第九章 恋の聖誕祭(――?――) ①
なんなの、わたし。この気分は。
はち切れんばかりに胸の内側からは痛みを感じていた。
空から絶え間なく舞い落ちる雪の向こうに、穏やかに輝く月が見える。
きっと、あいつのせいだ。
バカ、と囁いてカーテンを閉めた。
――ひとりにさせないって言ったくせに……。
※※※
いろいろと考え過ぎて、どこをどう歩いたのかさえ覚えていないが、とにかく皆継家に帰り着いた。玄関を開けると、食卓のある部屋の方からは有名なクリスマスのBGMが流れている。すでに皆継家ではクリスマスパーティーが始まっているみたいだ。
遅くなってしまった……。
玄関で靴を脱ぎ、上がり框に上がったところで、魁斗は一旦立ち止まる。
……このまま、おめおめと場に入っていってもいいのだろうか。
不意に不安が襲ってくる。
自分が行くと、今朝のように空気を悪くしてしまい、また気まずい思いをみんなにさせてしまうのではないか……。
想像すると身がすくみだす。なかなか歩き始めることができない。
左喩さんに、どんな顔をして会えばいいのだろう……。
今朝だってろくに話をせずに逃げてしまった。キリがないほど不安が浮かんでくる。
このダメ野郎!
バシンッ! と、思いっきり頬を引っ叩く。
もう弱気はやめろ。左喩さんとこのままでいいはずがない。おれは、まだ面と向かって話をしていないじゃないか。自分の頭の中だけで想像を膨らませて不安を増幅させてる。こんなの、ただのアホだ。
魁斗は顔を引き締めると、すくんで固まっていた体を動かして足を踏み出す。そのまま廊下を歩いていく。食卓のある部屋からは電灯の光が漏れており、歩き進めるたびに光がどんどん近づいてくる。額からは少し汗が流れ始める。
臆するな……決めたじゃないか、逃げないって。仲直りするんだって。
冷汗を拭うと、ぎゅっと拳を握りこんだ。
精一杯、持ちうる限りの誠実さと嘘のない自分で、一番正直な自分で飛び込もう。誤解を解くために弁解はするが、決してごまかしは入れないことにしよう。
緊張のあまりガクガクと震える足を踏みしめて、魁斗は光の中にようやく足を踏み入れた。踏み入れた先で見えたのは、真っ赤なサンタクロースの恰好をした左喩に、トナカイの恰好をした右攻、そして雪女のような恰好をしている智子がいた。食卓の上には、空っぽのお皿がぽつんと置いてある。すでにクリスマスケーキは食べ終えたみたいだ。一度、チラッとそちらを見てしまったが、すぐに周りに目を配り、全員に向かって口を開く。
「すいません、遅くなりました」
一瞬、空気が凍りかけたような気がした。もちろん雪女(智子)が口から吹雪を出して場を凍らせたわけではない。
「あらっ、魁斗くんおかえり~。そしていらっしゃ~い。待ってたわよ」
雪女(智子)は好意的な反応で迎えてくれている。
空気が凍ったように感じた理由は火を見るよりも明らかだ。
左喩が一切こちらを見ない。そっぽを向いて、ぴくりともしない。
遅刻したこともそうだろうが、今朝逃げたことも確実に尾を引いている。
すごい寒々しいオーラだ……。
左喩の全身から放散されているものは、さながら冷気。今、左喩の周りはまさに北極圏。サンタクロースの恰好をしているが雪女は左喩のようだった。
そんな左喩に向けて戸惑ったように右攻が目をやり、その後にこちらを一瞥。なにかを訴えているような目だ。魁斗は力強く頷いて応える。
わかってる、もう逃げない。
「左喩さん」
名前を呼んでみた。しかし、左喩はツンとそっぽを向く。目まで閉じてこちらを見ない。
なるほど。そうきたか……。
それがなぜだか妙に可愛らしく思えてしまった。思わず苦笑いを浮かべてしまいそうになるが顔を引き締める。
もう覚悟は決めている。恐怖はない。
大きく息を吸う。
もう一度……。
「左喩さんっ!!!!」
思った以上に大きな声で呼んでしまった。周りの皆も仰天している。
さすがに左喩も驚いたようで、そっぽを向いてたが見間違えようがないくらいに全身をびくっとさせていた。それでもこちらを見ようとしない。
割と頑固だ。こりゃ、なかなかに手ごわいぞ……。
でも、もう臆さない。もっと近くに行こう。近くに行けば、きっと反応をしてくれる。こっちを見てくれさせすれば、活路は見いだせる。
魁斗は左喩の視界に入るように、目の前まで近づいた。そっぽを向いている顔に対して、真正面に立つ。左喩は一度こちらに目を向けるも、すぐに横に目を逸らす。だが、一瞬目が合った。魁斗はもう一度、名前を呼んだ。
「左喩さん」
今度は優しく、大切に、その名前を呼んだ。
すると左喩は不機嫌そうに眉を寄せるが、チラッとこちらを見てくれた。
「……なんですか? べつに今日だって参加しなくてもよかったんですよ」
開かれた唇からは言葉の棘が飛んでくる。そのまま口を尖らせ、プイッと顔を横に向ける。強情だ。意地でも自分とは話さないつもりだろうか。
