第35話

 先ほどまで嗤っていたオデットとロザリアが、扇をぱちりと閉じて、周囲の者たちに静かにするよう指示を出す。


「……いきなりなんですか、ライヒシュタイン嬢」

「バースクレイズ朝に花の王家、別名・破滅の王家の血を引く女を入れて、国を内側から滅ぼす計画が成功して良かったわね」

「いきなり、なんですか?」

「宰相の養子は、バースクレイズ家に滅ぼされたフォス家の末裔なんですってね」


 会場のあちらこちらから”フォス王家? あのフォス王家?”という声があがり、ざわめく。

 そのざわめきの中から一人の男性が抜けだし、


「それは違います」


 ジョスランの養父、宰相のギヌメール侯がカサンドラに違うと言うも、カサンドラは視線を向けることなく、全く無視したまま――


「ハルトヴィン、お前がいま肩を抱いている女は、前王朝の遺児よ」


 閉じている扇でナディアを指す。


「いきなり何を言う! ナディアはずっと平民で、滅んだ王家の血など引いてはいない」

「調べたの?」

「ああ、ここにいるジョスランが、我が国の調査機関を使って調べたのだから、間違いない」


 自信満々に言い放ったハルトヴィンだが、


「愚鈍な男ね、ハルトヴィン」


 微かな笑い声を乗せて、カサンドラは言い返す。


「なんだと!」

「言ったでしょう? 宰相の養子はバースクレイズ朝を滅ぼそうとしていると。そこの女の身元調査を最少の養子に任せた? なら、嘘の報告が届いていると、少しは疑ってみたらどうかしら?」

「そこまで言うのであれば、そちらは証拠があるのだろうな! ライヒシュタイン!」

「自分にないものを、相手に求めるのね。まあ、構わないわ。わたくしは、あなたたちほど間抜けではないから」

「きさっ!」

「ねえ、一年生の皆。各地の特産に関しての授業を覚えている?」


 カサンドラは怒りに顔を歪めているハルトヴィンとデュドネ、表情が抜け落ちているジョスラン、そして硬直しているナディアに背を向け、困惑している同級生たちに声をかけた。

 誰一人としてカサンドラの思惑を理解できてはいないが――


「覚えております」


 一人の男子生徒が挙手とともに声をあげた。

 それにつられるかのように、次々と同意の声があがる。実技関連の授業が多いテシュロン学園において、各地の特産品に関する知識を深める授業は、とくに重要なものでもあった。


「ハルトヴィン。お前は一年のときの各地の特産の授業について、覚えているかしら」

「覚えて……いる。それがどうした?」


 声をあげた生徒と同じく、なにが起こっているのか分からないハルトヴィンは、固い表情のまま――朧気ながら一年の頃に受けた授業を思い出し渋々頷く。


「各地の特産品を学ぶ際、ニヴェーバ地方出身の特産品も出たのだけれど……ハルトヴィンはニヴェーバ地方の特産品をご存じかしら?」


 馬鹿でも分かるカサンドラの嘲る口調に、トリスタンは額に手を当てて声を出さずに笑い――それを見たハルトヴィンは、ますます激昂する。


「当たり前だ! ニヴェーバの特産品は絹だ」

「正確には養蚕ね」

「それがなんだというのだ!」

「あなたが先ほど、ティミショアラの罪状の一つに挙げた、虫を送りつけたがあったけれど、あれはわたくしがやったものよ」


 ハルトヴィンは声高らかに「フレデリカにより寮の部屋に虫が詰められた箱が、蓋を開けられた状態で置かれていた」と叫んだのだが、それはカサンドラの仕業――もちろんカサンドラがロザリアに依頼した行った。


「お前! どう言うつも……」

「送った虫は蚕」


 ハルトヴィンの言葉を遮るように、カサンドラが声を発する。先ほどから繰り返されている不敬だが――察しの良い数名はすぐに気付き”あれ、ラモワンって元は……” ”驚きはするけど、種類がちがう”などと囁きだす。


