第四章 隠里と亜里 ③


 土曜日。

 昨日はあの後、累とは話せなくなり、そのまま家に帰った。

 そして今日は休日。学校がないため、顔を合わせることもない。


 まあ、連絡を取ればすぐに会えるのだが……。


 ひとり、自室の布団に寝っ転がって、ぼーっと天井を見あげながら、大きくて深いため息をついた。


 おれ……ひどいこと言ったよな……それに態度も……や、でも、あれは累も悪い。

 うーん、でも……やっぱりおれは最悪なこと、した、よなぁ……あーあ、馬鹿だなぁ、おれ――。


 ぐるぐると脳内で昨日のことを思い出しては、後悔に打ちひしがれていた。


 月曜日にはちゃんと謝ろう。

 直ちに謝らないのは、まだ自分の気持ちに整理がつけられていないからだ。

 累だって、やっぱり悪いと思っている。

 でも、自分が怒りをぶつけたのは、自分よがりなことで……。

 だけど――と、もう一度負のループに入りそうだったので、頭を振って思考を切り変える。


 丁度、休日に入ったこの二日間。少しは自分の気持ちを整理しよう。

 そう答えを出しつつも、あ~あ、と項垂れながら弱々しく息をつき、天を仰ぐ。すると、


「魁斗さーん」


 襖の向こうから、心を落ち着かせる穏やかな声が聞こえてくる。


「なんですかー?」


 魁斗は布団から起き上がり、襖を開けると、穏やかな顔でにっこりと口許に微笑みを浮かべている左喩がそこに立っていた。


「おはようございます」


 自分の顔が見えた瞬間に、左喩は丁寧にお辞儀をした。


「おはようございます。どうしたんですか?」


 軽くお辞儀をしながら問いかけると、ええと……と左喩は両手をお腹の前ではらりと組む。


「今日、これから隠里の人が来ます」


「……はい?」


 いつもながら唐突だ……。





 ※※※





「それで……どれくらいでここに到着するんですか?」


 魁斗は縁側に腰掛けて、ズズッとお茶をすすりながら左喩に尋ねる。


「もうそろそろ着く頃だと思うんですけど……」


 返事を返すと左喩も隣でズズッとお茶を啜る。


 一旦、外の景色に目を通してから、魁斗は言葉を続ける。


「そうですか……それで左喩さん。今回もですけど、隠里はいったいどういった家系なんですか?」


 その言葉に左喩はこちらに振り向いて、ぽかんとした顔を浮かべる。


「わたし話してなかったですっけ?」


「はい、あまり……」


 この前は会話の流れで、隠里の里は隠されているということと、主に隠密、諜報活動や敵性勢力の監視とか、裏のさらに裏の仕事をしているって言うのは聞いたけど。それしか知らない。


「そうでしたか。では、来る前に少しだけ」


 左喩はお茶を一口飲み、喉を潤したあと薄桃色の唇を開いた。


「隠里は皆継家の隠衛かくれこのえです。代々皆継家に付き従い忠誠を誓い続けてきた一族……そして、隠里も元々は皆継家の末裔に当たるので、鬼の力を宿しています」


 ふんふん、と魁斗は頷く。さらに左喩が言葉を継ぐ。


「生業にしている仕事は、主に諜報活動、敵性戦力の監視に情報操作、破壊工作、そして……暗殺などです」


「暗殺っ!?」


 魁斗はその言葉に驚いて、思わず大きな声を出してしまう。


「……はい。今もそのような仕事を隠里は担っています。こちらの世界ではあまり珍しくは無いんです」


「そう、ですか……」


 魁斗が囁くように相槌を打つと、左喩は一度視線を落とし、湯呑の中のお茶を見つめる。沈殿している細かい茶葉を手首で回して全体が混ざるようにしてから口を開く。


「ほんとは、そういうのも無くなっていけばいいんですけどね。まだ、ちょっと……難しいです」


「……」


 少し複雑な気持ちだが思い返してみれば、ここは裏世界だ。暗殺だって日常的に横行している、そんな世界。理解はしていたつもりだが、実際に左喩の口から聞くと、よりリアルで生々しく感じる。


 魁斗は一旦落ち着くため、お茶を一口含む。飲み込むと、ふぅ……と短く息を吐いた。

 左喩は魁斗が落ち着くのを待ってくれていて、魁斗が顔を振り向かせて頷いたタイミングで次の言葉を口にする。


「説明を続けますね。その隠里はわたしたち皆継に影のように付き従っています。なので、わたしたちを守るためならなんでもします。いかなる時も、忠実に。役目を忘れずに、全うする……いわば、現代の忍者です」


