第170話 サイコな彼女

 ――実況席。首吊り公が首を傾げる。


『……減ってない、ね』

『公。減ってないとは?』


 実況のヘラルドが尋ねると、首吊り公はベルム北部が映し出されたビジョンを指し示した。


『〝槍の塔エル・アルマ〟で戦う双方の団員だ。戦い始めてからずいぶんと経つのに、数が減っていない』

『なんと!? 本当ですか?』

『戦っているのはそれぞれ十名ほど。激しくやり合っているようでいて、よくよく観察してみると人員がローテーションしている』

『そんな、あり得るのですか、そのようなこと……あっ!』


 ヘラルドが驚きの声を上げたのは、まさにその瞬間を見たからだった。

 今まで戦っていたうちの半数ほどが塔の中にもつれ合いながら入っていき、代わりに同数の団員が出てきて戦列に加わった。


『今のはわかりやすかったね。偽りの戦いとはいえ、消耗もすれば怪我もする。塔の中では治療と休息が行われているのだろう』

『いったい何のために……』

『まあ一見に如かずだよ。塔の中は覗けないのかな?』

『は! 少々お待ちを……』


 そう言って魔導拡声器ラウドヘイラーから顔を遠ざけたヘラルドが、係員といくつか言葉を交わす。


『可能とのことです! ビジョンに映します!』


 今まで〝槍の塔エル・アルマ〟の外観を映していたビジョンが切り替わる。


『なな、なんと!』

『クク、これはまた……』


 映し出されたのは、塔中層のフロア。

 上り階段と下り階段以外に何もない、がらんとした空間で、残りの団員たち三十名ほどが車座になってくつろいでいた。

 治療を受ける者。

 非常食を口に入れる者。

 談笑する者。

 グレンとウィニィの姿も見える。

 グレン派、ウィニィ派の区別なく、交ざり合って座っている。


『欺瞞だね。戦ってるフリだ。前から協定があったのかねえ。そう考えると、すぐ近くに本拠地を置いたのも納得がいく』

『しかし、戦って見せることに何の意味があるのでしょうか。同盟状態にあるのなら、初めからひとつの騎士団になってしまえば……』

『時間稼ぎかな。自軍の戦力を維持しながら、他軍の消耗を待つことができる』

『そうでしょうか。先ほど公も口にされましたが、横槍を入れようとする騎士団が現れるのでは? 私などは「今が好機!」とばかりに喜び勇んで攻め込んでしまいそうですが』

『フフ。好戦的だねえ、ヘラルド君』

『恐縮です』

『別に褒めてないから。可能性はあるよ? たしかに好機に見える。その場合、フリをしてる双方の騎士団が一体となって迎え撃つだろう。するとどうなるかわかるかね、ヘラルド君?』

『……横槍を入れるはずが、逆に不意を突かれます。悪くすれば包囲されて殲滅戦に』

『残念、勇猛果敢なるヘラルド騎士団はあえなく全滅だ。実に悲しいことだね』

『勉強になりました。私が考えていたよりずっと有効な戦術なのですね』

『実戦ではともかく、ベルムでは有効といえるだろう。まあ、フリをする互いの騎士団の信頼関係が何より大事になるが』

『では彼らは〝魔女ミシュレの温室〟の戦いが終わるのを待ち、消耗した勝者に挑む。そういう算段であると』

『んー、今回に関しては違うのかもしれない』

『違う、とは?』

『待っているもの・・だよ。彼らが待っているのはおそらく――』


〝魔女ミシュレの温室〟を抜け出したロザリーは、ジュノー派の目を避けてベルム東部から〝槍の塔エル・アルマ〟を目指していた。

 全速力で駆けるグリムに乗り、風を切りながら、悪魔鎧の中でロザリーは考える。


(西側ルートを選んで、ついでにジュノーの本拠地を叩いたほうがよかったかな?)

(でもカラスを通しても西の森の中の様子がよくわからなかった)

(手間取ったら逆にこっちの本拠地が危うくなる。どっちがよかったのかな……)


