第71話 潜入
深夜。
南ランスロー関所の、側面にある岩壁に四人の姿があった。
四人がいるのは関所の城壁より高いところで、足場と呼べるものはほとんどない。
四人は岩にへばりつくようにして、横へ横へと移動している。
「押すな」「押してねーよ」
「肩が当たってる」「お前が遅えんだ」
「いいから早く行って、ロブロイ」
「先頭のラナが遅えんだよ」「だいたい、何でラナが先頭なんだ」
「発案者だからか?」「仕切り屋だからだろ」
ラナの妙案とは、つまるところ〝関所破り〟である。
夜陰にまぎれて勝手に南ランスローへ入ってしまおうというのだ。
領主姉妹にさえ会ってしまえば、あとはコクトーの名前と町長の手紙でどうにかなるというのがラナの考えだ。
楽観的すぎないかとロザリーは思うが、また心配性だ根暗だと言われるのが嫌なので黙って従うことにした。
ラナの頭だけが後ろを向く。
「うるさいよ、ロブロイ。気づかれたらどうするの。黙ってついてきて」
「ついて来てんだろ」「その上でお前が遅え、つってんだ」
「だ・ま・っ・て! って言ってるの!」
「「シーッ!!」」
ロブとロイが揃って口に指を当て、それから関所の城壁の上に目をやった。
関所は堅牢な造りで、四方を囲む城壁の上は通路になっている。
城壁の四隅には一段高い見張り台があり、その屋根の上には角笛を咥えた悪魔の石像が、不気味に睨みを利かせている。
夜目が利くロザリーが目を凝らし、人の気配を探る。
見張り台にも通路にも、人影はない。
「……大丈夫、誰もいない」
ラナとロブとロイが、同時に安堵のため息を吐く。
ロザリーがボソリと言った。
「捕まりたくないなぁ……」
「何当たり前のこと言ってるのよ、ロザリー」
「もう賞金首は嫌なの」
するとロブとロイが同時に吹き出した。
「あー、それな」「経験者が言うと重みが違うぜ」
「へーきへーき。捕まらなきゃいいんだから」
ロザリーが三人に言った。
「とにかく。ここからは口を開かず行こう」
三人は黙って頷いた。
手元と足場を気にかけながら、そろそろと岩壁を這っていく。
順調に歩を進め、やがて関所の真横に差し掛かったとき。
ロザリーが前を行く三人に声をかけた。
「ねえ」
三人は振り向いただけで返事をしない。
また前を向き、そろそろと進む。
再びロザリーが声をかけた。
「ねえ!」
三人はまた振り向き、ロザリーへ抗議の顔を向けた。
ラナが囁き声で言う。
「口を開かず行くんでしょ?」
するとロザリーは関所のほうを指差した。
「変じゃない?」
ロザリーが指差したのは、見張り台の屋根の上。
角笛を咥えた悪魔の石像だ。
「……何が変なの?」
ラナが首を捻ると、ロブとロイがハッと気づいた。
「確かに変だ」「こっち向いてる」
悪魔の石像は門の外――つまり街道側を睨んでいたはずなのに、今は真横――ロザリーたちのほうを向いている。
「嫌な予感……」「戻るか?」
「そのほうがいいね」
来た道を戻ろうとするロブロイとロザリー。
それをラナが止めた。
「待って! あきらめるの?」
「そうじゃない」「別の方法を考えよう」
「その方法がないからこうして――きゃっ!?」
ラナが足を踏み外した。
落ちるすんでのところで、岩肌にしがみつく。
こぶしほどの岩の欠片がガラガラと落ちていった。
「……ラナ。一旦戻ろう?」
ラナは無言で、コクコクと頷いた。
が、そのとき。
プオオォォォ!! と角笛の音が響いた。
ギョッとして音の元を見る四人。
発生源はもちろん石像の角笛で、また見てる前でけたたましく鳴る。
今度は音色が四つ。
他の見張り台にある石像の角笛も鳴っているようだ。
大音量が岩壁に反響して、深夜の静寂を切り裂いていく。
にわかに関所の中が騒がしくなった。
大勢の声や足音が聞こえ、門や城壁の灯りが増える。
「見つかった!」「逃げるぞ!」
四人が後退を始める。
