ハミング・ダンデライオン〜小悪魔ちゃんと野生児さん〜
ベニサンゴ
第1話「出会い」
お金は大事だよ。よく考えて使おう。
そんなことを、小さい頃からよく言われて育ってきた。はじめは、100円玉をもらった時だと思う。コンビニでお菓子を買っていいよ、と言われたけれど、お菓子に100円を払うより、その銀色のピカピカしたものを手放したくなかった。
大きくなって、お年玉を貰うようになった。その頃にはお金の価値が分かってきて、だからこそ使いたくなかった。お金は可能性だ。夢が形を持ったものだ。お金よりも大切なものがあると言うけれど、お金があれば大切なものもたくさん手に入る。しかも、お金は管理に手間がかからない。100枚の100円玉も、ぎゅっと纏めて1枚の紙になる。それを銀行に預ければ、なんと寝ているだけでも増えていく。
お金は大事だ。お金は夢の具現化だ。
「えーっと、服と、アンプルと。あっ! 剣も買い取ってください」
『申シ訳アリマセンガ、天叢雲剣ハ売却不可アイテムナノデ、買取デキマセン』
「ええー」
銀色のデッサン人形のようなアンドロイドが、困ったように肩を竦める。納得はいかなかったけれど、ここでごねても仕方ない。何故なら、この世界はシステムが厳格に支配する仮想世界——〈FrontierPlanetOnline〉の舞台である未知の惑星イザナミであり、彼は一介のNPCに過ぎないのだ。
私は彼の言葉に頷くしかなく、ひとまず初期装備の白い服の上下と回復薬であるアンプル、そしてこの星に降り立つ際に受け取った“ウォーリアーパック”という支援物資に入っていたデータカートリッジを売却した。全部合わせても初期の所持金に毛が生えた程度にしか増えなかったけど、1円でも増えればそれだけ可能性が広がるのだから嬉しいに決まっている。
「あ、ここの通貨はビットって言うんだっけ?」
買取カウンターから離れ、店内に並んでいるガラス張りのショーケースを眺める。そこに映るのは、なんともメカメカしい銀色の機体の自分だ。
このゲーム、FPOでプレイヤーは一機のアンドロイドとなり、未開の惑星イザナミを開拓する調査開拓団の一員として星に降り立つ。
私はレオという名の開拓員で、機体はタイプ-ライカンスロープという獣の特徴を持ったものを選んでいた。頭のてっぺんから飛び出している三角の耳は猫を模しているようで、鼻先からはアンテナのように髭も生えている。モデル-リンクスという機体らしい。
「さーって、それじゃあフィールドに出掛けてみようか!」
今いる場所はゲームを始めたばかりの人が最初にやってくる拠点、地上前衛拠点シード01-スサノオという都市だ。周囲を分厚く高い鋼鉄の壁に囲まれた金属製の巨大建築物で、中央には白い塔——中央制御塔が立っている。
スサノオの周囲に広がっているのが、最初のフィールド〈はじまりの草原〉だ。開始早々に初期装備を全部売っ払っちゃったけど、大丈夫だろう。私は拳を握りしめ、ぶんぶんと空中にパンチを繰り出す。
「修理費が勿体無いもんね。己の拳で叩けばゼロ円!」
この世界で、武器や防具には耐久値が設定されている。それがゼロになれば当然壊れて、新しいものを買い直さなくちゃならない。そうでなくとも、修理するには専用のスキルを持ったプレイヤーやNPCに代金を払う必要がある。
けれど、とても素晴らしいことに私たちは拳で戦える。いくつかある戦闘スキルのうち、〈格闘〉スキルというものは体術やパンチ、キックなどを使う極至近距離戦闘の技術だ。これを使えば、武器などいらないというわけ。
「元手ゼロで敵を倒せば稼げるなんて、夢のようじゃないですか!」
私はぱちんと両頬を叩いて気合いを入れると、意気揚々と町から飛び出した。
「ぐべーーーっ!?」
