第30話 凛風の事を、お願いします

 シオツカセリカ。僕は彼女をそう呼んだ。

「どうなッテんの。俺は旦那に言われタ通り、ダイレクトメールを送っただけデ……」

 アキラのスマホには『Serika Shiotsuka』のアカウントが開かれていた。

「僕らはブロックされちゃってるから、アキラ君に頼んだんだ。ニセ欣怡シンイーと会ったらシオツカセリカにDMしてくれ、って」

 僕は彼女のポケットからスマホを抜き取る。Facebookからの通知が表示されている。【メッセージが届いてます】と。日本語で。

「シオツカセリカにメッセージを送ると、このニセ欣怡に届く。この子の正体がセリカである証拠だよ」

 彼女は悔しげに僕を見上げる。日本語を理解している証拠だ。

「シオツカセリカって言えば、凛風リンファのFacebookのフレンドだろ。どうして分かったんだ」

「僕も確信は持てなかったけどね。凛風さんの周りの日本人といえば、Facebookで見つけたシオツカセリカくらいしか思い当たらなかったから。もしかして、と思ってね」

 僕はシオツカセリカにスマホを見せる。

「……これ、君だよね」

 ヨシオさんから貰った僕の結婚式の動画。会場の隅にニセ欣怡が映り込んでいる。

 彼女は悔しげに歯を食いしばった。否定とも肯定とも取れる仕草。

「堂々と式場に入ってるって事は、凛風さんの関係者だって事だろうし。もしかしたらルームメイトの子じゃないかな」

 彼女は観念したように「そ、そうよ」と項垂れる。

「ほえー。凛風のルームメイトって日本人の子だったのか。するとこの子も学生さんか」

 陽は感心したように頷く。僕も頷いて続ける。

「それに君は陽に酔い潰された時、寝言で日本語を話した。それで怪しいと思ったんだよね。この子、日本人なんじゃないかって」

「それで、この子がシオツカセリカかもって事か」

 僕は組み伏せられた彼女に目を落とす。

「間違いないね。君の本当の名前は、シオツカセリカ――」

 彼女は固く目を閉じる。ため息に似た長い呼気を吐き終えると、彼女は静かに瞳を開けた。彼女の薄い口唇が震えながら動く。

「……そう。私は、塩塚しおつか瀬里加せりかです」


 僕らは共有ラウンジのソファーに移動した。

 スマホのカメラを向けるYouTuberと、両腕刺青だらけのマフィアと、冴えないアラサー男。そんな三人に囲まれる二十歳の女。異様な光景だ。

「騙してたのは、謝ります」

 やや不貞腐れた口元から発される流暢な日本語。

「とりあえずさ、アンタの事教えるべ。何者なんだべかアンタ」

「だいたい予想通りです。塩塚瀬里加、言語学部の二年生。リザのルームメイトですよ」

「ふーん。凛風とは学部が違うべ。だから凛風の友達やゼミの教授もアンタの事は知らなかったんだな」

「ええ。リザは歴史学専攻ですから」

 瀬里加は高校時代にシドニーへ語学留学の経験もあり、英語も話せるらしい。ちなみに彼女が話していたのは北京語。台湾で使われている福佬ふくりょう語(閩南みんなん語とも言う)とは違うらしい。日本で中国語会話教室に通って覚えたのだという。物凄い語学能力だ。

 陽がカメラを向けてニヤニヤ笑う。

「留学生ってワケか。台湾なら学費や生活費も安くて、英語と中国語の両方が勉強できるから良いべ。で、凛風とはどうやって知り合ったんだ」

「ルームシェアのマッチングサービスですよ」

 台北の地価は高い。とても一人暮らしできる家賃ではないので、学生同士でルームシェアするパターンが多いという。ルームメイトをマッチングするサービスも珍しくない。

「リザは良い友達になってくれました。日本から来たばっかりでホームシックになった時も、ずっと一緒に居てくれました。明るくて人懐っこい子で、買い物とかカラオケとかもよく行きました」

