第45話 一すじの希望の光が

一方で妻は、夫の惚けた顔を横目に、対の御方たちのいる部屋にせっせと参上しています。

夫が対の御方に出した手紙の内容も、妻にはとっくに筒抜けです。

監禁部屋に出向いた妻は、生きる気力をすっかりなくしている対の御方に同情の言葉も見つかりません。側にいる女房たちも、水を勧める言葉をかけることさえためらっている様子でした。

「ご心中お察しいたします。ですがどうかお気を確かにお持ちくださいましな。微力ながら、この私もなんとかして夫のスキを見つけ、お姫さまがたをお逃がしできたら、と毎日考えています。ですが、今北の方さまなどは、

『そのまま命尽きるまで捨て置いてもかまわないわ』

そんなひどいことを仰っておられるとか」

今北の方のむごさに右近の君は震え上がり、

「あなただけが頼みの綱なのです。どうか私たちを見捨てずに外に逃がしてくださいな」

と言います。小侍従の君も、

「ああ恐ろしい。今北の方さまは、何をどう捻じ曲げてそんな考えをお持ちなのでしょう。たしかに御方さまは、今上の御前で何度か楽器をお弾きになったこともありましたが、人目に立つほどではございませんでした。ありもしないことを誰かがでっち上げて、悪意に満ちたうわさ話を今北の方さまに申し上げたに違いありません」

と泣きます。右近の君はさらに続けます。

「姫さまはもとから後宮暮らしなど望んでおりません。

鄙びた山里の小さな家に、世捨て人の老いた尼君と共にひっそりと暮らしていたのです。そこへ実の父君であられる按察使大納言のお迎えが参り、尼君は姫さまを泣く泣く手放されたのです。そうして思いもよらない御所での生活を強いられ…すべてが慣れないことばかりの毎日に、姫さまはどれほどお疲れだったことでしょう。

ところが今度はどなたかのたくらみ事にかかり、こんな暗い部屋に閉じ込められて。

前世のいかなる報いだろうかと嘆いておりましたところに、あなたの心温かい言葉。

もしや、まだ希望が残っているのではと元気が出てきますわ。どうかお願いします。なんとか脱出する方法を考えてくださいまし」

「私も、自分の身と引き換えにしてもよいから何とかこの美しいお姫さまをお逃がしできる方法を、と考えているのですが。

できればこの私も一緒に逃げたいと思います。

と言いますのも、もう夫にほとほと愛想が尽きまして。

私、両親は幼い頃に死別したのですが、その後伯母に引き取られました。その伯母は、中宮さまにお仕えしている宰相の君と申し上げる女房のもとにおり、名前は中務と申します。私はその中務のおもとに育てらました。

私は五年ほど前にこの家の主人である民部少輔と結婚しました。誠意のある夫だとずっと思っておりましたが、今は薄情な面ばかりが目につきまして。もうすっかり愛情も冷めてしまいました。心にかかる子供もいるでなし、私もお姫さまと一緒にこの屋敷から逃げてしまいたいと存じます」

と妻は言います。

「あら、先ほど手紙を持ってきた子はあなたの子供ではないのですか?」

「はい。夫の先妻の子です」

「まあ、そうだったのですか。それにしても、あなたの身の上話から、あなたがまったくの赤の他人だと思えなくなりましたよ。

宰相の君という女房は、こちらにいる姫さまを大変心配しておられる御身内の方々のおひとり。ひょっとしたら私たちも、あなたの伯母上に何度か会ったことがあるかもしれません。

ああ、何とかしてそちらの方面から姫さまの居場所をお教えすることができないかしら。宰相の君にこの事をお知らせできたら、脱出の道がきっと開けますわ!

よもやあなたが宰相の君の縁続きの人だったなんて。これこそ毎日お祈りしている神仏のお導きですわ」

右近の君はとてもうれしくなりました。

民部少輔の妻に、「宰相の君がお仕えしている中宮の弟君(東雲の宮)はこちらの姫さまの恋人なのだ」という突っ込んだ話こそできませんが、宰相に君にさえ知らせることができれば、必ずや兵部卿の宮や父親の按察使大納言に連絡がとれると確信したからです。

「何という偶然でございましょう。まことに神仏のお導きに違いありません。

ですが、何とか大納言さまにお知らせすることができたとしても、この私が「姫さまの居場所を告げ口したな」と夫に責められるのだけはご勘弁を。雲の上の方々に関係する事件の責任をとらされるのはごめんこうむります。

どうすればよいでしょうか…。

大納言さまは方違えの際、この屋敷にお渡りになられることがあります。その方面から何か良い案が浮かべば。

ハッそうですわ、あの子を使いましょう!

先妻の子は大納言さまがこちらへお立ち寄りの際、親しく御前に伺っております。今度大納言さまがお立ち寄りになられたときにあの子に顔を出させて、お姫さまのお書きになったお手紙を見せればよいのですわ。事前に、

『お父さんにもお母さんにも内緒で、この手紙を大納言さまにお見せなさい』

とあの子に言いつけてくださいな。私は、大納言さまが手紙を読んだあとに、

『この子はなんてコトを!あれほど黙ってなさいと言っておいたものを!』

と怒るマネでもいたしましょう。夫は、自分の実の子ですから怒るに怒れないでしょうし。何も知らないあの子には少々可哀想な計画ですが、このくらいしか思いつきませず…」

と妻が言いますと、右近の君や小侍従の君は顔を紅潮させて、

「確かに、幼い子に責任を押し付けるのは心が痛みますが、今は手段を選んでいる場合ではございません。すばらしい計画ですわ。

ああ、うまくゆけば自由になれるのね!」

「どうかあなた、お願いです!一刻も早く宰相の君のところに行って、事の次第をすべて申し上げて下さいな」

と妻にすがりつくのでした。

女房たちは姫君に、宰相の君に宛てた手紙を大急ぎで書くように勧め、民部少輔の妻に持たせました。

手紙を懐に納めた妻は、夫の留守の日、屋敷の者全員に自分の訪問先を夫に教えないように緘口令をしき、宰相の君のもとへ出かけました。

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