入居条件:隣に住んでる友人と必ず仲良くしてください

寝舟はやせ

『友達の妹』


「これは友達から聞いた話なんだけどね」


 隣人は怪談を話すとき、必ずその文言から始める。

 俺はこいつに『友達』がいないことは知っているが、一切突っ込むことはない。

 ただただ、ベランダでぼーっと風景でも眺めながら、隔て板越しにそれを聞くことにしている。

 怪談における『友達から聞いた話』なんて、『昔々あるところに』と同じくらい意味のない、ただの導入でしかない。


「友達には、妹さんがいるんだけど────」



 友達の妹さんが小学二年生の頃の話、だそうだ。


 ある時期から、妹のクラスの机に靴が置かれるようになった。

 びしょ濡れのスニーカーだ。置かれる机はまちまちで、規則性は特にないと言う。


 最初は25センチ。

 次に23.5センチ。

 一月おいて、27センチ。

 その一週間後に、17センチ。


 いずれも片側だけだった。

 左足か、右足か。どちらか片方、転がってるそうだ。


 悪戯かと思われたが、見廻りをしても犯人が見つからない。帰りに見ても何もないのに、朝来ると置いてある。

 回を重ねるごとに異様さが増し、ふと目を逸らした瞬間に現れていることすらあったそうだ。


 これはどうもおかしい。ヒトの仕業ではなさそうだ。

 困り果てた学校は、教頭の伝手で『そういうもの』を見てくれる人を呼んだ。


 霊媒師──のような人曰く、此処は漂着地となってしまったそうだ。

 片足だけが、流れ着いてしまう。そういう場所になっていると。


 水死の際、腐敗した遺体が関節で千切れて、足首だけが靴の浮力で浮いてしまうことがあるらしい。

 そうした足首が水流の関係で流されて、一箇所に集まる──という事例がカナダの浜辺で在った。

 この場合も同じようなもので、千切れた足首という霊現象そのものが、現実と同じように何らかの流れで此処に辿り着いているそうだ。


 何かが原因で、この教室は霊的なものが流れ着く場所になってしまっている。

 あれらは死者の靴である。何処からか流れ着いた、千切れた霊の足だと。


 霊媒師は言いづらそうに、残された靴の供養について説明した。


 あなた方には靴しか見えないだろうが、あれには中身が入っている。

 方法を伝えていくから、手順通りに片付けなさい、と。

 放っておいても、下手に処分しても害があるそうだ。

 校長は根本的に解決してくれ、と頼んだようだが、霊媒師は渋い顔で首を振った。

 大きな流れのせいであるから、建物を幾ら祓ったところでどうにもならないらしい。


 教室は場所を入れ替えられて、物置に変わった。

 見えない者からすれば、濡れた靴が転がるだけだ。不気味なことには違いないが、定期的に片付ければいい。


 事態はそれで一旦収束した。


 怪談話は半年もすれば落ち着いたし、教室に遊びに行く者も減った。

 生徒の興味はとっくに失せて、みんな、そんな話があったことすら忘れていった。


 そんなある日。友達の妹さんが、登校後に姿を消した。

 散々探したが、結局見つからなかったそうだ。

 

 半年後。物置と化した教室の、壊れた机の上に、赤いスニーカーが片方、転がっていたらしい。

 友達の妹のものだったそうだ。靴は、やっぱり濡れていた。


 校舎は数年前に移転して、その教室はもはや存在しないそうだ。



 そこまで語り終えると、友人は楽しそうに尋ねてきた。


「────怖かった?」


 シンプルに感想を言うなら、嘘だと分かってるから良かったな、と思った。

 死んだ妹さんが存在すると悲しいからな。

 