「忍者、ですか……」


 そういえば仕事の依頼を達成した時に、たまに忍者みたいな恰好をしている人たちも中には居たな……。


「……とは言っても、わたしにそんな権力はまだ、あまり無いんですけどね……。隠里がほぼ付き従っているのは当主のおじいちゃんですし」


 左喩は一度瞳を揺らすと、遠い目をして、はぁ……とため息を吐いた。


「と、まぁ……そんな感じです」


 説明は以上のようだ。

 左喩は説明を終えると回していたお茶をコクッと飲んだ。


「忍者かぁ……」


 魁斗は遠くを眺めるように、少しだけ過去を思い出す。


 昔、テレビアニメで見て憧れたことがあったなぁ。忍者の真似をしたり、修行ごっこしたり、幼稚園の時に七夕のお願い事で短冊に忍者になりたいって書いたこともあったっけ。


 思わず過去の自分がアホらしくて顔が綻ぶ。


 左喩はそんな魁斗の横顔を見て、少し口角を上げていく。


「隠里の家は名前の通りに、住んでいる所が忍者の里みたいなので、案内してあげたかったんですけど……」


「いいです、いいです。だって、忍者なんでしょ。そういうのはわからない方がかっこいいですし」


 忍者とはそういうものだ、と魁斗は自分の中での勝手な想像と解釈で納得させてみせる。瞳をキラキラと輝かせて左喩の顔を見る。


「そ、そういうものですか……?」


 左喩はまるで男の人の考えはわからない、と言いたげに苦笑いを浮かべる。


「はい、そういうものです」


 魁斗は知らないくせに自信満々に答えた。


「それなら、まあ、いいですけど……」


 若干、魁斗に圧倒されつつ左喩は言葉を返す。

 少しして、……でも、やっぱりちょっとよくわかりませんね、と首を左右へ捻っている。


「じゃあ、ちょっとおれ、隠里の人が来る前にトイレ行っときます」


 縁側から立ち上がり、厠の方向に向かって歩き始める。


「ごゆっくり。……あっ、ちなみに今日来る人は隠里の次期里長じきさとおさです」


 歩き進めていると、後ろから思い出したように言われる。そういうのは早く言ってくださーい、と振り返って返事をしようとする、その直前。襖を開け、廊下に足を一歩踏み出したところで、ぼふんと腹に軽い衝撃があった。


「っつ……?」


 なにかぶつかったようなのだが、前に向き直しても、目の前にはなにもない。

 不思議に思い、もう一度後ろを振り返ると左喩が口を半開きにしてこちらを見ていた。


 なんで左喩さん、アホヅラしてるんだろう?


 そんなことを思っていると、


「魁斗さん」


 名前を呼ばれ、左喩は指で魁斗のお腹辺りを差す。


 魁斗は再び前に向き直して、きょろきょろ左右を見た。

 なにもない。

 そして、左喩の指摘通りにお腹辺りを見ようと下を向こうとした、その時。


「貴様……人にぶつかっておいて、謝罪の言葉もないのか……」


 お腹辺りから、静かな声が聞こえてきた。

 感情が抑えられた、平板な、ただし怒りを後ろで隠しているような奇妙な語り口。


 視線を完全に下に向けてみると、


「え……?」


 そこにつむじが見えた。

 髪は縛られており、後ろで一括りにまとめられている。

 とにかく小さかった。

 その小さな体に黒装束くろしょうぞくを覆っていて、まるで幼い子供が忍者のコスプレをしているかのようだった。


 魁斗は状況が理解できず、つい口走った。


「……きみ、迷子かい?」


 ついに、その子は怒りの感情を向ける。


「失礼な奴だなっ、お前は! 今ここで首を搔っ斬るぞ!」


 恐ろしい言葉を浴びせられた。

 魁斗は軽く頭が混乱しており、


「ごめんごめん。……で、どうしたの、きみ? こんなところで?」


 膝を曲げて、腰を落とし、小さな子供に話しかけるように言葉を紡いだ。

 すると後ろから、か、魁斗さん……と震える声で名前を呼ばれる。


 振り返ると、左喩は唖然とした顔を浮かべていた。


「その人です……その人が隠里の次期里長の方です」


「へ?」


 こんな小さな子が?

 ん、ちょっと待て、なんかこのパターン……。


 前に振り返ろうとすると、その子は一瞬にして視界から外れて、後ろに立っていた。通り抜ける時に後ろから膝裏を蹴り押されて、魁斗は姿勢を崩す。両膝をついたところで首筋に小太刀を突き付けられる。


 なにが起きなのか一瞬、わからなかった。


 気がつけば膝をついて、首筋に刃を突き付けられ、一瞬にして命の主導権を相手に奪われてしまっていた。


「お前がはぐれの紅月か? えらく阿呆だな」


 魁斗は圧倒された。圧倒されて頭の中が真っ白になって、全身が縛りつけられたように動けなくなった。背中を冷や汗が伝う。


 完全にやられてしまった。

 自分は今、命を奪われた。


「……ふん……」


 永遠にも思えた数秒の後、首筋に突き付けられた小太刀が離れていく。


「これなら里を見られてもなにも問題なさそうだったな」


 しゃきんっと刃が鞘に納められる音が聞こえた。

 魁斗への評価はすでに終わっているようだ。おそらく、雑魚と格付けをされたのだろう。

 忘れていた呼吸を再開させ、魁斗は後ろに振り向く。

 その者は、冷たくも凛と佇んでいた。

 そして、魁斗は思った。


 皆継家の傘下の次期当主……みんな小さいんだが……。

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