第39話 ロザリー‪✕‬コクトー

 ロザリーは黄金城パレス高層、貴賓室に滞在していた。

 異国の外交官などが宿泊する部屋である。

 間取りは馬鹿馬鹿しいほど広く、調度品は国威を示すかのように豪奢だ。


 ロザリーも初めの内こそ、この待遇を喜んだ。

 部屋を隅々まで調べて回ったり、高層からの眺めを楽しんだり、贅を尽くしたディナーに舌鼓を打ったり。

 だがそんな気分も一晩寝たら冷めた。

 これは軟禁であると気づいたからだ。


「何を眺めているんだイ?」


 ヒューゴがロザリーに尋ねた。

 ロザリーは窓の額縁に腰かけ、物憂げに外を眺めている。


「今年は先の尖った靴が流行りらしくて」

「ふぅン」

「履いた人が街に何人いるかなって数えてる」

「……楽しいの、ソレ?」

「つまんない」


 そう言って、ロザリーはため息をついた。


「キミが何を考えているか当てよう」


 ヒューゴは両手の人差し指を交互に動かし、からかうようにロザリーを指差した。


「お友だち――特にグレンって子のことだネ」


 ロザリーはふいっと目を逸らした。

 ヒューゴが追い打ちする。


「何度も忠告したハズだ、隠す必要なんかないって。キミはそれが平穏をもたらすと考えているようだケド、むしろ逆。トラブルの元だ」


 ロザリーはヒューゴが煙たくて、レースのカーテンを勢い良く閉めた。

 窓とカーテンの間で、ロザリーは思いを馳せる。

 それは王都で過ごした、甘く遠い学生生活のこと。


(あっけないな。たった二年で終わりかあ)


 すると、部屋の扉がノックされた。

 折り目正しい音。

 昼食の時間はまだ先だ。


「はい」


 ロザリーはカーテンの裏から出てきて、扉に向かった。

 無言でヒューゴに自分の影を指し示すと、彼は口を尖らせながらも黙って影へ潜る。


「お待たせしました。何の御用でしょう?」


 努めて行儀よく扉を開けると、東方系の顔立ちの男が立っていた。

 彼の地味だが仕立ての良い服を見て、ロザリーは行儀良くして正解だったと心中で頷く。


「私は王の側に仕えるコクトーという。今日は君にニ三、質問があってきた」

「わかりました。中へどうぞ」


 ロザリーは部屋の主のように振舞い、応接用のソファへと案内した。

 コクトーが座り、ロザリーも応接机を挟んで座る。


「まずは、ウィニィ殿下を窮地より救い出してくれたこと、陛下に代わり謝意を述べさせてもらおう」


 ロザリーは無言で頷いた。

 コクトーが笑顔を貼りつかせて続ける。


「陛下は大変お喜びだ。君へ勲章を授与するとまで言い出されたほどだよ」

「そうですか。その感謝の表れが、この豪勢な牢獄・・であるわけですね」


 するとコクトーの作り物の笑顔が、本来の皮肉めいた物へと変わった。


「クク、手厳しいな。だが仕方あるまい。この国において、死霊騎士ネクロマンサーとは恐るべきものであるらしいからな」

「私のことを調べて」

「当然だ。王子誘拐未遂事件を嵐とすれば、君はその渦の中心にいる」

「なるほど。で、どこまで調べがついたのです?」


 ロザリーは余裕たっぷりに足を組んだ。

 死霊騎士ネクロマンサーだとバレているなら、それ以上に知られて困ることなどない。


「ロザリー=スノウウルフ。ソーサリエ三年生。魔導性は魔女騎士ウィッチのイレギュラー、死霊騎士ネクロマンサー


 ロザリーもここまでは、余裕を持って聞いていたのだが。


「本名ロザリー=スノウオウル・・・。魔導八翼ルイーズ=スノウオウルの愛娘。鳥籠にいたが五才のときに失踪、以後消息不明となる。十二才のときに王都へ戻り、ソーサリエに入学し、今に至る」


 ロザリーはわかりやすく動揺した。

 思わず口を手で覆い隠し、瞳が激しく揺れる。

(鳥籠出身!? ルイーズの娘!? この人、何を言って……ええっ!?)

