第23話 サロンの一幕と竜の純白装束

いかに国が発展しようとも男が希少であることは変わりなく、その安全を守るためとはいえ生活に制限がかかってしまうのは仕方がないことだ。

そんな彼らの社交の場として設けられたものの一つ。

入場できるのは男性のみであり、いかに尊い血筋であろうとも関係なく男以外は門前払いをされる女子禁制の男性限定の社交場のサロンである。


サロンは入り口の警備を除いて全てが男性だけの空間であり、それはサロンを運営するスタッフも含まれる。

スタッフの数は当然ながら少ないため、バーテンダーと給仕の仕事を可能な限り減らせるように飲食物の調理や配膳は自分たちで行うことが推奨されるのが通例だ。

一見すると大人の社交場のように見えるが、その多くはビジネス抜きの気楽な会合であるからか成人前の男子が入会することも珍しくはない。

サロン内に用意されたダーツやビリヤードや持ち込んだカードゲームに興じる子供の姿も多く、ラインバッハ家のヘンリー少年もそんな同年代に混じって卓を囲んでカードゲームに興じていた。


「喰らえヘンリー! 魔王軍催眠目玉でダイレクトアタックだ!」

「残念だったなぁ! 罠カードオープン! 強制催眠解除!」

「なんだって!? …ちょっとテキスト見せて」

「いいよ」

「あー、これって対象を取る効果だから、この目玉はカード効果の対象にならないから通じないよ」

「分かりにくいから表現を統一してくれないかな…」

「勘違いしちゃうよね」

「ねー」

「あと隠された効果は本当にやめて欲しい」

「ごめんね」


成人前の子供が集まっているだけあって少し騒がしくもあったが、その程度は珍しいことではなく、彼ら以上に騒がしい集まりもあって目くじらを立てるほどではなかった。

消音系の魔道具も設置されている為、他所の会話は耳を澄まさなければ聞き取ることはできない。

余計なトラブルを避ける措置が十分に機能しているのがサロンであるが、トラブルの方から寄ってくる場合はその限りではない。


「あぁ~? 誰かと思ったらラインバッハ家のお坊ちゃんじゃねえかよ」


ボトルを片手に近づいてくるのは一人の竜人族の男だ。

既に成人しているだろう男は上等な服に身を包み、赤らんだ顔を隠しもせずににやにやとした笑いを張り付けていた。

カードに興じていた友人たちはトラブルの臭いを察知したのか、早々にカードを片付け始めた。

男とは言え竜人族とのトラブルは避けるに限る。

そんな委縮する友人たちを庇うようにヘンリーは男の前に立った。


「誰?」

「ほら、シュタイエル家の…」

「名高いラインバッハ家のご令息には木っ端名家の男は記憶にないってかあ?」

「お会いするのは初めてになりますね、シュタイエル様。ヘンリー・ラインバッハと申します。

 私に何か御用がありましたでしょうか」

「ごようがありましたでしょうか~?」


何が楽しいのかゲラゲラと笑う酔っぱらいの視線はヘンリーから離れない。

友人たちはヘンリーのカードも回収し、男に見えない位置からヘンリーの背中を軽く叩く。

これでいつでも逃げられる。

ヘンリーは適当なタイミングで男を撒くことに決めた。


「あの鱗余りに言い寄られてるっていう哀れなガキの顔を見たくてよぉ」

「あ?」

「鱗余りだよ、う・ろ・こ・あ・ま・り。

 角を折られて竜人族の男に相手されねえからって、ガキ相手にみっともねえよな。

 情けなさ過ぎてエスターライヒの名が泣くぜ」

「取り消せ」


友人たちを追いかけようとした足が止まる。

ヘンリーは秒で逃げることを辞めた。

一回り大きい男を前に、睨め上げながらの仁王立ちである。


「なんつった?」

「取り消せって言ったんだよ」

「喧嘩売ってんのか? 俺はシュタイエル家だ。そんなにウチとやり合いたいってのか?」

「関係あるかよ。三回目だ、取り消せ」

「…あー」


ガシガシと男は頭を乱暴に掻きむしった。

アルコールで緩んでいた頭を回して考える。

