第四章 隠里と亜里 ①


 魁斗は綺麗な月だから、穢してはいけないと思ったんだ。

 わたしは汚れてしまった。

 たとえ月を守ろうとしたとしても、穢れてしまった。

 だから、わたしは月に手を伸ばすことは許されない。

 綺麗な月を穢してしまうから。

 わたしは遠くから月の光をそっと見上げているくらいが丁度いい。


 あんたの、その瞳に映す景色は美しいものだけで満たされていてほしかった。

 でも、おばさんが死んで、

 わたしがこの世界に引き入れてしまった。


 それは命を守るため、守るため、守るため、守るため、守るため、だったの……


 生きてさえいてくれたらそれでいい。

 魁斗の傍に居られるだけで、遠い記憶が……込み上げてくる悲しみが温められる。


 この世界に来たからって、あんたが紅に染まる必要はない。

 染まるのはわたしだけでいい。

 魁斗には、そんなことはさせない。

 大事だから。絶対に失いたくない人だから。

 おばさんの事件でそれは嫌というほど思い知った。


 閉じ込めなきゃいけない、この想いは。


 痛みは見せられない。

 この心の中身を知られてはいけない。

 大切な魁斗は、きっとわたしのために動くだろう。

 大切ならば大切なほど、大切なあんたに自分のためには何もさせたくない。


 わかり合えないけど、この世界で生きるにはどうしても魁斗が必要なの。

 あんたさえ生きていれば、それを糧としてわたしは頑張ってこの世界で生きていける。


 どうか、どうか、どうか、そのまま、真っすぐに。美しく笑っててほしい。

 お願い。



 


 ※※※





「綺麗な夕暮れだなぁ……」

 

 魁斗は縁側にて、ひとり佇み、お茶を一口含む。

 外からそよぐ秋風がひんやりと心地いい。


 ああ、このひんやり心地とあったかいお茶は格別だなぁ。


 ズズッと呑気にお茶を喉に流し込んでいく。

 しばらくしてから、後ろから聞き慣れた声がして、哀愁漂う魁斗の背中に近づいてくる。


「ふふっ、おじいちゃんみたいですよ、魁斗さん」


 そう言って、微笑みながら隣に腰を下ろすのは、穏やかで柔らかい雰囲気なのに、究極の美しさを纏った左喩だ。


「左喩さん……おれはこのまま、おじいちゃんにでもなれそうな気分です」


「それでは、わたしはおばあちゃんになってますね」


 ふわふわとお花畑が咲いたような不思議なやり取りをしていると、左喩がいつものようにお茶請けに漬物を持ってきてくれた。


「今回は、かぶら漬けです」


 にこっと左喩が笑顔で漬物の種類を告げる。


 魁斗はタッパーの中身を覗く。タッパーの中身は、かぶとかぶの葉までもが美味しそうに漬けられており、ぎっしりと詰まっていた。


「うーん、秋ですねぇ……」


 そう返すと魁斗はかぶの葉の方を箸で摘まんで口の中に放り込む。

 しゃきしゃきとみずみずしく、全体に均等に味が漬け込まれている。巧みな塩加減と甘酸っぱさは、さすが左喩さんと褒め称えたい。


「美味しいです。さすが、魁斗おじいちゃんの好みがわかってらっしゃる」


 いつもとは、違うパターンに持ち込む。


「それはよかったです。ふふっ、同然です。わたしは左喩おばあちゃんなので」


 よくわからないノリを続け、魁斗と左喩は、あはは、うふふと笑い合う。


 ふわふわとした空間に突然、ぶわりと強い風が襲ってきて、枯葉が魁斗の顔面にぶち当たって砕け散る。

 そして、あまりの冷たい風に、思わず、さむっ! と己の身体を抱いた。


「すごい風でしたね」


 目をぱちぱちと瞬かせ、左喩が外を見ながら囁く。

 魁斗は顔面にぶち当たって砕けた枯れ葉の欠片を払い取る。


 せっかく左喩さんと楽しく笑いあってたのに……。


 魁斗は風が来た方向に向かって、きっ、と睨みつける。

 そんな魁斗をよそに左喩が言葉を続ける。


「この調子だと秋なんてすぐに終わって、早いうちに冬みたいに寒くなりそうですね」


「ですね」


 相槌を打ち、魁斗は寒さに負けないようにあったかいお茶をごくっと飲んだ。中身が無くなり、コトッとお盆の上に湯呑を置く。


 すると、左喩が一口お茶を飲んでから、こちらを見つめて口を開く。


「魁斗さん。この前、佐々宮ささみやには挨拶ができましたよね?」


「……ん? はい、そうですね」


 どこか含みのある感じだ。


「今度は、隠里かくれざとに……挨拶に行こうと思ったのですけど……」


 そこで左喩は一度言葉を区切り、少しだけ複雑そうな顔を浮かべる。


 魁斗は首を傾げながら黙って次の言葉を待っていると、左喩は少しだけため息を漏らして言葉を継いだ。


「その……魁斗さんは、里には案内出来ないって断られちゃいました」


 言葉を聞き、魁斗は目をぱちぱちとさせる。左喩の顔を見ると、ちょっとだけ唇を尖らせている。


 なるほど……ようは、得体の知れない輩を自分の里に踏み込ませるわけにはいかないと、そういうことですね。


 心の中だけで左喩に言葉を返す。

 すると、左喩はフォローするように言葉を続ける。


隠里かくれざとは……名前の通りに里が隠されているんです。特定の人しか、場所を知りません。その……隠里は、主に隠密だったり、諜報活動や敵性勢力の監視など裏のさらに裏の仕事をしているので、なるべく正体は見せたくないのだと思います。なので……」


 今度は、魁斗は言葉に出して言った。


「紅月と名がつく、得体の知れないおれに正体を明かすわけにはいかないと……そういうことですね」


 左喩の言葉の意図を組みとり、自分で言葉にして理解を示す。


「はい、そういうことです」


 少し、しゅんとなる左喩。


 魁斗はべつに気にしていない。会わないのならべつに無理して会わなくていい。自分が相手の立場だったら、そういったリスクは避けるだろう。


 まったく気にしていないという素振りで、左喩に声をかけようとすると、


「あっ、ですが……」


 と、左喩が続ける。


「皆継の……というか、わたしの隠れ近衛このえなんですけど、ひとりここに来て、挨拶しに来てくれるので、それで一通り魁斗さんの挨拶は終えた、ということにしましょう」


 ぱんっと両手を合わせて、花が咲くように左喩が微笑みながら言う。


 魁斗は目を瞬かせて、


「はい?」


 首を傾げ、間抜けな声で返事をした。

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