第3話 優しさ
放課後、音楽室を借りられる事になっていたので、時間になってからみんなで向かった。
決めた順番で並び、準備が出来たところで、指揮者の
その時、またもやワタルの胸はドキドキし始めた。が、そのことは考えないようにして、冷静を装い光国に頷く。
光国が両手を上げると、みんなが光国に注目した。光国はワタルの方を見て指揮棒を動かした。ワタルは弾き始め、前奏の後みんなが歌い始めた。
なかなかいいなとワタルは思った。ハモる所など、うっとりしてしまうくらいだ。コーラスをやっていた女子たちの指導の賜物だ。
最初はあまり乗り気ではなかったクラスメイトをまとめ、ここまでにしてしまった。誰にでも出来る事ではないし、自分には絶対出来ない、とワタルは思った。
後奏が終わると、光国は満足そうに微笑んだ。光国は振り向くと、教室の後ろの方で聞いていた
「どうだった? 先生」
先生、とは言っているが、もはやタメ口だ。が、それに対して広田も気にした様子はなく、笑顔で拍手をし、
「いやー、良かった。みんなすごいな。もしかして、一位になるんじゃないか?」
「もしかしなくても、一位だから。オレたち、トップを狙ってるんだよ、先生」
「おお、そうか。わかった。期待してるぞ」
みんなが、わーっと声を上げた。
「先生。一位になったら何かくれますか?」
誰かがそんな事を言った。広田は首を傾げたが、
「そうだな。飴一個くらいかな。それなら学校に怒られる事もないだろう。フルーツ飴を一個。他のクラスに言うなよ」
「言いませーん」
声を揃えて言った。光国が、人一倍はしゃいでいる。が、その様子を見ていたワタルの心は、ドキドキではなくわくわくだった。あさってのコンクールがとても楽しみになった。指の痛みはまだあるが、きっと大丈夫だ、と心の中で自分に言っていた。
練習を終えて、解散した後、光国はワタルのそばに来て、「帰ろうぜ」と声を掛けてきた。ワタルは頷き、光国とともに歩き出した。昇降口を出て、校門に向かっている途中で、光国が心配そうな顔になってワタルに言った。
「どう? 指は」
きっとクラスの誰もがそんな事は忘れているだろうに、この人はこうやって気に掛けてくれる。
光国の言葉に感動を覚えながら、ワタルは頷き、
「大丈夫みたい。心配してくれてありがとう。すごく嬉しいです」
「そりゃ、心配するさ。ワタルはピアノ習ってるんだろう。ピアノの先生に怒られるんじゃないのか?」
ワタルは、現実を突きつけられ、急に気持ちが落ちてきた。
明日はピアノのレッスンの日だ。簡単な伴奏ならば出来ても、クラシックの、それなりに技術を要求される曲が弾けるだろうか、と心配になった。明日は休んだ方が賢明かもしれない、と判断した。思わず溜息を吐いてしまった。
「ワタル。やっぱり怒られるのか?」
ワタルは、その時ふいに気が付いた。光国は、ワタルのことを名前で呼んでいる。嫌な感じはしないから構わないが、今までワタルは、クラスメイトに名前で呼ばれた事はなかったのだ。
ワタルは、少し俯いて、
「音楽科があるような学校だと、体育がない所もあるみたいで。つまり、こういう事が起こりかねないから。僕の先生は、中学から音楽科の学校に行ってるから、僕の行動を理解してもらえないかもしれないです」
「体育で突き指。でもさ、ワタルが悪い訳じゃない気もするけど。投げたやつが下手なんだよ。なんてね」
光国が笑い出し、ワタルも一緒になって笑った。
「合唱コンクール、頑張ろうな。オレたち、いける気がする。飴の為じゃなく、本気でやってやろうぜ」
「頑張ります」
「頑張ろうね、でいいんじゃないのか? みんなでやるんだから。ま、ピアノは大事だけどね」
話している内に校門まで来た。
「オレこっち。ワタルは?」
「あ、逆です」
「残念。じゃ、ここでお別れだ。また明日」
光国の笑顔を見ながら、ワタルは、光国のことを、さわやかな風が吹いたみたいな人だ、と思った。光国は、ワタルに手を振ると、背を向けて歩き出した。
ワタルは、しばらく光国の後ろ姿を見つめた後、自宅に帰るべく歩き出した。
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