第6話 元凶


 【7月29日 午後2時09分】


「ひ、久しぶりですね、朝飛アサヒさん!」

「うん、久しぶり。それでさ、なんで柳端やなぎばたくんがここにいるのか教えてくれるかな?」

「あひっ! す、すみません!」

「相変わらずだねクロエちゃんは。私がどんなに笑顔を向けても、全然安心してくれない。だから苦手なんだよね」


 部屋に入ってきた朝飛さんは笑顔で質問していたが、楢崎ならさきはそれを見て怯えて上ずった声を上げていた。

 というかコイツ、朝飛さんのあの笑顔が通用しないのか? 俺を強制的に安心させるあの笑顔が?


「電話でも言ったけどさ。私はもう誰かを殺そうなんて気はないんだよね」

「そ、それはわかってます。今日は香車きょうしゃくんのことについて聞かせてもらいたくてお呼びしたんです」

「なるほどね、それで柳端くんもここにいるってわけ?」

「待ってください朝飛さん。コイツらとどういう関係なんですか? なんでコイツらの呼び出しに応じたんですか?」

「……そっちの男の人とは初めて会ったよ。私が知ってるのはクロエちゃんだけ。私が保育士になりたての頃に、クロエちゃんが職場体験に来た時に知り合ったんだよ」

「そ、そうなんですよ! 朝飛さんはあの時まだ中学生だった私を見定めてくれたんです」

「見定めた?」


「私のことを怪しまれずに殺せるかどうかですよ。怖くて怖くて、嬉しかったなあ……」


 うっとりと語る楢崎に対して、朝飛さんは不機嫌そうに目を細めた。


「やっぱり私、クロエちゃんのことは好きになれないよ。それなのにあなたは自分を嫌う人間を求めるんでしょ? やりづらくてしょうがないよ」

「……だから楢崎に香車きょうしゃを紹介したんですか?」


 静かに呟いた俺の声はあからさまに震えていた。


「あなたは楢崎のことを嫌っていたから、自分の代わりに殺してくれそうだから、アイツに香車を紹介したんですか!?」

「そうだよ」

「……!!」

「あの時の私は『夜』を解放する役目を香車くんに求めてた。そしてクロエちゃんは自分を怖がらせて、不安にさせる人間を求めていた。だから紹介したんだよ」

「だからって! 香車が楢崎を殺すはずないでしょうが! アイツが自分の『夜』とやらを自覚したのはかしわと出会ってからで……!」

「……そうだよね。君はそう思ってるよね」

「なに言って……」


「はいはいそこまで。じゃあここからは私のお願いを聞いてくれるかな」


 会話に割って入るように唐沢が手を叩いたことで思わず言葉を飲み込んでしまった。


「お二人をここにお招きした理由はね、なつめ香車きょうしゃくんについて話してもらいたいんだ。と言ってもさ、いきなり話してくれと頼んでも難しいだろうし、先に君のリクエストに応えてあげるよ」

「リクエスト?」

「聞きたいんだろ? 霧人きりひと先生と香車くんの関係を」

「……!」

「それとも、そのあたりについては朝飛さんの方が詳しいんじゃないかな?」


 思わず朝飛さんの顔を見てしまったが、その顔は尚も笑っていた。


「それを私に言わせるんですか。よりによって、柳端くんに」

「そうだよ。だって君は確信してるんだろ?」

「……そうですね」

「なんですか? 何を知ってるんですか!?」


 縋るような声で叫んでしまった俺に対し、朝飛さんは口を開いた。


「……斧寺おのでら霧人きりひとって人が、小さい頃の柏さんを庇って亡くなったのは聞いてる?」

「は、はい」

「じゃあ、斧寺霧人さんが刑事としてある事件を捜査していたことも?」

「刑事だったことは聞いてますが、ある事件というのは……?」

「……当時の警察本部長だった、かしわ恵介けいすけが殺された事件だよ」

「かしわ……けいすけ……?」

「その事件の犯人は真田さなだ平一ひらかずって警察官……お姉ちゃんの元ダンナだった」

「は?」

「でも、私は柏恵介を殺したのは真田平一じゃないって思ってる。だって私、あの日はあの人が自分の息子と一緒に過ごしていたのを知ってたから」


 待て、待ってくれ。夕飛さんの元夫が息子と一緒にいた日に殺人事件が起こったって……


「朝飛さん、待ってください。そんなわけないです、そんなはずがないんです!」

「さっきの話に戻るけど、私には『あの子』がもう後戻りできない状態だって、クロエちゃんに対して『夜』を解放すると確信した理由があった。お姉ちゃんには絶対に言わないでおこうと思ってたし、君にも言わないでおこうと思ってた……」

「違う! そんなわけがない! そんなはずが……!!」



「香車くんは、柏さんのお父さんを殺してる」



 ……なんでだよ。

 全てはそこから始まっていたとでも言うのか? 香車は柏の父親を殺していて、それがきっかけで柏が斧寺霧人の影響を受けて容赦なく殺されるという『絶望』に魅入られていたのなら……


 全ての元凶は、香車ということになるじゃないか。


「香車くんと柏恵介の間に何があったのかなんて知らない。でも、少なくとも真田平一は香車くんを恐れていた。自分の子供として認めようとしなかった。だから香車くんは、自分の欲求をコントロールする術を探す必要があったんだと思う」

「……それが、柏恵介を殺すことだったと?」

「私から見たら、あの事件以降の香車くんは以前より自分の感情をコントロールできるようになってた。一度自分の欲を満たしたことで、抑えることができたんだと思う。私が彼の奥底にある『夜』を見抜いても、すぐに敵対することはなかったよ」


 ……本当に、香車は柏の父親を殺したのか?

