第91話 旅の終わり

 翌朝。

 出発の日は、空の高い清々しい晴れとなった。

 ラナがアルマを抱きしめる。


「ごめんね、アルマ。傷は大丈夫?」

「平気よ、ラナ。こっちこそアデルがごめんね」

「もう! なんでアルマが謝るのよ!」


 ラナはぷりぷり怒るアデルのほうへ回り、

「アデルも!」

 と言って彼女を抱きしめた。

 アデルは頬を赤らめ、怒るのをやめた。


「ラナ、これをあげる」


 アデルが取り出したのは、首飾りだった。

 アルマが首だけ振り向いて言う。


「少し早いけど、騎士になるお祝いよ」


 首飾りは金色のチェーンで、ヘッドに大きな宝石が一つ。

 ラナの髪色と同じ、海のような青を湛えた宝石だった。


「これも遺跡から発掘された魔道具なの」

「魔除けのペンダントなのよ?」


「……それってノアさんの形見ってこと? そんな大事なもの、もらえないよ!」


「いいのよ、一つしかないからケンカになっちゃう」

「だから着けずにきたのよね」


 ラナは首飾りを胸元で握り締めた。


「ありがとう……」


「ああ。ラナ、泣かないで」

「別れは笑顔で。ね?」


 今度は姉妹が、ラナを優しく抱いた。

 ロザリーはサベルと話していた。


「出会ったあの日、お前に斬りかからなくて本当によかったよ」

「またまた。斬りかかるつもりなんて初めからなかったんでしょう?」

「どうだかな」

「フフ。ま、そういうことにしておきます」


 サベルは笑みを消し、教え諭すように言った。


「ロザリー。お前はすでに化け物じみた強さがある。だからこそ、今後は気をつけろ」

「今後……ですか?」


「学生である今はいい。だが騎士になれば状況が変わる。魔導強きお前を、他の騎士は『すごい騎士だ!』などと褒め称えたりはしない。妬み、恨み、邪魔者と認識するだろう。お前に魔導で敵わぬからこそ、あらゆる手を尽くし、お前を排除しようとする」


