第16話 困惑と覚醒

 エリーゼは目の前が真っ暗になり、立つ力を失っていた。

 その様子を見て満足そうに笑みを浮かべると、老人はそっと爪を鋭くとがらせてエリーゼの命を狙おうとする。


「王妃、あなたが家を出たことで我々はラインハルトの弱みを握ることができた。あなたという人質をね。あなたはいずれヴァンパイアにあだなす存在。生かしてはおけません」


(私、死ぬの?)


 そう心の中で呟いた瞬間、老人の爪が勢いよくエリーゼに向かって襲ってきた。

 その顔は殺すことを厭わない、そして何人も殺してきた顔をしている。


(やっぱり、私に普通の暮らしはできなかった……)


 エリーゼは最期の瞬間をじっと待ちわびるように、黙って老人の爪に切り裂かれるのを待った。



「──っ?」


 しかし、いくら待ってもその瞬間が訪れない。

 そっと目を開けて気配がするほうへと目を向けると、そこにはなんと老人の爪からエリーゼを守るようにアンナが立ちふさがていた。


「アンナちゃんっ!」

「ちゃん付けは止めてって、言ったでしょっ!!」


 老人の爪をはじく様にアンナは隠しナイフを振りかざす。

 そのままさっと老人から距離を取ると、左手をかざしてエリーゼを守るように構える。


「どうして」

「たくっ! ほんとに軽々しく家を飛び出さないでくれる? 迷惑なのよ!」


 そう言いつつも、アンナの表情は心の底から迷惑だとは思っておらず、それが上辺だけの言葉だとわかる。


「ふん、ラインハルトの懐刀か。その女がどういうやつかわかっているのか? お前が血を飲んでも死ぬんだぞ?」

「は? あんたこそ何もわかってないんじゃないの?」

「なんだと?」

「こいつは【ヴァンパイアの王妃】よ! 私は全力でこいつを守る。ただ、それだけ」


(アンナ……)


 【ヴァンパイアの王妃】という言葉と重みが老人に向けてだけでなく、自分に向けられた言葉だと悟り、エリーゼはハッとする。




『あんた、ラインハルト様の妻なんでしょ?! ただの妻なんかじゃない、【ヴァンパイアの王妃】なのよ』




 エリーゼの頭の中で結婚宣言の日に言われた言葉が思い返される。


(そうだ、私は……)


 老人は牙をむき、ヴァンパイアのそれになると、再び鋭い爪を伸ばして今度は青白い光を纏わせて襲い掛かって来る。

 アンナはナイフで自分の腕を切りつけて血を流すと、その血を纏わせたナイフで老人に応戦した。

 ナイフに纏わせた血は生きているようにうごめくと、そのまま老人に刃のように切りかかる。


「ござかしいっ!」


 その血の刃の多くを尋常でないスピードで払いのけ、アンナの脇腹を狙って攻撃をしかける。


「──っ!」


 アンナはその攻撃を見切ると、宙を舞って一回転して避ける。

 老人はその着地を狙って爪を鋭く伸ばすが、その爪の上にとんとアンナは着地をした。


「くっ!」

「あんたのその汚い手が私に触れるわけないでしょ」


 そう言って老人に血の刃を放つ。

 しかし、その攻撃に老人はにやりと笑った。


「まさかっ!」


 アンナは老人の意図に気づき、声を荒らげる。


「エリーゼっ! 逃げてっ!」

「え?」


 老人の血がするりと床を這って、その血の刃が床に座り込んでいるエリーゼに向かう。


(私、何もできずに死ぬの?)


 老人の刃はもうすぐそばまで迫っていた。


「エリーゼっ!!」


(私は何もラインハルト様に恩を返せていない、そして、アンナにもクルトにも。私は、私は、王妃なのに!!)


 アンナの叫びと自らの心の叫びに呼応するように、エリーゼの周りに突風が吹き荒れる。

 その巻きあがる風に老人の放った血の刃は吹き飛ばされて散り散りになって消えた。


「なんだ、これは……」


 老人が呟いたその目の前で、アンナはそのエリーゼの姿を見て目を見開き、そして息を飲んだ。


「王妃……様」


 巻き起こった風が止んで静寂が訪れたその場には、真紅のドレスを身にまといヒールを履いたエリーゼがいた。

 その瞳は漆黒から真紅に変わり、そして赤く染まった爪が輝いていた──

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