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柴三郎と乕への応援コメント
ご指摘のとおり、北里柴三郎は帰国後東大を追われることになりますが、その北里の庇護に走ったのは慶応義塾の福沢諭吉、塾生の長谷川泰。
帝国大学初代医学部長の池田謙齋の背後に山形有朋。長谷川泰と池田謙齋の生家は新潟県長岡市にあり、わずか数キロしか離れていないご近所同士です。
山形有朋は戊辰戦争で長岡藩に大勢の部下を殺され、河合継之助の側近の軍医だった長谷川泰を良く思っていませんでした。
長谷川泰が設立した済生学舎(野口英世先生でおなじみ。現日本医科大)の取り潰しまで画策し廃校に追い込みます。ただ池田、長谷川は個人的には付き合いがあったようで、池田の甥の入沢達吉(帝大医学部長)が来ると同郷のよしみとして菓子をふるまっていたとのこと。
長谷川は山形有朋の東大を中心とする医学支配に抵抗して、帝国議会開設が決まるとなると、第1回選挙に立候補。そして帝大医学部(東大)に対抗すべく、「帝国大学増設の建議書」を国会に提出。そして第6回帝国議会で「西京(京都)に帝国大学を設立する建議書」を提出します。京都大学設立には、日清戦争の賠償金を得るまで時間を要しますが、京都大学史には長谷川泰の功績が記載されております。
北里柴三郎が帰国していなかったら、この長谷川の情熱はなく、京都大学も東北大学も無かったのではないかという歴史のIF
菅元首相の弔辞で山県有朋の名前が出ましたが、とんでもないクソ野郎だったかもです。内務省伝染病研究所の東大移管も背後に山県有朋の影だとか
(追記です)
この話は長岡市で地元有志が長谷川泰の記録をまとめた内容に書いてあったもので小説は無いようです。北里への執拗な迫害は山県有朋が黒幕だという話もです。
まるで小説のような実話
作者からの返信
面白いお話をありがとうございました。
小説になりますね。(あるのかな?)
柴三郎と乕への応援コメント
頭の良い人たちも、お尻の穴は小さいのですねぇ。
鈴木梅太郎さんの発表の後までなんて、意味が無いような嫌がらせです。