第41話 なんでもいい
【7月30日 午前11時45分】
エミと共にビルから脱出したはよかったが、目の前の道路にはタクシーどころか一般車もロクに通っていなかった。だから
『こっちはエミと一緒にビルを脱出して近くの裏通りに隠れてる。エントランスには楢崎がいるから別の出口から逃げて!』
その後、もう一通メッセージを送って身を潜める。
よし、後はしばらく時間を置いてから改めてタクシーを呼べば……
「ここにいたんですねえ、
「……!」
「ダメですよぉ? あんな短時間で遠くに逃げられるはずがないんですから、近くの裏道に隠れたなんてことは誰でも予想付いちゃいますよ?」
嬉しそうに声をあげてこちらを見下ろす楢崎の顔は、恐怖ではなく喜びに満ちていた。
「エミ! 逃げ……」
「ダメですよ」
「あぐっ!」
エミの腕を引く前に、楢崎に腕を捻られ私はあっさり地面に押さえつけられてしまった。
「く、あ……!」
「さてエミちゃん、約束通りに私が連れて行ってあげます。あなたはもう何も悩まなくていいんです」
「クロエおねえちゃん……」
隠れるために裏通りに隠れたのが裏目に出てしまった。こんな場所じゃ誰も歩いてこないし、大声で助けを呼んでも建物の中にいる人に聞こえる可能性は低い。腕を封じられてるからスタンガンも使えない。
だったらせめてエミだけでも逃がすんだ。私は後でいい。
エミはその場に立ち止まったまま動かない。
「クロエおねえちゃんは、わたしを助けてくれるんだよね?」
「ええそうですよ。約束したじゃないですか」
「じゃあなんでそっちのおねえちゃんとケンカしてるの?」
「……はい?」
楢崎の顔はまだ笑っている。
「クロエおねえちゃんも、そっちのおねえちゃんも、わたしを助けに来たって言ってる。なのになんで二人がケンカしてるの? なんで二人でわたしを助けないの?」
「……あれー……? エミちゃん……?」
「わたしはどっちに助けられればいいの? わからないよ」
その時。
「エミ……ちゃん? あれ? エミ、ちゃん?」
楢崎の顔が恐怖に染まっていった。
「あれ? おかしいな? エミちゃんの言葉が予想できません。エミちゃんの気持ちがわかりません」
「クロエおねえちゃん?」
「あ、あ、ああ……もしかしてエミちゃん、私を嫌い始めてるんですか? 私を不安にさせてくれるんですか? あなたも私を敵にしてくれるんですか?」
腕を捻り上げている力が弱まっている。
「あなたが私を嫌っているなら、私、エミちゃんを連れて行く必要なくなっちゃうじゃないですか。 エミちゃんがちゃんと私を嫌って、不安にさせてくれるなら、もうこの世界には私の敵しかいないじゃないですか」
気づけば私の腕を押さえつける手が離れていた。この隙を逃すはずもない。
「ふんっ!」
「あっ……!?」
一気に楢崎をよろめかせて身体を転がして解放された。そのままエミの前に立って彼女を庇う。
「……今のでわかったでしょ、エミ」
「え?」
「私も楢崎も、結局は自分の都合でアンタを助けようとしている。私もアイツも自分が思う幸せをアンタに押し付けているだけ」
「おしつけてる……だけ……?」
自分でも身勝手なことを言ってるとは思う。だけどそれはあの時、
「私に幸せを押し付けられたくないなら、全力で抵抗しなさい。それも全部叩き潰して、アンタに私の幸せを教えてやるわ」
エミが変わり果ててようと、私のやることは変わらない。
「……なーんだ。結局はエミちゃんも私のことが嫌いなんですね」
「クロエおねえちゃん?」
「ふふ、そう、それでいいんです。それが幸せなんです。みんな私に勝手に期待して、勝手に失望する。いつものこと。これで私は遠慮なく、全部を嫌いになれます」
「クロエおねえちゃん、何言ってるの? わたしのことを連れ出してくれるって、おとうさんとおかあさんのところから連れ出してくれるって……」
「それはエミちゃんが私を安心させちゃうからですよ。あなたがみんなと同じように、私を嫌って不安にさせてくれるのなら別にそのまま生きててもらった方がいいです」
「え……?」
「私を不安にさせてくれるのなら、私にとってエミちゃんはその他大勢と変わらないですからね」
「……!!」
私からすれば、楢崎がエミを見限る方が都合がいい。コイツがエミを狙わないのなら、別にコイツを排除する必要なんてない。
「……クロエおねえちゃんも、やっぱりわたしを助けてくれるわけじゃなかったんだ」
エミの顔から再び感情が消える。楢崎クロエが自分を見限ったことを悲しいとも思ってないのかもしれない。
だけど。
エミを散々危険な目に遭わせておいて、いらなくなったら『その他大勢』扱いするのは心底気に入らない。
「ぐっ!?」
そんなクソ女が私の前に現れれば、顔をぶん殴るくらいのことはする。
「予定変更」
「……ああ、痛い。今の、見えなかったですね」
「アンタのことは、二度とエミの前に現れないと誓うまでぶん殴るわ」
「誓わなかったら、黛さんはずっと私と敵対してくれるんですか?」
「私と敵対したくないと思わせるまでぶん殴るって言ってんのよ」
コイツに関しては、そこまでしないと気が済まない。
「そこまでだよ、黛さん」
だけどその時、楢崎の後ろから男の声が届いた。
「
「クロエちゃんのことそんなにいじめないでやってよ。一応、この子は私が育てたんだから」
「そんなの知ったこっちゃないわ。
「
そんなことするわけがない。だけど、コイツがあの朝飛さんを打ち倒してここに来たのだとしたら、その手段は警戒する必要がある。
「……ああ、わたし、そうだ。そうだったんだ」
背後のエミが小さい声で何かを呟いている。俯いて表情はよく見えない。
「……だれもいない。わたしを助ける人なんていない。だったらわたしは、『たのしいこと』を見つけないと」
「エミ?」
「なんでもいい。『たのしいこと』だと思えるなら、なんでもいい。わたしには、私にはそれが必要なんだ」
「……エミ?」
エミはその場に蹲って身体を丸めると、全身を激しく震わせ始める。数秒間それが続いたかと思うと、突然立ち上がってこちらを見た。
その表情は……
「ふうーっ……」
初めて私と会った時のような、どこか妖艶な微笑みだった。
「エミ?」
「……長い間眠っていたような感覚だね。まあその分、晴れやかではあるがね」
「エミ! 記憶が……!」
『記憶が戻ったのか』と聞こうとしたけど、その瞬間に違和感に気づいた。
エミが見ているのは私じゃない。私じゃなくてもっと後ろを見ている。その視線の先には私じゃなくて、別の人間がいる。
エミが見ているのは……
「……
唐沢は信じられないものを見たような驚きと喜びが混ざったような表情になっている。それに対して、エミは微笑みを崩さずに答えた。
「久しぶりだね。君とこうして再び話す機会が訪れて喜ばしい限りだよ、『アキヒト』」
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