気弱そうなガキでちょっと遊ぶ程度のつもりだったが、この対応は予想外だったからだ。

普人族とはいえ、武闘派のラインバッハ家の血を引いているのを忘れていた。

竜人族に喧嘩を売る奴なんて居ないと高を括っていたのだ。

ひょろいのは外見だけで中身は狂犬の様なガキだ。

尋常ではない喧嘩っ早さだった。

ようやく回り始めた頭で冷静に考えても、こんなことでラインバッハ家と事を構えるのは拙い。

なにせリターンというものが何一つない。

竜人族と普人族では性能差が大きすぎて喧嘩にすらならないのだから、どちらに非を問われるかは明らかだった。

だが、いくら音が聞こえにくいとはいえ既に騒ぎは周囲の目を引いていた。

この衆人環視の中で下手に出て謝るのは情けなく見えるだろう。

年下の普人族に頭を下げるのは御免だった。

男は適当に煙を撒いて引くことを決めた。


「…おいおい、今のはただの軽口だろう、本気にするなよお坊ちゃん」

「女の陰に隠れないと喧嘩の一つもできないのか?」

「てめえ、あんまり調子に乗るなよ。俺が本気になったらな」

「なら理由を作ってやるよ」


ヘンリーは卓上のグラスを手に取ると、中身を男に向かってぶちまけた。

避ける間もなくドリンクを被った男の服に葡萄の香りが染みを作る。

ここまでされた以上は男はもう引くことはできない。


「かかって来いよ腰抜け」

「クソガキが」


男は一回り以上年下の少年を大人げなく10秒ほどでボコって気絶させた。

 


◆―〇―◆



「これは僕の喧嘩だから」

「お前が怪我をさせられたのに黙っていられる訳がないだろう」

「家の力でどうこうしたくない」

「駄目だ」

「嫌だ」

「ヘンリー」

「嫌だ」


ラインバッハ家ではヘンリーが家族と睨み合っていた。

ヘンリーの怪我はあの後即座に治癒魔術で治療され完治しているものの、彼がシュタイエル家に怪我をさせられたという一報はラインバッハ家を闘争に駆り立てるには十分すぎる理由だった。

母のクラウディアを初め、姉のシルヴィアとミレーヌや食客のタチアナにマリナ、守衛のアヤメたちはもちろんメイド達までもが完全武装で門前に集合していた。

シュタイエル家に突入して血祭りにあげる突撃班とラインバッハ家に残ってヘンリーを守る防衛班に分かれて簡易ミーティングもとうに済ませている。

彼女たちがまだシュタイエル家になだれ込んでいないのは、偏にヘンリーが門を背にして立ちふさがる様に相対しているからだった。


ヘンリーの頑固さは筋金入りだ。

こうなったら意識がある限りこのままだろう。

怪我をさせずに気絶させる手段はいくらでもあったが、誰もそうはしなかった。

口論自体は相手が先であったが、ダメ押しにグラスをぶちまけたのはヘンリーであり、対外的には非の天秤は釣り合っているように見えなくもない。

ラインバッハ家としては面子を守るという理由はあるものの、この殴り込みの大部分はヘンリーを傷つけられたからである。

「面子とか醜聞とかどうでも良いからさっさと殴りに行こうぜ」というのが彼女たちの総意であったが、ヘンリーをケガさせた相手に殴り込む為にヘンリーの意志を無視して押し通るのは本末転倒であったし、何よりもヘンリーに嫌われたくなかった。


そういう経緯もあって貧乏くじを引いたクラウディアがヘンリーと押し問答をしているのだった。

我が息子ながら肝が据わってて素敵だわー、嫌われたくないしゴミどもには別口で難癖付けることにして今日は解散しようかなー、なんてクラウディアが考えていると、シュタイエル家が逃げないように監視させていた配下の一人が息を切らせて報告に戻ってくる所だった。

成人前の一人の男児と完全武装の女衆が門前で睨み合う異様な光景に一瞬息を飲みつつも、職務に忠実な彼女は気を取り直して声を張り上げた。


「報告があります!」

「ヒルデガルド・エスターライヒ様が、シュタイエル家を襲撃いたしました!」

「申し訳ありません、先を越されました!」

 


