第75話 伯爵

 僕らが見守る中、大きな地図の上で蝶が止まった場所は湖の中。そこはまず人が留まることができない場所。湖が凍っていて、氷上釣りをしていなければだが、まだそんな季節ではない。


 だから、セトがここにいるのはありえないのだけど………。


 マナミも同じ気持ちなようで、蝶を見つめ眉をひそめていた。


「エステル湖のど真ん中? 正気? ここにいるっていうの? そんなバカな………それなら、とっくにエレシュキガルを見つけていたはず」

「マナミ、この湖に島はある?」

「ない。蝶の場所は水しかないわ。上に空島はない」

「となると、湖の下か………」

「地下なら十分にあり得るわね」

「地下か………ここは確かバイエル領だったね。この周辺で怪しい人物・事件がなかったか調べてくれるかい? マナミ」

「分かった。数分で終わらせてくる。ブリジットも手伝ってくれる?」

「ええ、もちろん」

「マナミ、ブリジット、ありがとう。リリィはバイエル伯爵に連絡を取ってくれるかい? 今からエステル湖へ向かうと」

「承知いたしました」


 これでセトの隠れ家は特定した。バイエル領は国境に面しているけど、それほど遠くはない。あそこには転移石もあるし、転移スクロールを使えば、すぐだ。


 それにバイエル伯爵なら、すぐに案内してくれるだろう。


 転移準備をしている最中にふと思い出す、眠る前に母が話してくれたとある勇者の物語。


『エステル湖の下に勇者がね………』


 あの話はどんな物語だったか…………。




 ★★★★★★★★




「イー、ここがバレたかも」


 セトは開口一番にそう告げた。大きな袋を持って、帰ってきた彼は息を荒げ、切迫した様子だった。


「………もしかして、にぃ、失敗した?」

「ああ、わりぃ。だから、計画を早めるぞ」

「………」


 すると、イシスは私の手をぎゅっと握り、緑の瞳で見つめる。一時して「分かった」と端的にセトに答えた。


「俺は先に行ってる。イシスはエレシュキガルと一緒に来てくれ」

「うん」

「ちょっと待ってください、セト。私たちはどこに行くのですか?」

「秘密。後で教えてあげる」


 そう言って、セトはチャーミングな笑顔で風のような速さで退室。残った私とイシスはチェス駒を片付け、着替えて、準備を整えた。


 よしっ、これでようやく部屋の外へ出れる。逃走のチャンスだ。


 イシスには悪いけれど、部屋を出た瞬間ダッシュ。どこにいるのか、どこに繋がっているのかは分からない。地下にいることぐらいしか情報がないけど、とりあえず風を感じる方向へ走ろう。


「エレシュキガル、逃げるのなし」

「………」

「イーたちの足、なめちゃダメ」


 イーは部屋を出る前に忠告してきた。まさかされるとは思っていなかった。気持ちは押し殺していたのに、察知されるなんて………。


 ここは隙を狙って、イーをトンっと気絶………。


「むっ、イーを気絶させようとしたってダメ。エレシュキガルの速さじゃ、遅い………」

「イーは心を読めるんですかっ!?」

「………エレシュキガルが分かりやすいだけ」


 むー。顔には一切感情を出さないようにしていたのに………。


 私は仕方なくセトがいるであろう場所へ、イシスとともに向かった。部屋を出ると左右に続いていた一直線の廊下。壁に掛けられた松明の灯りが石畳の廊下を照らしているが、どこまで続いているのやら………。


 私はイシスとともにその長い長い廊下を並んで歩いていく。部屋を離れてからというものの、イシスはずっと私の手を握っていた。逃走にかなり警戒されているようだ。


「イーたちね、本当はエレシュキガルと同じ学校に通うはずだったの………」

「そうなんですか?」

「うん、母様が言ってた………時期が来たら、にぃと一緒にグレックスラッド王国の学園に通う予定だって」

「なぜ行けれなくなったんですか?」

「国が亡くなったから、国の誰もがいなくなったから………」

「………」

「母様も、父様も………みんな、死んだ。生き残った一部の人たちは魔王軍に捕まって改造され、魔物にされた。殺されたも同然」

「………イーたちはどうやって生き残ったのです?」

「さぁ、どうやったんだろ。イーにも分からない………」


 国が亡くなった。最近亡くなった国はファーリーアスターぐらいしか思い浮かばない。あの国は魔王軍の侵攻により、滅ぼされた。かつてのグレックスラッド王国の友好国だった。


 ああ、そういえば私たちと同年代くらいの王子と姫がいたような……。


「イーはファーリーアスターの王女様なのですか?」

「………うん、そうだよ」


 私はしゃがみ込むと、イシスをぎゅっと抱きしめた。思っている以上に小さな体だった。


「!! エレシュキガ、ル、何をしてる、の………?」

「ハグです」

「………………なんで?」

「これまでイーが頑張ってきたからです」


 お兄さんがいたとはいえ、辛かっただろう。早くに親を亡くし、国を失くし、毎日追われたことだろう。生きるので精一杯だっただろう。


「よくぞここまで頑張られました、イシス王女殿下」

「………国、亡くなった。私、もう王女じゃない」

「なら、イシス。よくぞ生きておられました。これまで辛かったでしょう。それでも、あなたが生きていて本当によかった………」

「…………」


 私はイシスを離すと、優しく頭を撫でた。イーはプイッと顔をそむける。そして目を袖で拭いた。彼女から鼻をすする音が聞こえた。


「先に謝っておくね、エレシュキガル」

「?」

「本当にごめんね」


 なぜ謝るのだろう………………?

 もしかして、素性を明かさなかったからだろうか。それとも………。


「イー、これから何をするのですか?」

「………」


 彼女は無言のまま。

 静かな廊下に2つの足音が響く。


 そうして、長い長い廊下を進んだ先。そこには大きな洞くつが広がっていた。廊下はどちらかというと扱ったのだが、そこの空気はひんやりとしていた。空を見上げれば、満天の星が広がっている………ここは地下ではないのだろうか。


「星のように見えるでしょう? でも、あれは鉱石なんですよ」


 パッと振り向くと、いたのは1人の男性。私よりも30歳上のダンディで、私が珍しく名前を覚えている人だった。


「バイエル伯爵?」


 名前を呼ぶと、彼はニコッと爽やかに笑っていた。


「お久しぶりです、エレシュキガル嬢」





 ――――――


 いつかのあとがきで、「第2章ぐらいで終わるかも~」なんて適当なこと言ってましたが、終わりません。第3章までは少なくとも続きます。全然イチャイチャが書けていないので、イチャイチャを早く書きたいです。(私情ですみません…)第2章の終わりか第3章の始めあたりで書きたい………。


 今後ともよろしくお願いいたします!(`・ω・´)


 1月28日追記:今日の更新は延期します。すみません。来週よろしくお願いいたします。

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