第八章 戰花 ④


 ひゅん、とナイフが風を切る。

 

「はい死亡~」


「えっ……」


 間抜けな声を漏らし、目を開けると風花がニヤリと笑っている。急いで自分の首元を触った。

 

 ……斬られて、ない……?


「な、なんでっ?」


 疑問を言葉にして風花に飛ばす。


 自分は今、完全にられていた。命を刈り取られた。敗北したのだ。負け。完全に負け。それなのに、なぜ、おれは生きてる? この子は、だって……おれの命を奪おうとしていたはずなのに。


 風花は頭の後ろで両手を組むと、つまらなそうに言う。


「やーめぴっ」


「……や、やーめぴっ?」


 堪らずオウム返し。薬の効果は解けているというのに、頭の中は混乱の渦。開いた口が塞がらない。


 わかりやすく戸惑う魁斗に風花が目を細めながら口を開く。


「だってさぁー、魁斗くんを殺すように依頼してきたの、あたしのあるじじゃないんだもん。気分乗らなーい」


「……あるじ?」


 首を傾げる。

 目を向けると、風花はけろりとした表情をしている。

 魁斗は眉間に皺を寄せて必死に頭を働かした。


 風花ちゃんは、おれを殺すように誰かに依頼された……。

 

 少し間を置いて閃く。

 そういえば……と、少し前のことを振り返る。


 風花ちゃんはおれの情報をいろいろと掴んでいた。そして、戦闘が開始される前に、たしかに言った。



『――あいつの言った通り』だって。



 あいつっていうのは、もしかすると……。


 頭の中では、ある人物の顔が思い浮かんでくる。


 おれの命を狙っている人物……。


 ひとつひとつ状況を整理すべく、魁斗は問いかけてみる。


「依頼って、誰にされたの?」


 素人丸出しに直球で聞いてみた。

 だが、わかってる。答えるはずはないと。村雨風花の素性はいまだに全く掴めていないが、仮に忍びの類だとしたら、こんなド直球な質問に答えてしまうなどありえない。ここで答えてしまったら、それこそ素人同然のアホだ。村雨風花はおそらく、そんな簡単な人間ではない。時折見せた冷徹な目。あれは、かの忍びのようだった。絶対に情報は開示しないだろう。だけど、振る舞いや口述から、なにか情報のヒントは得られるかもしれない……。


 魁斗は情報を逃すまいと目を光らせ、耳を澄ませる。


「えっとね、蒼星暁斗あおぼしあきと


 けろっと、さも当然のように風花は質問に答えてくれた。


「……えっ、あおぼぉっ」


 ――答えたっ!?


 つい心の中で絶叫。 

 そして、「……えっ、あおぼぉっ」と声を漏らしたことが、聞き返したのだと勘違いした風花がもう一度伝えてくる。


「だから蒼星暁斗だって。蒼星暁斗」


 ――もう一度言ったっ!?


 心の中で絶叫がこだまする。

 魁斗はしばらく大きく口を開放。瞬きを早めながら風花を見返す。


「えっ、ちょっと待って。……いいの? そんな簡単に答えちゃって……」


 ようやく声を絞り出す。通常なら暁斗のことを真っ先に問いたいはずなのに、風花がけろっと情報を漏らしたため、そちらに気を取られてしまった。


 もしかして……アホ、なのか……? この子。


 単純な答えが魁斗の頭によぎる。


「別にいいよ。あたしは蒼星に仕えてるわけじゃないし。あたし、あいつのことあんまし好きじゃないから」


 そんな理由で情報を漏らしてもいいのだろうか……。


 自然と眉根が寄っていく。

 だがしかし、こんなところで停滞させておくわけにもいかない。

 答えてくれるのなら聞くべきだ。

 魁斗は建設的に思考を切り変える。


 やはり依頼人は頭に思い浮かんでいた人物――蒼星暁斗だったようだ。村雨風花が色々と情報を持っていたのは暁斗に聞いたからなのだろう。


 魁斗はようやく暁斗について質問を口にする。


「暁斗は今どこにいる?」


 風花は魁斗の質問を一応耳に入れながらも、懐から取り出したナイフでなぜか華麗なジャグリングを始めた。


「暁斗くんがどこにいるかって? ……そんなの、あたし知らなぁーい」


 テキトーな感じで風花が質問を返す。


「知らないって……いろいろと聞いたり、会ってたりしてたんじゃないの?」


 風花は一度、横目にチラッとこちらを見るも、すぐに空中を舞っているナイフに目を向ける。


 ジャグリング上手いな……。


 サーカスの見世物みたいで魅入りそうだった。十本のナイフが宙で繰り返し円を描き、回っている。


「暁斗くんとは最近会ってないし、べつに頻繁に顔を合わせたりも元々してなかったからほんとよくわかんないの。興味だってないし。……まあでも、近いうちにひょこっと戻ってくるんじゃない?」


