Ep.6『Conspiracy 』


フロレイシアが起こした帝国国防委員会庁舎占拠事件、及び爆破未遂事件が収束し、すでに一週間が経過しようとしていた。


庁舎での事件はある意味で、我々の過去やこの国の暗部を一部露呈させ、そしてまた新たなる疑問を生むに至った。


何故、降って沸くように現れ始めた烏合のテロリストに過ぎない筈の彼等が、帝国のガンシップや最新鋭のF.A.S、ナノマシンを所持していたのか?


フロレイシアはいつ、どのようにしてあの大量の爆薬を庁舎に仕掛けることができたのか?


庁舎でエリーナとロックの前に現れた金髪の男、ラクア達の目の前でガンシップを撃墜した鳥の様な兵士の正体は?


三ヶ月前、我々SHADEが凍結されるに至った事件の首謀者達と、フロレイシアの関係は?


まだまだ鉤爪の刺青(クロウ)に関しては明らかになっていない事ばかりである。


我々SHADEはしばしの休息を取りながらも、彼等に対して攻勢に出るべく独自の調査を続けていた。


私が追い続けている、かつての隊長イルーザ・ロドリゲスの死の真相にもたどり着けるかもしれない。


そんな予感がして止まないのだ。



★1

帝都第三軍事基地SHADE オフィス

AM 06:00


SHADEオフィスの扉の鍵を開けるのが隊長である私の朝一番の仕事だ。


黒い重厚なデザインの自動扉横に備え付けられた端末の前に立つと、機械が私のナノマシン情報を読み取り、鍵が開く。


近頃帝国では、一般住宅の鍵や乗り物までもがナノマシン認証になった。


オフィスの扉は、SHADE隊員であれば誰でも開くことが可能であるが、私が一番早起きなので自然と私の日課になっている。


私は入り口近くに置いてある衣類スタンドにスーツの上着を掛け、一番奥にある自分のデスクまで歩いていった。


我々は普通の軍人や役人とは違う、特殊な勤務形態なので、特に決められた就業時間があるわけではない。


事件や招集の時さえしっかり出動すれば別に顔を出さなくても構わないのだが、大体朝八時ぐらいになるとこのオフィスに全員が集合する。


緊急の出動がある場合は各員の部屋にあるアラームが鳴るので、その時は嫌でも起きることにはなるのだが。


私はいつものように自分に充てがわれたデスク備え付けの椅子へ座ると、軍務総省の職員が毎朝持ってくる朝刊が届くのを待つ。


それまでは事件のファイルを改めて確認したり、書類仕事を片付けたりして朝の時間を有効に使っているつもりだ。


前隊長のイルーザには、お爺さんみたいね。と、よくからかわれた。


そういう彼女は、いつも気がついたらそばに居たり、部屋の隅で我々隊員のことを微笑みながら見守ったりしていて、本当に神出鬼没な人だった。


「おはようございます。」


そう言いながら、いつも私が来た丁度1時間後ぐらいにハッカーのバロンと衛生担当のアイヴィーが揃ってやってくる。


彼らは私には及ばずともなかなか早起きな方だ。


「おはよう。」


私は二人が入ってきた入り口の方をチラリと見ながら軽く挨拶をすると、ノート端末とメモ帳しか置かれていない机の上に、引き出しを開けて取り出した皮表紙の手帳を広げた。


使った物、必要のない物をデスクに広げっぱなしにしないのは私の美学の一つだ。


手帳で今日の日付の部分を確認すると、『ラクア新基地再検査』と走り書きがしてあった。


委員会庁舎爆破未遂事件が収束した次の日、副隊長のラクアは私の命で、帝国中西部の港町アシュレイ郊外に新しく建設された新基地の完成検査に赴いたのだったが、その検査で基地のセキュリティーシステムに不備が見つかったため、約一週間後の今日から再検査のために再び新基地に赴いている。


我々の指揮官であるルカ少佐と、zodiacのルノア、そしてフリードリヒも一緒のはずだ。


私が手帳で予定を確認していると、すぐ目の前の席を使っているバロンがオフィスに入る前に軍務総省の職員から受け取ってくれた朝刊を私のデスクに置きながら自分の席に着いた。


私は、ありがとう。と言い、今度は渡された朝刊を机上に広げる。


紙面に何かめぼしい情報がないか視線を走らせていると、アイヴィーが私とバロンの分のコーヒーを入れてこちらに運んで来る。


ここまでが、普段オフィスにいることの多い私たち三人の朝のルーティンである。


私はアイヴィーが入れてくれたコーヒーを、また、ありがとう。と言って受け取ると、一口啜りながら、新聞の紙面を端から追っていった。


コーヒーの豊かな香りが私をリラックスさせてくれる。


貴族出身のアイヴィーが、実家であるアレクサンドラ家で飲まれている最高級の豆をコーヒー好きな私のために取り寄せてくれているのだ。


それを飲みながら新聞を読む朝のこの時間が私の至福の時間だった。


イルーザにおじいさんと言われるのも無理はないか。


だがこれは帝国紳士の嗜みって奴だ。


『クライムエイジで白昼のガス爆発 事件の真相未だ分からず』


『委員会庁舎で囚人が大暴れ クライムエイジでの爆発に関係?』


今日の朝刊には、そんな見出しが踊っていた。


帝国報道局も大変だな。


毎回何かある度に、民間向けにこう言ったカバーストーリーを用意しているのか?


今回の事件は、クライムエイジ刑務所内において古くなったガス管がなんらかの原因で爆発し、破壊された部分から逃げ出した囚人達が庁舎に立て篭もって騒ぎを起こした。


と言うことになったらしい。


爆発の後、例のガンシップが飛び去っていったのを目撃した人間はいないのだろうか?


毎回不思議に思うことの一つだ。


一体報道局は、どの様にしてこんな無理矢理にも程があるホラ話を民間人に信じさせているのだろう。


いや、もしかすると世界のどの国にも比べて豊かなこの国において、そんな事件など氷山の一角で、民間人の興味の対象にすらならないのかもしれない。


さらに視線を紙面に滑らせていくと、その片隅には『元死刑囚』であるアドルフ・ストラドスの事も書かれていた。


『爆弾狂アドルフ・ストラドス断罪』


『死病(インキュアブル)原因未だ特定できず』


私はため息を吐きながら、新聞を畳んでデスクの隅に無造作に放り投げた。


美学が聞いて呆れる。


今日も世界は平和である。


もちろん皮肉だが。


「…隊長?少しお疲れのようですが、大丈夫ですか?」


そんな私の事を見ていたらしいアイヴィーが、心配そうに声を掛けてきた。


彼女のその言葉に反応してか、バロンも私の顔を覗き込んでくる。


バロンとアイヴィー。


二人とも赤髪で眼鏡。


違うのは性別と、あとは髪の長さぐらいか?


そう言っていいほどこの二人はよく似ている。


「そんな事はない。皆優秀なのでな。随分と楽をさせて貰ってるよ。」


こちらは皮肉ではなく本心である。


SHADEの隊長になってからというもの、私が現場に出る事はめっきり減ってしまった。


さながら若年寄といった感じだ。


今では戦闘服でさえ身に纏うことも少ない。


ラクアからはよく、『インテリ隊長』とからかわれる。


「ならいいのですが。あまり無理はなさらないで下さいね。」


アイヴィーの気遣いに感謝しつつ、私は、あぁ。と頷いた。


「あ、そういえば隊長。昨日の夜なんですけど。」


タイミングを見計らっていたかのように声を潜めながら、バロンが椅子ごと私の方に体を向ける。


それに合わせてアイヴィーも、私とバロンのそばに寄ってきた。


「どうした?何かあったか?」


その問いかけに、バロンは私とアイヴィーの顔を交互に見ると、口に手を添えてヒソヒソと話しを始めた。


「…僕の隣の部屋、ロックくんの部屋なんですけどね?昨日の夜、どうやらエリーナさんが居たみたいなんですよ。」


バロンがものすごく重要な事を話すようなトーンでそんな事を言ってくる。


いやまて、これはとても重要な事だ。


部隊内で、まさか…?


それもあのエリーナが、年下のロックに…?