 すると、心の中で声がした。


『落ち着きなヨ、御主人様』


(落ち着いてなんかいられないよ! ヒューゴだって今の聞いたでしょ!?)


『聞いタ。本当かねェ』


(だいたい、何で本名がバレて――やっぱりスノウウルフって偽名がそのまますぎたんだ! ああ、入学のときもっと真剣に考えるんだった!)


『たぶん、そこは重要ではないヨ』


(そうなの?)


『魔導八翼とは皇国の大いなる騎士、八人のコト。ソノ娘が王都にいたのなら、王国にとって超が付く重要人物だ。王都に戻った以上、遅かれ早かれバレていただろう』


(そんなもんか……)


『ってかサ、キミは王国生まれなのかイ? 鳥の名だからてっきり皇国生まれだとばかり』


(覚えてない。……ただ、夢を見る)


『夢?』


(母さんと別れる日の夢。最近気づいたんだけど、その場所が〝金の小枝通り〟なの)


『……ナルホド』


(うー、でもわからない! 夢の中で、最近見てる光景とごちゃ混ぜになってるだけかも!)


『ルイーズという名に覚えは?』


(ない。お母さん、って呼んでたし。他の人にも、ルイーズとは呼ばれてなかったと思う)


『フム。ま、とにかく確かめよう』


(どうやって?)


『目の前の男に聞くといい。どうもこの男は、キミやボクよりキミのコトに詳しいみたいだから』


(そうね。ようし……)


 ロザリーが視線を向けると、コクトーは静かに待っていた。

 ロザリーを思いやって待っていたというより、ロザリーの反応を楽しんでいる様子だった。

 ごくんと唾を呑み、ロザリーが尋ねる。


「……私は、鳥籠にいたのですか?」

「ん? 覚えていないのか?」

「覚えていません。だから、あなたの言うロザリーが自分のことか、正直わからなくて」

「ふむ。鳥籠にロザリー=スノウオウルという少女がいたのは事実だ。記録によれば君と同じ年齢で、肌が白く黒髪で、紫の瞳をしていたという」

「……まるで、私ですね」

「私はそう確信している。君の口から確かめたいと思い、ここに来たのだが……覚えていないとは困ったな。何か、思い出せることはないか?」


 ロザリーの目が応接机の上を泳ぐ。


「コクトー様の仰ることと矛盾はないです。でも、私は確信を持てません」

「そうか」


 ロザリーがハッと視線を上げる。


「そのルイーズって女性はどんな方なんですか?」

「魔導八翼〝白薔薇〟のルイーズ。八翼とは皇国圏で最も魔導強き八人を指す」

「すごい騎士なんですね」

「極めて優れた騎士と言えるだろう」

「その人、今は?」

「行方知れずだ。生死もわからない」

「そう、ですか。……もう少しわかりませんか? ほら、外見とか」

「外見か」


 コクトーはルイーズ=スノウオウルの名を鍵にして、記憶の糸を手繰った。


「当時の皇国騎士人物評にこうある。――氷と雪に親しい精霊騎士エレメンタリア。冬の女王の生まれ変わり。銀髪、痩身。見眼麗し――どうだ?」


 ロザリーがしきりに頷く。


「母は長い銀髪で細身でした。特徴は合ってます」

「あとは、そうだな……」


 コクトーが再び記憶の糸を手繰る。


「外見ではないが、ルイーズと会った東方の商人が手記にこう記している。――彼女が〝白薔薇〟と呼ばれるのは、美しさだけが理由ではない。薔薇の香水を愛用しているからだ――と」


 ロザリーは両手で顔を覆った。


「……母です。いつも薔薇の香りを漂わせていた」

「やはりそうか」


 コクトーは静かに頷いた。


「私が知りたいのは。ルイーズの娘である君が、果たしてどんな少女なのかということだ」

「……どんな、とは?」

「君は将来有望な騎士候補生の一人に過ぎないのか。それとも王国にあだなす災厄の申し子なのか」

死霊騎士ネクロマンサーだからですか? それとも皇国騎士の娘だからですか?」

「その両方だ」


 ロザリーが眉を寄せる。


「自己弁護する方法が思いつきません。確かに私は死霊騎士ネクロマンサーで、皇国騎士ルイーズの娘でもあるようなので」

「自己弁護の必要はない。私が判断する」


 そしてコクトーは、机に被せるように身を乗り出した。


「君には私の知らない七年の空白がある。五才から十二才まで、君はどこで何をしていた?」

「私は――」


 そこまで言って、ロザリーはどう答えるべきか迷った。

 するとヒューゴの声が頭に響いてきた。


『コノ男は東商人だ』


(あずま……なにそれ?)