目を覚ますと、緑色のドロッとした粘液に包まれていた。見渡したところ、大きなガラスの筒に浮かんでいるらしい。どうにか脱出しようともがいていると、ガラスが開いて粘液ごと吐き出された。
「きょべっ!」
金網の床に転がり、変な声が出る。よろよろと起き上がると、機体回収のチュートリアルが書かれたウィンドウが目の前に現れた。どうやら私はしっかり死んだらしい。
アンドロイド——機械人形である私は、LPと呼ばれるステータスが体力にあたる。テクニックという特殊な行動を行なっても減るし、敵から攻撃を受けても減る。意気揚々と全裸でフィールドに飛び出した私は、そこに生息する“コックビーク”という鶏に似た原生生物に飛び蹴りで殺された。
「まさか一撃でやられるなんて……」
今の私は緊急用機体という黄色いカラーリングの機体に意識だけ入っている状態だ。フィールドにはまだ私の死体が残っている。それを回収できれば、それまでに上昇したスキルのレベルなども引き継げて、実質的にデスペナルティはなくなるらしい。
「デスペナ受けるなんて勿体無い。回収しにいかないと!」
ずらりとガラス管の並んだ建物から飛び出して、そのまま一直線に町の門を目指す。待ってろ私の死体! ぜってー助けてやるからな!
「ぐえーーーっ!?」
目を覚ますと、緑色のドロッとした粘液に包まれていた。
「き、機体が弱すぎて回収に耐えられない!」
まさかまさかの事実が発覚した。
〈はじまりの草原〉の犯行現場に私の機体は転がっていた。それを回収するため、私は機体の胸に埋め込まれている八尺瓊勾玉という部品に手をかざし、『機体回収』というテクニックを使用した。
しかし、これは〈回収〉スキルに依存する行動で、まだレベルゼロの私はデータのサルベージに滅茶苦茶長い時間がかかった。遅々として進まない進捗ゲージ、見晴らしのいい草原、私に狙いを付けるコックビーク。運命は目に見えていた。
「そもそもこの黄色がダメなんじゃない?」
いかにも警戒色といった目立つカラーリングが問題な気がしてきた。けれど、回収を諦めてNPCに頼むと、それだけでお金がかかる。自力でできそうなことにお金を支払うのは性に合わない。
「なんとしても、自力回収しないと!」
幸いなことに、回収自体は何度でもトライできるみたいだ。私はお金を掛けないことに労力を惜しまない。不屈の精神で何回でも挑戦してやろう。
意を決して建物を——アップデートセンターと言うらしい——を飛び出す。待ってろ、私の機体!
「ぐええええーーーっ!?」
30回ほど出撃と死に戻りを繰り返し、流石にちょっとやり方がまずい気がしてきた。あと、周囲の人に顔を覚えられた気がする。だから、私は一度冷静になり、草原の中でも草むらの茂っている所に身を潜めながらコックビークのやり口を観察してみることにした。
「ふーむ。なんか、一定のルートを歩いてる?」
私の機体の側で地面を突いている茶色い羽毛の鶏をじっと見る。鋭利な嘴で地面を掘り返し、出てきたミミズみたいな虫を太い脚で押さえ付けて食べている。よくよく観察すると、捕食行動までしっかり設定されている。なかなかすごいゲームなのではないでしょうか。
そんなコックビークは、どうやら一定の範囲内をグルグルと巡回しているようなことが分かってきた。ランダム性もあるようだけれど、大まかには一本のルートを歩いている。つまり、奴が一番離れている時に機体を回収すれば良いわけだ。
「いざっ!」
意を決して立ち上がる。しかし、その瞬間、離れていこうとしていたコックビークがぐるりと首を回して私の方を見る。
「なんでっ!?」
猛然と迫るニワトリ。飛べないくせに羽を広げて、力強く地面を蹴る。最後に見たのは、鋭い鉤爪が迫る光景だった。