様々な想像が一瞬で私の脳内を駆け巡る。


「なに?…まさか。…お泊りか…?」


私の真剣な問いかけに、額に手を当てながらバロンが首を横に振る。


「それがわからないんですよ。僕は寝ちゃったんで。」


「馬鹿者。覗きが趣味のくせになにをやってるんだ。隊長権限で僻地へ左遷するぞ。」


「そ、それは勘弁してください。でも、凄く楽しそうな声が聞こえたんですよ…。こう、キャッキャウフフと…。もしかして、エリーナさんとロックくんって…。」


バロンが唾を飲み込みながら、そう言いかける。


私はそんなバロンを真剣な様子で見つめてから、彼の肩に手を置いた。


「…あの二人の関係を探り出せ。どんな手段を使っても構わん。これは命令だ。いいな?」


「り、了解です。」


本気か嘘か、バロンが生唾を飲み込み、私達は見つめあったまましばし沈黙した。


「…お二人共馬鹿ですか。」


アイヴィーの鋭いツッコミに、私とバロンは何事もなかったかのように自分達のデスクに視線を戻した。


確かに下世話である。


しかし、庁舎での事件が終わった直後は、二人ともかなり精神的に参っているようだったが、こうやって我々の話のネタになるぐらいまで持ち直してくれたのは私としても嬉しい事だった。


三ヶ月前、ロックが配属されてきたばかりの時は毎日のように喧嘩をしていたものだが。


微笑ましい気持ちもあるが、お泊まり疑惑についてはハッキリさせておかないとな。


よし。後でラクアにも協力を仰ごう。


「おはよー。」


「うぃーっす。」


そんな馬鹿な事を考えていると、疑惑の二人が一緒にオフィスに入ってくるではないか。


既に席に着いていた私とバロン、アイヴィーの不自然な熱視線が一気に彼らに向く。


「?なんだよ。」


ロックが立ち止まり、あっけらかんと我々にそう問いかけてくる。


「…別に。おはよう。」


私はいつも通り素っ気なくその問いかけをやり過ごした。


流石にキスマークのようなものは…付いていないな。


いや、本気で気になっているわけではないが、視線が自然とそういったものを探してしまう。


「ロックくん、エリーナさん。昨夜はお楽しみだったようですね。」


突然二人に対して切り出されたアイヴィーのエッジの効いた一言に、オフィスの空気が固まる。


私は思わず口元に運んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。


やはり、お嬢様というやつはどこかズレているのか?


私とバロンを馬鹿呼ばわりしておいて。


「は?昨日?おい、アイヴィーは一体何言ってんだ?」


ロックは本気で何を言っているのかわからない様な様子でポカンとしているが、隣に立つエリーナはアイヴィーがどんな意図で言っているのかをを察したらしく、見る見る顔が赤くなっている。


「ちょ、アイヴィー!あ、あ、あなたが想像している様な事なんか何にも無いわよ!」


エリーナが狼狽する様子を見て、ロックも何か察したらしく、あ。という表情を浮かべ、腕を組んでアイヴィーを見つめる。


「そ、そうだぜアイヴィー。昨日はただ、先輩に泊まり込みで手取り足取りいろんな事を教わっていただけだ。楽しいっていうよりはだな…。」


「あんたは黙ってなさい。」


自信満々に言うロックであったが、余計に疑惑を深めそうな事を言いそうになった所をエリーナがピシャリと止める。


能天気なロックの言葉に私は心の中で、そろそろどうでもいいだろ。とひとり完結してしまった。


その後、エリーナの怒濤の弁解により、昨晩は二人、事件の解決祝いという名目で基地の地下施設に飲みに行き、程よく酔いが回ったところで、今後どうしていくべきかバディ同士で話が盛り上がってしまったらしく、店が閉まった後も収集がつけられずに結局ロックの部屋まで持ち越して盛り上がってしまったとの事だ。


その上ロックの部屋が汚すぎて掃除、洗濯あーだこーだと言う説明が詳細に行われることとなった。


私は途中からどうでも良くなってしまったが、やたらとエリーナが、ロックはベッドで、自分はソファーで寝た。という部分を強調するところがまた少し怪しいところではあるが…。


相変わらずアイヴィーは、エリーナのそんな言葉を聞いているのかいないのか、若いっていいわぁ。などと感嘆の声を溢しながら微笑んでいる。


彼女は確かにSHADEの最年長者だが、特段歳が離れているわけではないのだが。


そんなやりとりをしている最中、おふぁよぉございましゅ。と大きなあくびと共にオフィスにアリスがやってきた。


今日はいつも叩き起こしてくれるラクアが不在だったためか一番遅い。


彼女はふらふらと自分の席まで歩いていくと、椅子に座り、それからデスクに突っ伏してまたいびきをかき始めた。


私は思わず頭を抱える。


こいつら皆自由すぎる。


しかし、これで全員が揃った。


ちなみにメカニックのカリンは直接自分の作業場に向かうので、朝はオフィスに顔を出さない。


呆れることに、これが我々SHADEの日常なのである。


完全なる縦社会である軍という場所に、この様なほのぼのとした空気をもたらしたのは、やはり前隊長であるイルーザの存在が大きいだろう。


彼女は兵士としての能力よりも、隊員個人個人の個性を愛していた。


性別も年齢もそれぞれバラバラな我々がうまくやっていける様、その架け橋の様な存在になっていたのだ。


これでも頑張ってはいるのだが、どうも彼女と同じ様には出来ない。


私が物思いに耽っていると、バロンが立ち上がりこちらに歩み寄ってきた。


気づけば皆自分のデスクに向かい、各々がやるべき事を始めている。


私は近づいてくるバロンの方を向いた。


「隊長。事件のあった委員会ですが、今色々大変なことになってるようですよ。」


そう言いながら、彼は印刷した数枚の書類を私に差し出した。


ナノマシンを通して共有すれば紙を消耗しなくても、脳内に直接情報を送ることが可能なのだが、新聞同様、私が紙媒体を好むのを知っての粋な計らいだ。


私はそれを無言で受け取ると、その紙面に視線を滑らせる。


そこには、まるで先ほどの朝刊に出ていたような派手な文字がつらつらと書き連なっていた。


無論、帝国政府とベッタリの報道局記者が書いた朝刊とは違い、こちらは虚構ではない。


「アルタイル・マグファレス委員長を含めた国防委員会の幹部が総辞職?」


「はい。おそらく今回の事件が関わっているんだと思います。それも、総辞職の決定がなされるなり引継ぎもなしで、まるで雲隠れするかのように所在が分からなくなってしまったようです。現在、帝国国防委員会立て直しのために軍務総省が調査団を立ち上げ、委員会の実状を調べているらしいのですが…。」


私はバロンの言葉を聞きながら、さらに手渡された資料をめくった。


これは?


「…国防費の帳簿?」


私の問いにバロンが、えぇ。と頷く。


中指でメガネの位置を直しながら、彼は怪訝な表情を浮かべていた。


「…その調査団のサーバーに潜り込んで見つけたんですけどね?おかしいんですよそれ。わかりますか?」


なる程。


バロンの言いたいことがわかった。


どうやらこの帳簿は、委員会がここ一年で軍務総省から与えられた予算を、幾ら、何に使ったのかを示してあるものらしい。


随分と詳細に小分けしてある様だが、個々の金額が微妙に用途と見合っていない。


明かに使っていないだろう施設の管理費や補修費に、多額の金額が載せられていたりしている。


「もしかすると、それ…。」


バロンが言い淀んでいる。


まるで見てはいけないものを見てしまったかの様だ。


「委員会幹部による国防費の横領…か?虚偽の用途で予算を通して金を確保し、何かの財源として使っていた?」


私は食い入る様にリストを見つめた。


まさか、鉤爪の刺青(クロウ)と繋がっていたのは今回標的にされた委員会自身だとでも言うのか?


彼らが、この使途不明金を使い、ガンシップや、最新鋭のF.A.Sをテロリストに与えていた?


確かに、兵器開発や軍事施設の運営管理をしている委員会なら可能かもしれない。


しかしそうだと言うのなら、一体なぜスポンサーであった筈の委員会が彼らに狙われたのかという説明がつかない。


それすらも委員会の思惑で、自分達から捜査の目を逸らすべく一芝居打った…とか?