 そもそも、怖さだけで言うならお前が一番怖いよ。

 存在するからな。


 とも思ったが、特に口に出すことはなかった。


 ああ、とか、うん、とか、雑に相槌を打って、適当に場を誤魔化す。

 仕切り板の端から食み出ている、真っ黒に爛れた六本指を見たら、本心など言葉にする気にもなれなかった。


 まあ、別に言ったところで怒りはしないのだろうが。


 俺の友人は、恐らくだが人間ではない。

 恐らくというか、間違いなく人間ではない。


 だが、別に悪い奴でもない。俺は、友達を選ぶのにそいつが人間であるか否かは特に重視するつもりはない。

 なので、こいつは入居条件通り、俺の友人だった。

 炊飯器に比べれば、会話してくれるだけかなりマシな友人と言える。


 友人は怪談を話すのが好きだ。管状の口を伸ばして、長い舌をちらつかせながら、割と良い声で語る。

 話はあんまり上手くない。というより、人間ではないものが怪談を語ると割と気が散る。


 お前が何より怪談だろうが、と突っ込んでやりたくなるのだ。

 だがまあ、彼はまだ誰にも話されたことのない怪異なので、定義上は怪談にもなっていない存在である。


 いつから住んでるんだろうか。聞いたことはない。


 ただ、大家はなんとも言いづらそうに『逃げ出したのは二十三人』とだけ教えてくれた。

 二十三人が此処に住む準備を整えて、それから逃げ出すことが出来るくらいの期間は、住み着いているんだろう。


 まあ、おそらく、逃げ出せた・・・・・のが二十三人というだけなんだと思うが。


 俺は、浴室に張り付いた人型の染みについてあまり考えないようにしている。風呂には毎日入りたい派なのだ。


「おやすみ、タカヒロ。また明日ね」

「ああ、また明日」


 管状の口を伸ばして律儀に挨拶をしていく隣人は、そのまま俺がベランダから部屋に戻るまで、隔て板の向こうに立っている。俺が逃げ出さないか見張っているみたいに。


 じっと伺うような気配を感じるたび、俺は少し笑いたくなる。

 散々逃げ回った結果辿り着いたのが此処だということに、どうやらあいつは気づいていないらしい。


 なんというか、やっぱり何処か抜けてるんだろうな。

 思いながら、俺は追い払う様に「おやすみ」と口にして窓を閉めた。




 半年前の話だ。

 ようやっと貯めた金が、母親の借金の返済で溶けて消えた。


 空っぽの通帳を眺めながら、俺は一人の部屋で母親の泣き顔をぼんやりと思い出していた。

 あの人は俺から何かを奪う時、いつも泣いている。まるで自分の方が傷つけられたとでも言うように。


 泣き喚く母親と対峙する時、俺は喉の奥を焼かれるような感覚に襲われながら、小さく笑う。笑うしかないのだ。

 怒りも憤りも、あの人には何も響かない。怒れば怒るほど被害者面ばかりが強くなって、それこそ話が通じないまま終わる。

 今度こそちゃんとするから、という言葉を信じたことはない。信じようと信じまいと、どうせ結果は一緒だ。少なくとも信じたから金を渡している訳ではない。かといって渡さずに済んだこともない。


 内緒で作っていたもう一つの通帳に残っていたのは約五万円。給料日は半月先で、家賃の支払いは三日後で、前にも一度滞納したものだから今度は到底許されそうにない空気で、何よりあの人・・・がついてくる以上此処もすぐにめちゃくちゃになるから、選択肢はもう、『失踪する』くらいしかなかった。


 あるいは、貴重な金から安いロープでも買って、残った金を詫びとして部屋に置いておくくらいしかない。


 部屋で括る勇気は無かった。俺の検索履歴は特殊清掃の動画で埋まっていて、それがどれ程に大変な仕事か知っているから、せめて迷惑のかからない場所を探さないとならなかった。


 ほとんど無一文で逃げ出した時、俺の胸には逆に何の危機感もなかった。

 何となく流されるように街中を歩いて、目的を持って歩いているのだろう無数の人たちとすれ違いながら、ああ、人間ってこうやって死ぬのか、と思っていた。


 今すぐ死のう、と思った。具体性のある計画が浮かんだ訳ではない。何が何でも肉体を終わらせなければならない、とだけ思った。

 とにかく頭の中が聞きたくもない文言で埋め尽くされていて、俺はどうにかしてそれを黙らせなければならなかった。

 クソの役にも立たない思考ばかりがガンガンとうるさくて、かといって眠ることで思考を止めるのが叶いそうもないから、もっとの方法でこの喚いている何かを潰さねばと思っただけだ。