『東方商国の貿易商のコト。真偽不明の情報が飛び交う世界で、彼らは正しい情報だけを炙り出す手管を知ってる。嘘は通用しない。正直に答えたほうがいい』


(……わかった)

 ロザリーは初めから言い直した。


「私は五才の時に母に捨てられて、すぐ別の人に拾われて、十才まで山の中の研究所にいました」

「すぐ拾われた、か。それは攫われたのでは?」

「違うと思います。母との別れは覚えているので」

「ふむ。研究所とは?」

「〝旧時代〟と呼ばれる古代文明の研究所です」

「〝旧時代〟か。魔導具関連だな。どこにある?」

「西の果ての山岳地帯に。そこに〝旧時代〟の遺跡群があって」

「それは皇国の研究施設か?」

「わかりません。隠れ里のように存在していたので、てっきり独立した施設なのかと」

「どこの国にも属さない魔導具研究機関がある、という噂は聞いたことがあるが。……君はなぜ、そこにいたのだ?」

「遺跡で発掘された遺体から、情報を引き出すために」

「ほう! なるほど、そういう力の使い方もあるのか。実際に引き出せていたのか?」

「一部は。古すぎる遺骨は会話もままならなくて」

「遺骨と会話か、面白いな。それで、どうしてその研究所を出た?」

「利用されるのが嫌になって、飛び出しました」


 コクトーがすうっと目を細める。

 愉快そうにしていた気配も消えた。


「偽りを混ぜたな? 急に嘘が臭い始めた」


 ロザリーは思わずついた嘘を飲み込み、真実を話した。


「……私の利用価値がなくなって殺されそうになり……返り討ちにしました」


 コクトーはひとつ、頷いた。


「それでいい」

「嘘は通用しませんね。気をつけます」


 ロザリーが目を伏せると、コクトーは小さく首を横に振った。


「そのことではない。返り討ちにしたことだ」

「は?」

「嘘をついたということは、それを後ろめたく思っているということだ。だが君は力ある騎士であり、自身の命を防衛しただけのこと。気に病む必要はない、それでいい」


 思いがけない言葉に、ロザリーは目を瞬かせた。


「は……ありがとうございます」

「礼には及ばん。当然のことを言ったまでだ。……さて、それがいくつの時だ?」

「十才です。そこから旅暮らしをしつつ移動し、王都に着いたのは入学の直前です」

「王都へは母を求めて?」

「いえ、入学が目的です。母と暮らしたのが王都だとは思いもしなかったので」

「なるほど。……最後に。ヒューゴという騎士について知っているか?」

「っ!」


 ロザリーは背筋を伸ばして固まった。

 ヒューゴの不満げな声が頭に響く。


『ったく。キミは態度に出しすぎだヨ』


(でも、だって! なんでヒューゴのことまで知ってるの!?)


『別に不思議でもないだろう。ボクは何度か人に見られているし、キミも人前でボクの名を呼んでいる』


(嘘っ! いつ!?)


『アトルシャンの頭目を仕留めたときとか。キミはボクの名を呼んで影から呼び出した』


(あぁ……そういえば……)


『しかし困ったネ。できればボクのことはあまり知られたくないんだケド』


(でも、この人に嘘は通用しないんでしょ?)


『ソレはそうなんだけどサ。ボク、戦時中に王国の人をかなり殺めちゃったんだよねェ』


(聞きたくないけど。……どのくらい?)