そんな考えが一瞬頭の中を通り過ぎるが、このリストだけでそこを結びつけるのは早計と言えるだろう。


帝国国防委員会は我々の属する軍務総省の下部組織だ。


このリストに記載されている場所や物を叩けば、何かが出てくるだろうか?


それに…。


「ただ単に雲隠れした委員会の連中が私服を肥やす目的で行っていたという可能性もなくは無い。そうであった場合は我々ではなく警察局の仕事だ。」


私はバロンに書類を返す。


「バロン。お前はその金の行方をもっと詳細に追ってくれ。リストに出ている軍施設や兵器開発工場等を徹底的に洗うんだ。」


私の指図に彼は、はい。と気持ちのいい返事をして席に戻って行った。


やれやれ、今度は金か。


今現在帝国内部の問題に向き合っている我々からしたら、世界大戦どころの話じゃないぞ。


壮大な世直しが必要なんじゃ無いか?


私はふと思い立ち、ナノマシンによる無線を起動させた。


登録されている人物のナノマシン情報が視覚情報として私の目の前にホログラムの様に浮かび上がる。


自分で言った、兵器開発工場という言葉に、引っかかるものがあったのだ。


メカニックのカリンに、彼女の出勤確認も含めて通信を飛ばす。


たまにカリンは深酒でまだ寝ていることがある。


深酒とは言うが、ナノマシンが体内のアルコールを速やかに分解してくれる為、我々に二日酔いと言うものはない。


彼女がただ単に朝に弱いだけなのかも知れないな。


そんな時、必要があればいつもエリーナが起こしに行く。


それもまぁ日常の一部だ。


私の掛けた無線は二回のコール音が鳴り響いた後繋がった。


とりあえず起きてはいるらしい。


「カリンおはよう。早速で、悪いんだが、例の鳥人間について何かわかったか?君が委員会上空で見た兵装の正体のことだ。」


私の問いかけにカリンは、うーん。と唸っている。


こちらはあまり進展がない様だ。


『…いや、出どころはわからなかったんだけど、人を小型のバックパックの様な兵装で飛ばす研究がされていたのは確かだよ。『Black Bird計画』って言って、十五年から二十年前ぐらい前に、今は無い帝国技術局って場所で開発と実験が行われていたらしい。でも、生身の人間がジェットエンジンの重力に耐え切ることができずに開発は途中で断念されたって話さ。ただ宙に浮くだけなら簡単に実現できるだろうけど、仮にそれで実戦に投入したところで敵の的になるだけさ。機動力がないと意味がない。』


カリンは私に最もらしい解答をした。


カチカチと、無線越しに何か硬い物を触っている音が聞こえてくる。


開発が中止された筈の兵装を装備した、鳥のような兵士。か。


まるでSF映画のようだ。


謎がまた深まる。


委員会にE.I.A、今は無き帝国技術局。


疑い始めるとキリがない。


まさか、我々が追っている真の敵はこの国のシステムだった。みたいな、それこそ映画の様な衝撃的な結末が待っているのではあるまいな?


「…わかった。引き続き探ってくれ。」


私はカリンにそう言い残し無線を切った。


深いため息を吐き、室内の面々の顔を見回す。


「…奴らに繋がりそうな情報は残さず徹底的に洗うぞ。我々はこの国の影(SHADE)。あらゆる情報網へ潜り込め。」


私の号令に隊員達は、了解。とそれぞれ返事をしながらデスクに向かって作業を続けた。


鉤爪の刺青(クロウ)。


彼らとの戦いは、いったいどの様な結末を迎えていくと言うのだろうか。


★2

アシュレイ郊外新基地

PM 12:50


「ルカ少佐が来ているらしい。」


「なに?ルカ少佐ってあの泣く子も黙るルカ・ブランクの事か?何故わざわざこんな辺境の基地の検査なんかに?」


「前回の検査で立ち会った職員は彼女にひと睨みされたせいで左遷されたって話だぞ?」


兵士たちのヒソヒソ話が聞こえる。


ったく、うるせぇ連中だな。


俺は耳がいい。


スナイパーが養うべきなのは視力だけじゃない。


五感の全てを解放し、獲物を感じることが仕事だからだ。


さっきから飛び込んでくる、兵士たちの畏敬の声。


俺の目の前を迷いなく歩く少佐の背中を見ていると、このアシュレイ近郊の乾いた風が、俺を記憶の世界に誘おうとする。


『貴様、筋はいい。だがまだ半人前以下だ。』


少佐。


あんたは覚えちゃいねぇだろうが、Area51で訓練を受けていた俺に、あんたが掛けた言葉だ。


最初は、なんだこのクソババァ。って思ったけどな。


今ではその言葉が、俺の狙撃兵としての技術を支えている。


ルカ・ブランク。


軍務総省長官であり七貴人議長であるハザウェイ・ラングフォードの側近。


階級は少佐。


そういやレオンが前に言っていたな。


彼女が少佐止まりなのは、上官に楯突いて終いには勝ってしまうからだと。


過去の経歴は一切不明。


今から約十年ほど前、まるで彗星の如くこの帝国に現れたという、謎多き人物だ。


彼女は直ぐにその頭角を現し、異例のスピードで軍部を昇格して、現在では軍務総省の実質ナンバー2の地位にまで登り詰めている。


次期軍務総省長官の座も近いとの事だ。


そうなれば、この国で初めての女性長官となるらしい。


先程、過去の経歴は一切不明と言ったがそれは表向きの話だ。


俺は、SHADEの中では誰よりもあんたの過去を知っている…ー



ー…数年前



目の前の男から繰り出される強烈な拳に俺は吹っ飛んだ。


みるみる内に数人の兵士に取り囲まれ、俺は抵抗する気力もなくただ地面に仰向けになる。


上空には満点の星空が広がっていた。


「…まさかこんなところにいたとはな。ラクア・トライハーン。」


綺麗な夜空を仰いでいた視界に、そう言いながら汚ねぇ顔が俺を覗き込んでくる。


「…よぉ。警備長。久しぶりだな。俺がぶっ殺した狙撃兵共はあの世で元気にやってるか?」


俺の減らず口に、警備長は眉を釣り上げて、振り上げたタクティカルブーツの爪先を思い切り俺の腹にたたき込んだ。


「…グッ!」


堪えようとしたが、くぐもった声と共に口から血が吹き出る。


「クソガキが!何度も!何度もッ!!俺の顔にッ!泥をッ!塗りやがってぇッ!」


言葉を切りながら、それと同じタイミングで地面を這いつくばる俺の腹を奴はその硬いつま先で蹴り続ける。


最後に渾身の力を込めて俺の眉間に蹴りを入れると、痛みに地面をのたうち回る俺に、奴は唾を吐いた。


「…もっと可愛がってやりたいところだが、俺も忙しいんでな。さっさと殺してやるとするか。お前の様なイカれたガキに貴重な時間を割くのは勿体無い。」


奴の言い草に、俺は、好きにしろよクソッタレ。と弱々しく言いながら微笑んだ。


その様子にさらに腹を立てたのか、警備長はホルスターから拳銃を抜き放ち、その銃口を俺のこめかみに捻りながら押し付けてくる。


相当な力が込められており、自分の頭蓋骨がキリキリと悲鳴を上げているのがわかった。


「いいか?お前が訓練を受けていたArea51は、帝国の極秘施設だ。情報漏洩を避けるため、脱走を図った人間には死んでもらう。それと引き換えに吸った娑婆の空気はどうだった?!美味かったか!?」


顔を寄せながら唾を撒き散らし、警備長が満面の笑みを浮かべて俺に問いかける。


俺は質問には答えず、その不細工な顔に唾を吐いてやった。


さっきのお返しだ、豚野郎。


奴の顔から血の気がひいていく。


ざまぁないぜ。


そもそも自分の警備隊が無能だったのが悪いんじゃねーか。


そう思いながら、文字通り怒り狂いそうな奴の顔を見て薄ら笑いを浮かべていると、奴は俺の頬を強引に掴み、開かせた口の中に銃口を無理やりねじ込んできた。


力づくで奥の方まで。


これじゃあ銃殺される前に窒息死しちまうな。


「無駄口を叩くなよ。どんなに強がろうと、テメェはここで死ぬ。この国の兵士として役に立つ前にだ。ただのゴミみてぇになぁっ!」


奴は嘲笑を浮かべながら、引き金を握る指に力を入れていった。


畜生。これで終わりか。


思えば、よくわかんねぇ人生だったな。


いや、それを人生と呼んでいいのかすらわからねぇ。


物心ついた時には、自分の身長と同じぐらいのでかいライフルを持たされてあの養成所に居た。


外の世界のことだって、机の上で見る写真と映像、話に聞くだけの知識しか知らない。


ガキを痛ぶるのが好きなこのクソ警備長にぶっ叩かれながら朝早く起こされ、一日2回の不味い飯の時間以外はずっと訓練に明け暮れていた。


いや。


あれは訓練という名の実戦だ。


毎日の様に誰か一人は死んだ。


それが同じ部屋のやつだったり、女だったり。


夜寝る前だってこのサディスト警備長にいびられ、暴力を振るわれ、放心している間にまた次の朝が来る。


偉そうな顔をした教官どもは、生きろとか、殺せ。とか、もっと殺せ。とかそんなクソの役にもたたねぇ事ばかり抜かしやがる。


そんな生活が生きているって言えるのか?


