第28話 暗中飛躍
ロザリーは夕闇の荒野を
体が軽い。
自分を幾重にも捕えていた重い鎖が外れたかのようだ。
軽すぎて転びそうになり、慌てて逆の脚を前に出す。
その繰り返しだけで、ぐんぐん前に進む。
風を切り裂き、周囲の景色が星のように流れていく。
「気分いいな」
ロザリーは思わず、そう漏らした。
王都ミストラルに来てから、こうして全力で走ることなど、ほとんどなかった。
それは目立たぬよう魔導を抑えてきたからで、特に寮に入ってからは一度もない。
久しぶりに膨大な魔導が流れる感覚は身体中の細胞を目覚めさせ、ロザリーの頭を隅々まで澄み渡らせていった。
『やーっと理解したんだネ』
心の内から声がした。
『魔導は解放してこソ。出し惜しみなんかすべきじゃない。ボクと旅した頃は、よくこうして駆けたものダ』
「……ヒューゴ。お説教するつもり?」
『
「
『ソレならソレでいい。ボクが許せないのは、自らに枷を付けるような行為そのものダ。キミはボクの魔導を余すことなく受け継いだっていうのに、それがやましいことであるかのようにひた隠しにしている。与えられた力を制限するなんて、神への冒涜だヨ』
ロザリーは鼻で笑った。
「あなたが神を?」
『ボクにだって信じる神はいるサ。誰にだっているし、死者にだって神はいる』
「死神? それとも邪神の類? ま、いいわ。今は忙しいから後にしてくれる?」
『そうだネ。持てる力を存分に振るって、大事な大事なお友だちを窮地から救ってあげたまえ』
ロザリーが一瞬、言葉に詰まる。
「
『ひよっこ騎士たちを眺めるのは、こっちまで若々しい気分になれて悪くないからネ』
「五百才が若々しい、ねぇ」
『文句あるかイ?』
「いーえ。……それで、なぜ窮地だと思うの?」
『ほう。ボクを試すつもりかい? いいだろう、御主人様に答えて差し上げよう』
ヒューゴはそう勿体ぶってから、得意げに解説を始めた。
『アノ死体はただの兵卒ではなく、魔導騎士のものダ。損傷が激しくて見た目からはわからないけれど、わずかに魔導の
「ふぅん」
『通常、騎士が絶命すれば、その魔導は大地へ還るもノ。なのに残っていたのは、死体の騎士が、死の直前に魔術を使おうとしたからサ。そして、術が成る前に殺された。術の対価に差し出した魔導が、行き場を失って死体に残留していた、ってわけダ』
「へー」
『魔導騎士を殺せるのは魔導騎士。魔術を使おうとした魔導騎士ヲ、術が成る前に殺せるのは――手練れの魔導騎士ダ。死体の状況から見て、残酷でもある』
「ふーん」
『犯人も目的もわからないケド、危険人物であることは間違いないだろう。そんなのと出くわしてしまったら、ひよっこ騎士たちではひとたまりもない。……彼らの元を離れたのは正解だヨ。どんな相手でも君ならどうとでもなるが、四百人の
「ふむふむ」
すると、ヒューゴがつまらなそうに言った。
『何だイ、さっきから。「へー」とか「ふーん」とか、つれない反応ばかり。ボクの答えがそんなにつまらなかった? それとももしかして、キミもひよっこたちと同じように、何もわかってなかったのだろうか? この単独行動もたまたま? だとすれば……ああ、なんて嘆かわしい!』
そんな挑発的なヒューゴの物言いにも、ロザリーは顔色一つ変えない。
「ううん、ヒューゴの推測は流石よ。でも、それじゃあ情報が足りないかな」
『ほう! 御主人様は何もかもお見通しなんだネ! では、愚かな下僕にご教示くださいますかナ?』
慇懃無礼な物言いにも、やはりロザリーの顔色は変わらない。
ただ淡々と、説明を始めた。
「あの死体は、皇国に従う国の一つ、アトルシャン公国に伝わる
『……そうなノ?』
「敵の総数は千以上。魔導騎士の数はわからないけど、少なくはない」
『へえ』
「死体は、課外授業で行く予定だった砦所属の騎士ね。学生が来る前に下見に来て、アトルシャンの部隊と出くわしてしまった。それが二日前――私たちがミストラルを発った日のこと」
『ふぅン』
「目的はわからないけど、作戦を帯びている精鋭部隊ね。そんなのと学生の一団がかち合ったら、ただじゃすまない。あなたの言う通り、死人が出る」
『だろうネ』
「事態は切迫してるわ。私がやるしかない。先に見つけて排除する」
『……うン。あのネ、御主人様。その結論に異議はないケド、ひとつ聞きたいことがあるんだが――』
ヒューゴは最大の疑問を口にした。
『――どうやってそれらの情報を知ったんだイ?』
するとロザリーは短く答えた。
「
ヒューゴは固まり、目を瞬かせる。
『……なんだ、そういうコト?』
「
『ボクとしたことが迂闊だったヨ。そうだよ、死んだ当人に聞けばいい、ネクロなんだから。……でも、いいのかイ?』
「何が?」
『大いなる魔導を持つことも、
「……うまくやる。そのためにも一人になったんだもの」
『そう。ならいいケド』
それっきり、心の内のヒューゴは黙った。
代わりに、ロザリーの頭にシモンヴラン校長の言葉が浮かぶ。
『公になる日は必ず来る』
ロザリーが頭を振って、その言葉を追いやった。
(まだ、その時じゃない)
(大丈夫。うまくやればバレやしない)
◇
月が高く昇った。
ロザリーは高台に立ち、遠くへ目を凝らす。
