第二章 風花 ①


 少しだけ日々は流れて、十二月の中旬。

 しんしんと霜が降りて地面や草木を白くお化粧していく。

 舞い降りてくる雪は少し休憩気味だが、気温はどんどんと下がっていった。


 学生たちは制服シャツの上にセーターを着て、さらに上着でスクールコートを羽織り登校。吐く息はそろって白くけぶっている。


 そんな寒さに負けず魁斗は今日も元気よく登校していた。


「さ、さむい……おおっ、さむい」


 ただ巻きつけたように両腕で己の体を抱き、背中を丸め込みながら、ガタガタと肩を震わせている。


 そのまま震えながら登校していると、いつもの校門が見えてくる。校門近くの壁の前では累が立って待っていた。スクールコートを羽織り、両手に温かい息を吹きかけている。


 なんで手袋してないんだ?


 魁斗は累に近づくと挨拶を交わして、さっそく疑問に思ったことを口にする。


「お前、なんで手袋してないの?」


 累は両手を口の前で握りこんで、はぁっと息を吹きかけ、答える。


「この前、かまくらを作ろうとした時に指の部分が破れたの」


 原因の一端は自分にもあった。それは悪いことをしたと思い、嵌めていた手袋を引っこ抜くと、


「おれのをあげる」


 累に差し出す。


「えっ、いやいい、いらない、大丈夫よ。こうやって息を吹きかけていればあったかいから」


 首を振って断られる。

 それより寒いから早く入ろうと累に促され、校門をくぐる。


 玄関について、上履きへ履き替えるようとしていた、その時――


「あっ、魁斗くんだぁ、おはよーっ」


 魁斗が靴を収めようとする下駄箱の左隣。そちらから声が聞こえ、目線を向けようとすると、ふわっと花の香りが漂ってくる。


 あ、……なんか、いい匂い……。


 思わず陶酔感を覚える。

 完全に目線を向けると、すでに上履きに履き替えていたこの学校の女生徒がまばゆい笑顔を向けていた。


「あっ……うん。おはよう」

 

 挨拶を返すとさらにその女の子は、にこっと天使のような微笑みを強めてくれる。そのあとは「またね!」と言って、すぐに立ち去っていく。

 

 その姿は、まるで風花かざはなのよう。


 下駄箱に靴を入れながら、去って行くうしろ姿を自然と追いかけ、軽く惚ける。


「魁斗、今の子って……」


 右隣にいた累がこちらを見ながら尋ねてくる。


「ああ、やっぱり可愛いよな……」


「……」


 返ってきた魁斗の答えに累が目蓋を半分閉じる。いわゆる半目状態となって唇をむっつりと閉じた。そのまま、じりじりと湿っぽい視線を向けてくる。


 しかし、魁斗はそのままそっぽを向いてやり過ごす。

 消えてしまった彼女のうしろ姿の残像を自然と目で、まだ追いかけていた。





 ※※※





 いつも通り学校が始まり、三時間目の数学が終わったところで魁斗は財布を持って教室を出た。

 目的は数学の授業でパンクした脳を癒すための水分補給。

 家から持ってきた温かいお茶もあるのだが、脳の疲れにはやはり糖分が効く。勉強は嫌いではなくなったが、決して得意にはなっていない。たまには息抜きをしなければ、やっていられないのだ。


 目的の場所である自動販売機は別棟か、あるいは校舎の玄関口まで行かないとない。玄関の方は比較的人が溜まりやすいから、魁斗は別棟へと足を運ぶことにした。


 人気が少ない渡り廊下を歩き、別棟の階段踊り場に一台だけ自動販売機がある。


 その自動販売機の前で立ち止まり、なにを買おうかと思案する。


 思った通りに、ここには人は居なかった。

 理由は明白。

 玄関の方には自動販売機が三台並んであり、種類も豊富。だが、こちらには一台しかない。また教室からも少し距離が離れているため、ここは人があまり来ない穴場のスポットだ。


 買っている間、人を待たせる心配もないため、魁斗はのんびりと考える。


 すっきりと飲めそうなオレンジジュースにするか……や、でも……やはり甘い飲み物代表、いちご牛乳にするか……うーむ、迷う。


 みみっちく小銭を数えて百円があるかを確認。確認を終えると目線を上げ、そして決めた。


 やはり、これだ。


 決めたのは甘い飲み物代表、いちご牛乳。

 疲れた脳には甘いものに限る。

 

 小銭をちゃらちゃらと投入口に入れ、人差し指でポチっとボタンを押した。


「……おっ……」


 ボタンを押したあと、ランプが赤く光り、売り切れの文字が浮かび上がる。


 ラッキー、最後の一つだったみたいだ。


 なぜだか得をした気分。

 がたん、と紙パックのジュースが落ちてくると腰を下ろして、それを取った。腰を上げようとすると、視界の端にはソックスに包まれた細くて綺麗な足首が見える。


 なんだ……?


