長慶子(ちょうげいし) その四

 一九一九年九月二三日 帝居地下 御殿





 長慶子終了後、観覧室に詰めていた一同は地下の御殿へと移動した。

 御殿の和風座敷には既にぜんが並べてあり、小規模ではあるが宴会の様相を呈している。


 皆がしばらく待機していると瑠璃家宮が入室し、上座に落ち着いた。


 瑠璃家宮が音頭を取る。


「綾の出産も無事終わった。

 これも皆が綾を支えてくれた御蔭である。

 先ほど綾の様子を観て来たが、母子ともに健康らしい。

 そして、産まれた女児は汀と名付けた。

 皆で汀の誕生を祝ってくれ。

 後もう一つ。

 宮森よ、其方そなたにも改めて礼を申したい。

 外吮山で余の命を救ってくれた事、心より感謝する。

 これよりは余の腹心として、また汀の教育係として尽くしてくれ」


「で、殿下の腹心だなどと滅相めっそうも御座いません。

 自分は殿下の盾になる事が叶い欣幸きんこうの至り。

 そればかりか、この不具の療養に貴重な設備を使わせて頂き恐縮している次第です……」


 相好を崩す瑠璃家宮。


「そこまで遠慮する事はないぞ宮森。

 何故ならば其方はもう余の側近。

 九頭竜会幹部なのだからな。

 今日は綾の出産と宮森の昇進を兼ねた祝いの席だ。

 皆、存分に楽しんでくれ給え」


 用意された席は七席だったが、この場には六人しか居ない。

 残りは遅れて来る武藤 医師の席らしい。


 そうこうしているうちに宴会が始まった。


 この時ばかりは、多野 教授も酒を食らい哄笑こうしょう

 宮森をめちぎる。


 瑠璃家宮も朗らかな表情で、『子供はまだか?』と益男をからかっていた。


 頼子が感動でまだ涙ぐんでいるそばから、吐袋に吐いたモノを取り戻さんと宗像が膳を平らげまくる。


 小一時間たった頃、新たな小鉢こばちが運ばれて来た。

 だが、給仕の他に追加の客も付いて来る。


 口いっぱいに頬張った赤飯を酒で流し込んだ宗像が気付いた。


「お、武藤はんやないかい。

 綾 様の処置が終わったみたいやの。

 ささっ、呑も呑も♪」


 宗像から酒を勧められたが、武藤は綾と汀の容態が急変した場合に備え断る。


 宮森はと云うと、追加の小鉢が気になるようだ。


 それは見るからに赤黒く、三箇月前にここで催された入門いりかどを招いての宴会を思い出させる。

 そのとき供されたのは、拷問、強姦された子供の松果体しょうかたい

 その効能は、食した者と邪霊とを交歓こうかんさせるモノだった。


 宮森は思わず身構え、こんけがれる事を恐れ御霊分みたまわけの術法で人格を切り替える。


 脳中の明日二郎に質問する宮森。


『明日二郎、あれはこの前みたいに松果体なんだろうか……』


『ちょいまち……。

 おでこのメガネで、デコデコッ、デコリ~~ン!

 ……生臭すぎるから松果体じゃねーな。

 ありゃーアヤの胎盤だぜ』


 明日二郎からの回答を得た宮森は、事実を確かめるべく武藤にさり気なく発問した。


「武藤さん、それは何です?」


「ああこれかい?

 これは綾 様の胎盤だよ」


「あ、綾 様の胎盤⁈」


 武藤が得意気とくいげに解説する。


「宮森 君も知っているかも知れないが、支那しななどでは胎盤を食す習慣が在ってね。

 これには科学的裏付けが在るんだ。

 胎盤の血液中には、酸素、栄養分、免疫物質が豊富に含まれる。

 それを食す事で、美容と健康を手に入れようと云うのが主な理由だよ」


「そ、そんな貴重な物を頂けるので?」


「殿下と綾 様の特別な計らいだ。

 ああ、君は入会して日が浅いので知らないのだったね。

 こうして、特別な日には一部の会員に振る舞われるのだ」


 ここで頼子が会話に割り込む。


「そう、特に美容には効果覿面こうかてきめんなんですよ。

 これからは、胎盤を使った化粧品も研究されるらしいです」


「け、化粧品ですか……」


「ええ。

 でも、良質の化粧品を作るには新鮮な胎盤が必要です。

 ですから、後の世では病院が胎盤を化粧品会社に売るようになるでしょうね」


「し、しかしそれでは、赤子に行く筈の酸素や栄養、免疫物質を遮断する事になるのでは?

