第7話 『警官』・1


 

 今日の私の気分が多少、憂鬱なのは否めない。

 理由は二つ。一つは、もちろん数日前のことだ。

 私の我慢が足りなかったせいで、結果的に彼が傷を負い、入院してしまった。このことは深く反省している。

 獲物である分際で、狩りの催促などおこがましいにも程があったのだ。

 狩りとは、狩る側がすべての主導権を握る。私をいつ、どんな方法で狩るかは、完全に彼の自由であり、私の意志が介入する余地はない。

 彼にも生活がある。狩られる側の生活など一切考慮すべきではないが、狩る側の生活を守るのは最優先だ。


 狩る側と狩られる側の関係とはそういうものだと思う。


 どちらにしろ、彼の傷が完治するまで私を狩るのは無理だろう。

 狩る側は自分の安全を確保しなければならない。獲物につけいる隙をあたえてはいけない。

 つまり、『おあずけ』ということだ。

 私が狩られるのはもう少し後のことになるだろう。正直言って、つらい。

 なにせ彼が一度、私を狩ることを決意して、行動を起こしてくれたのだ。あの時の喜びと絶望感は、何物にも変えがたい。

 だが、予期せぬ乱入者によって私は助かってしまった。

 一度、目の前に無上の快楽をぶら下げられただけに、それをしばらく待たなければならないのは、つらい。

 だが、仕方がない。これも元はと言えば、私が原因なのだから。


 そして、二つ目の理由。今日は、慣れないことをしなければならない。


 ある人物への、宣戦布告だ。


 だが、私は戦うなどということは出来ない。あくまで、私は『狩られる側の存在』なのだ。一方的に攻撃を受けるのは大歓迎だが、相手と戦えとなると、憂鬱にならざるを得ない。だが、仕方がない。これも……


 彼が心置きなく、狩りを楽しむためなのだ。


 そんなことを考えていると、目的の場所と人物が見えてくる。気を取り直して、まずは挨拶から始めよう。


「はじめまして。君のことは知っているよ」


 私は声を掛けると、相手は怪訝な顔をしたが、すぐにするべき対応を思い出したのか、私に優しく対応する。

 だが、私は相手の表向きの顔にあまり興味が無かったため、すぐに次の言葉を出した。


「自己紹介をさせてもらおうか」


 そう、挨拶の次は自己紹介だ。

 しかし、この相手との会話にあまり時間をかける気にもならないため、自己紹介と宣戦布告を一気にすることにした。



「私の名前は柏恵美。残念ながら、君の敵だ」


 ※※※


 眠い。

 だるい。

 かったるい。


 卒配当時から、ずっと勤務している交番で立番をしている俺、真田さなだひとしは、そんなことを考えていた。

 俺は警察官の仕事に誇りなど一切持っていない。

 そもそも、自分の身は自分で守るのが本来あるべき姿じゃねえのか。それを怠って、危険が起きた時だけ警察を非難する、バカ市民にはほとほと呆れる。てめえらがマヌケ面を晒して、全く危機感を持たずに生活していられるのは警察のおかげだってのに。


 交番の前を通るバカどもの姿を見る。

 どいつもこいつも、守ってもらって当然のような顔をしてやがる。

 自分の安全だけは、未来永劫崩れないものだと信じている。

 こいつらに守る価値なんてねえ。いや、そもそも人間が本来守るべきなのは、自分だけで十分だ。

 以前、ストーカーに殺された女が生前に警察に相談していた際の警察の対応が問題になり、ニュースになったが、全く持ってバカらしいと思う。


 そもそも、てめえが男を勘違いさせる行動をとったのが原因だろうが。


 それなのに、自分のケツを拭こうともせず、完全に警察に頼る気なのが気に食わない。自分の安全は警察が守ってくれると思っている。

 冗談じゃねえ。警察はてめえのためだけに存在しているわけじゃねえ。


 そうだ、自己責任というのであれば、自分に降りかかるあらゆる危険も自己責任なんじゃねえのか。

 市民が自分の身は自分で守るようになれば、俺の仕事も減る。酔っ払いの相手や、近所のジジイ、ババアの相手もしなくて済む。


 そんなことを考えていると、後輩が声を掛けてきた。


「真田さん、この間の遺失物関係の書類、まとめてくれました?」


 ああ、そんなことを頼まれていたっけ?