腹はもう据わっている。このまま正直な自分で、飛び込んでいく。
魁斗は強い覚悟を持って左喩に臨む。
「左喩さん可愛いです」
「……はい?」
いきなりの言葉に左喩は尖らせていた口を
その反応を見て、魁斗は口角を上げながら続けて言う。
「可愛いです。左喩さんのサンタクロース姿」
「な、な、な、なにを言ってるんですかっ!?」
動揺を隠しきれない左喩は一歩後退。見開かれた大きな目玉がわかりやすく渦を巻いており、顔を真っ赤に染める。
魁斗は後退していった左喩に向かって大きく一歩、足を踏み出した。
「可愛いと言ってるんです! チャーミングであどけなくてきゅんとします! とても魅力的です!」
素直な気持ちを投げて、投げて、投げまくる。それが暴投なのかストライクゾーンに決まっているのかは定かではない。だが、直球のストレートを力一杯に投げ込む。
「ひゃあっ! わ、わかりましたっ! わかりましたから! もういいですからっ!」
腕を伸ばして左喩は、踏み込んでくる魁斗を止める。
空気が明らかに変わり、周辺では雪女(智子)が、あらまぁ! と両頬に手を添えており、トナカイ(右攻)は、まるで自分がそのセリフを吐いたみたいに頬を赤らめている。
そして、前を見れば左喩が鯉みたく口をパクパクさせながら、いまだに黒目がぐるぐると渦巻いていた。
ちょっと素直な気持ちを投げ過ぎだろうか……? いや、だがこれでいい。これでいいんだ、と開き直る。
左喩と真正面から、素直な気持ちで向き合うのだと決めた。その一心で、勢いづいた魁斗はガシッと左喩の両肩に手を置くと、
「左喩さん! どうか話をっ! 話を聞いてくださいっ!」
眦を強めて左喩に迫る。
「あらま! もしかして告白っ!? 早くも跡取りが見つかったの!?」
「お、おまっ! 魁斗てめえ! そんなの絶対許さねえぞ!」
周辺にいる雪女(智子)とトナカイ(右攻)が騒ぎ立てているも、なにも耳には入っちゃいない。
おれは今、左喩さんと向き合っているんだ……。
魁斗は左喩に近づこうと顔も体も足も踏み込もうと前に進んでいく。左喩は抵抗しながら後退っていく。互いの肩に両手を置き、押し合うような状態になるが左喩は押し返すどころか、いつもの力が発揮できていない。あわあわと焦るように体のバランスを崩していく。その間に魁斗は勢いに乗り、一気呵成に攻め込む。左喩はそのまま押し込まれていき、後ろの壁にドン! と、体をぶつけて追いやられてしまった。
魁斗はそのまま、まるで額でもくっつけようとしているみたいに顔を近づけていく。
「はうわぁああっ! ちょっ……ちょっと魁斗さん! 聞きます! 話聞きますからぁっ!」
「無視しませんか?」
「無視しませんっ! しませんからっ! 近いですっ! ちょっと離れてください! お願いですからぁっ!」
いやに焦ってるな……?
「……わかりました」
勢い任せの全力投球を止めて、平静を取り戻した魁斗は気がついた。
なぜか壁ドンみたいな態勢になってる……。
いったいなにがどうなってそうなったのか、覚えていないのだが、事実として左喩に壁ドンをしている形となっている。己を取り戻した魁斗は左喩の肩からそっと手を離す。目を見れば、左喩の瞳は弱々しく潤んでおり、顔はもはや透き通った白肌ではなくゆでだこのように赤くなっていた。
なんかまた……どえらいことをしてしまった……。
自分を見失うくらいに全力投球をし過ぎてしまったようだ。
すう、はあ、と、左喩の胸が大きく上下に動く。耳まで真っ赤になっている。
状況を把握をしようとしていると、左喩が口を動かした。
「あの……い、一旦、場所を変えましょう……」
この場にいることが恥ずかしすぎて死にそうなのだろうか、左喩は熱気に潤んだ顔を横に逸らし、提案してくる。
「えーっ! なんでよ!? ここでいいじゃない! 早くしなさいよ告白! わたし、あなたたちの母親として見守っててあげるから」
雪女(智子)がぶーぶー言ってくるも、「違いますからっ!」と左喩は否定。
告白……? いったいなにを言ってるのだろうか、この雪女は……。
いまだ状況を掴めていない魁斗は智子の言っている言葉の意味がわからない。
「ね、姉さん、ほんとに……? けっ、けっ、けっこんしない……よね? まださ、そういうのは、早いと、思う……」
トナカイ(右攻)が涙目で体を震わせ、姉に対して不安げな表情を向ける。
「右攻も変なこと言わないでくださいっ!」
すかさず左喩が返事を返した。
結婚……? なにを言ってるんだ、このトナカイは……。
なおも理解できない状況が続く。
「もうっ! 行きますよ魁斗さん!」
収拾がおさまりきらない場から左喩は脱出すべく、魁斗の腕を引っ張って、ピシャッ! と襖を閉じた。
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