「蚕だからなんだと!」


 その数名に入ることができなかったハルトヴィンは、先ほどと同様に声を荒げる。


「ニヴェーバ地方出身者は、蚕のことを”お蚕さま”と呼んで、それは蚕を大事にするのよ。そうよね? ロザリア」


 同意を求められたロザリアは、一歩前へと出て、カサンドラに負けず劣らずの、人を馬鹿にした態度で言い返す。


「そうよ。殿下に怒鳴られても困るので、先に説明しておきますが、わたくし、ニヴェーバの領主に嫁ぐことになっておりまして、幼少期から蚕や地域ついては学んでおりますの。だから断言できますがニヴェーバ出身で、蚕を虫という人はいません。そこな男爵令嬢は、送り付けられたのは虫とハルトヴィン殿下たちに言ったようですが、ニヴェーバで生まれ育った人間にとって、虫と蚕は別物です。どれほど焦ろうが怖かろうが、蚕を虫とは言いません」


 ロザリアの台詞と、周囲のざわめき――


「それは……」


 ナディアが何かを言おうとしたが、王子の話すら遮るカサンドラが、黙って喋らせるはずもなく、


「実習の時間に、蚕に驚いている姿があまりにも自然だったので、ロザリアに頼んで蚕を用意して寮の部屋に置いたのよ。そしたら、悲鳴をあげるんですもの。ニヴェーバの貴族ならあり得ないわ」


 ナディアが悲鳴をあげたことを、高らかに告げる。


「ニヴェーバ出身であろうが、苦手な者もいるはずだ。そうであろう! ザーナベロザリア!」

「そうですね。でも虫とは言いません」

「見間違うこともあるだろう!」

「絶対にありません。他の地方出身者ならともかく、ニヴェーバでそれは。蚕だといって驚くのなら、あり得ることですが」


 ロザリアは断言し――会場にいる養蚕に携わる者たちも頷く。


「わたくしが、そこなラモワンという女に蚕を送ったのは事実。それが悲鳴をあげたのも、確認しているわ。ラモワンという女はニヴェーバ出身者ならば、間違わないものを間違った。それはあり得ないこと。ラモワンという女がニヴェーバ出身を名乗るのであれば、そこは驚いても”蚕”と言う必要があった。そこまで話をつめていなかった……無様ですこと」

「ほんとねえ」


 カサンドラにロザリアが追従する――ロザリアは蚕を部屋に置いた一件のあと、独自に調査し、ラモワン男爵家の養女になったと言われた女を追跡したが、途中で姿が消えていたのを確認していた。


「ライヒシュタイン……」

「なんにせよフレデリカ・ティミショアラの行いではないものを、さもティミショアラがやったと……そのような報告をする宰相の養子の無能さが分かるというもの。学園内で起こった出来事ですら、間違った報告をするような男の身元調査を任せた? 間違ってないほうがおかしいわね。ふふふふ」

「…………」


 ハルトヴィンは、なにも言い返すことができなかった――

 

「で、もう一度言うけれど、その女は花の王家の血を、まあまあ強めに引いているわ。神代の血を引いていないお前には、分からないでしょうけれどね」


 カサンドラは今度は暗紫色の瞳を、ハルトヴィンのにあたるオルフロンデッタ王に向けた。


「花の王家であろうと……」

「黙っていなさい、ハルトヴィン。ここまでは、わたくしにとって、どうでもいいこと」

「どうでもいい? だと……」


 今日までさまざま考えて話し合い、実行したことを「どうでもいい」と言われ、鼻白むハルトヴィンに、そんなことも分からないのと――


「ええ。当たり前でしょう。本来ならばこんなところで、言うつもりはなかったのだけれど、お前たちフレデリカと婚約破棄だとか、断罪だとか訳の分からないこと言い出して、卒業パーティーを混乱に陥れたからよ」


 カサンドラがここで話を始めたのは、全員を足止めするため。その為にはセンセーショナルな話題でなければいけない。なので、ハルトヴィンが肩を抱いていたナディアのことに触れ、ほぼ全員の足をとめた。

 だが時間にして僅か――ノーラを丁重に掘り返し、変わり果てた姿を級友にさらすことなく学外へと運び出すためには、まだ時間がかかる。



 カサンドラにとって、真相などただの足止め。その結果、世界がどうなろうとも、カサンドラの知ったことではない

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