『五……いや、六ケタ?』


(うわぁ、最低……)


『すまないネ。上手くごまかしてくれたまえ』


(簡単に言うよね、もう)


 ロザリーがコクトーに視線を向けると、彼は言った。


「その顔は知っているようだな?」


 思わずとぼけたくなるが、目の前の男は難なく看破するに決まってる。

 そう思ったロザリーは、嘘を交えず、しかしできるだけ簡潔に答えることにした。


「ヒューゴは、私のしもべです」

しもべ?」

「えーと、精霊騎士エレメンタリアでいうところの使い魔みたいな」

「ふむ。騎士ではないのか」

「騎士と言えば騎士です。生前は騎士だったので」

「どうやってしもべにしたのだ?」

「彼の遺骨に語りかけて」

「なるほどな。ヒューゴは今も魔術を使えるのか?」

「使えません。死霊アンデッドとしての能力はあります」

しもべということは、君の支配下にあるのか?」

「そうです」


 これ以上聞かれたらどう答えようか。

 ヒューゴの素性や【葬魔灯】について聞かれたら、洗いざらい告白するべきなのか?

 隠そうとすればきっとバレる、でも何もかもは話したくない。

 そんなふうにロザリーがぐるぐると思案していると。


「まあ、いいだろう」


 コクトーはそう言って、すっくと立ち上がった。


「あの……?」


 ロザリーが問うと、コクトーは片眉を上げた。


「話は終わりだ。なかなか楽しかったぞ、スノウオウル」

「はあ、どうも」


 コクトーはそれっきりで、部屋の扉へ向かって歩き始めた。

 ロザリーは意を決し、コクトーの背中に問いかけた。


「あの! 私、ソーサリエに戻りたいのですが!」


 コクトーが扉のノブに手をかけたまま、振り返る。


「戻ればいいのではないか?」

「いつ、戻れますか?」


 するとコクトーは扉を開け放ち、

「戻りたいなら、今すぐ戻ればいい」

 と、言った。


 ロザリーが目を見開く。


「でも私、死霊騎士ネクロマンサーだし、皇国騎士の娘ですし」

「知っている。だから私が確かめた」

「今ので!? 今の質疑だけで私をソーサリエに戻していいんですか!?」

「まるで戻りたくないと言っているように聞こえるが」

「そうじゃないです、戻りたいですけど……」

「けど?」

「……死者を操るなんて、気味悪くないですか? みんな、そう思うんじゃないかって」

「ふむ。だから『戻していいのか』と」


 コクトーはノブから手を放し、両手で指を六本、立ててみせた。


「六枚羽根。これが何を意味するかわかるか?」

「羽根?」

「〝黒犬〟のボルドークは覚えているな?」

「〝黒犬〟……私が討ち取ったアトルシャンの騎士ですね」

「彼は六枚羽根・・・・の騎士だった。羽根とは皇国騎士章の羽根飾りのこと。騎士章はそれ自体が魔導具で、騎士の魔導量を表す仕組みになっている。――つまり、皇国の騎士は羽根飾りの枚数が多いほど、強力な騎士であるということだ」

「はあ」

「六枚羽根とは、我が国で言うところの大手騎士団の筆頭騎士相当。数えるほどしかいない強者だ。君はその騎士を討ち取った。それどころか部隊ごと殲滅してみせたのだ」

「……はい」

「君は学生にしては強いどころではない、国の軍事を左右する大駒だ。そんな騎士をみすみす手放すと思うか? 気味が悪いなど、取るに足らん些事だ」

「些事、ですか」


 ロザリーは叱責と称賛を同時に受けているような、複雑な気分になった。

 コクトーが続ける。


「もう後戻りできんぞ。今回、力を示したことで、君の状況は一変した。妬み、反感、憎悪……私が手放しがたいと思うのとは裏腹に、君の存在を快く思わない者たちは大勢いよう。君を排除しようという動きが現れるのも時間の問題だ。だがそれは、死霊騎士ネクロマンサーであることよりも、持つ力の大きさによって引き起こされるのだと知れ。……これからはスノウオウルと名乗れ。以前とは違うのだと、自ら示すのだ」


 そしてコクトーは去り際にもう一度振り向き、最後に言った。


「自覚しろ、スノウオウル。自分は強者であると」

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