第四十話 噂の『院長』と平手打ち——新たなしがらみⅡ——
突然部屋を訪れた男を見て、それまで落ち込みながらも朗らかにおしゃべりをしていたユイさんの表情が少し引き締まったものに変わる。その顔を見るだけでその男が現れたことが歓迎されたものではないことが窺えた。
そんなユイさんの変化には気付かず男は上機嫌そうな笑みを浮かべ、視線を部屋内のボクらへ向ける。その男の髪と同じ黄土色の瞳はルナディアを捉えると、なんというか品のない表情でその顎髭を撫でて口を開いた。
「話を聞いて来てみれば、なるほど……」
「これは、ドテクゥ殿。……何か御用でしょうか」
この男が噂の魔法療院の院長、『ドテクゥ』氏の様だ。
曰く難しい人物。曰く評判の優れない魔法療院の長。曰く私服を肥やしている男。
よくない話を耳にしてしまっているから難しく感じるけど、ルナディアから『想像で何かを知った気にならないで欲しい』と釘を刺されている以上、彼の表面的な部分だけを見て判断するのはまだ早いと思う他ない。彼が何の用事があって来たのか。とりあえずはその点についてのみ気を配ろう。
そしてドテクゥ氏の後を追う様に、恐らく彼の護衛と思われる帯剣した男女がボクの隣へ並んだ。深緑色の髪をした男性は上背があるがヒョロリとしており、何がおかしいのか口元に笑みを浮かべている。対照的に凛々しい表情をした黒髪の女性も男性程ではないものの背が高く、頬から鼻へ横一文字に走る傷痕が痛々しいけれど、それが歴戦の戦士である雰囲気を醸している。どちらも戦いに手慣れた人物である事を察するのは簡単だった。
「なに、組長殿に用事があったんだが、見目麗しい女子が免許を取りに来ていると聞いてな?」
「……こちらのルナさんの事でしょうか?」
淡々とユイさんが確認を取ると、男はやはり横柄とも取れる態度で頷いた。
用事はルナディアが来ている事を確認しに来た? ……嫌な予感しかしない。
美人が来たから見に来たなんて、そんな直接的な理由で部屋まで押しかけるなんて人はいないだろう。いや、ボクも酒場で絡まれた様に、女性とみれば声をかける様な奴もいるからわかんないか。
ユイさんはドテクゥ氏の反応を見て、また淡々とルナディアに彼の事を紹介する。彼女の立場上は紹介しないわけにはいかないから、やむなくそうしたんだろう。そうでもなければ、美人がいるから来たなんて男をわざわざ人に紹介はしない。
ルナディアは椅子から立ち上がると振り返り、ドテクゥ氏に向かって一礼した。
「はじめまして、ドテクゥ様。この度免許の取得を希望しております、ルナと申します」
「ほぉ、魔法の才覚があるだけではなく、礼節も弁えているとは」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。偉大な先達に倣い、生命魔法を人の為に使いたく思っておりますの」
「ぐっはっは! 心まで清いとは、なんとも素晴らしいじゃないか!」
ルナディアがいつもの御令嬢仕様で受け答えを行うと、ドテクゥ氏は一層嬉しそうに笑みを深めた。彼女が礼儀を弁えていて何が……と考えて、思い当たる事がある。
まさか彼女の正体を『ルナディア=リンドバール』と知っている?
平民でも礼儀を大切にする人はいるけど、彼女がリンドバールの屋敷で身につけたものは貴族のそれであって平民の仕草とは流麗さが違う。だから彼女がそれを見せた事で公爵令嬢であると確信し、喜んだ、のか?