いや、そんなのは死んでるのと対して変わらねぇ。


そんな環境の中で俺の脳味噌もついに、この警備長が言う通りイカれちまったんだろうよ。


森の中の実地訓練の時に、いつも俺たちを偉そうに高いところから見張ってる警備のスナイパーを、支給されたオンボロライフルで数人撃ち殺し、何の考えもなしに俺はそこを抜け出した。


追っ手から逃れ、走り、時に殺し、ただ『死なない為』だけに駆け回る。


それだけでも、あんなクソみたいな生活を強いられていた俺にとっては、自分の力で生きていると言う実感を与えてくれる時間だった。


だが、そんな束の間の自由を満喫したのは最初の三日間ぐらいだった。


持っているのはライフル一本と訓練用に与えられた実弾数発。


施設の連中から追われる、行くあてもない放浪。


獲物を見つけては、生きるために殺し、食った。


時に人を脅し、奪った。


そんな俺が二年もの間そうして移動した距離は、約三千キロにも達する。


帝国中西部。


港町アシュレイ、その近郊の荒野。


別に俺は楽園を求めていたわけじゃねぇ。


だが、その何もない荒野に足を踏み入れてからと言うもの、俺は再び生きる気力を失った。


もうここで死のう。


そう思っていた。


そんな絶妙なタイミングで、俺はこいつらに取り囲まれ、捕らえられたのだ。


「さぁ。死ね。」


俺の無意味な人生の終わりを告げる言葉。


ああ、死ぬとも。言われなくてもな。


口に銃口を突っ込まれていて、言葉すらまともに発することができない。


奴によって引き金が引かれるその刹那だった。


「待て!」


警備長の背後から俺の死を拒絶する声が聞こえた。


体を動かす術のない俺は、目だけで声のした方向を確認する。


夜の何もない荒野が、突如高ルクスのサーチライトで照らされた。


声の主はその光と折り重なり逆光で顔が見えない。


「そいつは今から我々の所有物だ。勝手な真似は許さん。」


それは気高い女の声だった。


「誰だ?」


突然の事態に、その場に居た間抜けどもが一成にそちらに銃口を向ける。


その人物は、サーチライトの照射角から外れる様にゆっくりと一歩だけ前進した。


肩のあたりで切りそろえられた金髪と、綺麗に着こなされた夜の闇より黒い軍服、軍帽。


手には銃の代わりに火のついた葉巻を持っていた。


その目は俺が今まで見た誰のものよりも鋭く研ぎ澄まされていて、正面に立つ警備長を真っ直ぐ、整然と見据えている。


彼女は一人ではなかった。


その後ろには、俺と同い年ぐらいの長い金髪の少女が立っている。


サーチライトから溢れでた光に照らされて輝く、美しいエメラルドの様な瞳が印象的だった。


彼女達の顔を確認した警備長は明かにうろたえている様子だ。


予想外の展開ってやつか?


奴の慌てる様子とは裏腹に俺の胸は躍ってくる。


「貴様、誰だ?軍の人間だな?我々は帝国政府最高機関七貴人直轄の組織だ。軍服組に手を出せる様な状況ではない。立ち去れ。」


ドスを聞かせた警備長の声が荒野に響き渡る。


しかし、現れた女はそんな言葉には微動だにしない様子だった。


「言ったはずだ。そいつは今から私の所有物になったと。お前達は帝国特殊兵士養成所Area51所属の警備部だろう?確かに、Area51は七貴人の一人であるダグラス・アレクサンドラ卿の管理する施設だが、貴様ら自体は閑職の警備員に過ぎない。」


ハハハッ!


誰だか知らないが、彼女の気持ちのいい言い草に俺は声を出して笑ってしまった。


だが、そんな俺の事など気にも止めず、クソ警備長はその女と睨み合ったまま固まっている。


「お前、さては最近軍部で噂になっているルカ・ブランク大尉だな?大尉風情が我々の崇高な任務の邪魔立てをするとは、どうやらお前も死にたいらしいな。」


警備長のその言葉を、ルカと言う名らしい女は鼻で笑った。


そういえば、聞いたことのある名前だ。


もしかしたら会ったこともあるかもしれない。


…あぁ。そうか。


Area51の狙撃訓練の時に、偉そうに講釈垂れてたあのクソババァだ。


「崇高な任務だと?自分たちが無能だったが故逃した子供を二年も見つけられずにいた奴らがよく吠えられたものだ。恥を知れ。」


決して挑発しているような口ぶりでは無い。


あくまでも、ルカ大尉は整然と事実を言ってのけただけだ。


本当にこんなにスカッとするのはいつぶりだろう?


あの偉そうな警備のスナイパー共をぶっ殺してやった時以来か?


「…貴様。このガキと同じようにここで殺してやる。ここは誰も来ることのない道なき荒野だ。軍には貴様のような人間の変わりは幾らでもいる。ここは帝国。お前もよく知っているだろう?」


警備長のその言葉が合図となり、俺を取り囲む他の兵士達が一成に彼女に向けていた銃のコッキングレバーを引き、掃射耐性を取る。


彼らのその様子を見て、さっきまで大尉の背後に立っていた金髪の少女が、大尉を庇うかのようにその前に躍り出た。


腰のホルスターに収まる銀色のリボルバーがサーチライトの光を反射している。


少女はいつでもそれを抜き放てるよう、体制を低くしてグリップに手を添えた。


その出で立ちは、訓練所の退屈な座学で聞いた事がある、倭国という遥か西の国の兵士の『居合』と言う奴に似ている。


だが、あれは『カタナ』では無い。銃だ。


であれば、あの構えは早撃ち?