だがほどなく、城壁の上の通路に五、六人の兵士が飛び出してきた。
彼らは周囲を見回し、岩壁のロザリーたちに気づく。
そのうちの一人が手に持った筒状の物を操作し、その先を四人に向けた。
眩い光の帯がロザリーたちを照らし出す。
「眩しい! 何よ、これ!」
「魔導ランプだ!」「方向を限定して光量を上げてやがる!」
「って言っても眩しいにも限度があるでしょ! 何も見えないっ!」
照らされた場所は、真夏の日差しのように明るい。
見張り台や、門の外に出た兵士も気づいた。
光の帯が一つ、また一つと増えていく。
「抵抗するな!」
「下りてこい!」
「投降しろ!」
四人は顔を見合せ、それから息ぴったりに肩を落とした。
翌早朝、南ランスロー領内。
四人は馬車の荷台にいた。
といっても、年寄り馬の馬車ではない。
鉄格子付きの牢馬車の上だ。
年寄り馬の馬車は接収されて、牢馬車の後ろを走っている。
「ごめん、みんな。私のせいで……」
ラナがしゅんと小さくなって言った。
「らしくないから謝らないで。みんなで決めたことよ」
ロザリーがそう言うと、ロブとロイも黙って頷いた。
ラナがそんな三人の顔色を、上目遣いで覗く。
「……本心から、そう思ってる?」
すると三人の本心は、呆気なく漏れ出てきた。
「もうお前の『へーきへーき』は信じない」「ぜんっぜん平気じゃないからな」
「私はまた賞金首よ」
「うぅ、ごめんなさい……」
ますます小さくなるラナ。
だがふと、青髪を揺らして顔を上げた。
「賞金首は変じゃない? 捕まってない犯罪者に賞金をかけるから賞金首であって……私たちはもう、捕まってるじゃない」
するとロザリーに代わって、ロブとロイが囁き声で答えた。
「真面目ちゃんだなあ、ラナ」「大人しく罰を受けるつもりなのか?」
ラナはハッとして、双子に顔を寄せる。
「……逃げるのね?」
「俺たちはその気になりゃあ、いつでも逃げられる」「なんせ黒獅子級のロザリーがいるからな」
「そっか、そうよね。……でも、じゃあ何で素直に捕まったの?」
「南ランスローに入れたでしょ?」
そう言って、ロザリーはウィンクした。
ラナは鉄格子の外を見つめ、コクコクと頷いた。
「いつでも逃げられるなら、捕まって領内に連れてってもらおうってわけか……じゃあ、いつ逃げる?」
「しばらくはこのままね」
「なんで? 逃げるなら早いほうがよくない?」
ロブとロイが首を横に振った。
「何のために南ランスローに来たんだよ」「領主姉妹に会うためだろ?」
「捕まってれば会えるの?」
「通常、領内の裁きは領主に一任されてる」「俺らの前に領主が出てくる公算は大きい」
ラナの顔がパァッと輝いた。
「何だもう! 三人とも、はじめからそのつもりだったの? 早く言ってよ!」
「わかってねえな」「出てこない可能性だってあるんだぜ?」
「領主様はお忙しい!」「よってこの場で裁きを下す!」
「関所破りは打ち首!」「……ってな具合にな」
「……そのときは逃げるってわけね?」
「そう。そしてロザリーはまた賞金首になる」「俺たちもな」
「ああ……やっぱりごめん!」
「もう謝らなくていいから」
ロザリーは頭を下げようとするラナを止め、それから御者台の兵士に言った。
「私たち、どこへ連れていかれるの?」
返事はない。
鉄格子越しの兵士の顔は無表情のままだ。
「領主のいる領都イェルね?」
やはり兵士の顔色は変わらない。
だが一瞬、瞬きが多くなった。
ロザリーはラナたちを見つめ、「おそらくそう」と目配せした。
ロブとロイが小声で言う。
「地図の上でも、領都以外は村しかなかった」「牢獄も領都にしかないだろう」
「あとは……天に運を任せるだけね」
ラナがそう囁くと、ロザリーは窓の外を眺めた。
「運次第でまた、賞金首かぁ……」
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