「ぬぬぬ……」
30と何度目かのアップデートセンターでの目覚め。流石に排出された時にバランスを崩して無様に転がることもなくなった。
「コックビークは
となれば、どうするべきか。
正攻法でいくならば、〈忍術〉スキルなどを上げてひっそりと隠れられるようにする。けれど、緊急用機体である今はそんなこともできないし、そもそもテクニックを覚えるためにデータカートリッジを購入するのは勿体無い。
もう一つの方法は、仲間を募ること。誰かがコックビークの注意を逸らすか、いっそ倒してくれれば、私は回収に専念できる。
「でも、人を雇うっていうのもお金掛かりそうだし、そもそも——」
アップデートセンターの前にあるベンチに腰掛けて途方に暮れる。すると、突然背中をツンツンと刺激された。
「わひゃっ!?」
驚いて振り向くと、ちっちゃな女の子が立っていた。来ている白い服は初期装備だろうか。スキンを張っていて、機械人形そのままの姿ではなく、可愛らしい女の子の顔をしている。
肩のあたりで一房に纏めた薄桃色の髪を揺らし、青い吊り目をこちらに向けている。
小柄な機体はタイプ-フェアリーというものだろう。
「え、えっと……。にゃっ」
わたわたとテンパって腕を振りながら、話しかける。そんな私を見て、女の子がぷっと吹き出した。
「にゃ、にゃって! お姉さん、もしかして
「ごめっ! そ、そうじゃなくて噛んじゃったというか!」
肩を震わせる女の子に、カァッと顔が熱くなる。お金は好きだけど、人付き合いは苦手なのだ。伊達に30回も死に戻りを繰り返してなお仲間を募ることに躊躇しているわけじゃない。
「その、何用でしょうか?」
「レナね、ずっと見てたの。お姉さん何回も死んでるでしょ」
「うぐぅ。そ、そうだけど……」
ニヤリ、とレナちゃんが笑う。その瞳は私よりもよっぽど猫みたいだ。
「レナが助けてあげよっか?」
「いっ、いいの!?」
「うんうん。レナ、
「ととっ! とっても助かる! ます!」
なんという僥倖。地獄に仏とはこのことか。桃色の天使に思わず抱きつきそうになって、街角で目を光らせている警備NPCの存在に気づいて思いとどまる。
「それじゃ、早速行こっか!」
「うん!」
レナちゃんに連れられて、再び草原に戻る。門の近くに私の機体が変わらず無様に転がっている。
「じゃ、よろしくね」
「お姉ちゃん次第だよー」
手を振るレナちゃん。彼女がいるだけでとても心強い。私は金棒を担いだ鬼のような気持ちで、堂々と機体の元へ歩み寄る。
「さあ、『機体かいしゅ、いたっ!?」
早速データのサルベージをしようとした瞬間、お尻を蹴られる。振り返れば、〈はじまりの草原〉に生息するもう一種の原生生物“グラスイーター”がお尻に体当たりしていた。
サッカーボールが当たったくらいの衝撃だけど、防御力ゼロ初期ステータスの私にはかなりのダメージだ。
「お姉さーん、がんばれ♡ がんばれ♡」
「おっ、おおっ!?」
しかし、今はレナちゃんが付いている。彼女の応援の声を聞くと、削れたLPゲージがじわじわと回復していく。
「もしかして、これがレナちゃんの?」
「そうだよ。レナの〈舞踏〉スキル、『応援』だよ」
てっきりレナちゃんは〈支援機術〉なんかを使うのかと思ってたけれど、どうやら違ったらしい。〈舞踏〉スキルはその名の通りダンスを行うスキルで、生活系と呼ばれる分類群に入る。『応援』はその初期から使えるテクニックで、応援中周囲の調査開拓員のLPを極小量回復するというものだ。
「え、えっとレナちゃん? もうちょっと効果量の高いのは……」
「ないよ。十分でしょ?」
「ひょわっ!?」
戸惑う私に、レナちゃんが無慈悲なことを言う。そうこうしているうちにコックビークまでやって来て、私に蹴りを仕掛けてくる。流石にそう何度もやられるわけにはいかない。私はそれを避けると、お返しとばかりに殴る。
