それは不可能です、ナポレオン 番外編

伍月 鹿

新校舎補習室の赤い男



 二河原高校図書館の中には、空き教室が一つある。

 通称、補習室。

 授業では殆ど使われることのない教室だが、補習試験で使用されることが多いことからそう呼ばれている。

 普段は鍵がかかっているため、出入りをすることはできない。


 というのは、生徒への建前だ。

 確かに、図書館側の入り口は施錠されている。

 しかし、司書室の奥に存在する書庫とも繋がっていて、そちらは鍵かけられていない。理由は不明だが、図書局員ならばいつでも出入り可能なのだ。

 司書教諭の平森は、新校舎の三階部分全ての管理を任されている。

 補習室の鍵も彼が管理しているようで、図書局員といえども使用には彼の許可が必要だ。立場上、忍び込んで好き勝手するのを容認するわけにはいかないのだろう。

 だが、本に埋もれた司書室で出来る活動には限りがある。

 平森の片付けができない性格は一日かそこらで改善するものではない。

 つまり、補習室の使用許可は、案外簡単に降りるのだ。


 今日は、月に一度の読書会だ。

 図書局員が毎月テーマに沿った本を持ち寄り、感想や考察を語り合う会である。

 土曜日の授業がある日に行われる為、普段の平日よりも時間がたっぷりある。皆で弁当を持ち寄って食事をしながらプレゼンをしていく。特別感があって、僕は楽しみにしている活動でもあった。

 読書会は、数年前の先輩が始めた活動らしい。

 図書館の運営には直接関わりのない趣味のような時間で、平森も関与しない生徒だけの交流である。

 ただ、場所を借りると言う名目上、一つの結論は出すことになっている。

 南方が局長になってからは、読書会で選ばれた作品のレビューを書いて、図書局便りに載せるのが恒例であった。

 先に昼食を終えた佐羽が教壇に立ち、出そろったタイトルを黒板に記入している。


「そういえば、うちの学校って七不思議とかあるの?」

 今日のテーマは、『学校の謎』だった。

 ピンポイントな議題に、僕は本を選出するのに苦労した。

 しかし、局員が持ち寄った本は不思議と被らなかった。皆が得意とするジャンルがバラバラで趣味が合わないメンバーだからだろう。

 並ぶタイトルを眺めながら、伊達がふいにいう。

 彼は土曜日でも抜かりのないヘアスタイルに、放課後だからか若干着崩した制服が様になっている。

 手足が長い彼が教室の机に収まっているのは窮屈そうだが、そのアンバランスささえも彼の魅力なのだろう。大人と子供の中間の存在が貴重なのは、図書館に所蔵されている何千もの本でも語られている事実である。

「あるんじゃないの。去年、どっかのクラスが文化祭で展示をやってた気がするよ」

 三鷹が答え、南方も頷いた。

「一つは、図書局掲示板の裏だな」

「裏?」

「あそこにはもともと数学準備室の扉があったのだ。だが、掲示板で塞いでしまったから、そこが七不思議だと紹介されていた」

 図書局掲示板は、新校舎の二階通路に存在する。

 二つの校舎の境目に存在する空間は、他に何もない薄暗い場所である。

「数学準備室って、掲示板の横にも扉があるよね」

「ああ。二つも扉はいらんと、一つ塞いだだけのことだ。そもそも紹介されていた七不思議は殆ど新校舎にまつわるものだったから、信憑性はたかが知れている」

 妙なところでリアリストの南方は、ばっさりとした評価を下す。


 二河原高校の校舎は、増築をしたことで複雑な作りと化している。

 旧校舎の東側新校舎がその骨頂だ。

 何故か連絡通路が二階にしか存在しない為、ちょっとした迷路になっている。言葉だけでは説明しにくい新校舎は、僕も全てを把握しているわけではない。

 新校舎は図書館を最上階にして、複数の特別教室が存在する。

 二階には理科室と自習室、そして掲示板の横にある数学教師の準備室がある。その他にもいくつかの教科のための準備室があって、担任を持たない教師は職員室よりもそこに詰めていることが多い。

 二階奥の理科室と理科準備室は、理科部の縄張りだ。僕はまだ授業以外で近寄ったことはない。

 図書館に通じる階段を下に降りていけば、新校舎の一階に辿り着く。

 そこには茶室などの和室が複数あって、授業で訪れる機会は皆無だ。茶道部は女子生徒が強い部活のため、なんとなく男子禁制の空気があるのも近寄りがたい理由の一つである。

 演劇部の部室もそこに存在するらしいが、どんな造りになっているのは不明。

 聞く話によれば一階には用務員室や警備室もあって、用もないのに彷徨いていればすぐに声をかけられるらしい。一階の玄関も外部講師や警備の出入り口のため、生徒は普段使用できない。