 そう確信しているのは朝飛さんだけだ。世間的には真田平一が犯人ということになってるんだろうし、それが真実なんじゃないのか?


「はい、ありがとう朝飛さん。じゃあここからは私が話そうか」


 唐沢は俺の気持ちなど知ったことではないと言わんばかりの明るい声で語り掛けてきた。


「霧人先生と真田平一さんは上司と部下の関係だったそうだ。だから霧人先生は真田さんの子供である香車くんのことも知っていたし、彼の中にある……朝飛さんが『夜』と呼ぶものの存在にも気づいてたよ」

「じゃあ斧寺霧人も柏の父親を殺したのは香車だと決めつけていたのか? その頃のアイツはまだ4歳だぞ! そんなわけがないだろうが!」

「年齢は関係ないよ。重要なのは彼が周りに悟られずに人を殺せる状況だったのかどうかだ。その状況があるなら、彼は迷いなく人を殺すさ」

「それだけで香車を疑うのか!?」

「朝飛さんは疑うどころか確信しているよ」


 唐沢に視線を向けられた朝飛さんは顔を背ける。その態度が答えだった。


「じゃあ柳端くん、君からも話してもらおうか。棗香車くんは、君から見てどんな人だったのか」

「それを話してどうなる? お前が香車に対する印象を改めるのか?」

「場合によっては計画の変更もあるかもしれないね。それに君だって友達が単なる人殺しだと思われなくはないだろう?」

「……」


 そうだ、香車は……


「お前らがなんと言おうと、棗香車は普通の人間だった。俺に見せていない残酷な一面があったとしても、アイツは俺に優しさを向けていたし、弟がいじめられた時も身体を張って止めることができる人間だ。斧寺霧人が香車をどう評してようと、アイツは単なる人殺しじゃない」

「……なるほど、普通の人間ね」


 唐沢は俺の答えに対し、なぜか嬉しそうに呟いた。


「そうかそうか、よかった。その答えが聞きたかったんだよ」

「だったらもう俺に用は無いだろ。これ以上ここに閉じ込めるつもりなら警察を呼ぶぞ」

「そうだね、君にはもう用は無いよ」


 あっさりとした返答に面食らったが、唐沢は既に俺に目を向けることなく、手帳に何かを書いている。

 不気味ではあるが、今なら脱出できるはずだ。あとは樫添かしぞえを助け出す算段さえ考えれば……


「失礼しまーす、唐沢のオッサンいますかー?」


 その時、扉の外からノックと共に若い男の声が響いてきた。まずい、仲間が帰って来たのか?


「はいはい、やぐらくんか。入ってきなよ」

「お疲れっす」


 入ってきたのは俺より少し年上くらいの男と黒いレインコートを着た人物、そして……


「や、柳端!?」


 俺を見て目を丸くして驚いている茶髪の女、樫添かしぞえ保奈美ほなみだった。


「おい、俺に用がないなら樫添にも用はないだろ! 今なら警察沙汰にしないでやるから、コイツも解放しろ」

「うーん、別に私はそうしちゃっても構わないんだけどねえ。『彼女』がそれを許してくれるかなあ?」

「なに?」


 唐沢が目を向けたのは、樫添の後ろにいるコートの人物だった。


「……ア、ア……」


 顔はよく見えないが、身体を小刻みに震わせて何かを呟いている。いや待て、さっき唐沢はなんて言った? 『彼女』と言ったか?


「……いなく、ならないで……捨てないで……ずっと……ずっと……前に……」


 小さかった声がどんどん大きくなる。声が大きくなるごとに俺の中の予感が確信に変わっていく。


「おい、お前……まさか……」


 その答えを言う前に、コートの人物は俺に飛びかかってきた。


「ぐっ!」


 ふざけんな、なんでこんなことになってるんだよ。お前はいつだってそうだ。俺の人生に関わるなと言ったのに、いつだって俺に迷惑をかけてくる。

 だけど今回は、今回ばかりはコイツにとっても非常事態が起こっている。


「何が起こったんだよ……何があったらそうなるんだよ……!!」


 俺を壁に押し付けて苦しそうに暴れたことで、フードが外れてその顔があらわになる。


「何をされたんだよ……生花いけばな!」


 その下には、髪を黒く染めて不安と恐怖に怯え切り、涙を流す沢渡さわたり生花いけばなの顔があった。

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