「ほーら♡ 死なない程度に生かしてあげるからね♡ 頑張って♡」
「ひょえっ!?」
レナちゃんの天使みたいだった笑顔が、悪魔のように見えた。
彼女の言葉は本当で、ギリギリ私が死なないくらいのLP量を維持してくれている。それ以上増えると応援をやめてしまうし、一気に削られたら即座に回復してくれる。
「あのっ」
「頑張れ♡ 頑張れ♡」
「ひーんっ!」
私が何を訴えても、聞いてくれる様子はない。私は涙目になりながら、ポコポコとニワトリを殴るしかなかった。
「お姉さん、とってもかわいいね。レナがいないとすぐに死んじゃうザコなのに」
レナちゃんが怪しい目付きをしている。ゾクゾクと体を震わせて、私を見ている。
「レナちゃん……、もしかして……」
「レナね、他の人の命を握ってる感覚がとっても好きなの」
笑う口元。可愛らしく揺れる髪束。
未開の惑星で出会ったのは、可愛い悪魔だったらしい。
「——うぁあああああっ!」
「ひっ!?」
レナちゃんの方を睨んで、思わず拳が出る。彼女が驚いた顔で目を見開く。私の拳は彼女のこめかみを掠め、その背後から飛びかかってきていたコックビークの胸に当たる。
「えっ?」
レナちゃんのキョトンとした声がする。
私はそのままコックビークの太い脚を掴み、更にもう片方の手で別の脚を掴む。
「良いこと思いついたよ」
ジタバタと暴れるニワトリを押さえつける。自分の体で攻撃を与えていれば、〈格闘〉スキルの範疇だ。私はコックビークの脚を束ねて持ち、勢いよく振り上げる。
「せいやぁああっ!」
ゴン、と鈍い音がする。遠心力の掛かった勢いで頭を地面に強打したコックビークは、そのまま目を回していた。
「ふえ」
「えっ?」
後ろを振り返ると、レナちゃんが地面に座り込んでいた。ウルウルと目の端に涙を浮かべて私を見上げている。
「ちょっ、えっ? ご、ごめん! 驚かせるつもりはなかったんだけど」
「どうして……。どうして助けたの?」
「ええっ?」
意外な問いを投げられて困惑する。なんでと言われても——。
「だって、レナちゃんは私のこと助けてくれたじゃない」
「……」
重い沈黙。
あっれ、私なにか選択肢間違えたかな。
とりあえず、コックビークが目を覚さないうちに機体近くにいるコックビークの元へ駆け寄る。翼を広げて跳躍する奴の脚を引っ掴み、地面に打ち付ける。うん、こうすればとりあえずダメージは与えられるね。
私はそのままバシバシとコックビークを地面に打ち付けて倒す。これで安全は確保されたわけだ。最初っからこうすれば良かったね。
「『機体回収』」
安全を確保したことで、ゆっくりとデータサルベージも実行できる。私は元の機体を取り戻し、悠々とレナちゃんの元に戻る。
「ほら」
手を差し伸べると、彼女は途方に暮れた顔で私を見る。
「別にいいよ」
「えっ?」
彼女を怖がらせないように、笑って話しかける。
「私の命、レナちゃんに預けるから。絶対に殺さないでね」
「——お姉ちゃん」
唖然とするレナちゃん。その困惑もよく分かるけれど、私にとってはとても都合がいい。彼女のプレイスタイルは、私の予定しているプレイスタイルにとてもよく合致している。
「これからよろしくね、レナちゃん♡」
━━━━
Tips
◇『応援』
〈舞踏〉スキルレベル1のテクニック。声援を送ることで、仲間のLPを極小量回復する。
回復量と影響範囲は応援の熱心さ、スキルレベル、テクニックの熟練度に依存する。
“仲間を信じ、応援する。その熱い想いが奇跡を起こす”
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