 とにかく死ななければならない。

 今のうちに死んでおかなければ、恐らく今以上の苦痛が襲ってくるのは明白だったから、これ以上苦しむ前に死ななければならなかった。


 苦痛から逃れる為に苦痛を伴う手段を選ぶなんて馬鹿みたいな話だ。

 だが、残念ながら俺は馬鹿なので、そんな手段くらいしか思いつかなかった。生き抜く為の真っ当な解決法が思いつくなら、そもそもこんなことにはなっていない。


 とりあえず、なけなしの金でロープだけ買った。

 正直に言って、肉体的な苦痛については、丸切り夢のような幻想を抱いていた。

 生来なんとなく身体は丈夫な方で、月に二、三度偏頭痛に襲われる程度の体調不良しか味わったことがない。苦痛に対してはだいぶ甘っちょろい考えを持っていたと言えるだろう。

 大丈夫だろう、一瞬で終わるはずだ。そんな、根拠のない確信があった。

 まあ、あるいはそうでも思わないとやってられなかったのかもしれないが。


 大体にして、死ぬ際の苦痛なんて、死に損ねた時に考える羽目になるだけのことだ。つまりはこの先の俺にとって何の参考にもならないので、考えるだけ無駄だった。


 誰も死んだあとの体験談なんて残せないし、生き延びた奴は後悔を綴る。

 自殺なんて三人に二人は失敗する。思うように死ねたりはしない。判断を誤らないで欲しい。

 初めに志願者の経験談を読んだのがいつだったか、俺はもう覚えていない。月に二、三、必ず、何かのおまじないのように目を通していた。

 生きてさえいれば希望がある。生き延びて良かったと思う。失敗したことでもっと深い苦痛を抱いている。やめた方がいい。やめた方がいい。やめた方がいい。

 同じ衝動と苦痛を抱える人の後悔と、ほんの一握りの希望を見ることで、自身の歯止めにしようとしていた。


 だが。踏み留まる為の儀式のようなそれは、やがて、絶対に失敗しない方法を考え続ける日々に塗り潰されていた。

 どうにかして上手く片付けなければならない。死にたい訳ではない。この肉体の生命活動を止めて、その上で死体の始末を自分で付けたいだけだ。

 物事の解決を望んだら、結果として死が付随しただけだ。


 絶対に上手くやろうと思った。そもそも人生が上手くいっていないくせに。

 上手くいかなかった人生のツケを払いに来ているのに、死ぬことにすら巧拙が存在するなんて酷い話だ。


 とにかく死ななければならない。死にたい、というのとは違う。希死念慮ではなく、強迫観念だ。今死ななければ、己を処分しなければ、取り返しのつかないことになる。


 どうしようもなく身体が重くて、足取りだけはいつまでものんびりとしながら、俺は死に場所を探して歩いていた。


 歩いて歩いて歩いて、歩いて、日が暮れ出して、国道沿いの道を外れて、木々の茂った細道の、古びたバス停の辺りで立ち止まった。


 道ゆく車を眺める。飛び込み、は考えたことがない。俺のような人間を轢き殺して人生がめちゃくちゃになる人間が居ていい筈がないからだ。


 電車だって論外だ。俺は人身事故で悪態をつく乗客を見る度、自分が責められているような気がして吐き気が止まらなかった。


 飛び降りもよろしくない。少なくとも近場には、即死できるような高さで、尚且つ俺に入れそうな場所はない。

 入れるような場所は、そもそも人通りが多すぎる。下で歩いているだけの誰かが巻き込まれたりしたら、と思うだけで足が止まった。


 凍死が良いらしい、と聞く。残念ながら今は夏だった。冬まで待てそうにはない。

 去年の冬に死んでおきゃあなあ、と思った。でも、今度こそ逃げられるはずだったんだよ。


 誰にも迷惑のかからない場所を探して、結果として死体になる時点で迷惑なんだから場所なんかねえわな、と思った。思って、吐いた。


