第4話 お人形さん


 【7月29日 午後0時12分】


 昼休みの学生食堂は既に前期試験も終わりかけている時期だからか、どこか気の抜けた雰囲気が漂っていた。かくいう私も既に気を抜き始めている一人だ。真夏の暑さもあるし、常に気を張っていたら体力がもたない。

 そういう時にまゆずみセンパイの強さを改めて実感する。あの人はかしわちゃんを守るために常日頃から気を張っているのに、まるで辛さを見せない。それどころか弓長ゆみながくんやメイジとの一件を経て、ますます強さを増しているようにも見える。最近だと常に気を張るだけじゃなく、柏ちゃんを信頼してある程度の単独行動を許すようになっている。あの人なりに力の抜き方を工夫しているってことだろう。

 S市立大学も今は昼休みだろうけど、あの二人は一緒にご飯でも食べているんだろうか。私だって黛センパイたちが平和な時を過ごしていてほしいし、その平和がむやみやたらに脅かされてほしくない。


 『スタジオ唐沢からさわ』の人たちが何を考えていようと、どんなに崇高な理念があろうと、彼らの行動は黛センパイたちの平和を脅かすものだ。だから私も彼らとは敵対することとなる。


 とはいえ、こんな日中の大学構内で平然と事を構えるような相手でもないだろう。つまり今は気を抜いた方がいい時間だ。必要な時に十分な気力を保つために、力を抜く時間は必要となる。

 そんなことを考えながらお昼ご飯を食べていると、食堂のテレビに映ったニュースが目に入った。


『次のニュースです。俳優の白樺しらかばたかしさんが芸能界を引退すると、先ほど所属事務所を通して発表しました。白樺さんは20年前にサスペンス映画の犯人役で人気を博して以降、多数の映画に出演し……』


 白樺隆? ああ、確か10年くらい前までは毎日のようにテレビで見た人だ。最近はめっきり見なくなっていたから画面に映る顔は記憶よりずいぶんと老けていたけど、目つきは変わっていない。

 そうだ、この人って確か……


「もしもーし、木之内きのうちですけど。唐沢のオッサンっすか?」


 その時、私の背後でそんなセリフが聞こえた。顔を後ろに向けずに視線だけを向けると、その先には誰かと電話で話している黒髪の若い男の姿があった。

 間違いない。今アイツは『唐沢のオッサン』と言った。もしかして、『スタジオ唐沢』の人間かもしれない。

 向こうが私に気づいている様子はない。アイツがただ単にここの学生であるなら、食堂を利用してもおかしくはないし、ここで唐沢と通話していてもおかしくはない。なら唐沢の仲間が偶然ここにいたってこと?

 どうする? 今すぐここから離れるか? それともアイツの情報を少しでも掴んで黛センパイに伝えるべきか?


「ああ、そうっすよ。言われた通り読み込みましたんで。んで、そっちはどうっすか? その柏とかいう子に会えそうですか?」


 柏ちゃんの名前が出た。確定だ、コイツは唐沢の仲間で間違いない。


「え? ああ、はい。ちょっと待ってください。そっち行きますよ」


 そう言って男は立ち上がって食堂の入り口に向かう。

 まずい、移動する気か。せめてコイツの顔くらいは画像で黛センパイに送っておきたい。

 考えている暇はないと判断し、男を尾行することにした。



 【7月29日 午後0時22分】


「ああ、はい。斧寺おのでら霧人きりひとに関する資料ですよね。全部読みましたよ。ええ、『絶望が人を救う』っていう考えも含めてね」


 男は通話しながら大学構内を歩いていく。建物の陰に隠れながらだけど、会話はしっかりと聞き取れていた。ただ、なかなかこちらに顔を見せないから写真は撮れない。というかさっき、アイツは唐沢と合流するようなことを言っていた。じゃあまさか、この近くに唐沢がいるんだろうか。

 それにアイツ自身の言葉も気になる。斧寺霧人の資料を読みこんで何をする気なんだろうか。


「それでですね、俺の方も唐沢のオッサンにお願いがあるんですけど、いいっすか?」


 そう言って、男は後ろを振り向いて……


「『お人形さん』の実力をそろそろ試したいんすよ」


 ハッキリと私に目を向けていた。


「しまっ……!」


 ハメられた。いつの間にか人気のない場所に来てしまっている。

 そう認識して即座に逃げ出そうとした直後。


「ぐうっ!!」


 前から強烈な衝撃が襲い掛かり、私の身体は地面に叩きつけられた。

 まずった、私も尾行されていたんだ。全部罠だったんだ。

 起き上がろうとしたけど、その前に目の前にいる人物に左肩を踏みつけられていた。


「あ、ぐ、あああっ!」

「はい、ストップストップ、『お人形さん』。その子に嫉妬してるかもしれないけど、そんな強く踏みつけてやんなよ。怪我しちゃうだろ」


 さっきの男の声は離れた場所から聞こえてくる。つまり私を踏みつけているのは別の人間。

 目を向けると、暑い日なのに黒いレインコートを着てフードで頭を隠した人物がいた。顔はよく見えないけど、身体はそこまで大きくない。


「さーて、樫添かしぞえ保奈美ほなみちゃんでいいんだっけ? アンタも災難だね。唐沢のオッサンの目的に付き合わされて、こんな痛い目に遭うんだからよ」

「アンタ……! こんなことしてタダで済むと思ってるの!?」

「そっちだって俺をストーキングしてたじゃん。危ないから自己防衛したまでよ。ま、俺としちゃ別にお縄になってもいいんだけどな」


 男はどこか冷めた顔で私を見ながら、仲間に声をかける。


「それでだ、『お人形さん』。とりあえずこの子はオッサンのところに連れて行くからよ。アンタが手を引いててくれよ。女同士の方が怪しまれないだろ?」

「……うん」


 『お人形さん』と呼ばれた人物は小さく高い声で答える。よく見ると体つきもフードから微かに見える顎のラインも女性のものに見える。

 だとしても、私としてはこっちの女の方が警戒すべき相手だ。さっきの蹴りか何かは相当な威力だった。またあれを喰らったら今度は動けないかもしれない。


「じゃあ樫添さん、一緒に来てもらうよ。唐沢のオッサンが斧寺霧人さんとやらに再会するためにね」

「ちょっと待ってよ……アンタ、本気で斧寺霧人を復活させるなんて言葉を信じてるの?」


 確かに唐沢は自身の目的が斧寺霧人の復活だと言っていた。だけど、既に死んだ人間を蘇らせるなんてことが出来るはずがない。人は死んだら絶対に生き返らない。『死』はそれほどまでに絶対的な『絶望』だ。それほどまでに絶対的で暴力的だからこそ、柏ちゃんはそれに惹き付けられているんだ。

 唐沢だってそれは承知のはず。だからアイツの真の目的は別にあると考えるのが普通だ。


「信じるも何も、オッサンはそう言ってるじゃん」

「は?」

「唐沢のオッサンは斧寺霧人さんと再会したいって言ったんだろ? じゃあその通りの意味なんだろ。んで、俺はその目的のために協力する。それ以外に何があんの?」


 ……なんだコイツ。唐沢の言葉を全部信じているっていうの?

 いや違う、コイツは信じているんじゃない。かといって唐沢を自分の目的のために利用しているとかそういうのでもない。それはコイツの顔を見ればわかる。


 これだけのことをしておいて、男の表情はどこか他人事というか、冷めたように別の方向を向いていた。

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