◆―〇―◆



「シュタイエル家のクソがヘンリーを怪我させただと?」

「はい、お嬢様」

「怪我の具合は?」

「その場で治療されたそうで、今は完治していると」

「そうか…、ならばあのクズ共を…いやしかし、…ローザ、ラインバッハ家は?」

「動きはありません」

「そうか」


ヘンリーの一報をローザから聞いたヒルデガルドは即座に立ち上がり、しかし暫らく逡巡して再度椅子に座り直した。

あのラインバッハ家がヘンリーを傷つけられて動かない筈がないのだ。

怒れる彼女たちを止められるのは怪我をしたヘンリー本人くらいだ。

つまりヘンリーが復讐を望んでいないということになる。

それを気に入らないからと自分がシュタイエル家を殴りつけるのは筋違いというものだった。

シュタイエル家への怒りを抑えるように深く息を吐くヒルデガルドの前で、一人のメイドが走り寄りローザに耳打ちするところだった。


「……それは事実ですか?」

「同サロンでその場にいた方から確認を取りました。

 裏取り済みです」

「よくやりました。下がりなさい。…お嬢様、追加の報告があります」

「なんだローザ、今の私は機嫌が悪いぞ」

「御聞き下さいお嬢様。騒動の発端はヘンリー様の前でシュタイエル家のクズがお嬢様を侮辱したからです」

「…続けろ」

「あの恥知らず共はお嬢様を角を折られた鱗余りと罵り、それを聞いたヘンリー様がその発言の撤回を求めたとのことです」

「そうか」


そうか。

ヒルデガルドは静かに思う。

ヘンリーが多少煽られた程度で自分から喧嘩を売るはずがないのだ。

膨れ上がる憤怒とは別に、不思議と嬉しさが込みあげてきた。

私の為にヘンリーは怒ってくれたのだ。

私の為に勝てない相手に戦いを挑んだのだ。

私の為に怪我をしたのだ。

私の為に。

なんて甘美な響きだろうか。

ならばもう筋違いなどとは誰にも云わせない。

つまりはそう、


「ローザ、戦装束の準備をしろ」

「どの色になさいますか?」

「決まっているだろう。白だ」


これは私の戦争だ。



◆―〇―◆



シュタイエル家当主であるバーバラ・シュタイエルは矢継ぎ早に配下に指示を出していた。

バリケードの構築、魔術式の装填、慌ただしく走り回る配下に混じって当主自ら籠城の用意を急ぐ。

なにせ向こうからの挑発されたとはいえ、ラインバッハ家の嫡男を傷つけたのだ。

血気盛んな武闘派で知られる連中だ。

燃え盛る火にガソリンを放り込んだようなものであり、どこまで燃えるのか予想もつかなかった。

名家の一員として私兵の類は当然備えているものの、既に館の周囲はラインバッハ家の手の者による監視網が敷かれていることは分かっている。

彼女にできることは、やらかした自らの夫を自室の奥に隠し、そう遠くない未来に襲ってくるだろう化け物共にせめてもの意地を見せることだけだった。

戦力差を自覚する彼女たちだったが、まだ希望の目は残っていた。

ラインバッハ家は未だに監視だけにとどまっている。

バーバラの知るラインバッハ家なら今頃は既に攻め込んで来ている筈なのだ。

襲ってこない以上は何かが起きているのは間違いない。

もしかしたならば、シュタイエル家よりも優先する何某かが出来たのかもしれない。

もしかしたならば、謝罪といくらかの賠償で何とかなるかもしれない。

もしかしたならば、何もかもが、うまく――


そんな淡い希望を砕くように轟音と共にバリケードで補強した門が吹き飛んだ。

空高く舞い上がる数秒前は門だった瓦礫が音を立てて、手入れの行き届いていた庭に突き刺さる。

だがそのようなものは些事だ。

バーバラの指示に即応した配下が果敢にも土埃の向こうに雪崩込み、次の瞬間には全員殴り飛ばされて宙に舞った。

舞い上がる土埃を肩で斬って現れた人影は一人。

その姿を見て、バーバラの目がいくつもの驚愕で見開かれた。


「エスターライヒの…、それは一体何のつもりだ!」


一つ目の驚愕はラインバッハ家ではなかったこと。

二つ目の驚愕はこの蛮行を行ったのが騒動の発端である鱗余りの小娘であったこと。

そして三つ目の驚愕はその身を包む装束が純白であったことだ。


純白の戦装束は鬼人族の白無垢にも似て、しかしその意味はまったくの真逆。