もしそうであれば、ボクは警戒しなければいけない。もし王都から何らかの、彼女を害する様な使命を持ってこの場に臨んでいるのであれば、それは阻止しなければいけない。
ただ正直、ルナディアに対して護衛をけしかけたとて相手になるとはあんまり思えないし、それはボクに対しても同じ事が言える。ただルナディアのことを知っている人間が現れた場合、それがどういう事態に波及するのかはわからないから、やはり警戒するに越した事はない。
「それに身体も……ぐふふ、これほどの逸材はキーリカでは見かけた事がないな?」
あぁ、どうやらボクが懸念した様な事はなさそうだ。
そして確定した。この男はやっぱり性悪で、加えてすけべな人間の様だ。なんか気を配っていたことを裏切られた様でちょっとだけ腹が立つ。
「うふふ、乙女に斯様なことをおっしゃられるなど、品がありませんわ?」
「良いではないか! オヌシの様な女性を目の前にして、品など気にしていては男が廃るというもの。どうだルナ殿、これからワシの館で食事でも楽しもうではないか」
「それはそれは嬉しい申し出ですが、まだ旅の疲れが残っていてお相手も叶いそうにないので、また今度の機会にしていただければ」
「まぁそう固いことを言うな」
ルナディアが優しくあしらおうとした事に対し、ドテクゥはそれでもと食い下がる。人類種ではこういう求愛行動があるんだろうかと錯覚しそうなほど、その光景は少し尋常なものではないと思う。
こういう時の為の護衛だ。流石に彼女に迫る様な行為は紳士的ではないし、ボクが割って入る理由になるだろう。ルナディアを庇う様に前に出て、ドテクゥと向かい合う。
「えっと……申し訳ありません、ドテクゥ殿。ルナ……主人が困っていますので、お申し出はまたの機会に」
「あぁなんだ?……おや、この女子も悪くないな。オヌシはルナ殿の妹かなにかか?」
「ボクは彼女のご……護衛です。それで」
「オヌシも来るといい! ルナ殿に比べるといささかは肉付きは悪いが、それもまた乙だろう!」
もういいや、ぶっ飛ばすか。
キュッと拳を握って踏み出そうとすると、後ろのルナディアがボクの手を引いて止めた。
ちょっとだけ、ホントにちょっとだけ腹が立ったから制裁してやろうと思ったけど、確かにここでこちらから手を出すのは得策ではないかもしれない。ボクは吸血種だからね、人類種の戯言ぐらい受け流せる余裕はあるさ。うんうん。
「ドテクゥ様、やはり本日はお暇させていただきますわ? またの機会を楽しみにさせていただきます……ノッテ、行きましょうか」
「……そうだね。失礼します!」
やり場のない怒りをこの場で発散するわけにもいかないし、ルナディアの言う事に従って彼女を先導しながら部屋を出ようとする。すると、ボクとルナディアの間に割って入るようにドテクゥが立ち塞がった。なんなんだこの男は。
「まぁまちたまえ。ワシの言う事に従っておいた方が、ルナ殿の為にもなると思うが?」
「……私の為とは、どう言う事でしょうか?」
「ワシがどれ程の地位にいるかはわかるだろ?」
そう言いながらドテクゥは愉快そうにルナディアの周りをゆっくりと歩き、下品な視線でルナディアを睨め付ける。キミがどれだけ偉ぶってるのか知らないけど、目の前にいるのは公爵家の御令嬢だぞ。
「ワシと来れば楽しませてやるし、そうだな。免許だってすぐにでも発行させてやろう」
「ドテクゥ殿、それはいかにも横暴です。お控えください」
見かねたユイさんが嗜めたものの、ドテクゥは鼻で笑い言葉を続ける。護衛を二人も侍らせているこの男は、本人が言う通りこの街においてはある程度の地位を獲得しているようだった。
「そこなユイ殿が何を言おうと、ワシの権力は変わらん。この組合の中にも、ワシに大恩ある人間は山ほどいるからな」
