第13話
改札口を出て外に出る前に腕時計を見ると時刻は十六時半を指している。細井家の門限は十九時である。部活動をしていると、特に大会前は最終下校時刻の十八時までみっちりと扱かれることもある。電車に乗り遅れることを加味して遅くても十九時と決められた。
まだ時間に余裕がある。雨が降るまで暫く近所をうろつくことにした。時間つぶしに寄ったコンビニでペットボトルの紅茶を買いそれを持って公園に立ち寄った。まだ明るい時間とはいえ、どんよりとした雲と湿った空気があたりを暗くする。天気のいい日は小学生の子供たちで満員御礼の公園はひっそりとしている。子供に人気のブランコも風に揺れるばかりで少し寂しそうだ。呼ばれているかのようにそのブランコに座り吊るされた鎖を腕に絡ませ、ブランコの椅子を揺らしながら買ったばかりの紅茶を開けた。今まで満足していた味だが物足りなさを感じる。ゲンさんの店で飲んだ紅茶はもっと香り高かった。家にもお父さんがお土産で買ったイギリスの紅茶の缶がある。お母さんは敷居が高いと言って食器棚に飾った。私もそれまでお茶に特別な思い入れがなかったので一度飲んだきり、紅茶の缶は棚の飾りのように置かれたままだ。今度試しにいれてみようと空を眺めながらぼんやり考えていた。
三十分ほどただブランコに座っていた、手元のペットボトルは半分の量になっている。
(傘をさすだけでもいいのかな)
待ちきれずにブランコから立ち上がり和傘を持った。
改めてみると閉じていても目を引く真っ赤な和傘である。普段使っている傘よりも重いがなんとなく手に馴染む不思議な感覚があった。
ゆっくりろくろを押しだすとパリパリ紙が引っ張られる音がする。やはり破れてしまいそうで恐々とゆっくり開いた。傘を上に向けて傘越しに空を仰ぐ。
「やっとさしたのね」
あの声だと息をのむ。姿はまだ見えていない。
「さあ、風花今度こそちゃんと返事をして。そして私の目を見て」
「はい…」
ピンと張った糸を掻いたようなか細い声になる。目の前に揺らめく淡い光が表れ、次第に人の形に象られる。二回目だと言うのに息をするのも忘れる程に緊張感が体を支配していた。
「久しぶり、風花」
艶やかなく長い黒髪を携え、黒目がちの双眸が私の姿を絡みつくように捕えた。身動き一つとれない。幽霊を目の前にしているから?その幽霊が光を纏っていて美しいから?いや、目を引く本人の輝きとしか言いようがない。美少女なんて言葉がしっくりとくるどころか、褒め言葉が足りないくらいである。
「どうしたの?大丈夫?」
私よりずっと小柄な少女は、流れる黒髪を耳にかき上げながら上目遣いでのぞき込む。
「まさか、私のこと本当に忘れてるの?」
「ご、ごめんなさい…覚えがないです…」
少女は悲し気な顔をした。しかし私は違和感を覚える。その表情はどこかほっとしたように見えた。しかしすぐにきっと睨みつける。
「名前も?」
「ごめんなさい…」
申し訳なさと彼女の気迫に気圧され、どこか隠れてしまいたい気持ちになった。
「仕方ないなぁ。改めて名乗ってあげる。その代わり条件があるわ」
「条件?」
「私が名乗ったら、あなたは私の名前を唱えなさい」
何が何だかわからなかった。悪徳商法にひっかけるみたいに、条件が簡単すぎていかにもなにか裏があるとしか思えなかった。
「わかった?」
あまりにも自信満々に言うので圧倒されてしまう。断る選択肢をその少女から奪われた。もう首は縦にしか動かせない。
「ふふふ、それじゃあ細井風花」
いたずらっぽく笑う少女はなんだか艶めかしさすら覚える。
「私は雨宮露子。暫く仲良くしましょ」
発光した手を差し出した。ぼんやりした頭に言葉が反響する。傘を持たない手が、私の意思とは別にその手に触れようと手をあげる。彼女の輝いた手を透かした。ぬくもりは勿論だが冷たさも感じない。どこかで聞いた幽霊が近くにいると寒気がするとか、そういう情報はあてにならないものだ。そこに見える姿がこの世の者ではないことを実感する。感覚などないのに変なのと心の中で嘲笑した。
「よろしく、露子、さん」
亡くなった時の年齢で考えるべきか、幽霊になってから十年の年月分を年齢に足すべきか悩んだ。ただ年齢を超えてお姉さん風の振舞いが彼女に敬意を払うべきだと直感した。
「よろしくね、風花」
心を見透かすような目を少し細めて唇は綺麗な弧を描いた。
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