第33話 ありったけの愛を

 

 その瞬間、その場の全員が皿に釘付けになった。

 無意識のうちのよだれが出てしまうような、圧倒的な香りがその場を支配する。


「すごいな、これは……」


 白いスープの上に森がある。そう思わせる斬新な見た目だった。

 スープの中心には焦げ茶の固形物が浮かび、その周囲に緑の欠片が浮かんでいる。


「美味そうな匂いだ」


 温泉のように立ち上る湯気はその場を清めるような爽やかな香り。

 同時に、嗅いだ瞬間食欲を焚きつけるような旨味がこもっている。


「ゴルディアスの秘宝第一のレシピ。『森の息吹スープ』よ」

「……ごくり」


 その場の全員が生唾を呑み込む。

 リヒムは手を動かそうとして、思うところがあり、シェラを見た。


「……悪いが、手が動かん。食べさせてくれるか」

「え。いや、でも」


 彼女がちらりとサキーナを見ると、彼女は肩を竦めていた。


「やってあげて」

「……うん」


 中央の固形物を崩しながら、スープを掬ってリヒムの口元へ。


「…………」


 リヒムはかじりつくようにスプーンを口に含んだ。

 サクッっとした食感、ほろりと崩れるこれは──


「お焦げか」

「そう。イシュタリア米を使ったお焦げよ」


 外側の堅い部分とスープに溶けた部分が混ざり合う、最高の食感だ。

 温かいスープが口の中を温め、胃の中にするりと入り込んでくる。


「単なるお焦げ……じゃねぇな、こりゃ」


 ガルファンが呟くと、リヒムは頷いた。


「あぁ。今の俺に普通のお焦げは食べられない……が、これは予想以上にさっぱりしてる。油で揚げたわけじゃないのか?」

「オリーブオイルで揚げてるのよ」

「「「オリーブオイル!?」」」


 オリーブオイルの主成分はオレイン酸と呼ばれる脂肪酸で、健康油としても知られている。一方で、ポリフェノールなどの抗生物質を多く含むことはあまり知られていない。豪華さや高級さなど食の外側ばかり求めたイシュタリアでは知られていない栄養学。


「閣下! 身体が……!」


 サキーナが指差したリヒムの身体はみるみるうちに生気を取り戻していた。

 毒で犯されていた身体が抗体を獲得し、回復し始めたのだ。


(効能が早すぎる……! いくら健康にいいつったって料理は料理。食べて消化されてから効き始める。いや、実際に身体が変わっていくのは一ヶ月かかるのが普通なのに……!)


 ガルファンが戦慄するその横で。


「この白いスープ、豆乳か」

「そ。お焦げには戻した干し椎茸をみじん切りにして入れてる。だから美味い」


 豆乳に含まれているグルタミン酸と椎茸のグアニル酸が相乗効果を発揮した結果だ。しかも、干ししいたけは通常のしいたけの何倍もグアニル酸を含有していることが分かっている。みじん切りにしていることによって椎茸の味はさほど感じさせず、旨味が、弾ける。


「身体が熱くなってきた……!」

「生姜とニンニクも入れてるからね」

「だがおかしいぞ。これだけじゃここまでのさっぱりさは作り出せねぇ……!」


 一緒に作っていたガルファンですら驚愕するほどの味。

 しれっと味見していることにルゥルゥが冷たい目を向けていた。

 シェラは苦笑しつつ、


「それはね、ヨモギよ」

「「「ヨモギぃ!?」」」


 若い頃にヨモギを食べた者もいたのだろう。

 道端に生えている雑草を入れたと聞いてサキーナが目を剥いてる。


「あんたなんてもん入れてんのよ!?」

「失礼な。ヨモギは歴とした食材。アナトリアじゃ昔から解毒成分がある薬草として重宝されてきたわ」

「なるほど、それで……」


 スープに浮かんでいるのは香菜、馬芹うまぜりなど、薬効成分の含まれたスパイスを多く入れている。本来なら苦すぎて食べられたものではないが、加熱することによって苦みをやわらげ、さらに生姜やニンニクなどを入れることで消化促進・滋養強壮の効能がもたらされた。


(口で言うと容易く聞こえるが、ことはそう簡単じゃねぇ)


 ガルファンは戦慄する。


(一歩間違えば苦みが勝って豆乳の風味が台無しになる。バランスを間違えばすぐ苦いだけの料理に早変わりだ……! たとえるなら、綱渡りをしながら様々な食材を調合するようなもの……!)


 恩恵を受けたリヒム本人も険しい顔をしていた。


(既存のイシュタリアにはない新たな栄養学……! アナトリアが秘匿し続けてきた健康長寿の仕組み! これを公開すれば料理の歴史が変わる)


 確かに不老不死にはならないかもしれない。

 だが、遅効性の猛毒すら簡単に解毒してしまう料理など既に常識外だ。

 しかもシェラは、『ゴルディアスの秘宝第一のレシピ』と言っていた。


((こんなものが、まだいくつもあるのか……!))


 ガルファンとリヒムは目を合わせる。

 視線が合うだけで、彼らは互いの意志を通じ合わせていた。


(シェラの教育は任せるぞ。くれぐれも慎重にな)

(イシュタリアの手法を覚え込ませてアナトリアの料理を封印、ですな)

(なんとしてもシェラの存在は隠し通す。今までのやり方じゃ手ぬるい)


 人知れず決意を固めたリヒムは『森の息吹スープ』をかきこんだ。

 この料理の恐ろしさは栄養学もさることながら、単純に美味いことだ。

 時間が経つにつれてほぐれてきたお焦げが、おかゆさながらほくほくと崩れていく。


 極限まで高められたうま味と薬効成分が手を取り合う。

 まるで、敵対していた二つの勢力が一つとなって爆撃してくるかのごとく!


(森の息吹に……流される……!)


 邪な毒すら洗う、清浄なる料理がそこにあった。


「…………あの、どう? 大丈夫?」

「あぁ」


 気付けば、リヒムの椀は既に空になっていた。

 食後の祈りを終えたリヒムは顔を上げ、居並ぶ面々に告げる。


「もう大丈夫だ。みな、心配をかけたな」


 わ、とその場が沸きに沸いた。

 サキーナは涙を流し、ルゥルゥは胸をなでおろし、そして、シェラは。


「リヒム!」


 シェラは思わず、リヒムの胸に飛び込んでいた。


「よかった……よかったよぉ……!」

「シェラのおかげで命を拾った。ありがとう」

「わ、私だって……今まで……うぅ……」

「もう泣くな」

「だって……だって……」


 ごりごりとリヒムの胸に頭をこすり付けるシェラ。

 流れる涙は止まることを知らず、背中に回された手は温かい。

 ぐす、と顔を上げると、シェラは涙をぬぐい、


「私を助けてくれて……ありがとう」

「お互いに、な」


 額と額をくっつけ、二人は笑い合う。

 そこに、かつてのような陰はどこにもなく。

 わだかまりを解消した二人を、お日様の光が明るく照らし出していた。

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