「それとこれとは話が別です。私や組長がそのような事を許す筈が」
「良い加減黙っておれ。そうだな……年老いた両親の為にも、その職を失いたくはないだろう?」
ドテクゥがその言葉を口にすると、ユイさんは下唇を噛んで押し黙ってしまう。おそらく彼女の両親を人質にするような、そういう意味なんだろう。ああもう、性悪ですけべなだけではなく、人間性まで卑怯ときたら最悪だ。
ドテクゥは押し黙ったユイさんをこれまた愉快そうに眺めると、再びルナディアへ向きなおる。
「最初からそうして居れば良い……それでルナ殿、さっきは丁寧に誘いをかけたがな、その実断るなんて事は認められんよ」
「……それもまた、私には理解できない事です。どうしてかしら?」
「ワシの誘いだからだ。その瑞々しい桃のような身体、寝かせておくには勿体無い。オヌシとて火照る夜もあるのではないか?」
下卑た言葉を続け様に放つドテクゥが、ルナディアの肩を叩く。
そろそろ良い加減にしろと再びルナディアから彼を引き離そうと踏み出すと、護衛の男が剣を抜きボクの首元へと突きつけてきた
「おっと、旦那の邪魔はしない方が身のためだぜ……アンタも可愛がってもらえるんだ、喜べよ」
「……キミのいた田舎では、初対面の相手に剣を向ける事が礼儀なのか? 生憎と蛮族の作法は知らなくてね」
「強がるなよ。護衛というからには使えるんだろうが、剣の一振りも下げていないなんて呑気な事だ」
「弱くて可哀想なキミみたいに剣に縋る訳じゃないから、ボクには必要ないだけだよ」
「へへ、吹かすじゃねえか。でも声が震えてるぜ」
声が震えてるのは、そろそろボクの我慢も限界だからだ。どうして偉大で高貴な吸血種でルナディアの《命血》を得たボクがこの程度の奴らに侮られなければいけない。
こいつらをぶっ飛ばしてもいいかとルナディアへ目線で確認をとると、やはり彼女は小さく首を振る。事を荒立てない事を優先しているみたいだけど、キミはそれで良いのかよ。
ドテクゥがボクと男のやりとりを見ると、汚い顔をより汚くして笑った。すっかりボクはコイツのことが嫌いになってしまったらしい。この短期間で人にここまでの嫌悪感を抱かせるなんて、それはもう才能だよ。
「ぐっふっふ……護衛のおなごも可哀想に……オヌシが黙ってついてくれば、彼女が傷付くこともないだろうが?」
「あの子には手を出そうというなら、私が許さない。覚悟することね」
ルナディアが言葉遣いも忘れて怒気を露わにする。けれど未だ手はぎゅっと握られたまま、ボクに許可を与えるつもりはないようだ。
「おお怖い、こわい。しかし強がる姿もまた良いものだ、な?」
そしてドテクゥは、その汚い手で確かに、ルナディアの臀部を撫でた。
それはもうダメだ。
ボクに突きつけられていた男の剣の鋒を軽く掴む。
「おいおい、そんなことしたら指がなくなっちまう」
「オマエ、良い加減この汚い飴細工を下げなよ」
「あぁ? 何言ってるんだ? 剣が怖くってイカれちまっ」
「こんな弱っちいものが、飴で出来ていなければなんだっていうんだよ」
そしてその鋒から順に、小枝を折るようにしてへし折っていく。そもそも吸血種で、《命血》を得た今のボクにとっては、少しくらい鍛えられた鋼なんかその気になればそれこそ飴細工と変わらないんだよ。
そして鍔元までぽきぽきとへし折り終わると、愕然とする男を無視してドテクゥへと向かう。
ドテクゥも目の前の光景が信じられないようで、ボクを見るその目には困惑と恐怖の色が見える。
「な、オヌシは一体何者だ! 鋼の剣をそのように」
「あんな安い剣をこのボクに向けるなんて、無礼もいいとこだな。それにボクに剣を向けたって事は、逆に向けられる事も覚悟できてるんだろ?」
「ワシを誰だと」
「そういうのはもうお腹いっぱいだ。どいつもこいつも似たようなことばっかり言って」