 そんなふうにぐるぐると考えていたせいで、ロザリーは反応が遅れた。

 グリムの走行線上に誰かが飛び出してきたのだ。


「グリム! 止まって!」


 ロザリーが大きく手綱を引き、グリムが前脚を突っ張る。

 相手は避ける様子はなく、ただ腕を抱えてしゃがみ込んだ。

 とても止まれないと判断したロザリーは、手綱を大きく左へ動かした。

 グリムはしゃがみ込んだ誰かをかすめて、土煙を立てながら二十メートルは行き過ぎて、ようやく止まった。


「ごめんね、グリム」


 興奮状態のグリムに乱暴な手綱になったことを詫びて、ロザリーはうずくまる誰かを見た。

 女子生徒だ。

 ふんわりとした長い金髪に、スタイルのいい身体。


「……パメラ?」


 名を呼ぶと、パメラはやっと顔を上げ、フラフラと立ち上がった。

 ロザリーは、すぐに異常を察した。

 パメラは頭の先からつま先まで土に汚れていて、制服のあちこちがズタズタに破れている。

 腕を抱えているのは、大きく破れた胸元を隠すためか。


「鎧でわかんないけど……ロザリー、よね?」


 パメラは腕を抱えたまま、足を引きずりながら近づいてきた。


「お願い……助けて」


 兜の中で、ロザリーの眉がピクンと跳ねる。


「なぜ私に? パメラはウィニィ派でしょう?」

「……もう、殿下のところには行けない」

「なぜ?」

「嫌っ! 嫌なの! 男は嫌っ!!」


 もしかしたら。

 そう心のどこかで察していたロザリーは、パメラの叫びに不快感をあらわにした。


「まさか、最終試練ベルムでそんなことを? ありえない、いったい誰が!」

「やめて! もういいの!」

「パメラ……」

「……いいの。忘れるから」

「……」

「ロザリー、守ってくれる?」


 ロザリーは言葉に窮した。

 その様子にパメラはハッと顔色を変え、それから作り笑顔を張りつかせた。


「ごめん、迷惑だよね? 私は大丈夫、行って――」

「――パメラ。腕をどけてくれる?」


 パメラは一瞬驚いた顔をしたが、やがてその意図に気づき、胸を隠していた腕をどけた。

 彼女の制服に、所属を表す騎士団リボンはない。


「……わかった。でもこれからウィニィの騎士団を攻めるの。少し離れたところで降ろすから、隠れててくれる? 護衛はつけるわ」


 パメラは涙を滲ませ、こくんと頷いた――。


 ――ロザリーはパメラを乗せ、再び〝槍の塔エル・アルマ〟へとグリムを駆った。

 パメラは静かで、ロザリーの背中に顔を埋めている。

 地図を見て確認するまでもなく、〝槍の塔エル・アルマ〟は高くそびえている。


 やがてロザリーは〝槍の塔エル・アルマ〟に十分に近く、しかし戦闘に巻き込まれないであろうギリギリのところで止まった。

 グリムから降り、次にパメラを降ろし、最後にグリムを影へ戻す。


「あの岩陰がいいと思う」


 パメラは指示された岩場へ素直に向かった。

 だが途中で足を止め、小走りに戻ってきた。


「どうしたの?」

「ロザリー、怪我してない?」


 ロザリーは自分の身体をざっと眺めて、それから首を横に振った。


「してない。なぜ?」

「お礼がしたいの。迷惑かけたまま別れたくない」

「気持ちだけ受け取る。でも大丈夫だから」

「じゃあ、魔導は?」

「魔導?」


 パメラがスッと近づいてきて、甲冑の心臓のあたりに手を置いた。


「私、魔導を回復させる聖文術ホーリーワードが使えるの」

「……そんな術、聞いたことないわ」

「難易度高い割に、魔女の作る魔導充填薬エーテルのほうが即効性あるから、あまり使われないの」

「へぇ」

「上級聖文術ホーリーワードなんだよ? 使えるの、クラスで私だけなんだから!」


 そう言って胸を張ったパメラだったが、ロザリーの反応が悪いと見るや、すぐに顔を強張らせた。


「そっか……ロザリーって魔女だから魔導充填薬エーテル持ってる、よね? ごめん、私ってほんとバカだ」

「……お願い、しようかな」


 ロザリーがその場に座り込む。


「実は魔導、結構減ってたの。お願いできる?」


 パメラは目を見開いてバラ色の微笑みを浮かべ、「うん!」と元気よく頷いた。

 そして再び甲冑の心臓あたりに手を置き、魔導を巡らせた。


「動かないでね。じっとして……」


 パメラの気配が変わり、聖なる文言が紡がれる。


「おお、偉大なる神霊よ……失われし力を今一度この井戸に満たし給え……」


 普段の甘い声とは違う、朗々とした声だった。

 ロザリーの胸のあたりが温かくなった。

 そこだけ湯に浸かっているような奇妙な感覚。

 魔導が回復している実感がある。

 が、魔導充填薬エーテルを服用したときとはどこか感覚が違う。


「パメラ……」

「ん? どうかした?」

「何か、変」

「変って、どんなふうに?」

「うまく説明できないけど……」

「気分悪い?」

「ううん」

「眠たい?」

「眠くはないけど……」

「じゃあ、怠いとか?」

「ああ、近いかも」

「腕を上げてみて? はい、ばんざーい」


 言われるがままにロザリーが両手を上げる。

 しかし腕が酷く重く感じられて、途中で止めてしまった。


「ええっ? どうしよう。じゃあ、立てる?」

「ん……」


 ロザリーがのろのろと立ち上がる。

 パメラが一歩、二歩とロザリーから離れる。


「次は、ここまで歩いてみて?」


 言われてロザリーは足を踏み出そうとするが、それがなかなかできない。

 ついには一歩も踏み出せず、膝をついてしまった。


「大変! 歩けないの!? どうしよう、じゃあ……」


 パメラが駆け寄ってきた。

 そしてその勢いのまま――ロザリーの頭を殴りつけた。


「ッ!」

「困ったね? 殴られても殴り返せないよね?」


 ロザリーは困惑していた。

 パメラが殴りつけてきたこともそうだが、何より反応できない自分に、だ。

 そこへ再びパメラのこぶしが襲う。

 右、左、右――数発、間断なく殴ってから、最後に蹴りを見舞う。

 ふらつき、地面に手をついたロザリーがパメラを見上げる。


「パメラ……!」


 するとパメラは、ぶるっと身体を震わせた。


「やだ、こわいよぅ、ロザリー。そんな目で見られたら私――」


 言葉とは裏腹に、パメラの顔に愉悦が浮かぶ。


「――アハッ♡ やっつけなきゃって思っちゃう♡」


 パメラは腰から剣を外し、鞘付きの剣でロザリーを殴り始めた。

 何度も、何度も。

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