第81話 ひと月か過ぎて

「ふあぁ……」


 ロザリーは大きく伸びをして、草むらに寝転んだ。

 夏の盛りも峠を越え、南ランスローの盆地には秋の息遣いが聞こえてきている。


「いい天気……」


 空は青く、雲一つない。

 可愛らしい草花の群れが風に揺れ、いっそう眠気を誘う。

 ロザリーは静かに目を閉じた。


 南ランスローに来て、ひと月が経った。

 賊を狩り、監視者を排除したあの夜以来、南ランスローは至って平和だ。

 ラナは日々、訓練に明け暮れている。

 午前中はひたすらカシナ刀を振り、正午に領主姉妹との試合。

 午後からはまたカシナ刀を振る。

 この繰り返しだ。

 カシナ刀は魔導の消費が激しく、初めの頃は振り続けることさえできなかった。

 魔導枯渇して行き倒れているのをロザリーが見つけ、館まで背負って運んだこともあった。

 最近は魔導量も増え、夜にも訓練の時間を設けているようだ。


 一方ロブとロイは、あれから一度も館に帰ってきていない。

 例のアトリエに泊まり込み、研究・開発に明け暮れているのだ。

 先日、サベルが様子を見に行くと、双子は酷い体臭を放っていた。

 サベルが「風呂に入っているのか」と双子に問うと、「気が緩むから入らない」とハモった答えが返ってきた。

 サベルは双子の襟首を掴んで近くの川へ引きずっていき、川の中へ投げ落とした。

 するとどうしたことか、投げ落とした双子が一向に浮かび上がってこない。

 これはまずいと慌てたサベルが双子を川から引き上げると、双子は「水の中で魔導具のことを考えてた」とグッタリしながら声を揃えた。

 館へ帰ったサベルは、領主姉妹に「あの二人は病気だ」と報告したのだった。


 では、ロザリーはというと。


 近くの森からヒューゴが歩いてきた。

 寝転ぶロザリーの姿を見つけ、声をかける。


「野郎共の練兵が終わったヨ。ナンバーズもナカナカ仕上がってきた」


 ロザリーは横になったまま、手を挙げる。


「んー。ご苦労さまー」

「草むらでお昼寝なんて言いご身分だねェ?」

「まあね」


 ヒューゴは微笑み、ロザリーの横に腰を下ろした。


「ずいぶんご機嫌さん・・なんだネ」

「ここって素敵。豊かとはいえないけど貧しくもない。ミストラルみたいに人がごった返してないし――閉鎖的かと思ってたけど、慣れると人もあったかい」

「勝手に食事も出てくるしネ?」


 ロザリーはフッと笑う。


「それも大事なことね」


 この実習において、ロザリーがやるべきことはもうない。

 仲間たちの努力を邪魔しないよう、傍から見守ることこそが自分の役割であろう。

 そんなふうにロザリーは思い、また瞼を閉じるのだった。

 ヒューゴが言う。


「でも……退屈じゃないかイ?」

「これって平穏っていうんだと思うの」

「ナルホド、それは得難いものだ」

「でしょう?」


 と、そのとき。


「ロザリー! ロザリー、どこにいるの~!」


 と、聞き覚えのある少女の声。


「私の平穏を乱す者が……」


 ロザリーが口を尖らせていると、ヒューゴが立ちあがって手を振った。


「ここだヨ、ラナ」

「あっ、ヒューゴ! 大変! 大変なの!」


 大変と聞いて、ロザリーが跳ね起きる。


「まさか! 北ランスローが攻めて来たの!?」


 ラナは青い髪を振り乱して走ってきて、二人の前で息をつく。

 そして唾を飲むと、大変・・の内容を告白した。


「あのね? 私、ついに一本取ったの!」


 ロザリーが口を開けて固まる。


「……うん?」

「もしかして。アデルとアルマから一本取ったってことかイ?」


 ヒューゴがそう問うと、ラナは「うんっ!」と、元気よく頷いた。


「すごいじゃないカ、ラナ。着実に進歩しているヨ」

「へへ。そうかな?」


 ラナは俯き加減にはにかんだ。

 一方ロザリーは「なんだ、そんなこと……」と草むらに倒れ込んだ。

 ラナが彼女の顔を、上から見下ろす。


「そんなことってなによ! ロザリーも褒めてくれたっていいじゃない!」

「ラナ、すごーい」

「棒読みっ!」


 ラナがロザリーを踏みつけようと右足を落とすと、彼女は寝返りを打ってそれを躱した。

 ロザリーがうつ伏せで言う。


「一本取ったくらいじゃ、彼女たちを超えたとは言えないよー」

「そっ、それはそうだけど!」

「まだ先は長いなー。平穏な日々は続くなー」

「……平穏な日々?」


 ラナが首を捻ると、ヒューゴが笑った。


「御主人様はネ? のんびり、ぐうたら、できるのが嬉しいらしいんダ」

「ああ、そういうこと」