穢れなき白は相手の返り血を映えさせるため。

それは貴様らの返り血で赤く染めるという無言の主張であり、敵対者の投降を許さぬ不退転の証。

流れた血潮によって完成する深紅の純白装束だ。

それに身を包んだヒルデガルド・エスターライヒは口を開く。

やけに良く響く、酷く静かな声だった。


「先日のサロンでの一件は知っているな?」

「あ、あれはラインバッハ家との問題だ! 貴様には関係がないだろう!」


バーバラは慌てて口を開いて返答する。

目の前の小娘に気圧されたと思われたくはなかった。

ヒルデガルドはバーバラを静かに見つめている。

それに急かされるようにバーバラは声を張り上げた。


「それに夫は一度折れたはずだ! それでも喧嘩を売ってきたのは向こうの方だろうが!」

「弱っちい普人族の男が調子に乗るからああなるんだ!」


取ってつけたような安易な挑発を受けてもヒルデガルドは口を開かない。

まるで時間と共に膨れ上がる爆弾を見ているようだった。

問答をしているようで問答になっていない。

ラインバッハ家の男児を馬鹿にしても反応がない。

焦燥感に駆られたバーバラはもう恥を覚悟で形振り構わず下手に出ることを決めた。


「さ、サロンで夫が鱗余りと言ったことなら、後程正式な謝罪をする準備が…」

「それは別に良い」


返ってきたのは酷く短い拒絶の言葉。

聞くことは終わったとでも言うように、ヒルデガルドは手袋を外した。

配下の兵どもを殴り飛ばした際の返り血で汚れた手袋だ。

ヒルデガルドは手に持ったそれを一瞥するとバーバラに放り投げた。

足元に落ちた赤い斑のついた白手袋。

その意味を知っているバーバラは震える声で言葉を返す。


「な、なんの真似だ…」


古から続く伝統的な決闘作法。

狼狽するバーバラを前に、ヒルデガルドは朗々と続ける。

この戦装束を見てこの展開を予想しない時点で、シュタイエル家の程度が知れた。

少なくともこういう類の経験は少ないのだろう。

そんなことは知ったことかよ。

竜人族の喧嘩っていうのはこういうものだ。

逃げることなど許さない。


「君の細君が我が愛しき半身に拳を振るい、彼と彼の名誉を著しく傷つけた」

「よって我らの名誉の章典に従い、君に私を殺害する機会を与えよう」

「私は今ここで君に決闘を申し込む」


かかって来いよ腰抜けが。



◆―〇―◆



場所は変わってラインバッハ家。

返り血でべしょべしょになった手袋を携えたヒルデガルドは、クラウディアの前に身を投げるように土下座をしていた。


「許してくれクラウディア殿! この通りだ!」


ヒルデガルド・エスターライヒの渾身の全力土下座である。

自分の所為でヘンリーが怪我をしたこと。

クラウディア達を差し置いてシュタイエル家に殴り込んだこと。

そしてヘンリーの意志を無視して我を通したこと。

それらすべてを踏まえての土下座謝罪であった。

その場のテンションに任せて実行したが、冷静に考えるとどの面下げてというものだ。

「こんな女にヘンリーを会わせられない」と言われてもぐうの音も出ない所業である。

そんなことされたら死んでしまうではないか。

もうヘンリーなしでは生きていけない体になっているのだ。

それを避ける為ならば土下座程度安いものだ。

もはや形振りなど構っていられない。

ヒルデガルドは全力で声を張り上げて許しを乞うた。


「どうかヘンリーだけは! へんりーだけはぁぁぁ!」


まあヒルデガルドの単身殴り込みはクラウディア達からしたら渡りに船だった訳だが。

自分たちの手ではないとはいえシュタイエル家の面々は物理的にボロボロになり、万一ヘンリーに嫌われることは避けられた訳である。

これで臍を曲げたヘンリーに冷たくされる心配はないのだ。

ヘンリーは滅多に怒ることはないが、一度怒ったり臍を曲げると許して貰えるまで大変だからな。

クラウディアは未だに顔を伏せたまま泣きが入り始めたヒルデガルドの肩を優しく叩くと、不承不承という顔をしながら許しの言葉を贈るのだった。

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