そしてルナディアによけてもらって、ドテクゥの胸倉をギュッと握る。
ルナディアはボクのものなんだ。その血も、その笑顔も……その身体の毛先から足の指先までの全て、眷属であるからには主人であるボクのものだ。
肩くらいなら、ルナディアが呑み込む限りは許してやるさ。でもそれ以上を、汚い手で触れる事は、主人であるボクが許さない。
だから今回はルナディアの許可なんかいらない。これは全て、ボクの怒りなんだから。
「うぐ、この手を離せ、この無礼者が」
「無礼なのはどっちだよ。良い加減その口、閉じといた方がいいよ。舌を噛みたくないだろ?」
「おい! 早くコイツを引き剥がさないか!」
そう指示された護衛二人が慌ててボクに詰め寄ろうとする。だからゆっくりと《幻影想起》を展開して、奴らの足元に無数の百足が這い回る幻を創ってやる。
「なんだよコレ!」
「これは……!」
「そこでそうして戯れてなよ。別に命までは奪わないから……院長だかなんだか知らないけど、相手を間違えたね」
そしてドテクゥの胸倉を掴んだまま、反対の手を大きく掲げる。不躾な男に対しての制裁は、やはりこれが一番しっくりくるだろ。
「おらぁ!!」
そして思いっきり、その肥えきった頬に向かって平手打ちをくれてやった。
流石に二度目ともなれば、手加減は完璧だ。まぁ手加減してもくるくるとドテクゥは回って、壁にぶち当たると項垂れるように沈黙した。
「わーお……やっちゃったわね、ノッテ」
「なんだよ、文句あるのかよ」
ルナディアが小さく笑って、それでもボクを嗜めるような事を言う。
「貴女がやってなかったら私がやってた。ノッテの事まで引き合いに出されて、黙っている理由がないもの」
「そうだろ。キミはボクのものなんだから、気軽に他の人に触らせるなよな」
「気軽じゃないし……ていうか、何も考えずそういう事を言うのよね……」
ルナディアはボクに呆れた様にそういうけど、これだって結構譲歩してるんだぞ。
さて次はどうしようかと護衛二人に向きなおる。このまま百足と戯れさせたままでもいいけど、気絶したドテクゥを介抱させた方がいいかもしれない。そう思って幻を解除してやると、男の方は壁へもたれるドテクゥへと駆け寄り、女の方は抜剣してボクとルナディアへと対峙した。
「良くも雇い主に手を挙げてくれたな」
「先に始めたのはそっちだろ。こっちはルナディアへの侮辱、ユイさんへの恫喝、挙げ句の果てに剣まで向けられたんだ」
「それを許されるだけの立場が此方にはあるという事だ。覚悟は出来ているんだろうな」
女は険しい表情のままそう告げてくる。
「なんの覚悟だよ……そっちこそ、ボクみたいな女の子に手玉に取られたなんて、誰かに知られるかもって恥を覚悟した方がいいんじゃないか?」
「その心配には及ばない。ここで貴様らを捕らえ、命果てるまで牢にでもぶち込んでおけばな」
「はは、やってみせなよ……ルナ! ユイさんを!!」
ボクが指示を出してから、すぐにルナディアがユイさんを抱えた事を確認すると、《幻影想起》でボクら『三人』の姿を隠す。
「な! これは……魔術か!」
「じゃあね、おバカさんたち!」
そして争いが起きた応接間を急いで後にする。
まさかこんな事になるとは思っておらず、どうしようかと思ったけど……いや、本当にどうしよう。
ルナディアが免許を取る為に必要な講習。その講習の指導をする人が所属する、魔法療院の院長をビンタしてぶっ飛ばしてしまった。
これはもしかしたら、後でルナディアに怒られるかもしれないやつかもしれない。
ただまぁ、ボクはルナディアに不埒な視線を向ける輩を退治出来たんだ。その事だけでも良しと思うことにしよう。
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