第18話 東雲の宮と小夜衣の姫、それぞれの後悔

かわってこちらは東雲の宮。

宮は、小夜衣の姫をこっそりかくまう場所を準備したので、いつものとおりお手紙を山里の家に送ったところ、お使いの者が「大納言邸へ引っ越されたそうです」と手ぶらで戻ってきましたのでびっくり。

「なんだって!?そんな話は聞いてないぞ」

あまりの間遠(まどお)にこの私を見捨てたのか?それほどまでに思いつめていたのか?事情のひと言も言わずにどうして?

頭が混乱して、茫然自失の東雲の宮です。

「父君のもとへ行ったなら、もう二度と逢えないのだろうか」

途絶えがちな逢瀬のときはできた我慢も、二度と逢えないと思うとこの身が引き裂かれそうです。琴の音だって、いずれ改めて聞く事ができようと信じていたのに、それも叶わぬ夢となってしまいました。

魂が半分ぬけだしそうな心地で何もする気になれないのですが、このまま引きこもってばかりだと、関白家の心配ばかりする両親がうっとうしく、ようやっとの思いで関白家に出向きますと、これまたおおげさすぎるほどのもてなしぶり。妻のいる華やかな場所は、傷心の東雲の宮にはまぶしすぎて、静かにくつろぐこともできません。

妻と対面しても、小夜衣の姫と比べずにはいられない東雲の宮。

「気高く上品で、いかにも権門の家に守られた深窓のお姫様と、かたやわびしい山里育ちの可憐な姫。気位高くどっしり構えた妻よりも、愛情こまやかに和ませてくれる山里の姫の方が、私は心が安らぐんだ。妻の前ではちっともくつろげない。ああやはり私には、小夜衣の姫が必要なんだ…」

婚家の、妻の息苦しさをはっきり自覚した東雲の宮は、自邸にこもりがちになり、誰とも顔を合わさないようになってしまったのでした。




頭の中は小夜衣の姫のことばかり。悶々とした日を送っている東雲の宮です。少しでもなぐさめになるのなら、山里の老人でもいい、姫のことを語り合いたい、真心をわかってもらいたい…そうは思ってみても、権門の家の婿君になった今では、そうそう気軽に出かけてゆける距離ではありません。

たったひとくだりの返事もなしに私の前から消えてしまった姫。この恨めしい気持をどこにぶつけたらよいのだ。嗚呼。

宮は他人に言えない思いのありったけを、白くあたたかな色あいの手紙に書き尽くします。


『ひとすじに おもひすてぬる 心をば いかが恨みの すゑなかるべき

(わたしを嫌いぬいて捨てていったあなたに対して、恨み言のひとつも言ってよいですよね)


さりともと 契りし事を むなしくて ありしばかりを かぎりなれとや

(なにがあろうとも共にいようと誓ったのに、裏切るのですか?あの夜を最後に)』


これ以上のものは書けないだろう、と出来ばえに満足した宮は、「必ずや小夜衣の姫にお見せしてください」と山里にこの手紙を送りました。

山里の尼君は、さっそくその手紙を大納言家にいる小夜衣の姫に届けます。宮の思いのありったけを込めた和歌に、みるみる涙があふれ出る姫。

「ああ、恥ずかしがらずにちゃんと事情を伝えればよかった。こんなことになってしまって、何という情けない女だとがっかりされたことだろう。申しわけなくて、とてもご返事できないわ」

今さら事情を説明するのも気がひけて、返事が書けません。

来世までも一緒に…と誓った言葉だけが、姫の心の救いなのでした。




一方こちらは小夜衣の姫が引き取られた按察使大納言のお屋敷。

亡き母君の面影を宿す小夜衣の姫を見ていると、女君(小夜衣の実母)のもとに熱心に通っていた頃が懐かしくてならない大納言です。

「そういえば、姫の母君もたいそう琴の上手だった。尼君が、孫娘にも同じように琴を伝授していればよいが」

大納言は、山里から引き取った姫の琴の爪音がどんなものか知りたくなって、月の明るい晩、姫のいる部屋へ出向き、琴を勧めてみました。

息子の弁少将などに笛を吹かせ、なんとかその気にさせようとしても、姫は恥ずかしがって手も触れようとしません。

「尼上はお教え下さらなかったかな?そんなことはないはずですよ」

と父君が強く勧めますと、姫はたいそうつつましやかにかき鳴らし始めました。派手にならないようにひかえめに弾いていますが、その爪音はたしかに母君と同じすじのもの。しかも母君以上におもしろく魅力ある音色です。

「雲の上まで響くような妙音とはこのような音色を言うのだな。まさに名人の域と言ってもよかろう。これほどとは思いもよらなかった。容貌も才も、最上流の姫君と比べて何の遜色もない。それに比べて、来月入内する我が家の姫ときたら…ああ、あの姫の準備に奔走している私がなんとマヌケに見えることか。今上も、もの足りなさにガッカリなされるだろうよ」

聞きなれない琴の音に惹かれて、今北の方も小夜衣の姫の部屋にやってきました。

「まあまあ素晴らしいですこと。我が家の姫も、長年琴をお教えしていますが、こんな音色で奏でられませんのよ。良いお師匠がこの屋敷に来てくださって助かりますわ。来月入内する我が姫のために、ぜひその音を伝授下さいな」

と大喜び。

この今北の方は、何事にも優れた小夜衣の姫を、新女御の付き添い女房にして、万事仕切らせればうまくゆくわ…とたくらんでいるのでした。

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