第95話 朝焼け。

 そんなことをされてもまた花田菜月のそばにくっつくなんて、尚くんは一体何がしたいの? あの人が危険なのは私の口で言わなくても分かるはずなのに…。まさか、本当に花田菜月が抱えているその何かを解決してあげたいってこと? そんなことをするのはダメだよ。私が止める。また人を失うのは嫌だから…。


 帰り道、私はお母さんがいても解決できない状況だと確信した。

 すでに心の扉を閉じて、何を言っても聞こうとしない花田菜月…。こうなったら、二人の仲を引き裂くしかないよね…。私が何もできない人だと、勘違いしないでほしい花田菜月。そんな不潔なことを、もう見ていられない…。


「葵ちゃん…? 何考えてる?」

「あ、先輩。ごめんなさい。あんなところに連れて行っちゃって…」

「大丈夫。でも、尚はどうしてそこに残るんだろう…? 俺には理解できない」

「今までずっと二人っきりだったから、何かあったかもしれません」

「……葵ちゃんはどうする?」

「最後には…、警察を呼ぶしかないですよね?」

「うん…」


 後ろからこっそり私を抱きしめる楓先輩と、朝焼けの空を眺めていた。


「俺は…、葵ちゃんが危ない場所に行かない方がいいと思う」

「あの人のことだから…。先輩には気にしなくてもいい友達関係かもしれません…。でも、私には家族だった人だから…止めなければならない状況です」

「尚は俺にも大切な友達だから…、ただ…危ないと思って」

「すみません…」


 今の花田菜月はどう…? 動揺している? あるいは以前と同じ…?

 お母さんの声や顔を見ると、あの人も動揺すると思っていたのに…。やはり、冷血なのはお父さんと同じだよね。花田菜月。


 それより、楓先輩もできなかったんだ。

 先に試してみてよかった。やはり先輩は役に立つ人だよ…。


「全部終わったら、また普通に戻れるよね?」

「……」


 普通…ですか。

 そう言えば、私はいつからその単語をうっかりしたっけ…? 普通って…、もう何が普通なのか分からない。私がやりたいことが普通なのか? あるいは人々が正しいと思ってるのが普通なのか…? いつの間にか、その意味すら忘れてしまった。


「先輩…、私は…」

「うん?」

「いいえ。なんでもないです」

「どうした? 葵ちゃん…」

「いいえ…」


 今は花田菜月に集中しよう…。

 尚くんを助けるのが優先だから、余計なことは考えないようにした。


 ……


 家に帰ってきてから、ポケットの中に入れておいたカメラを取り出す。

 私はお母さんと話している時の二人をこっそり撮っていた…。そして、あの先輩が私に言ってくれたことも全部証拠として持っている。今から私がやるべきことは花田菜月を尚くんから隔離すること。全ての証拠を持って、あんたを捕まえる…。


「……やはり」


 動画で見た尚くんの体には花田菜月に噛まれた痕が鮮明に、そしてたくさん残っていた。最初は私と同じ苦痛を感じさせるつもりだったけど、今はそれがだんだん怒りに変わっていくような気がする。今のお母さんに何も感じない花田菜月は、それでもお母さんの娘って言えるの…?


 そのまま地獄に落ちて…。


「花田菜月…。私にはまだ分からない、分からない。何も言ってくれないあんたのことを…、もう知りたくない。だから、尚くんを解放して…」


 もうあんたのこと理解したくないから…。

 お母さんのスマホで再び電話をかけた。


「……」

「……白川さん、もう電話をかけないでください」

「ねえ…、お姉ちゃん…」

「……なぜ、葵ちゃんが出るの?」

「私は…、ずっとあんたのことが嫌いだった。知ってる?」

「そう? それがどうしたの?」

「これが最後だよ。尚くんを解放しないと…、警察を呼ぶ。先輩を…解放して…」

「人の彼氏をそんな風に呼ばないで…。そして葵ちゃんとは関係ないでしょ?」

「うん。それが答えなら、分かった」


 それ以上話す価値もないから、すぐ電話を切ってしまった。


「葵ちゃん…? 菜月ちゃんと電話したの?」

「うん…」

「何か話した?」

「何も…、何も…」


 私は花田菜月の歪んだ愛と、その過酷な愛情表現を知っている。

 だからお母さんと話した時、そうなった理由を少しは理解しようとした…。でも、誰のためにそんなことをする…? 先輩の首に残っているその痕、そして上半身にもいっぱい残したよね…? あんたが拷問した時の痕が…、いっぱい…。ずっと消えない痕を…、尚くんの体にいっぱい残したよね…?


 カッターナイフが怖い人に、わざとカッターナイフを使うこととか…。

 あんたはただの犯罪者だよ…。


「……尚くん、そこで待ってて。私が絶対助けてあげるから…」


 そう決めていた。


 ……


 一方、宣戦布告みたいな話を聞いた菜月は心の準備をしていた。

 そして電話を切った後、彼女は尚とやっていたことを続ける。


「尚くん…」

「う、うん…」

「ベタベタする…」

「うん…。もうやめてもいい?」

「私…、尚くんと…結婚したい…」

「……」

「返事…」

「うん…」

「しよう…。結婚…、私たちの家で…」

「うん…」


 力のない声で答える尚と、微笑む顔で彼を見つめる菜月。


 それぞれの時間が流れていた。

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