 つまり、よっぽどの冒険心がない限り、三年間足を踏み入れない空間である。

 新校舎は生徒にとって、用がなければ寄りつかない空間ということだ。故に図書館の認知度も低い。


 以上の理由から、新校舎の存在は、七不思議を作るには丁度良い環境だということなのだろう。

 どのくらい前にできたのはか知らないが、建築の際の事故がどう、という話は一年の僕でも耳に入ってくる。


 泣き柳ののろい、閉じ込められたまま忘れられた生徒の怨念、四階で止まるエレベーター、地下の白骨死体、道場の屋根裏に眠る人形。

 局員の記憶を合わせてあげられた七不思議は、どれもベタなタイトルで恐怖心を煽りやすい。

 七つ目は語らない方がいいという流儀に乗っ取って局員は口を噤んだが、恐らく誰も覚えていなかっただけだろう。



「そういえば、あれは? 南方が言っていた『赤い男』」

 話が終わりかけた頃、馬場がふいに南方に匙を向けた。

 局長は、先程オカルトを否定したばかりではないか。そう思ったが、僕も彼につられる形で振り返る。

 皆の視線を自然と集めた南方は、馬場の言葉に表情を曇らせていた。

 苦虫を噛んだ、と称するに値する口元はもごもごと何かを言ったあと、諦めたように舌打ちをする。

「あれは……まあ、信憑性がある噂が一つくらいはあると言ってもいいだろう」

「え、どういうことですか」

「私も知らない。南方くん、どういうこと」

 佐羽の追随に、南方の表情はますます曇る。

「むう……。悪魔め」

「本当に会ったってしつこかったのは南方だ」

 今日も簡易食品に棒つき飴といった、男子高校生が食事とするには貧相すぎる食事を済ませた馬場は、平気な顔で新しい飴を取り出している。

 極彩色の飴を咥えた彼は、あくまでも涼しげな表情だ。南方の罵倒もさもありなん、である。

「本当に会ったって、南方くんが? 七不思議を体験したってこと?」

 馬場が知っていて、佐羽が知らない出来事というのが気にくわなかったのだろう。珍しい佐羽の追求に根負けした南方は、飲み終えたジュースのパックを潰しながら、唯一彼が認める怪談話を語ることになった。



 なんでもいま読書会をしている補習室で、実際に南方が体験した出来事らしい。


「あの日私は、遅くまで文化祭の準備に追われていた。去年の夏、つまり我々二年がまだ右も左もわからぬ新米局員で、先輩方の指示にただ従っていた頃の出来事である」

 うんうん、と三鷹や伊達が頷く。

 彼等の脳裏には、僕が知らない先輩の姿が思い起こされているのかもしれない。

「私はここで永遠に終わらないように思えた小冊子作りに追われていた。ホチキスが壊れ、作業が一人でしかできなくなったことで、図書局内の雰囲気はあまり宜しいものではなかった。遅れを取り返すべく作業をしていた私の為に、平森先生が残ってくださっていた」

 いまは書類作業をしている司書教諭は、閉館した図書館中にコーヒーの香りを充満させていることだろう。

 二河原高校にとって土曜日は、部活動が尤もしやすい日である。

 図書局が遅くまで残るのは読書会やイベントの準備がある時くらいだが、今日もあちこちの教室から活発な声が聞こえてくる。

 その数だけ、教師達も貴重な半ドンを潰して生徒につきあっているのだ。

 普段は意識しないありがたみをふいに感じながら、話の続きに耳を傾ける。

「夕日が沈みかけた頃、ふいに視線を感じて振り向いた。丁度いま、トマが座っている席くらいの位置から、図書館の方へ」

「そのとき、局員は他にいたの?」

「いや、私一人だった。他の局員は諦めて帰ってしまったか、クラスの仕事があるといって退室していたからな。アントワーヌ先輩、あなたもいなかった」

 安藤の絶妙な合いの手に答えた南方は、ふと馬場を振り返った。

 首を傾げた彼に向かって、局長はまた苦々しい顔を見せる。

「私は、買い出しに出かけたっきり戻ってこないジャンが戻ってきたのだと思ったのだ。私は空腹で、なのに自身の仕事にも責任を持てない大勢の局員に苛立っていた。それを察して逃げたこの男は、そのまま帰ったのではないかとも思った」

「……その話、何回するの」

 話を蒸し返した張本人が責められる形となって、流石の仏頂面も崩れる。

 伊達が面白がって囃し立てると、その日その場にいなかったらしい彼にも矛先が向かった。しゅんとした伊達男に黄色い声をあげる女子生徒はこの場にいない。

「思い出した。俺と馬場で外のコンビニ行ったら理科部に捕まって、実験に付き合わされた日か」

 喧嘩をする二人の横で、記憶を探っていた三鷹が声をあげた。

 理科部と図書局は同じ文化部として良好な関係にあったが、時折、変な頼み事をされるときがあるという。

 僕はまだそちらに知り合いがいない。実験の内容は後で聞くことにする。

 彼らの帰宅が遅くなったのはその為らしい。言い訳を聞き流す南方は、大人げなくへそを曲げたままで、佐羽だけが相変わらず「知らない」と唇を尖らせる。僕にはフォローの仕様もないので黙っておく。


 馬場も記憶が揃っているのを確認してから、南方は話を戻した。

「夕日が差し込む補習室は逆光で、補習室の扉は室内を反射していた。その日、鍵は内側から開けていた。私はなかなか入ってこないことが気になって、扉の前に佇む男に目をこらした」