無茶だ。


見た感じ、彼女の腰にぶら下がっているのはかなり旧式のリボルバーである。


相手は警備長を含めて六人。


装弾数が六発のタイプだとしたなら、ワンショット・ワンキルで確実に仕留めなくてはならない。


しかも問題はそれだけじゃない。


相手は速射性に長けるアサルトライフル。


一度トリガーを引けば弾が発射され続ける。


人数、火力、計算するまでもなく勝てるはずがない。


しかし、ルカ大尉は依然として微動だにしなければ、焦っている様子もなかった。


まるで、その先に待ち受ける結果が、彼女には全て見えているかのようだ。


「いい度胸だな小娘。そんな旧式のリボルバーでガンマン気取りとは。まとめて薙ぎ払えっ!!」


警備長の号令とともに、アサルトライフルの掃射が始まる。


…そう思った。


しかし、全ては一瞬で終わったのだ。


月明かりに輝く銀の銃身が、警備長の号令と同時にホルスターから抜き放たれ、少女は目にも留まらぬ速さで自分たちを取り囲む兵士達を薙ぎ払った。


旧式とはいえ、見たところ大口径の銃だ。


その反動は、もの凄く大きいはず。


しかし、彼女はそれをまるで自分の手足の一部であるかのように取り回し、一瞬でその場を沈黙させてしまった。


俺の周りにいた連中全員が、殆ど時間差を感じさせずに荒野にその身を横たえる。


もう彼女達に、そしてこの俺にさえ、怒号をあげる者はいなくなった。


少女は白煙をあげる銃を器用に回しながらホルスターに納めると、先ほどの早撃ちなど何もなかったかの様に、足速に俺のもとに駆け寄ってきた。


俺の傍に屈み込み、ポケットから取り出したハンカチで、彼女は俺の顔についた血や泥を拭き始める。


ハンカチからは、微かに甘い香りがした。


「…大丈夫?」


彼女は俺にそう問いかけながら、先程蹴られた額の傷口にハンカチを当てた。


クソ警備長め。


顔とか腹とか、ダメージのでかいところばかり蹴りやがって。


身も心も満身創痍だったが、俺の口から出た言葉は相変わらずだった。


「…へっ。あんな…クソ警備長…のヘナチョコキックなんかで…死ぬかよ。」


強がっては見せるが、実際は虫の息だ。


あばらも何本かイってやがる。


しかしそんな俺を見ながら、少女は優しく微笑んだ。


天使っているんだな。


冗談じゃなく、その時はマジでそう思ったんだなこれが。


「…良かった。歳の近い子が死ぬのなんて見たくないもの。」


そんな優しい言葉を掛けられるのも、かわいい女の笑顔を見るのも、クソみたいな生活を送って来た俺にとっては全てが生まれて初めての経験だった。


「…立て。」


不意に、少女の背後まで歩み寄っていたルカ大尉が俺を見下ろしながら冷たくそう言い放つ。


その言葉に、俺はなんとかして立ち上がろうとするが、全身にうまく力を入れることが出来ず、何度も立ち上がるのに失敗してしまった。


「…立てないか。仕方がない。」


大尉はそう言うと、まるで雑草でも引っこ抜くかのようなぶっきら棒さで俺の腕を引っ張り上げ、無理やり俺の上体を起こし始めた。


「…痛ぇよ。おばさん。」


思わず出た俺の言葉に彼女はなにも反応せず、そのまま俺を自分の背中に背負うと、ゆっくりと荒野を歩き始めた。


夜の荒野は寒い。


俺は自然と、その背中に身を寄せていた。


少女と同じく、大尉からもほんのり甘い香りがする。


葉巻の香りだろうか?


「…いいのか?」


「何がだ?」


逆にそう返され、俺の方が言い淀んでしまう。


「…だから、俺みたいな脱走兵を助けたりしていいのかよ?しかも、Area51(あそこ)の警備兵どもを綺麗さっぱり皆殺しにしちまって。」


俺の当たり前の疑問に、大尉は、フッ。と息を吐くように笑った。


「…助けたのではない。どうせ失いかけていた命だろう?私が好きに使っても問題はないはずだ。それに、お前はまだ兵士じゃない。脱走兵ではなく、ただの逃げた子供だ。」


その時はまだ大尉の言葉の意味がわからなかった。


好きに使う。か。


まぁ、確かに文字通りこのおばさんは俺の命の恩人な訳だ。


でも、こんな俺みたいなガキに恩なんか売ったって何にもならないだろ。


そう思っていた。


「…Area51の警備を単身で突破し、脱走に成功したのは、養成所設立以来お前が初めてだ。それも訓練生の身で、スナイパーライフルだけを手に二年も生きながらえるとはな。サバイバルの素質もあるらしい。」


彼女はそう続けながら、近くの岩陰に止めてあった軍用の四駆まで俺を運ぶと、後部座席の扉を開けて、無造作に俺を放り込んだ。


さっきから乱暴なババァだなちくしょう。


「丁度スナイパーを探していた。お前には私の部下になってもらう。拒否権は無い。その為にわざわざこんな荒野のど真ん中まで来て命を助けてやったんだからな。」


なんだよ。別に助けて欲しかったわけじゃねぇのにな。


そうは思ったが、同時にそれは初めて俺が誰かに認められた瞬間でもあった。


「…随分と強引だよな。まあ仕方ねぇか。」


俺がそんな事を言っていると、金髪の少女は俺と同じ後部座席に、そして大尉は助手席に乗り込んだ。


彼女達の座った席に違和感を持ち、俺は改めて運転席の方を見た。


そこにはまた、俺と同い年ぐらいの黒髪の少女が座っており、ハンドルを握っていたのだ。


なんだ。もう一人いたのか。


やがて車は、荒野の道無き道を走り出す。


「…う…クソ…。」


凸凹した道で車が揺れる度に、まるで身体中が引き裂かれるような痛みが走る。


俺が呻いていると、隣に座る金髪の少女が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


「痛い?よね。」


俺を見つめるエメラルドの瞳。


その純粋な眼差しを持つ少女が先程の早撃ちをやってのけたとは、傍目には到底想像がつかないだろう。


「…なんてことはねぇ。…平気だ。」


俺は彼女に微笑んで見せた。


しかし、そう強がった直後に来た激しい痛みに、俺は叫び声を上げそうになる。


どこまで走るつもりなのかは分からねぇが、その前に死んじまいそうだぜ。


「…ほら。ここ。横になって。」


少女が、先ほど俺の血を拭ったハンカチを自分の腿の上に敷きながら、俺にそう言って優しく微笑みかける。


相変わらずの軽口を叩こうかとも思ったが、予想以上に負ったダメージがでかい。


本来なら女に膝枕なんてされる様な柄ではないが、俺は特に何も考えず、彼女の柔らかい腿に自分の頭部を預け、後部座席で横になった。


「目的地までは遠いから。少し眠って。」


その言葉に、俺は自然と深いため息を溢す。


こんなに安心して横になったのはいつぶりだろう?


「お前は…何者なんだ?」


呻く様な俺の問いかけには答えず、少女はただ微笑むだけだった。


「彼女の名はイルーザ・ロドリゲス。お前が入る事になる部隊の隊長になる女だ。運転席にいるのは、ルノア・ジュリアード。彼女が副隊長だ。」


怪訝な顔で少女を見つめていた俺に、ルカ大尉が簡単な紹介をしてくれる。


その言葉を聞きながら、俺は痛みと眠気、そして安心感で微睡み始めていた。


イルーザ・ロドリゲス。


ルノア・ジュリアード。


そしてルカ・ブランク。


不思議だな。


さっきまで死ぬ予定だったのに、こんなに一気に知り合いが増えるなんてよ。


「これからお前を再びArea51に収容する。警備はお前が抜け出した時の数倍は厳しくなっているからもう逃げようなどとは考えない事だ。…だが安心しろ。お前の訓練は私が直々に行ってやる。」


「…あんたが?あんたもスナイパーだったのか?」


俺は大尉の言葉に閉じかけていた瞳を開けて、バックミラー越しに問いかけた。


「…そうだ。」


大尉はそれだけを答えると、あの鋭い視線をミラーに向ける。


ミラー越しに俺たちは目を合わせた。


「訓練を終えたら晴れて我々の仲間入りだ。それまで余計な事は考えるな。わかっているとは思うが、警備体制以前に私の管理下ではもう逃げられないぞ。覚悟しておけ。」


あぁ、そうかい。


俺の口元には自然と笑みが浮かんでいた。


いい気分だ。


これ以上にないくらいに。


俺は、そのまま眠りに落ちた。


短い人生で初めて手にした、『希望らしきもの』を胸に。




「おい。ラクア。」


背後からの呼びかけに、俺は記憶の扉を閉じて振り返った。


そこには、zodiac副隊長のフリードリヒ・スタンフォードがバインダーに挟まった書類を俺に差し出しながら立っていた。


「あ、あぁ。」


俺は、なんちゃら検査表と書かれた書類を受け取りながら歯切れの悪い返事をする。


まったく、ナノマシンの時代だってのに相変わらず役所は書類が好きだな。


まるでどっかの隊長さんみたいだぜ。


「どうした?また飲みすぎか?」


フリードリヒはそう言いながら俺に微笑みかけた。


「ちげぇよ、バカ。」


俺は軽くそう返すと、セキュリティーシステムを司るメインコンピュータルームの端の方に向かって進んでいく。


自分に当てがわれた検査項目をチェックするためだ。


俺のすぐ隣はルノアが担当しており、彼女は真剣な様子で検査表と睨めっこしている。


彼女に倣い前回の検査の時に不備のあった項目を再チェックしていると、背後でルカ少佐が誰かと話をしている声が聞こえてきた。


「セキュリティーシステムは空軍の技術チームが?」


「はい。従来のF.A.Sによる防御システムに加え、最新鋭の防壁システムを採用しております。有事の際はこのコントロールルームと三階の管制室にて、外敵の侵入経路となり得る全ての扉、窓、通路の防壁が作動。敵の侵入を完全に防ぐ事が出来ます。」


