第33話 聖なる壁

 ロザリーは森を攻め進んでいた。

 敵の抵抗は、あるも無いも関係ない。

 死の軍勢は波が打ち寄せるように、一方的に敵陣を侵食していく。


 だが、その波を阻むものが現れた。

 天上から降り注ぐ光のカーテン。

 光はうねりながらアトルシャン兵を包み込み、護壁となって骸骨たちを退けた。


「これは……何?」


 眉をひそめるロザリーに、ヒューゴが囁く。


「耳を澄ましてごらン」

「耳?」

「いいから」


 言われた通りにロザリーが耳を澄ます。

 するとどこからか場違いな旋律が聞こえてきた。


「……歌?」


 その旋律は、賛美歌のような荘厳な響きであった。

 ヒューゴが頷く。


「合唱聖文術ホーリーワード。守護壁を作り出す聖文術ホーリーワードを、他の聖騎士パラディンが聖歌で補強・拡大しているんダ。こうなると聖文術ホーリーワードを苦手とする死霊アンデッドにはなかなか厳しいネ」

「ヒューゴ。どうすればいい?」

「術者を叩く。聖歌はあくまでサポートで、核となる術者は一人だけダ」


 ロザリーは覆面を押し下げ、敵陣に目を走らせた。

 兵の後ろに隠れるように、何十騎もの騎馬がいる。


「騎乗しているのが騎士ね。歌っているのが十……三十くらい。残りは歌っていないけど……んー、わからないな」

「見ただけで捜し出すのは難しいヨ。向こうだって隠すしネ」

「なら、片っ端から倒すだけ」


 ロザリーは剣を抜き、ありったけの魔導を身体中に巡らせた。

 血が滾り、力が漲る。

 膨大な魔導が身体から溢れ、周囲の空間を陽炎のように歪ませた。

 ヒューゴが歓喜に顔を崩す。


「素、晴、ラ、シイ。美しくすらある」


 対するアトルシャンの騎士たちにははっきりと動揺が現れていた。

 常軌を逸したロザリーの魔導圧に、誰もが顔を引き攣らせ、歌う声は揺れている。


「ヒューゴは核の術者を捜してくれる?」

「お任せヲ。御主人様」


 ヒューゴが影にとぷりと消えた。

 それを合図に、ロザリーがグリムを駆る。


 光のカーテンを突き破り、敵陣へ。

 ただの兵卒は歯牙にもかけない。

 グリムが兵を蹴散らし、ロザリーが手近な騎士へ力任せの一撃。


 馬ごと吹き飛んだ騎士を追い越して、後続の騎士を鎧ごと貫く。

 背を向けて逃げ出した騎士の背中を、グリムの蹄が地面へ縫い付ける。


 遅れて向かってくる騎士を一刀のうちに斬り倒し、後ろから迫る騎士はグリムが後ろ脚で蹴り上げる。

 そして再び、別の騎士の塊へ突入。


 まるで、荒れ狂う暴風であった。

 ロザリーとグリムが吹き抜けた後には、騎士の身体がいくつも横たわっている。


「尋常ならざる敵。そうは言っても限度というものがあるだろうが……!」


 合唱聖文術ホーリーワードの核――副長は、白髭の奥で歯噛みしていた。

 目の前の怪物・・は、想定を遥かに超えている。


 撤退すべきか。


 ふいによぎったその考えを、副長は頭を振って追い出した。


「ありえん。まだいくらも時間ときを稼いでいない。だが、このままでは……」


 長きにわたる戦場経験と照らしても、答えは見つからない。

 後方の空をちらりと見やるが、やはり赤の狼煙は見えない。

 と、そのとき。


「――どこを見ているの?」


 驚いて視線を前に向けると、自分の鞍に若い女が跨っていた。

 波打つ赤毛と今にもこぼれ落ちそうな乳房――その得体のしれぬ魅力に、副長は思わず仰け反った。

 若い女――ヒューゴが嗤う。


「あなた素敵よ? 核の役割をこなしながら気配を隠すのって、そう簡単にできることではないもの。熟練の技と表現すべきものね。おかげで見つけ出すのに手間取っちゃった。――でも、残念。魔導自体は大したことないのね?」


 副長はハッと我に返り、腰の剣を抜いた。

 だがその瞬間、ヒューゴはもういない。


「遅い。その鈍さは致命的」


 副長の後ろから、女の細腕が首に回された。

 信じられない怪力で、副長が馬から引きずり落とされる。


「ぐうっ!」


 落馬した副長は、頬を地面に打ちつけたまま、目を見張った。

 自分に抱きつく女の胸から下が、地面の下に消えている。


「冥府はまだはるか下。さ、一緒に堕ちましょう?」

「ぬ、は……うあああっ!」


 副長はヒューゴによって、地面の下へと引きずり込まれていった。


「光のカーテンが……消える?」


 ロザリーが空を仰ぐ。

 降り注いでいた光のひだが薄らいで、次第に消えていく。

 聞こえていた歌も消えた。

 術の崩壊を確信したロザリーは、大声で叫んだ。


「進め! 〝野郎共〟!」


 死の軍勢はゆっくりと、そして整然と、浸食を再開した。

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