 死産の恐れも有るでしょうし……」


 武藤が会話を引き継ぐ。


「ははは。

 下賤げせんの者共に幾ら被害が出ようと我々には関係ないよ。

 真実を知り、利を得るのは我々上級民だけでいい。

 出産後は短時間で臍帯を切断した方がいい、と云う常識を植えつければ、何も知らない一般民はドンドン切るよ。

 鮮度が保たれた胎盤を化粧品会社に売却すれば大きな儲けが出る。

 加えて、臍帯を短時間で切断した事により赤子が病気や障害児にでもなれば、その後も病院は持続的に儲けを得られるからね」


 武藤の予見は現実となった。


 現代の産院では、出産後数分以内に臍帯を切断する所が大半である。

 又、『出産後三分間ほど経過してから切断すると臍帯血液中の鉄分値が良好になり、赤ちゃんの健康に良い・運動神経が良くなる・黄疸おうだんを防ぐ』とのうわさも広がっているようだ。


 産まれたばかりの嬰児えいじは肺が活性化しておらず、胎盤から酸素を得て呼吸している。

 その状態で臍帯を切断するとどうなるか。


 答えは簡単。

 呼吸が出来なくなるのだ。


 そのため肺を急激に活性化させる必要が有り、その工程は嬰児にとって苦痛をともなう。

 赤子が泣くのは、活性化していない肺に大気を無理やり取り込んだ事によるものなのだ。


 その証拠に、出産後から臍帯拍動が止まるまで(大概の場合約二時間)切断しない場合、赤子は全く泣かないとされる。

 胎盤からの酸素が行き渡っているので、窒息する事なくゆっくりと肺を活性化させられるからだ。


 そして赤子の健康と引き換えに得られた高級化粧品が、俗に『プラセンタ・プラセンタエキス』と呼ばれる物である。

 この商品を作る為だけに今まで幾つの命が傷付き、消えてった事だろう。

 そして人間の欲望が続く限り、この商品はこれからも製造され続けるのだ……。


 医療業界が拝金主義に堕している事を突き付けられた宮森だったが、目前の物を食さない訳にも行かない。

 最大限取りつくろった顔で口に入れる。


⦅うっ⁈

 余りにも生臭い……。

 こんな物を儀式の度に食べているのか?⦆


 暫くして宴会は御開きとなり、宮森は武藤と共に病室へと向かう。


 病室に戻った途端、身体に異常を感じ始める宮森。


⦅それにしても、身体が熱い……。

 酒が、回って来たのか?

 なん、だ?

 頭の、中、が真っ、白に……⦆


 ちょうど居合わせた武藤が軽く検診する。


「ん?

 手足が少し熱を持っているね。

 左眼の方も充血している。

 恐らくは、〈ミ゠ゴ〉が酒精に慣れていない所為だろう。

 具合が悪くなったらいつでも呼んでくれ」


 武藤が病室を去った後も、全身に走るきしみや、左眼球の圧迫感にさいなまれる宮森。


 心配して声を掛ける明日二郎。


『ミヤモリ、なんか辛そうだけど大丈夫か?』


『ああ。

〈ミ゠ゴ〉が悪さをしている訳ではないと思う……。

 多分、さっき食べさせられた綾の胎盤だ。

 明日二郎、念のため精査を頼むよ』


『ロジャー!』の掛け声と共に宮森の身体を精査スキャンする明日二郎。


『う~ん……。

 今んトコ異常なし。

 もしかして綾が取り込んだ〈ショゴス〉が影響を及ぼしているのかとも思ったけんど、特に反応はねーな。

 ムトウの言った通り、〈ミ゠ゴ〉が酒に慣れてない所為だろ』


『そうか。

 ならいい……』


 宮森の不調がこの後どのような作用を及ぼすのか、まだ誰も知らない。


 そう、鳴戸寺なるとでら 以外は――。





 長慶子(ちょうげいし) その四 了

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