そいつは話には聞いていたが、まだ実際には拝めてない。


こういう書類上の仕事ってのはマジで退屈だが、最新の防御システムには仕事柄興味はある。


しかし、やはりこういう仕事はどうも性に合わない。


そもそもなんで俺かね。


俺以外で適役なメンバーを思い浮かべ、普段現場に出ずに指図だけしてるレオンの仏頂面が真っ先に浮かんだが考え直す。


それは無理だろう。


あいつが居なくなったSHADEはまるで託児所だからな。


「コントロールルームと管制室が、万が一侵入者に抑えられた場合はどうする?」


俺がどうでもいい事を考えている側では、少佐の鋭い質問が技術者に向けられていた。


しかし、意外にも説明をしている男は平然としている。


そこまで想定されてるってことか?


「このコントロールルームに入る扉には、ナノマシン認証を採用しているのでそのような事はあり得ません。管制室の方も同じです。ですが、万が一コントロールルームを占拠されたとしても、この基地に配属が決定になった人間のナノマシン情報を事前登録することによって、各員に配布される携帯端末により防壁の開閉やその他の防御システムを遠隔的に制御することも可能です。なので、侵入者を逆にコントロールルームや管制室へ閉じ込めてしまうことも出来ます。」


技術者は自信満々に語っているが、少佐は何処か釈然としない様子だった。


そうやって俺が人の会話を盗み聞きしていると、突如室内の照明がなんの前触れもなく消えた。


なんだ?停電か?


そう逡巡している間に、先ほどまで点灯していたものとは違う少し薄暗い誘導灯のような物が代わりに点灯する。


間接照明のようで、こっちの方が趣があっていい。


「おい。なにが起こってる?」


薄暗くなったコントロールルームのどこかで、フリードリヒが怪訝そうな声を上げている。


「予備電源に切り替わったようです。こう言った停電の場合でも、超大容量UPSと大型発電機により、まるまる五日程は施設内の電源が使用可能です。瞬停も有りません。電灯は節電の為非常灯に切り替わりますが、それ以外は何も変わらない状況で業務が可能です。」


技術者が状況に見合った説明を加えながら、部屋の中央にある制御パネルに歩み寄る。


自立型の制御盤についたタッチパネルを操作し、停電の原因を探っているようだ。


「ん?これは…。」


タッチパネルを操作する手を止め、彼が何かを言いかけた瞬間、けたたましい警報音が基地の中に響き渡った。


思わず俺は耳を塞ぐ。


「何が起きている?」


人の気持ちを落ち着かなくさせる様な警告音を聞きながらも、平然と少佐が技術者のもとに歩み寄り、そう問いかける。


「わ、わかりません!テストモードでないのは確かです!」


先ほどまで自信満々だった技術者の顔色が青ざめていく。


テストモードじゃないということは、現在この基地で何かが起こっていると言う事なのか?


俺は無意識に、無線を開いた。


しかし、ナノマシンがうまく作用せず、何処に連絡をしようとしても繋がらない。


電波障害?


バロンやカリンなら何かわかると思ったんだが。


俺はSHADEのメンバーに連絡を取るのを諦め、とりあえず事態を静観することとした。


何も分からないんじゃ騒いだって仕方がない。


タバコでも吸いたいが、流石に新築の基地の中で吸うわけにもいくまい。


あの少佐ですら我慢してるようだしな。


しばらくして警告音が止まると、基地の至る所に設置されている放送用のスピーカーが入電した。


構内放送?


コントロールルームにいる誰もが、スピーカーへと視線を向ける。


『…聞こえているか?アシュレイ郊外新基地にいる帝国軍人達よ。』


…これは、やられたな。


その声を聞いた瞬間の俺の感想だ。


『我々は、シスタニア解放戦線『赤い飛行船(レッド・ツェッペリン)』。この基地は現在我々によって包囲されている。』


「防壁システムが起動しません!監視カメラもです!外部との通信も拒絶されている!?これは一体…!?」


狼狽する技術者を尻目に、俺はスピーカーから流れてくる声に耳を傾けていた。


シスタニア解放戦線、赤い飛行船(レッド・ツェッペリン)だと?どこかで聞いたことのある名前だ。


確か、隣国シスタニアの内戦時代に、王国軍と戦いシスタニアを民主国家へ変えた伝説の革命軍だ。


『…この基地の周辺一帯は現在、『プロトン・ディスターバー』によってあらゆる通信網、電気信号を遮断している。ナノマシンを含む電子機器が全て無効化されているのだ。よって、外部との連絡は不可。ご自慢の防壁システムも作動しない。』


ただの役人仕事が楽しくなってきやがった。


なんでこいつらは新基地の防壁システムの事を知ってやがる?


包囲されていると言ったが、今の状況じゃ外に何人いるのかさえわからない。


聞きなれない『プロトン・ディスターバー』とやらのせいで増援も呼べない上、この基地は生憎まだ稼働前ときた。


そんなに多勢の輩を相手に出来るほどの兵士や兵器が稼働前の基地に配備されてるわけでも無いだろう。


戦力としたら、ルノア、フリードリヒ、俺、それから少佐?


あとは、この基地に実際に配属される予定の陸軍兵士が五名程度ってとこか。


この広大な敷地をカバーするには些か人数不足だ。


『我々の目的は、帝国軍務総省長官補佐であるルカ・ブランク少佐の身柄だ。大人しく引き渡せば、シスタニアの名に誓いそれ以上の攻撃はしないと約束しよう。しかし、抵抗するのならば全勢力を持って叩き潰す。』


「…少佐が目的だと?」


俺はそう呟きながら、ルカ少佐の方を向いた。


相変わらず無表情で、スピーカーを睨みつけながら聞こえてくる声に耳を傾けている。


『精々足掻くがいい。5分だけ待ってやる。』


最後にそう言い残すと、スピーカーからの入電は消えた。


「…ふざけた連中だ。」


少佐が肩を竦めながらそう吐き捨てる。


相変わらず余裕綽々といった様子だが、一体どうするつもりだ?ルカ少佐よ。


この状況を、あんたはどう切り抜ける?


俺も当事者の一人ではあるが、こうなれば少佐が嫌でも指揮を取ることになるだろう。


彼女の手腕がこんなに間近で見れるとあれば、そいつはそいつで楽しみだ。


一番楽観的なのは俺かも知れないな。


「敵の目的が少佐だなんてな。奴らは一体どっから俺たちがここに来てるって情報を掴んだんだ?『赤い飛行船(レッド・ツェッペリン)』ってあのシスタニア革命軍のだよな?」


「…わからん。ラクア、お前楽しそうだな?」


俺の問いかけに少佐が簡潔に答えつつ、そんなことを言ってくる。


少佐にしてはどこか歯切れが悪い。


それに、そんなに楽しそうに見えるか?俺。


「ルノア。基地の見取り図を持ってこい。」


少佐の呼びかけに、そばに静かに立っていたルノアが手にしていた見取り図を持ち、彼女の隣に歩み寄った。


少佐はそれを受け取り、側にあった机の上に広げる。


やたらでかい紙に印刷された紙の図面がこんな時に役立つとはな。


ナノマシンが使えないんじゃしょうがない。


少佐は指で紙面を追いながら、現在地を確かめている様だ。


「…現在我々のいるコントロールルームが基地の地下一階。ここまで侵入されたら袋小路。逃げ場がなくなる。隣の武器庫に武器はあるのか?」


少佐の問いかけに、先ほどまで慌てていた技術者の男が、咳払いをして居住まいを正す。


「…まだ稼働前の基地ということもあり、全ての武器が配備されているわけでは無いですが、少数でしたら。」


彼の答えに、少佐が小さく頷く。


「良し。ならばまず各員武器庫で装備を整え、地上に上がる。私とラクアはそのまま三階の管制室へ行き、情報収集及び外部への通信を試みる。三階ならば狙撃体勢も取れるだろう。ルノアとフリードリヒは、今いる兵士を連れて、一階から二階への階段を固めろ。敵の数が多かった場合は、徐々に上階へ後退。弾は温存し、できるだけその場を長く持たせろ。」