「ああ、今日中にまとめておくよ」

「あれ、まだやっていないんですか? そういうのは早めにお願いしますよ」


 クソが。先輩の俺に対して舐めた口利きやがって。親戚が警察のお偉いさんだから、コネで警官になった分際で、いい気になりやがって。

 てめえが俺に勝っているのは、親戚の権力だけだ。実力まで俺を上回っているとでも思っているのかよ。


 こいつも狩りの対象に出来れば、いいんだがな。


 俺は一月前の狩りを思い出す。

 いつも狩場として使っている廃病院で、逃げる女を追い詰めて、滅多刺しにしたことを思い出す。


 本当にバカな女だった。

 警察手帳を見せて、適当なことを言えばホイホイ着いてきて、車が廃病院に着くまでは俺を疑いもしなかった。あとは、ナイフで脅して両手を縛った状態で、廃病院に入れれば狩りの始まりだ。

 わざと一旦逃がして、それを追い詰めるのがたまらない。

 そう言えば、死ぬ寸前に面白いことを言っていたな。


『真田さん! 警察官のあなたが、なんでこんなことを!?』


 バカが。警官だって人間なんだよ。ストレスくらい溜まる。それに警官による犯罪なんて、今時珍しくもねえだろ。

 だから――


『うるせえよ。てめえの危機管理意識の無さが原因だろ?』


 と言ってやった。


 そう、俺が警官になったのは、狩りをやりやすくするためだ。

 あの廃病院の一帯は電波状況が悪く、携帯電話は通じない。さらに、特定の時間帯はパトロールもされていない。そして、俺が警官だと知れば、大抵の人間は安心してしまう。

 本当に役得だ。イライラすることも多いが、狩りたいと思った時にすぐに狩れるのが最高だ。


 そう考えるとなんだか機嫌が良くなってきた。

 口笛でも吹きたい気分になっていると――


「はじめまして。君のことは知っているよ」


 制服を着た、女子高生が声を掛けてきた。

 だが何だ? 俺のことを知っている? 交番ではなく、俺自身に用があるのか?

 とりあえず、俺は社会的には警官なので、それらしき対応をする。


「何かお困りですか?」


 配属されて、数週間で会得した愛想笑いで対応する。

 だが、女子高生は俺の声が聞こえていないかのように言葉を続ける。


「自己紹介をさせてもらおうか」


 なんだこいつ? てめえの素性になんか興味ねえよ。

 まあ、顔は結構レベルが高いが、さすがにガキ……



「私の名前は柏恵美。残念ながら、君の敵だ」



 ……はあ?

 いきなり何を言ってるんだこいつ?

 ……というか。


「……何か御用ですか?それと、年上に対してその話し方はどうかと思うな」

「済まない。だがこれは、癖というか体質のようなものだ。どうか寛容な心で受け入れて欲しい」


 なんだこの妙に芝居がかった口調は?

 最近のガキは礼儀がなってないとはよく聞くが、なんかこれは違うんじゃないか?


「用がないなら、帰ってくれるかな。私も勤務中だから、暇じゃないんだ」

「そこまで時間はとらせないよ。先ほど言った通り……」


 そして、現代社会では、あまり聞きなれない言葉を口にする。


「私は君の敵。つまりこれは、宣戦布告というものだよ」


 ……何なんだ本当にこいつは。


「いい加減にしてくれる? 君は……M高の生徒だね?これ以上、君が私を妙な遊びに付き合わせるようだったら、学校に連絡することになるよ」

「これは遊びではないよ。れっきとした戦いの幕開けだ。尤も、私は戦うことは不得手だから、お手柔らかに頼むよ」


 だめだこいつ。全く話が通じねえ。


「ふむ、もっと直接的な表現にすべきだったかな?」


 こういう、わけのわからないガキは、学校に丸投げするのが一番だ。確か、M高の電話番号は……


「私は君の愉しみの邪魔をする」


 ……何だと?


「そう言っているのだよ」


 俺の愉しみの邪魔をする? 俺の愉しみ?


 ――!


 まさかこいつ、俺の狩りの現場を目撃したのか!?

 いや待て、ただ単に頭のおかしいガキが適当なことを言っているのかもしれない。下手に動揺したらヤバい。ここは冷静に警官らしい対応をするんだ。


「いい加減にしないか! これ以上、君が公務の邪魔をするのであれば、署に来て貰って厳重注意をすることになる。学校からの処分だけでは済まないぞ!」

「君の仕事の邪魔をするつもりはないよ、真田巡査。だが、宣戦布告も済んだことだし、今日のところはこれで失礼させて貰うとしようか」


 女子高生は背を向けて、立ち去ろうとする。

 ……ずいぶん、あっさり引き下がったな。やっぱり、ただの頭のおかしいガキだったのか?


