君に最後の嘘を吐く

白鷺緋翠

第1話

 泣きそうだったんだ。信じられなくて。どうしても、嘘だって思いたくて。

 僕は十七回目の夏に、死を選んだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 都内にある私立高校。そんな学校の二年生として通う男子高生、天崎あまさき羽紅はく。彼は優等生であり、問題児だった。

 天崎羽紅は嘘つきだった。息をするように嘘をつく。しかし、頭が良いからこそ周りにバレない嘘をつくのだ。彼から発せられる言葉のどれが真でどれが偽りか、見分けることができる者はいなかった。


「うわ、また学年一位天崎かよ」

「不動の一位じゃんかよ。ああ憎ったらしいったらありゃしねぇ」

「天崎くんすごいね」

「天崎って、学年一のイケメンじゃない? イケメンで勉強もできるとかマジかよ」

「でもさ、すごい嘘つきらしいよ。誰でも人間不信にできるとかなんとかって」


 廊下の掲示板に張り出された期末考査の結果に一喜一憂する生徒は、天崎羽紅の話題で盛り上がった。

 一方、掲示板に一番近い教室である二年三組に男子生徒が二人席について話していた。


「おい、男からも女からもモッテモテじゃねぇの天崎さんよ。んで、今回は?」

「何した? 意味が分からないな。僕は、いつも通りテストをしただけ」

「ま、お前にとっちゃいつも通りだけど。お前の嘘はもう嘘って範囲に収まんねぇな」

「あはは」


 本を読みながら爽やかに笑う羽紅。そんな彼をジロジロと見る、幼馴染の灰田はいだ真斗まなと


 確かに羽紅は顔が整っている。身長も高く、爽やかなイケメンで惚れる人も少なくない。しかし、その顔に惚れた者は口を揃えて言う。性格がもったいない、と。


「そういや今日の朝、母ちゃんが天崎さん家にもって煮物作ってたんだよ。帰りに俺ん家寄ってけよ」

「へえ。おばさんの作る煮物、僕も好きなんだ。ありがたくもらってくね」

「それ、母ちゃんに言ってやってよ。きっと俺から言われるより喜ぶからさ」

「……そう。そうしておくよ」


 真斗は素っ気ない態度の羽紅を見て歯を見せて笑う。真斗は知っていた。素っ気ない態度を見せるときに話す言葉はどれも真実だということを。

 灰田真斗は、この世で唯一天崎羽紅の嘘を見抜ける人間であった。


「ねえねえ、天崎くん。ちょっと、廊下来てくれない?」


 羽紅の肩を叩いたのは、ボブのふんわりとした髪が似合う羽紅と同じクラスの女子、神谷かみや藍那あいなだった。

 藍那はいわゆるマドンナと呼ばれる存在で、その癒しオーラは男子だけでなく女子をも虜にしてしまうほどだった。


「いいけど、それは今すぐ言わなきゃいけないもの?」

「え、あ、できれば今がいいなぁって」


 頬を赤くさせ、もじもじとする藍那。傍から見れば睨んでいるかのような目で藍那を見る羽紅はしばらくした後に頷いた。


「いいよ」

「あっ、ありがとう! 悪いけど、第三校舎の廊下に行こう。すぐ、終わるから」


 そう藍那は言うと走って行ってしまった。第三校舎とは、剣道場や柔道場、各部活の部室などがある校舎で、特に考査中は人が寄りつかない校舎だ。

 なぜ人気のない場所に行くのか、羽紅は大体見当がついたが気にせずに藍那が向かった方へ行った。

 羽紅は教室を出る前に振り返って、なぜか頬を赤らめてる真斗を見る。


「すぐ終わるらしいから、待ってて」

「へっ? え、ああ、了解した」


 頷いた真斗に頷き返して、羽紅は第三校舎に向かう。綺麗に改装された第一校舎とは別物のようなボロさの第三校舎。錆びた匂いがあちこちから漂い、昔ながらの雰囲気を感じる。


 第一校舎から第三校舎への渡り廊下の先の廊下に、藍那は待っていた。


「ごめんね、天崎くんも暇じゃないのに」

「別にいいよ。それで、話って?」

「私は──」


◇◆◇◆◇◆◇◆


 その日の帰り道。

 羽紅と真斗は学校の最寄り駅から電車に乗り、十分程離れた駅で降りた。すっかり夏の夕焼け空が広がっている。二人は駅からそれほど離れてはいない家に向かって歩き出した。


「それで、神谷さんはなんて?」

「ああ、勉強を教えて欲しいって。彼女、それほど裕福な家庭じゃないみたいでさ、塾にも通えないらしい。だから、せめて夏休みだけでもって」

「へえ。てっきり俺、告白されんのかと思ってたわ。あんな可愛い子がもじもじしちゃってさ。俺も頭良かったらそう言ってくれたのかな」


 いじけて話す真斗を、羽紅は鼻で笑う。

 真斗は羽紅とは正反対で下から一位の学力だ。なんとかその性格の良さからか、先生に媚びを売ってるからか留年は免れたが、二年生も同じ手を使えるとは限らない。


「どうしたら、お前もみたいなできた人間になれんのやら」

「……嘘に嘘を重ねるんだ。その内、重なった嘘は真になる。いつか吐いた嘘は自分に戻ってくる」


 いつになく真剣な顔で語った羽紅に、真斗は目を丸くさせた。どうせ自分を馬鹿にするんだろうと思っていた。

 なぜ、急にそんな言葉を言ったのか。真斗でさえもその時の羽紅の気持ちは全く分からなかった。


「家、着いたけど。おばさん、お邪魔します」

「あっ、お前人の家勝手に上がるなよな」

「君が煮物持っていけって言ったじゃんか」


 一軒家の真斗の家の玄関で二人が言い合いをしていると、家の中から長い髪を一本に束ねた優しげな雰囲気が漂う女性が微笑みながら出てきた。


「あらあら、仲が良いこと。羽紅くん、これ煮物よ。こんな物でしか支えてあげられないの、ごめんなさいね」

「いえ、十分助かってます。それに、誰かに頼ってばかりじゃ両親も心配しますから」


 そう真顔で言った羽紅に対して、真斗の母親は心配そうに羽紅を見た。今の羽紅を見て、その言葉を聞いて。思い出すのはおよそ十年前の出来事。


 雨が降った、夏らしくない冷たい日だった。


「じゃあ、僕は帰ります」

「ええ。また何かあったらいつでも来ていいからね。お隣さんなんだから」


 真斗の母親は微笑むと、手を振って家を出ようとする羽紅に手を振り返した。

 隣の一軒家に住むのは、男子高生ただ一人。たまに羽紅の祖父母から仕送りが来るそうだが、それでもまだ社会に出れない子供が一人きりなのだ。真斗の母親は、いつもいつも気が気でなかった。

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