「と言われても……どう対処すれば?」

「力を誇示することだ。それが敵の攻撃を抑止する」

「んん……なんか矛盾してません? 強いから邪魔者になるのに、もっと誇示しろなんて」

「かもしれん。だがそういうものだ」

「わかりました。先輩の忠告、肝に銘じます」


 ロブとロイは人型魔導具オートマタを含む大量の荷物を持ってきていた。

 そこへアデルとアルマが歩み寄る。


「ロブ、ロイ」「これも持って行って」


 そう言って、彼女たちは大きな本をロブとロイに手渡した。


「ノアさんの蝶の本……」「いいのか?」


人型魔導具オートマタの研究に必要になるわ」

「私たちが持っていても読めないしね」


「わかった」「必ず役立てる」

「そしてノアさんが探し求めていた――」

「――お前らを分ける鍵を見つけ出して見せる」


 姉妹は満足げに頷き、揃って腕を開いた。


「ロブ、ロイ」「最後に抱きしめてくれる?」


 ロブとロイは目を見開いて固まった。


「「……どうしてもか?」」

「「どうしても」」


 腕を開いて待つ姉妹に、ロブとロイは観念したように頭を掻いた。

 姉妹の両サイドにそれぞれ回り、彼女たちを抱きしめる。

 ロブとロイを入れ替えて、もう一度。

 身体が離れ、姉妹が言う。


「ずいぶん大荷物だけど」「背負っていくの?」


「いや、ロザリーの奴が大丈夫だって」

「でも、なんで大丈夫かは教えてくれないんだよな」


「せめて関所まで送ろうか?」

「馬車はすぐ用意できるし、そのほうが楽よ」


「だよな。……ちょっと待ってくれ」

「おい、ロザリー!」


 呼ばれたロザリーが振り向く。


「なに?」


「二人が関所まで送ってくれるって」

「そのほうがいいよな?」


「ううん、ここでいいの。私に任せて」


「そうか」「ってか、なぜここなんだ?」


 六人がいる場所は、領都イェルから少し離れた草原だった。

 監視者ネモを追うときに使った場所だ。


「なぜって……ここなら人に迷惑かからないでしょ」


 ロザリーの返事を聞いて、ロブとロイが顔を見合わせる。


「迷惑?」「な予感……」


「よーし! じゃあ移動の準備に入るよ!」


 ロザリーは振り返り、サベルたちに言った。


「サベルさんたちはもうちょい下がって」


 サベルと姉妹は戸惑いの表情を浮かべつつ、ロザリーたちから離れた。

 だがそれをロザリーが追い立てる。


「もっともっと。ほら、下がって」


 そして残された三人に向かって、ロザリーが叫ぶ。


「あなたたちは動かないで! そのまま!」


 動くなと言われた三人は、動揺を隠せない。


「ねえ、ロザリーは何をする気なの?」

「わかんねえ」「すげえ嫌な予感……」


 姉妹とサベルとロザリーは、叫ばないと声が届かないほどラナたちから離れた。

 ロザリーが精神を集中し、魔導を練り始める。

 それに合わせて、地面に落ちた彼女の影が、みるみる広がっていく。

 あっという間にラナたちの足元まで延び、さらに広がる。

 まるでちょうど真上に入道雲がわき出たかのように、草原が影に覆われていく。

 ロザリーが叫ぶ。


「準備完了! 最後のお別れをどうぞ!」


 言われた三人は、別れなど惜しむような精神状態にない。


「最後? 最期? どっち?」

「縁起でもねえこと言うな、ラナ!」

「ああ、やべえ。絶対悪いこと起きる……」

「はーい、お別れそこまで! では出発しまーす」


 ロザリーのセリフをきっかけに、草原じゅうの影が大きく波打った。

 地面の下から不気味な気配がする。


「何なの!? 教えなさいよ、ロザリー!」

「神様、俺にはまだやり残したことがあります。ラナとロイはあきらめますので、どうか……」

「てめえ、ロブ! 半身を簡単にあきらめんな!」


 混乱するラナたちを無視して、ロザリーがしもべに命じる。


「ラナたちを喰らえ! 大喰らいグラットン!」

「グモオオオォォォ!!」


 地の奥底から不気味な咆哮ほうこうとどろき、突如として草原が隆起した。


「「「うわあああああ!!」」」


 ちょうど隆起の真ん中あたりにいたラナたちが、宙高く打ち上げられる。

 地中から躍り出たのは巨大なクジラ――ポートオルカ沖でしもべにした大喰らいグラットンだ。

 隆起した部分はクジラの口先。

 大喰らいグラットンは宙をさかのぼっていき、巨体の腹の辺りまで影から出てきた。

 口の先端は山の高さにまで達している。

 そしてそこで、先に打ち上がっていたラナたち三人を、宙でパクッと一口で食べてしまった。

 すると大喰らいグラットンは中空で身を翻し、影へ向かって飛び込んだ。

 水飛沫の代わりに地響きが起こり、影が激しく波打つ。

 波は次第に小さくなり、同時に影も縮んでいった。

 やがてロザリーの影の大きさになり、波は波紋となって消えた。


「グリム!」


 次にロザリーは愛馬の名を呼んだ。

 黒い骨馬が前脚を掻きながら影から飛び出す。

 ロザリーが飛び乗ると、グリムは抗議するように身をよじった。


「長くほっといたから怒ってるの? ごめんね、拗ねないで」


 そしてロザリーは姉妹とサベルのほうを振り向いた。

 大喰らいグラットンを見た三人は、目を白黒させている。


「じゃ、またね!」


 ロザリーは軽く手を上げ、馬首を返した。

 地響きのような蹄音を立て、ロザリーは南ランスローを後にした。


 グリムは山も野も川も関係なしに、王都ミストラルへ向かって疾駆する。

 鞍上に落ちた影から、痩せた黒髪の騎士がゆらりと現れ出た。

 そのまま鞍の後ろに座り、ロザリーの腰に手を回す。


「ねェ、御主人様」

「なに、ヒューゴ?」

大喰らいグラットン。あんな風に使ってよかったのかイ?」

「ふふ、名案でしょ? 大喰らいグラットンの中で生存できることは、私自身も経験して実証済み。ラナたちを食べさせて影に入る。あとは私が全力で移動して、王都で三人を吐き出させればいいってわけ。ロブロイの荷物に水と食料をこっそり入れといたから、飢える心配もないわ。――そうだ、この技を【影移動】と名付けよう! どう?」

「イヤ、技の名前も結構だがネ」

「何よ、もっといい方法があったっていうの?」

「そういうわけではないんだケドモ」

「なら、これがベストでしょ?」

「ウーン」


 ロザリーはため息をついた。


「あのねぇ、ヒューゴ。あなたが思いもつかないしもべの使い方だから、面白くないのはわかるわ。でも、だからって素直に認めないのはよくないと思う」

「イヤイヤ、そういうことではないんだヨ」

「そうかなぁ」

「コレは可能性の話だけれど」


 そうヒューゴは前置きし、ロザリーの耳元で囁いた。


「キミの影は冥府の庭先。そうだよネ?」

「ええ、そうね」

「キミの影に沈めばたちどころに命を奪われ、死霊アンデッドと成り果てる」

「そして私の僕になる。黒犬みたいにね」

「じゃあサ、ボクが敵に覆いかぶさるようにして影に引きずり込んだ場合、ドウなると思う?」

「うん? 覆いかぶさるとか関係なくない?」

「そう、関係ないんだヨ。引きずり込めば結局は死霊アンデッドになる。……じゃあ、大喰らいグラットンに呑ませて引きずり込んだ場合は?」


 ロザリーの顔からサーッと血の気が引く。


「え? え? 待って、ちょっと待って……えっ?」

「もしかすれバ、大喰らいグラットンの腹の中は別空間と判定されるのかもしれない。でも、ボクは自信ないんだよねェ。キミの言う通り、こういう使い方をしたことないからサ」

「で、でも! ほら、荷運びバイトやってたとき! 生肉や果物を影に落としたけど、死霊アンデッドにはならなかったわ!」

「生肉や果物の死霊アンデッドは、聞いたことがないなァ」


 青白い顔のロザリーが、ゆっくりと振り返る。


「私……やっちゃったの?」

「さて、ネ」

「ど、ど、どうしよう。ラナたちが死霊アンデッドになってたら」

「だからボクにもわからないヨ。とりあえず一回、出してみる?」


 ロザリーは口をへの字に曲げて、プルプルと首を振った。


「……いやだ、恐い。王都に着いてからにする」

「そう。ではそうしよう」


 そこからロザリーは一切休みを取らず、王都を目指したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る