 補習室の使い方を知っている図書局員なら、躊躇わずに扉を開くだろう。

 補習室は、図書館の入口と同じ扉が使われている。ガラスで向こうが透けて見え、両開きの扉は押しても引いても道を開ける。

 頭の中の南方が、怪訝な顔で扉を見る。

 次の瞬間、彼の表情が恐怖で強張った。


「赤い男だった」

「赤い男?」

「真っ赤な顔の男がこちらを睨んでいた」

 重々しく告げた南方は、当時を思い出したように両手で頭を抱えた。

 驚いた当時の南方も、同様に男から視線を外した。次に顔をあげたときには、もう男の姿は消えていたらしい。

「それが、七不思議のひとつとされる『補習室の赤い男』だと教わったのは、後日、体験した出来事を先輩に語った時だ。当時の局長も遭遇したことがあり、代々図書局長になる人間の前にしか姿を現さない存在と言われていることを私は知った」

 歴代の局長に脈々と受け継がれているオカルト。

 男に出会った生徒は後に局長となって、図書局を率いることになる。そんな暗示として語り継がれているらしい伝説。南方はいまの自身が証拠だと両手を広げて見せた。

 随分と局地的な怪談話だが、学校にまつわるものはどれもそんなものだろう。

「話として聞くと、ぱっとしないな」

 三鷹が漏らし、僕も思わず同意する。

 偶然居合わせた南方にとっては恐怖だったかもしれないが、睨む以外に行動をしない幽霊は印象に残らない。

「代々局長になる人間の前に現れるってことは、前さんも見たことあるんですか?」

 伊達が尋ねるのはこの場で唯一の三年だ。

 局長の経験もあるという彼は、穏やかに首を横に振る。

「ううん。僕は初耳だなあ」

「じゃあ嘘だな。それか、見間違い」

 安藤の返事にあっさりと結論をつけ、佐羽も今回限りは南方の味方をしなかった。彼女は南方信者の前に、安藤の友人だからだろう。

 顔を赤くした南方が、ムキになって否定する。

 彼の記憶力の良さは勿論皆が知っていたが、実際に見た人間が一人しかいないオカルトは信じる方が難しい。

 文化祭の準備疲れである可能性も高い。

 何度も同じ話を聞かされているらしい馬場もそう言って、逸れた話題を元に戻した。



 その後、読書会はつつがなく行われた。

 南方は機嫌を損ねていたが、いつまでもズルズルと引きずる性質ではない。彼の切り替えの早さは同世代の身として素直に尊敬できた。

 途中、平森が補習室の扉を叩いたときは皆で少し飛び上がった。

 少し図書館を開けるという司書教諭を見送ったときは、和解の空気が流れているのが二河原高校図書局である。


 図書局便りに掲載する作品とレビューの方向性が決まったところで、下校時間になった。

 平森はまだ戻っていないが、図書局は解散となる。

 三鷹と伊達はすぐに帰り、平森を待つ南方に付き添って佐羽も動かない。

 馬場と安藤は書庫で何やら談笑していて、最後に残された僕が補習室の施錠をして電気を消した。


 夕日が差し込み始めている教室は、暑いくらいだった。

 窓も全て締め切った教室には細かい塵が舞い、紙が多く存在する場所特有の匂いが充満している。二河原では清掃は専門の人間が行うが、空き教室まで毎日磨きあげるわけではない。

 僕はなんとなく、教室の真ん中に立った。

 先ほどの南方の話を思い出しながら、ゆっくりと扉を振り返る。


 その時、視界に何かが入り込んだ。

 


「おや、日中先生じゃないですか。いかがしましたかな」

 扉で繋がっている司書室から、南方の大声が聞こえた。

 いつの間にか図書館の入口に立っていた男が、生徒に向かって会釈をする。

 作業着姿の男性は、僕も見かけたことがある。

 教師にしては年配で、いつも片手に何かしらの道具を抱えて動き回っている人である。

「すいません、平森先生が戻られなくて。……そうですか。では僕たちは下校します」

 彼と会話をしているらしい南方が、行儀よく受け答えをしている。次の瞬間には残っている局員は収集され、皆で図書館を後にすることになった。

 司書室側から回って外に出る。

 入口では先ほどの男性が待機していて、僕たちの為に扉を支えてくれていた。


「あの方は……」

「用務員の日中さん。掃除するから、鍵閉めておいてくれるって」

 答えてくれた馬場は、相変わらず表情が読めない。

 普段は思ったことを口にする素直な人だが、肝心な時には敏いところもある。僕も彼に習って口を噤み、親し気に挨拶をする南方を踊り場で待つ。


 最後に図書館を後にした南方は、すっかり機嫌を損ねたことも忘れていた。

 満面の笑みで合流した彼は今日も無茶な提案をして、冷静な副局長に「不可能だ」と切り捨てられる。



 何気なく振り返った扉を、日中が閉じる。

 ガラス越しでもわかる赤く日焼けした顔が、音もなく僕の視界から消えた。




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