 ラナはうつ伏せに寝るロザリーを見下ろし、腕組みして言った。


「そんなんじゃ、鈍っちゃうよ?」

「鈍ってもいいもーん」

「もう、たるんでるなあ。……うん?」


 ラナが振り返る。

 さっき彼女が走ってきたほうから、聞き覚えのある二つの声がする。


「ロザリー!」「どこだー!」

「あっ、ロブロイだ。ロブロ~イ! ここだよ~!」


 ラナが手を振り、双子を呼んだ。


「また、平穏を乱す者が現れたようだヨ?」


 ヒューゴにそう言われ、ロザリーはうつ伏せのまま頷いた。

 ロブとロイは必死の形相で走ってきた。

 息も絶え絶えにたどり着き、ロザリーを睨んでいる。


「何か……あったの?」


 ロザリーのほうから恐る恐る尋ねると、双子はロザリー右手と左手をそれぞれに持って、彼女を引き起こした。


「頼みがある」「一緒に来てくれ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 領都イェル、ほど近く。


「ここは……お墓?」


 ロブとロイに半ば無理矢理連れてこられたのは、墓石の並ぶ霊園であった。

 ロブとロイは墓石の名を確認しながら、敷地に入っていく。


「私に何をさせる気?」


 ロザリーが問うと、ロブとロイが答える。


「ノアさん――アデルとアルマの親父さんのことだが」「彼の開発途中だった魔導具を、さっき完成させた」


「そうなの!? すごいじゃない!」


 ラナが二人を褒めるが、彼らの表情は暗い。


「調べれば調べるほど」「疑念が深まっていく」

「今日、魔導具が完成したことで」「疑念が確信に変わった」


 ロザリーが聞き返す。


「疑念って……何なの?」


 ロブとロイが矢継ぎ早に話し出した。


「ノアさんはすごい研究者だ」

「想像してたよりずっと、な」

「魔導具に対する深い理解」

「どこまでも透徹な思考」

「もちろん、技師としても超一流」

「技師連の筆頭でも彼には遠く及ばない」

「なのに、俺たちがひと月で完成させた魔導具に」

「半年以上、時間をかけている」


 ロザリーが首を傾げる。


「つまり……どういうこと?」


「おそらく、偽装だ」

「俺たちが見ているのは王宮に報告するための資料なんだろう」

「平凡な研究に時間をかけているふりをして」

「裏で本命の研究に時間を費やしていたんだ」


 今度はラナが首を傾げる。


「こっそり何かを研究してたってこと? なんで隠すの?」


 するとロブとロイが目を見開いた。


「それがわからないんだ!」

「何を隠しているのか! なぜ隠すのか!」

「ノアさんほどの人が何年もかける大きな研究だ!」

「でもそれがいったい何の研究かわからない!」

「アトリエにも書斎にも手がかりがない!」

「何かを必死に研究していたのは確かなんだ!」

「俺たちは調べまくった!」

「でもいくら調べてもわからない!」

「それでも知りたい!」

「ノアさんが人生を賭けた研究が何か――」

「「俺たちは知りたいんだぁぁっ!」」


 ロブとロイの叫びは、最後には悲鳴のように聞こえた。

 彼らの入れ込みようは、ロザリーとラナが引いてしまうほどだ。


「キミたちの望みがわかったヨ」


 離れたところからヒューゴの声。

 見れば、彼は墓石にもたれかかって微笑んでいる。


本人・・に聞いてほしいんだネ?」


 ヒューゴのもたれかかる墓石には、〝ノア=カーシュリン〟の名が刻まれていた。


「そう!」「そうなんだ!」


 ロブとロイが墓石に駆け寄る。


「もう、他に手がないんだ!」

「ネクロならできるだろ!? 聞いてくれ!」


「ちょっと待ちなさいよっ!」


 ラナが叫んだ。


「アデルとアルマのお父さんを、死霊アンデッドにするつもり!? お墓を掘り返して!?」


「それしかないんだ!」「仕方ないだろう!」


「それは恩人であるアデルとアルマへの裏切りよ! そんなこと許されない! いえ、私が許さないわ!」

「「ぐっ……!」」


 ロブとロイは反論できない。

 そこへ、ヒューゴが口を挟んだ。


「その心配は無用だヨ、ラナ。御主人様は死霊アンデッドにしなくても、死者と対話できる」

「えっ、そうなの?」


 ラナがロザリーを顧みると、彼女は頷いた。


「できるわ。でも……ノアさんとは対話できない。不可能よ」

「なんでだ!」「頼むよロザリー!」


 悲痛な叫びを上げる双子に、ヒューゴが笑って言った。


「だってノアの墓ここお留守・・・だからネ」

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