少佐の号令に、その場にいた全員が、了解。と気持ちよく返事を返す。


「敵の数がわわからない。時間稼ぎにしかならんだろうがな。」


彼女は口角を少しだけ上げて苦笑しながらそう言うと、まるでそれ以上の会話は無意味であると言うかのようにそそくさと部屋を後にする。


判断が早い。


まるで迷いがない。


俺たちは技術者の案内で、コントロールルームの隣にあるという武器庫に入った。


まだ兵器棚には武器がかかっていないので、室内は整然としている。


俺たちは隅に積まれていたコンテナを開けると、数少ない銃器と弾薬を分配した。


それでも、一応ここにいる人間全員に行き渡るぐらいの武器はあるようだ。


「よし。これより作戦を開始する。無線も妨害されている。何かあったら伝令を走らせて連携をとり合う事とする。ルノア。そちらの采配は貴様に任せるぞ。」


少佐はそう言うと、二丁あるスナイパーライフルの一つを俺に投げ渡し、残りの一丁を自分の肩に担いだ。


「ルカ少佐。ご無事で。」


フリードリヒが真剣な表情でそう言いながら、少佐に敬礼した。


「貴様等もな。烏合の衆がクローレンツに楯突いたことを後悔させてやれ。」


そう言った少佐の目は、まるであの時の様な強く頼もしく、そして鋭い瞳だった。


SHADEの連中は俺たちが陥っているこの状況に気づいてくれるだろうか?


俺は奴らが現れることを願いつつ、少佐の後に続いた。



★3

第三軍事基地SHADEオフィス

PM13:30


静かに自分たちに出来ることをしながら俺たちはオフィスで様々な情報の裏づけを行なっていた。


消えた委員会の幹部たちと、金。


鉤爪の刺青(クロウ)。


白いスーツの男。


鳥の様な兵装をまとった兵士。


謎は解けるばかりか、困ったことに増え続けているのだ。


『…君達は、闘いの中でしか生きられない、いわゆるグリーンカラーだ。きっと、『また会う事になる』でしょう。それが近いうちでない事を祈ってますよ。』


『…私の前のバディは、仲間の静止を振り切って自分が正しいと思う事をした。でもその結果、彼は…死んだの。』


色々考えていると、忘れかけていた事までがまた首をもたげてくる。


俺が首を横に振って死刑囚の最後の笑顔を脳内から振り払っていると、バロンが背中の方でふと立ち上がるのを感じた。


何気なく振り返ってみると、彼はレオンに歩み寄り、何も言い出さないまま小首を傾げている。


「なんだ?」


突然のバロンの行動に、レオンが怪訝な表情を浮かべて机から顔を上げる。


「…先ほど一瞬だけ、ナノマシンに何かの信号をキャッチした様な気がしたんですが、こちらから送り直しても信号が拒絶されてしまうんです。こんな事って今までにありましたか?」


その問いに、レオンは、いや。とだけ答え、首を傾げている。


「ナノマシンの誤作動かもしれませんが、気になるので先に少し調べてみてもいいですか?」


「…あぁ。原因がわかったら教えてくれ。」


あまり気にならなかったのか、レオンはそれ以上なにも言わずに、再び机の資料へ視線を落とした。


確かに、幾ら最新のナノマシン通信を使っているとはいえ所詮は機械だ。


誤作動を起こす事だってあるんじゃ無いか?


そういった機器に詳しいからこそ、バロンには気になる節があるのだろうか?


そんな何気ないやり取りを俺がぼうっと見ていた時だった。


不意にオフィス入口の扉が開き、室内の全員がそちらに視線を向ける。


そこには、黒いスーツ姿の見慣れない男が立っていた。


眉にかからない程度の短い黒髪に黒縁のメガネ。


地味な印象で、やはり俺の知らない人物だ。


メガネの奥に光る何処か冷たい印象の目が、スーツ姿も相まって少しレオンに似ている。


「誰だ?あんた。」


他意もなく出た俺の藪から棒な問いかけに、男は嘲笑に似た笑みを浮かべながら肩を竦めて見せる。


「…忙しいところすまない。SHADEのオフィスはここで間違いないかな?」


「そうだが、あなたは?」


表情ひとつ変えず、レオンが統制された声音で突然現れた人物に問いかける。


男は何処かわざとらしい動きで両手を広げて見せると、居住まいを正した。


「…おっと、失敬。…私は帝国軍務総省内部監査室長のベルトリッチ・トートマンだ。」


まだ若そうに見えたが、男は首から下げた自分のIDカードをこちらに見せつつ、俺たちにそう挨拶をした。


口元にヘラヘラとした笑みを浮かべたまま。


「軍務総省内部監査室?」


聞き慣れない名前だった。


俺の疑問符に、ベルトリッチと名乗った男は、そうだ。と言いながら目を伏せ、メガネの位置を右手の中指で直している。


「…他国から見ても、軍務総省は極めて特殊な政府機関だ。強大な力を持つ軍を、鶴の一声で動かせる省庁。そんな軍務総省内における不正や違反を取り締まるのが、内部監査室だ。その室長殿が我がSHADEになんの様かな?」


ベルトリッチのかわりに、レオンがそう補足する。


なる程。


強大な力を誰かが私物化しないための取締機関。


そのトップが確かに俺たちに何の用なんだ?


「説明感謝する。レオン・ジーク大尉。つまり、我々は最近国内で起こっている物騒なテロ事件には何ら興味がない。用があるのは君達だ。」


ベルトリッチはそう言いながら、オフィスの中に更に一歩足を踏み入れた。


その後ろに付き添いらしい二名のスーツ姿の男が続く。


護衛だろうか?


和気藹々としていた先程までのオフィスの空気が引き締まっていく。


物々しい雰囲気だ。


SHADEオフィスのあるこの地下四階まで入ってこれるということは、それなりのクリアランスレベルを持っているという事なのだろう。


「どう言うことだ?俺たちは不正も違反も働いていない。今日も従順な帝国のわんこちゃんだぜ?」


俺は、先日の時のことを思い出しながら、皮肉混じりにそう言った。


庁舎のロビーでアドルフが処刑された時の事。


俺がルノアに銃を向けたのがまずかったのか?


しかし、それに関しては相応の罰があってもおかしくはないと、俺自身思っていたところだ。


「そうかもしれないな。君たちの活躍を見て大変な興味を持ち、勝手に調べさせてもらったよ。そこで、さらに興味深い事実を知ってしまってね。」


癖なのだろうか?ベルトリッチはまた、ズレてもいない眼鏡の位置を気にしながら、冷たい微笑みを浮かべて見せる。


「ほぼ全員が幼少期より、特殊兵士養成所Area51で訓練を受けていた身であり、それ以前の経緯は一切不明。養成所を出た後は帝国特殊機動部隊SHADEとしてシスタニア侵攻作戦にも参加。これまでに、初代隊長イルーザ・ロドリゲスを含む二名が殉職している。」


彼は、俺たちの経歴をまるで自分の友達のことでも話しているかの様に楽しそうに語った。


そんなベルトリッチの様子に、先輩の眉が少しづつ釣り上がっていくのが横目に見える。


「周りくどいわね。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなの?」


ベルトリッチは、腕を組んだ先輩のその視線を半笑いの表情のまま受け止めた。


だめだ。


初対面だが、俺はこいつのことを好きになれない。


兵士を蔑むような、嫌なエリート官僚の雰囲気。


それを肌で感じた。


「…そうだね。エリーナ・マクスウェル少尉。君の言う通りだ。話は簡潔な方がいいだろう。」


彼はわざとらしく、うんうんと首を上下に振りながらそう言うと、懐から一枚の紙を取り出し、俺たちに見えるように掲げて見せた。


その紙面に皆が注目する。


材質は高そうな羊皮紙?だろうか。


右端の方にあしらわれた、七貴人の紋章にまず目がいく。


どうやらこの男、七貴人の命を受けてここへやってきたらしい。


七貴人の内の誰のものかはわからないが、署名欄には達筆な字で『Y.B』とサインがしてあるのが見えた。


「…七貴人からの御命令だ。ここに書いてある通り、エリーナ・マクスウェル少尉。君を拘束する。容疑は戦地での『私的』な殺しだ。」


先輩の目が見開かれる。


「馬鹿な。なにを言ってるんだ!」


誰よりも早く俺がそう吠え、先輩の前に踊り出て男に掴みかかろうとするのを、椅子から素早く立ち上がったレオンが制した。


「やめろ。敵に回したら厄介な連中だ。」


レオンの有無を言わせぬ言葉に、俺は拳を握り、堪えた。


敵に回したら厄介な連中?