「砦は健在ね」
眼下に見えるは、課外授業で向かう予定の砦。
砦は静かで、城壁にいくつも篝火が見える。
「アトルシャン部隊の狙いは砦じゃなかった。王都方面に向かったのかな?」
「それはどうかナ」
ヒューゴが、ロザリーの影からズズッとせり上がってきた。
夜闇の中でなお輝く漆黒の髪を振り乱し、大きく伸びをする。
「あァ……久しぶりに外に出たヨ。んンっ……」
「いいから。続きを聞かせて?」
ヒューゴは月光の香りでも嗅ぐように、スンスンと鼻を鳴らした。
「戦の匂いがする」
「戦って匂いがあるの?」
「無粋だねェ。気配がする、って意味サ」
「それってただの勘じゃないの?」
「勘だヨ? 幾多の戦を経験してきた、このボクのね」
ロザリーは言い返せなくなり、周囲を見回した。
砦はやはり静かで、それを囲むようにある森も静けさに包まれている。
月に照らされ明るいが、目立って動くものは見えない。
「仕方ない。カラス使おっと」
ロザリーは口笛を吹いた。
高く微かなその音色は、ロザリーの足元――彼女の影へと吸い込まれていく。
次の瞬間。
影がぐらぐらと沸き立った。
闇が煮えくり返り、千切れた闇があぶくとなって次々に空へと向かう。
あぶくは上昇するにつれて、鳥の形へと変化した。
やがて夜空に至ると、幾千羽のカラスとなって四方へと飛び去った。
――
ロザリーの
戦闘能力はほとんどなく、その能力は情報収集に特化していた。
無数に散った
ロザリーは両目を手のひらで覆い、瞼を閉じた。
自分の視界を断ち、カラスの視点に切り替えて辺りを見回す。
「ああ、よく見える。これなら見つけられるわ」
横に立つヒューゴが、彼女に言う。
「初めから使いなヨ」
「
「キミってほんとに繊細だよねェ」
「うるさいなぁ……んっ?」
何かを見つけたロザリーは、
「……見つけた」
アトルシャン部隊は砦近くの森の中に潜伏していた。
木々や土肌に溶け込むようなマントを身に着けていて、一目では人とわからない。
「千じゃきかない。二千……いや、もっと? 見えづらくて数えにくいな」
「兵の数はいいヨ。魔導騎士の数は?」
「そんなのわかんない。見分け方あるの?」
「騎士章つけてなイ? 胸につけるバッジみたいなサ」
「誰もつけてないっぽいけど。マントの下かなぁ」
一瞬、ヒューゴは言葉を詰まらせた。
「それは……本気だネ」
「本気?」
「魔導騎士という人種はネ、自らの権威をひけらかすものなんダ。騎士章なんてその権威の象徴サ。マントで隠れるなら、十人中九人はマントの上に騎士章を付けるネ」
「また偏見?」
「純然たる事実サ。なのにそれを隠すということは、それだけ本気だということ」
「本気だと騎士章隠すの?」
「騎士章って目立つかラ。隠密行動を徹底するなら隠すんじゃないかナ」
「あー、なるほど」
ロザリーは集団の一人一人に目を配った。
行動から騎士を判別しようと試みるが、うまくいかない。
「ちょちょちょ! あー、もう!」
「……ねェ。急に変な声、出さないでくれるかナ」
「こいつらのマント、変なの。注意してても見失っちゃう。なんだか、動くたびに模様が変わってるような」
「もしかして」
ヒューゴが思いついたことを口にする。
「【隠者のルーン】かモ」
「
「そうそう。自分の姿をトテモ見えづらくするってだけなんだケド」
「でも、だとすれば、あの二千人以上がすべて
「それはないネ。騎士二千人なンて、獅子王国にだってポンとは出せない。属国ひとつには到底無理な数だ。出すにしても
「ってことは、
「魔導具というものがあるんダ。超常的な力を持つ道具で、そのほとんどは特定の魔術の効果を再現するもノ。……見えづらいのは人でなく、マントなんだよネ?」
「そうか、じゃあマントが【隠者のルーン】を再現した魔導具だと?」
「おそらくネ」
「ふ~ん。私もひとつ欲しいな」
「魔導具は貴重ダ。買い集めるにしろ、自国で生産するにしろ、二千以上も揃えるには相当苦労したはずだ……彼らはそうまでして気配を隠して、いったい何をする気なんダ?」
「何って、砦攻めじゃないの? 砦の前にいるんだしさ」
「攻めてないじゃないカ」
「これから攻めるんじゃないの?」
「時間が合わなイ。洞窟から出たのは、王都を出た日なンだろう? いくらでも攻める機会はあったはずダ」
「それは……攻めあぐねてる、とか?」
「そんな強固な砦に見えるかイ? ボクなら三十分で落とせる」
「あなたと比べてもさ」
ロザリーは瞼から両手を下ろし、目を開けた。
「酔っタ?」
「少し」
こめかみをグリグリと押しながら、ロザリーは砦に背を向けた。
「何にせよ、ここにいてくれるなら好都合ね。
「一気にサクッと殺っちゃウ?」
「それじゃ何人か逃げられちゃうでしょ。この人数だし」
「いいじゃないカ、一人や二人」
「ダメ。そいつから私の本性がバレちゃう」
「アー。その縛りがあったねェ。じゃどうするんだイ?」
ヒューゴが尋ねると、ロザリーはニッと笑った。
「先に退路を断つ」
「退路――洞窟だネ」
ロザリーは静かに頷いた。
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