに暴発して汚れてしまいそうだった。


 それゆえ優斗は入る順番を後に変更した。

 そして湯舟には浸からずにシャワーで済ますのが最適解だと判断した。


 だが果たしてすぐ隣に彼方の使用済み湯舟があって耐えきれるものなのか。

 優斗の苦悩は終わらない。


 お風呂が終わると寝るまでまったりタイム。


 ソファーに座って二人はとりとめもない話を続ける。

 ただし登下校時とは違って口数は少ない。

 話をすることよりも、静かに寄り添ってお互いの存在を感じ合うことが目的だからだ。


 いつでもそばにいるから大丈夫だよ。

 優斗のその温かな想いを彼方が受け取り心を癒す大切な時間。


「ふわぁあ」


 その時間があまりにも心地良いからか、それともお風呂で温まった体から熱が程よく抜けたタイミングなのか、日が変わる前には眠くなる。


 二人は彼方の部屋に向かってそれぞれのベッドに横になる。


 もちろん優斗の左手と彼方の右手を繋げて。


 優斗的には二人のベッドの間に仕切りを作りたかったけれど彼方に拒否された。

 だからちょっとゴロンと転がればベッドの垣根を簡単に越えられる。

 寝ぼけてそうしてしまわないか心配だったが、今の所事故はまだ起きていない。


「おやすみ、彼方」

「おやすみ、篠ヶ瀬君」


 手を繋いで寝ているということがどういうことなのか。

 それすなわち、相手に背を向けて眠れないという事だ。


「(またこっち見てる……)」


 しかも彼方は体を優斗の方に向けて暗闇の中でじっと見てくる。

 その視線に気づきながら寝たふりをして、彼方がうなされずに安心して眠るまで待つのが優斗の一日の最後の仕事であった。







「みたいな感じで、別に恋人みたいな生活してないよ」


 閃があまりにも優斗達のことを恋人だのなんだのと揶揄からかうので、優斗はそうではないと証明するために一日の二人の行動を説明した。

 もちろんお風呂や寝る時の話などのセンシティブな話を除いてだ。


 しかしそれは全くの逆効果だった。

 イチャイチャシーンを除いたにも関わらず、閃には恋人どころかそれ以上の関係に見えたのだった。


「夫婦じゃん」

「はぁああああああああ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る