「ああ、一つ言い忘れていた」


 かと思ったら、まだ何かあるようだ。

 全く、学校もこういうガキの管理はちゃんと……


「この街はまだ、君の縄張りと決まったわけではないよ」


 その言葉に対しては、あからさまに反応してしまった。


 その日の夜。



「くそっ!」


 勤務が終わった俺は自宅に戻ったが、機嫌はかなり悪い。

 結局あの後、勤務に集中できず、クソ班長にどやされてしまった。それもこれも、あのガキが妙なことを言いやがるからだ。


「あの女……何か知っているのか?」


 確かに、一月前の獲物はこの辺りで調達したものだ。

 だが、あのガキ――カシワ エミと言ったか? どこかで聞いた名前だが、まあいい。とにかく、俺の狩りを目撃したかのような口ぶりだった。

 今思い出してみると、俺の名前も知っていた。適当に相手を選んだわけじゃないようだ。

 だが、不可解なことがある。


 俺の狩りを目撃したなら、なぜ警察に通報しない?


 面倒に巻き込まれたくないというなら、通報しない理由はわかる。

 だが、カシワはわざわざ俺の所に来て、宣戦布告なんてふざけたことをしてきた。

 何が目的だ? 一体、何がしたいんだ?

 いずれにしろ、カシワが俺の狩りを目撃した可能性がある以上、このままにはしておけない。


 そうなると――調べる必要がある。



 翌日。


 俺はパトロールの最中に、ルートを少し外れて、M高の近くに来ていた。

 平日の昼間に大人が高校の近くをうろついていたら、まぎれもない不審者だが、警察官ならむしろ歓迎される。うまくすれば、昨日のカシワの行いと、警察官という立場を利用して、学校からカシワの情報を引き出すことが出来る。

 だが、学校から交番に連絡されたら、俺が勝手に情報を引き出そうとしていることがバレてしまう。どうしたものかと思っていたら、声を掛けられた。


「何をしているのかね?」


 まずい、学校の教師か? だが、警官の俺に対してこの質問はおかしくないか? いや待て、この女にしては低めの声は――


「真田巡査か。早速、私に興味を持ってくれたのかな?」


 カシワ エミ――!

 やはりこいつは、俺自身に対して何らかの目的がある……!


「昨日の君か、まだ授業中じゃないのか?」

「少し、風に当たりたい気分でね。そうしたら、真田巡査がいたので、声をかけたというわけだ」


 よくも、ぬけぬけと。最初から、俺を見たから抜け出してきたんだろうが。


「昨日も言ったけど、勤務中の警察官の邪魔をするのであれば、厳重注意をすることになるよ?」

「なに、お時間はとらせない。私の情報を君に与えようと思ってね」


 何だと? こいつは何を……


「これが私の素性だ」


 そう言うと、カシワは生徒手帳を取り出した。

 そこには、顔写真と「柏恵美」と漢字で書かれたフルネーム、さらに住所も記載されていた。


「何のつもりかな?」

「私のことを調べに来たのだろう? だから、情報を与えたまでだ」

「……君の素性に興味はないよ。ここにはパトロールに来ただけだ」

「そうか、それならそれでいい」


 だめだ、こいつの意図が全く読めない。

 何だ? こいつは俺に何がしたいんだ?


「ああ、それと一つ伝え忘れていた」


 くそ、今度は何だ?


「下調べは入念にした方がいい」


 あ? 何のことだ?


「私はもう学校に戻るよ。君と次に会うのは、特別な場所でかな?」


 謎めいたというか、わけのわからない言葉を残して、柏は学校に戻っていった。





 俺は再び考える。


 柏の目的は何だ? 俺の狩りを見たわけじゃないのか?

 だが、あいつは明らかに俺に何か目的がある。やはり、俺の狩りを目撃したと考えるべきだ。

 なら……


 もしかして、柏は探偵気取りの痛いヤツなのか?


 柏は俺が犯人であるという可能性を掴んだに過ぎないのかもしれない。

 そして、自分の手で犯人を捕まえるとか、バカなことを考えて俺に接触してきたのか?

 そういえば、特別な場所で会うとか言っていたな。それは、俺が犯行を犯す瞬間を掴むとか、そういうことなのかもしれない。

 そう考えると、辻褄が合う気がしてきた。そもそも、あんな口調だ。まともな奴じゃないだろう。

 そうなると……


 柏の住所はわかった。だいたいの通学路も予想がつく。


 だったら、特別な場所で会おうじゃないか。


 ――俺の狩場で。



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