 そちらに目をやり、徐々に視線を上げていくと見えたのは制服のスカート、それも短め。そのまま視線をちょっとだけ固定、スカート丈からは白くてきめ細かな太ももが覗かれる。さらに視線を上げていくと制服に包まれたウエストはきゅっと細くスレンダーな体。その細さに、累か……と思ったのだが、視線をさらに上げると違うと確信した。スレンダーながらに制服越しでもわかる、ぴんっと張った、ちょうどよく主張している胸。


 これは累じゃない……累よりある……。


 そして、完全に視線を上げる。


「あっ……」


 そこには、天使のような無邪気な笑顔が至近距離で花開いていた。


 今朝ぶりだ……。


 学校の玄関で偶然会った人物が今、目の前に立っている。


 やっぱり、可愛い……。


 その人物は魁斗を見上げながら甘く唇を緩ませて、キラキラと瞳を輝かせる、隣クラスの女生徒。


 学校中の男子が夢見る美少女は左喩以外にも、もう一人いる。



 ――村雨風花むらさめふうか――



 人気では、左喩と双璧を成している。

 左喩が大和撫子やまとなでしこなら風花は天真爛漫てんしんらんまん。その持ち前のフレンドリーな雰囲気と明るさで人を寄せつける魅力がある。また、左喩は和風美人でおしとやかな羞花閉月しゅうかへいげつのイメージだが、風花はどことなく洋風美人で活発。なによりちょっとエロそうで、なんだかイケそうな気がするというのが男子からの評判。しかし、まだ誰もイケたことはないという噂だ。


 明るい笑顔が風に乗って運ばれる花のように眩しく弾ける。視界が一瞬にして明るく照らし出される。窓から零れる光の粒子が風花にまとわりついて、さらに眩しくなり思わず両目をすがめた。


「やっほー魁斗くん。玄関ぶりだね~。魁斗くんもこっちに来たんだ? けっこう穴場だよね、ここ」


 風花は笑顔を絶やさず、自然な流れで会話を始めてくる。


「うん。こっちの方が人少ないから、ゆっくり選べるかと……」


 答えると、すでに買った紙パックのイチゴ牛乳を風花に見せた。


「あっ、それ買ったんだぁ。ぐうぜーん、あたしもそれ買う予定~」


 風花は嬉しそうに両手を合わせて笑顔を弾けさせたあと、魁斗の持っているイチゴ牛乳をツンッとつっつく。


 やっぱり可愛えぇ。


 その明るくて女の子らしい振る舞いに、思わず見惚れてしまう。


 えーとぉ、と風花は自動販売機の方にくるっと体の向きを変えて、投入口に百円玉を入れた。幾種類もあるパックの見本を見ながら、桜色の爪をくるくると回転させ、目的であるイチゴ牛乳のボタンを探す。


 あっ、そういえば……と、あることを思い出した。


「ああーっ! な、無い!」


 そして言う前に気づいたようだ。


 風花は売り切れの文字を恨めしそうに眺めながら、しゅんと肩を落とした。


「うーん残念……魁斗くん、ラッキーだったね」


 少し元気のない笑顔を浮かべると顎に手を添え、思案顔。


「どうしようかな……今から玄関の方に行ったら授業時間に間に合わないだろうし……。うーん……ここはしょうがないっ! カフェオレにするかっ!」


 落ち込んではいないようだ。どうやら前向きな子らしい。そして、思っていることが口からだだ漏れしている。


 買うジュースをカフェオレに決めてから風花がボタンに手を伸ばそうとした。その瞬間、魁斗は持っていたイチゴ牛乳をさっと風花の目の前に差し出した。


「え?」


「あげるよ、イチゴ牛乳」


 風花は差し出されたイチゴ牛乳を一度見てから、魁斗へと視線を向ける。

 そして魁斗は、わりかしスマートにイチゴ牛乳を差し出せたとちょっと誇らしく思っていた。


「いやいや、いいよいいよ! 悪いし!」


 しかし風花は、手と顔を横に振って断ってくる。


 こうなりゃ男の意地だ、と魁斗は風花の手を取って、その長い指の中にイチゴ牛乳を入れ込む。


「……えと…」


 風花は渡たされたイチゴ牛乳を眺める。


「それじゃ、そろそろ授業の鐘がなるから」


 スマートを装い手を上げて、魁斗はくるりと身を翻して立ち去ろうとする。

 我ながらクール……と自画自賛していると、


「魁斗くんっ!」


 風花がすこし大きな声量で名前を呼んできて、動きを一旦停止。


「そっち、教室とは逆だよ!」


「……」


 目の前には古ぼけた壁しかなかった。かなり経年劣化している。

 くるりと身を翻して、今度こそ間違いなく教室の方向へと歩き出す。しかし、風花のすぐ横を通るハメになる。かなり恥ずかしかった。恥ずかしいが、すれ違いざまに、


「教えてくれてありがとう。ほ、ほんじゃあ……」


 蚊の鳴るような、か細い声でお礼を言うと、大急ぎで風花のもとから去ろうとする。だが、


「あっ! ちょっと待ってっ!」


 一定の距離が離れたところで、再び呼び止められる。

 右足を踏み出したままの体勢で顔だけ振り返ると風花は自動販売機に体を向けていて、えーと、と少し迷ってからボタンを押した。

 がたん、とパックのジュースが転がり落ちる音が鳴り、風花はそれを手に取ると、こちらに向き直し、


「魁斗くん、これっ」


 風花はその紙パックを下手投げで、ぽいっとこちらに向けて投げてきた。

 慌てて片手でキャッチすると、


「ナイスキャッチ! イチゴ牛乳をくれたお礼ね」


 そのまま首を傾げて、にっ、と。薔薇の花びらめいた唇を開いて微笑む。


「あ、ありがっ……とぅ」


 もはやクールさなんてどこにもなかった。少しどもりそうになりながらも、お礼を伝え、頂いた紙パックを見る。


 あっ、これ……オレンジジュース……イチゴ牛乳と迷っていたやつだ。


 顔を上げ、負けじと風花に、にっと白い歯を見せながら笑い返す。オレンジジュースを掲げて、今度こそ教室の方へと歩いていく。


「……」


 去って行く魁斗のうしろ姿を見ながら、風花はイチゴ牛乳のように甘く微笑んだ。

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