 死んだ後に何を言われようとどう思われようと、どうでもいいじゃないか。

 その通りだ。間違いなくそうだ。

 そんなことを気にするならそもそも死ななきゃいい。分かっている。


 矛盾している。

 永遠に矛盾し続けている。

 頭の中がいつまでもうるさい。早く逃げなければならない。


 夕陽の中で途方にくれながら、歪んだ視界に映る景色を辿ったところで、道端に置かれたボロボロの椅子が目に留まった。

 くたびれた時刻表の隣に、足の曲がった椅子が置かれている。


 錆だらけの安そうな椅子に、ささくれた看板が擦り切れたビニール紐で括り付けられている。

 半分腐ったようなそれには、ペンキで塗りたくったような字で以下のような文言が書かれていた。


『何でも屋 お困りごとがあったら相談してください 〇██−████−六六八八』


 そのすぐ上に、A4サイズの紙がガムテープで雑に貼られている。


 『今すぐ人生がどうにかなってもいい人募集中! 月給十五万〜 ※住み込み必須』


 こちらは最近貼られたもののようで、水濡れが乾いてよれている程度だ。

 引き寄せられるように紙の端を手に取って、緩慢な脳味噌で五度ほど繰り返し読んで、ようやく中身を理解した。


 何だこれ、俺向きだな。


 素直にそう思った。

 今すぐ人生がどうにかなってもいい人こと俺──にぴったりの扉が、たった今目の前に現れたのだ。


 そして今。

 迷う程度の判断能力も失っていたおかげで俺は、この割と小綺麗なマンションの角部屋で暮らしている。


 鼠色をした十階建てのマンション。駅近で利便性が高く、静かで住みやすい。オートロックとエレベーターまで付いている。


 此処は七階で、俺と隣人以外の部屋はずっと空き部屋だ。空き部屋、の筈である。

 たまに七〇五号室の扉が開け放されているが、玄関から奥はやたらと暗く何も見えないので、遭遇した時は見なかったことにして自室に戻ることにしている。


 このマンションは、隣人のせいでとにかくおかしなことになっている。

 例えば五階は一切灯りがつかないので夜は真っ暗だし、エレベーターはたまに一人乗っただけで重量ブザーが鳴るし、時折意味もなくインターフォンも鳴る。ちらしの代わりにポストには髪の毛も入る。

 あと階段は使えない。まあ、使ってもいいが。俺は使わない。少なくとも、六階を通る時は。


 じきに入居者が全員出ていくことになるだろうと思っているが、短期入居者には便利な立地ではあるのか、そういう意味では需要を満たしている物件ではあった。

 五階より下なら、まあまだ、安全であるし。


 加えて良い点を挙げるなら、立地からすると考えられないくらいに賃料が安いことだろうか。

 騒がしい入居者はほとんどいないので騒音トラブルは皆無だ。ぞっとするほど静かである。

 短期賃貸サイトのレビューには謎にいいことしか書かれていないので、満足度は高いのだろう。サクラかもしれんが。たまに『ありがとうございます』と書かれているので、余程良かったんだろう。

 あとはまあ、近くにスーパーは三軒あるし、美味しいパン屋と、あと珈琲が美味い喫茶店と、割と安いジムもある。


 なんだ、案外良いところかもしれないな。


 住めば都と言うもんな、なんて思いながらベッドに寝転がろうとした俺は、布団が明らかに人型に盛り上がっていたので、そのままデスクへと行き先を変更して、しばらくSNSと厳選おもしろ動画を見て時間を潰した。


 数時間後には、布団はしっかりぺちゃんこになっていた。上から乗り直したみたいに。


 まあ、寝るには問題なかった。多分。

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