第23話 道程

 三年生の一団がミストラルを出発した。

 最初の目的地は、王国南端の洞窟。

 南端といっても王国自体が東西に細長い地形なので、そう遠いわけではない。

 ソーサリエ生の身体能力なら、三日あれば十分踏破できる距離だ。


 洞窟の調査が任務となるが、これは毎年恒例の任務で難しいものではない。

 課外授業の主な目的は、生徒だけでそこまで行って帰ることにあり、いわば行軍訓練の一種である。


 一行の足取りは軽く、表情は明るい。

 三年生になって忙しい日々が続いてきた。

 その日々に比べれば、ただ行軍するだけの訓練がいかに楽か。

 その上、教官の監視がないときている。

 行く手には草原と、のどかな田園風景が広がるだけ。

 皆が遠足気分となるのも無理はなかった。


「おっ、野イチゴが生えてる。ちょっと採ってくる!」

「ああ、オズ君! 隊列を離れないでください!」

「すぐ戻るって、ロロ代表リーダー!」


 ロロの制止を振り切り、オズは近くの茂みへと走っていった。

 ロザリーが言う。


「オズは言っても無駄よ。ヴィルマ教官の言うことだって聞かないもん」

「そうは言ってもですね、ロザリーさん。きちんと隊列を組んで進むと他の代表リーダーと決めたんですよ。赤のクラスだけ適当なことはできません」


 どのように行軍するかさえ、教官たちは指示しなかった。

 四人の代表リーダーは話し合い、縦に長い隊列を組んで行軍することにした。

 隊列はクラスごとに分かれている。

 青、黄、緑の順に並んでいて、ロザリーたちの赤のクラスは最後尾を歩いていた。


「このくらいなら問題ないんじゃない?」


 ロザリーは前を行く緑――精霊騎士エレメンタリアの隊列を、あごで指し示した。


「マイペースな精霊騎士エレメンタリアなんてもう、全員がオズ状態」


 緑の隊列は無秩序に横に広がり、ただ集団で適当に歩いている状態だ。


「確かにそうですねぇ。……はっ!? ウィニィ殿下が、緑は最後尾にするべきではない、って言ってたのはこのため!?」

「なるほど。迷子が出ないように後ろから監視しなきゃいけないわけね」

「自分のクラスのことさえ手に負えないというのに! あ、オズ君は!? 誰かオズ君を見てませんかぁ~!?」


 ロロは慌てふためきながら、オズを捜し始めた。


「だから落ち着きなって、ロロ――んっ?」


 前を行く緑の隊列の中に一人、立ち止まっている女子生徒がいる。

 ジュノーだ。

 やがてロザリーが追いつくと、彼女は手を差し伸べて握手を求めてきた。


「ロザリー」


 ロザリーがジュノーの手を握る。


「ん。初めまして……は、おかしいね、ジュノー」

「おかしくなんてない。ちゃんと話すのって初めてでしょう? 私たち」

「うん」


 事実、ロザリーは緑の代表リーダーであるジュノーと会話するのは初めてだった。

 それは彼女が特別と言えるほど高位の貴族で、そういう地位の者と一般出身者は距離を置くのが常だからだ。

 しかしこうして実際に接してみると、よくいる高位貴族とは少し印象が違っていた。

 想像していたより物腰が柔らかく、とっつきにくさは感じられない。


「ジュノーが私のことを知ってるなんて思わなかった」


 ジュノーは目を丸くし、それからおかしそうに笑った。


「成績優秀、剣技会二位。おまけに女の私が見惚れるくらい綺麗な顔立ちの同級生を、知らないわけがないでしょう?」

「そんなこと」

「フフ、謙遜しないで」


 そして貴族らしい気品あふれる笑顔に戻り、

「クラスは違うけど、よろしくね」

 と、ロザリーの肩をそっと叩いた。


「こっちこそ」


 ロザリーも彼女の腕にそっと触れて笑顔で別れた。

 ジュノーはロザリーと別れると、次は近くを歩いていたウィリアスと話し始めた。

 そして同じように短く話し、また次の生徒へと話しかける。


「ジュノーさんが挨拶に来たんですね」


 見れば、ロロが戻ってきていた。

 わきの下に、黒いマントを草だらけにしたオズの頭を捕まえている。