だからって納得も出来ないまま先輩を訳の分からない奴らに引き渡せってのか?


またか?また権力に踊らされなきゃならないのか?俺は。


先輩を振り返ると、彼女は上目遣いに何処か不安そうな表情で俺を見て首を横に振っている。


レオンに従う他ない。と言うことか?


「…私的な殺しと言ったな?彼女はシスタニア侵攻作戦時、特務執行員だった。そのことを言っているのなら、そちらの勘違いだ。アレは歴とした帝国の命令によるものなのだからな。」


レオンの問いかけをベルトリッチは鼻で笑った。


いちいち感に触る野郎だ。


「特務執行員?帝国の命令?そんなものは存在しない。全ては低俗なシスタニア人が吹聴するデマだ。」


なん…だと…?


こいつ平然と言い切りやがった。


あんな馬鹿みたいな命令のせいで地獄を体験し、心を壊された先輩の前で、それが先輩本人の意思だったと。


レオンは難しい顔をしている。


「エリーナ少尉は、シスタニア侵攻作戦において敵兵士を必要以上に残虐な方法で殺害した。その数は、二百人以上とも言われている。これを快楽殺人と言わずしてなんと呼ぶ?」


言葉を失っている俺たちを満足そうに眺めながら、ベルトリッチは先輩の罪状を語った。


偽りの罪状を。


七貴人は全てを無かったことにするつもりなのか?


自らが犯した過ちを、全て先輩一人に押し付けて。


アドルフを自分たちの都合で利用し、自分たちの都合で消した様に。


先日の委員会の事件で、シスタニア内戦での特務執行員の暗躍が明るみに出るのを恐れているのだろうか?


「話は以上だ。簡潔だったろう?…少尉を連行しろ。」


ベルトリッチの号令に、彼の後ろにいた男二人が前に躍り出た。


先輩の前に立ち、俯いている彼女の手を強引に掴む。


「やめて!離して!」


先輩の叫びに俺の体が反応する。


俺は無意識に、腰の銃に手を掛けていた。


「待て。」


彼らに抵抗しようとする俺たちを、レオンが制した。


部屋にいたもの全員が彼に視線を送る。


「ロック。この前のことを忘れたのか?」


その言葉に、銃に触れようとしていた俺の手がピタリと止まる。


忘れるわけがない。


死刑囚の最期の笑顔。


先輩の言葉。


少佐のあの鋭い眼差し。


考えない様にしたって、ふとした時に蘇る。


俺は銃に掛けようとしていた手をそっと下げ、その手を強く握りしめた。


『お前のやっている事は単なる身勝手だ。』


あの時の言葉が頭の中でリフレインする。


固まる俺から視線を逸らし、今度は先輩に視線を移すレオン。


「エリーナ。黙って彼らに従うんだ。」


レオンから掛けられた思いもよらぬ言葉に、先輩は目を見開いた。


「…レオン…。それ…本気で言ってるの?」


「そうだ。」


平然と言う隊長様に、俺は思わず飛び掛かりその胸ぐらを掴んだ。


「おい。レオン。お前、こんなよくわからねぇ連中に先輩を引き渡すってのか?理不尽な言いがかりで?…だとしたら…」


言いかけて俺は息を飲む。


レオンの鋭い眼光が俺を真っ直ぐ見据えていたからだ。


俺は彼を掴んでいた手をゆっくり離し、それから先輩を振り返った。


彼女は俯き、その足元には涙が溢れている。


「…先輩。」


俺の呼びかけに、先輩は手でサッと涙を拭うと顔を上げ、レオンを正面から睨みつけた。


悲しみと怒りの入り混じった瞳で。


「…私なんて、あなたにとってはその程度の人間だったのね。仲間だと思ってたのに。」


涙で震えた声。


それから先輩は一瞬俺に寂しそうな泣き顔を見せ、背中を向けた。


二人のスーツの男達が先輩の両脇につき、先輩がオフィスを出るのについて行く。


俺の脳内に、今度はその悲しげな背中が深く刻み込まれて行く。


先輩…。ごめん。


俺はやはり無力だ。


「協力感謝する。レオン大尉。」


俺たちのやりとりが、愉快で堪らないと言った様子で、ベルトリッチは最後にそう言い残し、オフィスを後にした。


再び静かになるオフィス。


そこには先輩だけが居なかった。


「レオン。なんでこんなことになった?答えろよ。」


沈黙を破り、俺はレオンに静かに詰め寄った。


「ロック君。ちょっと待って。」


必死な様子でそう言いながら、静観していたバロンが間に割って入ろうとするのをレオンが止める。


「ロック。頭を使え。」


「どう言う意味だよ!?」


無意味に吠える俺。


あぁ。今俺は一体どんな顔してるんだ?


きっと庁舎の時みたいな情けない顔をしているんだろうな。


「…相手は軍務総省内部監査室だ。お前は彼らについて知らなすぎる。彼らは我々の天敵と言っても過言ではない存在だ。あのベルトリッチとか言う男の一声で、我々は良くて凍結。悪くて国家反逆罪だ。」


レオンのそんな淡々とした話し方が、今は忌々しくさえ思える。


一体このお偉い隊長様はなにを考えてるんだ?


「そうかもしれないが、俺たちはなにも不正や違反をしてないだろ。特務執行員は立派な命令だった。だったら堂々と違うって事を言うべきじゃないのか?」


その問いに、レオンは静かに首を横に振った。


「…ああいう連中はな、我々兵士の言うことに耳を貸しなどしない。特務執行員という非人道的な作戦自体を無かったことにしようとしているのであれば、我々の証言など握りつぶされるだけだ。そこにいちいち楯突いていてはエリーナだけではなく皆共倒れだ。」


レオンはそういうと、先ほど見せたような鋭い視線をまた俺に向け、俺の両肩を力強く掴んだ。


「だったら、先輩を取り戻す為になんか考えろよ!あんたは隊長だろう!?」


「当たり前だ。」


俺の叫びに負けないぐらい気迫の篭った声で、真っ直ぐレオンが俺に言い放つ。


その気迫に俺は少し驚き、レオンと見つめ合いながら彼の次の言葉を待った。


「私だって納得しているわけではない。そんな勝手がまかり通ってなるものか。」


その真剣な眼差しと言葉に、俺は生唾を飲み込む。


一体、コイツは何を考えているんだ?


俺の疑問の答えを導き出すかの如く、彼は俺から目を逸らし、自らのデスクに戻った。


「バロン。彼らのナノマシンはスキャンしたな?位置情報を特定し衛星から追跡しろ。気取られるなよ。」


「了解です。」


バロンは、まるでその命令が下るのをわかっていたかのように微笑みながら返事をした。


「ロック。お前は出動だ。バロンの指示に従って奴らを尾行し、あの男の意図をつかめ。そして、可能であればエリーナを奪還しろ。全ての責任は私が取る。」


レオンの気持ちのいい言葉に、俺は一瞬で心が晴れていくような気がした。


彼は、相手の目的を知ったうえで、確実な手を打とうとしていただけだった。


「あ、あぁ!わかった。」


俺は力強く頷き、すぐ様オフィスを飛び出した。


俺に足りないことが何か、少しだけわかったような気がする。


先輩の泣き顔が俺の心の中でフラッシュバックする。


待っててくれ。先輩。


すぐに追いつく。


俺はこの国に存在する理不尽から大切な仲間を取り戻すため、再び走りだすのだった。



To be continued ...

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