空染工房へ、ようこそ

奈月遥

名付けて朝顔、素敵でしょ

 霊元道れいげんどう嶺州れいしゅう字柢国あざねのくにとは東から競り上がる山嶺が平らに広がり、都へと続いていく土地だ。その多くを治めるのは彩空藩あやぞらはんと言い、三繫みつなぎを統べるすめらぎとの縁も深く豊かで栄えている。

 その彩空藩の高原の片隅にぽつんと一つの工房がある。設えは実直に飾り気が無いながらも大工であれば目を見張る材と技巧を誇る、そんな小さくも威厳のある工房だ。

 それは建物の造りだけでなく、その工房で働く職人の腕、そして工房で扱われる伝統工芸の位がそもそも高い。

 その工房を纏め上げる帛屋きぬや紡衣ほうえ彩光あやみつは、腕を動かし足を運び勤めを真面目に進める職人達の合間を縫って、人を探していた。

 しかし、とんと見つからない相手に業を煮やして近場の職人を一人捕まえた。

「おい、弥次郎やじろう、バカ娘見なかったか?」

「みつきですか? 今朝方、火鉢一つ抱えてましたから、何処ぞで調合でもしてると思いますが」

「調合だぁ? 俺ぁ聞いてねぇぞ。誰か見てやってんのか?」

 彩光が見るからに機嫌悪くなったのに対して、弟子の筆頭である弥次郎彩雲あやくもは肩を竦めてぐるりと周囲を見回した。

「見て分かる通り、帛屋一門の十一人、みつきを抜かして全員そこらにいますね」

 彩雲の人を食った物言いに、彩光は苛立たしげに舌打ちをした。数が多くない一門の一人一人をこの人の好い親方はしっかりと覚えているし、その全員が手筈通りの仕事に勤しんでいるのも、みつきを探す傍らで確認もしている。

 それで誰の手伝いもあの小娘がしていないからこそ、彩雲に居場所を尋ねたのだ。

 それくらいのことは目の前の一番弟子だって良く分かっている癖に、態々見て分かる事実ばかり言ってくる。

「一人ってこたぁ、裏手だな。おい、弥次郎、手ぇ止めても埋め合わせ出来そうな奴を誰かしらあんガキャに付けろっていつも言ってんだろ」

「親方、こっちも毎度同じこと言ってますが、みつきはもう空染玉そらぞめだまを自分一人で仕立てられるんですよ。ここに来てまだ半年足らずで、三年修行してる小三郎こさぶろうより腕が立つんだ。四六時中のお守りはいらないですって」

「るせぇ。腕が立とうか頭回ろうが、ガキはガキだ、子守りを付けろ」

 彩光は自分の言い分だけ吐き捨てて、続く彩雲のお小言には耳を貸さずに工房の裏に回る。

 前は工房の際に迫る草しか刈っていないで荒れ放題だった景色だが、ここ三ヶ月程はみつきが草刈りをして自分の練習場にしている。女一人でちまちま草を抜いているのを見かねて、手の空いた男連中も精を出しており、今や染料の畑までちょこんとあるくらいだ。もっとも秋も半ばを過ぎて芋の蔓以外は寂れているが。

 そんな土曝つちざらしの畑の向こう、雑木林の手前に彩光が探す少女は火鉢を覗き込み、ぐりぐりと樫の擂粉木すりこぎで中身を潰している。

 火鉢の内を覗く表情は真剣そのもので、裏に足を踏み入れた彩光の物音にも気付かない程に集中している。

 そして少女の肩には人の形をした小さな言霊が一つ座り込んでいて、一緒になってみつきの手付きを見詰めている。

「おい」

 彩光が声を上げると、みつきと言霊は一緒になって顔を上げてきょとんと瞬きをして、それからすぐににんまりと笑った。

「あ、親方いいところに! 見ててくださいね!」

 彩光の声はそれなりに怒りが混じっていたのに、そんなの全く気付いていない無邪気な声と顔でみつきは小さな掌に薄い和紙を乗せ、火鉢の中身を塗り付ける。

 そこにさらに別の何かを木べらで足元に置いていた皿から掬って加えて、和紙を畳みぐりっと端を捩じって封じた。

 みつきは鼻歌混じりに立ち上がり、彩光の前にちょこちょこと寄って来た。

 彩光が見下す前でみつきは薬剤を詰めた和紙を自分の顔の前に持ってくる。肩に乗った言霊もわくわくと好奇心に満ちた顔で観察している。

 みつきは和紙を持っているのとは逆の右手だけで器用に火紐ほひもを擦って火種を灯す。

 その小さな火で和紙の端を炙ればすぐに炎が移り、みつきが手を放すと熱で勝手に和紙は浮かんでいく。

 そしてそのまま薬剤と一緒に燃えて煙となって、彩光とみつき、二人の視界の中でしばし揺らぐ。

 白い煙が空気の中に溶けて消えたら、それは起こった。

 渦を巻くように、淡い赤と薄い青が空気を染めて浮かび上がる。その模様は蔓を巻いて伸ばす朝顔の形に似ていた。

 朝顔の花のようにくるり、くるりと赤と青は二つ、四つと花開き、そしてその一つずつがぶつかった。

 ぶつかり合った赤と青はお互いに形を歪めて崩れ散り、響乃ゆらのと渦を巻いて細く捻じれて、そしてふと気づいたように解け合って紫の色へと変わる。

 その紫もまた思い出したようにくるりと蕾を回して、一輪の朝顔の花を開いた。

 そこで薬剤は切れて、赤も青も混じった紫も泡沫のように弾けて消えて、彩光とみつきの二人の間にある空気は色のない透明の在り方を取り戻した。

「どうです! 名付けて朝顔、素敵でしょ!」

 自信満々、喜色満面に言霊と一緒になって眩しい笑顔を師匠に向けて、みつきはもうこれは褒めてもらえて当たり前だとばかりに彩光に詰め寄った。

「ああ、てぇしたもんだ」

「ですよねー! やったー!」

 率直に彩光が賞賛すれば、みつきはそれはもう嬉しくて諸手を上げて歓声を上げる。

 彩光の声が這うように低く津波の前の沖に似て嫌な静けさであったのにも気を留めないで。

 彩光は庇う為の両手が無防備に空へと掲げられたみつきのこめかみを、そっと両手の拳骨、その少し持ち上げた中指で挟み込んだ。

「はや?」

 あれ、おかしいなと、みつきが考えるより先の反射で気の抜けた未声みこえを漏らした直後に。

 彩光は両手でぐりぐりとみつきのこめかみを抉って折檻をする。

「こんのバカ娘が! 何を一人で新しい調合やってやがる! 記録を取らねぇと再現が手間だろが、このダボが!」

「ぎゃあああああ! いたいいたいいたいーーー!」

 工房の裏手からいつもの怒声と悲鳴が響いてきて、職人達は苦笑いしながらそろそろ休憩を取るかと手を止めて片付けを始めた。

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