 再度テキトーな感じで返される。テキトーではあったが言葉に嘘は感じられなかった。瞳にも取り繕うような虚飾の色は窺えない。


 飽きたのか、風花が懐にナイフを仕舞っていく。


 何本、その制服の中にナイフを隠し持っているんだ……。


 十本のナイフを収めていく様を見守りながらも魁斗は風花から目を離さない。

 一本だけナイフを手元に残して、今度はペン回しの要領でくるりくるりと風花は遊ぶように指先で回し始める。


 嘘をつかれ続けたこの身ではあるのだが、風花の言葉を本当だと仮定して、じゃあ、と魁斗は質問を重ねていく。


「なんでおれのことを殺さなかった? きみはいったいなにがしたかったんだ?」


 殺さなかった理由はさっき言っていた。

 村雨風花が仕えているのが蒼星ではないからだと。だけど、一度は意向に沿って殺そうと手を下してきた。回りくどかったが、その過程でも色々と仕掛けてきていたのだ。殺すことは目的だったと見て間違いない。でも、結局は生かされている。

 だからこそ一番の疑問は村雨風花がいったいなにをしたかったのか、だ。


「さっき言ったでしょ。あたしの仕えている主が蒼星じゃないからだって。あとは、まあそうだな……」


 風花は指先で回していたナイフを慣れた手つきで懐に仕舞った。わかりやすく思案した表情で、うーんと人差し指を顎に添えて眼球を斜め上に向ける。ようやく思考がまとまったのか、こちらを見ると、バラ色の唇が動く。


「あたし、きみのことを情報収集してたの。敵上視察。まずは相手を知れってねっ」


 ウインクしながらその言葉を告げる。嘘はついてないよ、とでも言うように微笑んでみせ、そのまま続ける。


「でも上手くいかなかったんだよね。あの襲ってきた暴力団はきみの力を図るために雇ったんだけどさぁ……裏切ってきたからムカついちゃって。わたしがほとんどっちゃったし。きみは紅月の人間だって聞いてたから、どんなものなのか見てみたかったんだけど……」


「……」


 偽りはなさそうだ。

 魁斗は黙って話を聞く。


「だからまあ、こうして直接あたしが戦ってみて、きみに感じたのは……」


 風花はこちらを見ながら意地の悪い笑みを浮かべてきた。


「力自体は、まあまあある。だけど……魁斗くんは人を殺さないって自分に課しているのかな? 人が良すぎ。マジ天然記念物。バカともいえる」


 小馬鹿にするように言い放つと、風花がくすくすと口元を覆い、しまいには笑いながら指差してくる。


 めっちゃくちゃ馬鹿にされてるようで面白くない気分だ。

 顔をしかめる魁斗をよそに、風花が続きを口にする。


「でもね、あたしバカってあんまり嫌いじゃないの。魁斗くんは段違いにバカだった。だから、なんというか……る気が削がれたのかな。あとは蒼星に言われるままこき使われるのも、なんかしゃくだったしね」


 そのまま風花が腰を折りながら、にっと笑う。


「つまりは……きみのこと少し気にいったってこと。だから、休戦してあげる」


 言われるが、どうも釈然としない。


 気にいった? そんでもって休戦……。


 眉間に皺を寄せ、悩む。


 それでこの場を収めて風花ちゃんにはなにかメリットがあるのだろうか? それに、こんな独断、あまりにも……。


「そんなことしたら、きみが危ないんじゃないの?」


「ほらぁ、そうやってすぐ人の心配する。甘すぎなんだよ。大丈夫、あたしの主が守ってくれるもん」


 呆れたような物言いで返事される。


「ふーん……」


 納得はできないが、相槌を打つ。


「ちなみにさ、風花ちゃんは誰に仕えてるの?」


 流れのままに聞いてみた。だけど、それは間違いだったようだ。

 不意に凍りつくような冷たい風が吹き荒れた。

 風花の明るい目つきが変わっていた。

 瞬きを忘れてしまうほどの、凍てつくような表情。

 冷汗が頬を伝う。

 これ以上は踏み込んではいけなかった、と脳が騒ぎ始める。

 

 そして――

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