 特に凛風は日本びいきが強い。外国人のルームメイトでも、日本人ならば積極的に受け入れたのだろう。

「リザは人を惹きつける子でした。日本語を勉強中だったんです。カタコトの日本語も可愛かったし、それがみるみる上達していく努力も尊敬したし。なんせ元気なんです」

 凛風は持ち前の社交性で瀬里加の心も掴んだ。その求心力。独立運動のカリスマと称えられた片鱗が現れている。

「あのアパートはアンタの部屋でもあったんだろ。火事が起きた時、アンタはどうしてたんだ」

「大学が夏期休暇に入ったので、七月半ばから一時帰国してました。そしたら、あんな事になってしまって」

 凛風が死んだ。それが三週間前。凜風の最後の投稿である『助けて』の直後だった。瀬里加は台湾メディアのニュースで凛風の死を知った。

「信じられなかった。連絡したけど返事はなくて。本当にいなくなったのかなって、信じなきゃいけないようになった」

 それで一週間前、瀬里加は台北へ来た。住む場所がないので、このゲストハウスに泊まっていたらしい。

「私たちのアパートに行ったら、本当に火事で焼けてて……やっぱり本当なのかなって、リザが死んだの」

 瀬里加の瞳が潤んでゆく。彼女は零れる前に目元を拭った。

「近所の人たちと話をしました。みんな言ってた、リザは明るくて優しい子だったって。みんな、リザの事を話す時は過去形なんです。もういない人なんだ。やっぱりリザは死んだ……。そう思うと、つらくて悲しくて」

「もしかして、そこで聞いたのかい。凜風さんの事を」

 僕が問い掛けると、瀬里加は力なく頷いた。

「リザの部屋が火事になる前、男の人が出てきたって」

「男?」

 僕と陽は身を乗り出す。

「僕らは今まで『誰か』としか聞いてなかったよ。その『誰か』が男性だなんて、初めて知った。どうして黙ってたんだよ」

「認めたくなかったの! リザに男がいたなんて!」

 瀬里加が声を荒げた。妙な沈黙がラウンジを包む。冷静に戻った瀬里加は顔を伏せていた。

「だって嫌じゃないですか。私たち親友なんですよ。それなのに彼氏がいるの、私に秘密にしてただなんて。考えたくもないじゃないですか」

 僕と陽は苦笑する。これが女の友情というものか。ずいぶん面倒臭い。

 瀬里加は上目遣いに僕を見る。

「そうしたら、あなたがテレビに」

 僕と凜風が冥婚したのをテレビで知ったらしい。

「それで凜風の死の真相を調べるよう、僕らを焚き付けにきたのか。いちおう僕には婚姻関係があるから協力すると思ったんだね」

 結果として彼女の思惑通りになり、僕は凜風の死について奔走した。すると陽が納得いかなそうに口を開く

「つーか、どうして欣怡シンイーのフリしてたべさ」

「友達って言うより、肉親だって言った方が協力してもらえると思ったんです」

 ごめんなさい、と瀬里加は頭を下げる。陽は呆れたように溜息をついた。

「確かにねー。妹が姉を殺した犯人を探す、ってストーリーの方が熱いわな。ま、その妹がニセモノだったって展開も撮れ高だったけどな」

 瀬里加は凛風の冥婚をネットで知り、僕の名前を調べ、同居人の陽が『陽ちゃんの闇CH』を運営している事を突き止めたという。

「それでウチの裏社会系の情報網を利用しようって魂胆だったんだな。ったくアタマ良いねえ」

「リザが殺された事は警察も信じてくれませんでした。だから警察がダメならソッチ系の人に頼むしかないと思ったんです」

「ウチは断じて反社会ソッチ系じゃねえ」

 陽は苦笑する。隣でアキラも深く頷く。交友関係はどう見てもソッチ系だが。

「ごめんなさい、嘘ついてた事は謝ります。勝手に逃げた事も謝ります。だから、リザの事を最後まで調べてください!」

 水を打ったような静けさが広がる。陽は無言のまま瀬里加を見つめていた。その目が、少しだけ邪険に見えた気がする。

「アンタ、知ってんのか。アンタの親友のリザちゃんは、アンタが知ってるような明るくて優しい子ってだけじゃねえべ」

 陽はスマホで画像を見せつける。瀬里加は息を飲んで固まった。

「これが、劉凜風のもう一つの顔だよ」

 以頭から血を流し、物凄い剣幕で何かを叫ぶ凜風。独立デモでの姿だ。

「一緒に暮らしていても知らなかったべか。驚くのはこれだけじゃねえ。この劉凜風の叔父さんは日桃幫の幫主、つまりマフィアのボスだべ」

 瀬里加は絶句していた。ふるふる口唇が震えている。

「人ひとりを調べ上げるってのはこういう事なんだよ。その人の見たくない部分にも光が当たる。ウチらが調査を続けたら、もっと気持ち悪いもんが見えちまうかもしれねえべ」

 押し黙る瀬里加を、陽はじっと凝視している。すると貝のように黙り込んでいた瀬里加が小さく首肯した。

「覚悟は出来てます。そのために台北に戻ってきたんだから。リザが殺されたなら、私はその犯人を許せない。私からリザを奪った人を許せないんです。絶対に白日の下に晒して、罰を受けさせなきゃいけない」

 瀬里加は少し逡巡してから頭を下げ、静かに呟いた。

「……凛風の事を、お願いします」

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