「ロロも挨拶回りしなくていいの?」


 ロザリーがそう言うと、ロロはチッ、チッ、と舌を鳴らした。


「あれは代表リーダーの役割とは関係ありません。彼女は許嫁であるウィニィ殿下にいいところを見せようと張り切っているんですよ。私がやる必要はありません」


 すると、わきの下のオズが笑った。


「うちのおばちゃん代表リーダーには、婚約とか結婚とか縁遠い話だもんな」


 するとロロの腕が締まり、オズは「グエッ!」と声を上げて黙った。


「でも、ウィニィは黄の隊列の先頭よね? ここで何をやっても見えないと思うけど」


 ロザリーがそう言うと、ロロはため息交じりに首を横に振った。


「甘い。甘々ですよ、ロザリーさん」

「そ、そう?」

「見てなくても噂は伝わる。時に噂とは、真実よりも確かに聞こえるものです。きっとジュノーさんはそのことまで計算して――」


 するとわきの下のオズが、邪悪な声で笑った。


「――クックッ。ロロ代表リーダーこそ、とんだ甘ちゃんだぜ」

「……ほほう。ならばオズ君のご意見を聞かせてもらいましょうか」

「仕方ねえなあ」


 オズはわきの下に捕らわれたまま、身体を反転させてふんぞり返った。


「ジュノーは彼氏の気を引くために挨拶回りなんかする奴じゃねえよ」

「むっ。じゃあ、なんのために?」

「リル=リディルを狙っているからさ」

「っ!? そうか! 挨拶回りはそのためのっ……!」


 目を見開くロロ。

 その反応を満面の笑みで楽しむ、わきの下のオズ。

 ロザリーが言いにくそうに尋ねた。


「あのさ、リル=リディルって?」


 すると、オズまでも目を見開いた。


「知らねえのか!?」

「冗談でしょう? 無知すぎますよ、ロザリーさん!」


 ロザリーは二人の反応に呆気にとられながら、「知らない」と首を横に振った。

 二人は矢継ぎ早に、リル=リディルについて説明した。


「リル=リディル英雄剣。ソーサリエ主席卒業生に与えられる騎士剣のことです。それを所持した者は、騎士団長の座を約束されたに等しいと言われています」

「剣自体の価値も相当なものだぜ。なにせ刀身すべて魔導銀ミシィル製だ」

「主席はそれまでの成績に関係なく、最終試練の結果のみで決まります。最終試練は実戦形式の団体戦。勝利したチームのリーダーが主席です」

「チームの人数に上限はない。誰を仲間に引き入れるか、どれだけ仲間を増やすか。それが勝負の鍵だ」

「ジュノーさんの挨拶回りは、最終試練に向けての根回しなんだと、オズ君は言ってるわけです」

「名門の出で、王子様の婚約者。この上リル=リディルまで手にしたら……ジュノーの野郎、どこまで昇るかわからねえぜ」

野郎・・は失礼ですよ、オズ君。でも……そうですね」


 熱のこもった二人の説明が、ようやく一区切りした。

 ロザリーはただただ、「そっか」と頷くばかりだった。


「それにしても」


 ロロが、わきの下のオズの顔を見下ろす。


「オズ君こそ、こういうことに無頓着だと思っていましたが」

「俺だって一応貴族だぜ? 上に行くための世渡りは考えてるぞ」


 その台詞に、ロザリーはグレンのことが思い出された。


「上に行く、か。オズって貴族なのに一般出身者っぽい考え方してるのね」

「そうかもしれねえな。俺みたいな家名だけの底辺貴族は、暮らしぶりは平民と変わらないから」

「そうなの?」


 するとオズは、どこか自慢げに話し始めた。


「俺の家には風呂がない。入寮するまで風呂に入ったことがなかった」


 ロザリーとロロが顔を見合わせる。


「貴族なのに?」「冗談ですよね?」

「本当だ。二日にいっぺん川で洗ってた。川はやべえ。特に冬の川はやべえ」


 ロザリーが首を傾げる。


「貴族なら、せめて水を汲んでこさせて家で洗えばいいじゃない」

「使用人なんていねえよ。水を汲みに行くのは俺だ。だからついでに川で洗うんだ」

「ああ、そういうこと」

「もうあんな暮らしはこりごりだ。平民相手にふんぞり返っておいて、暮らしは平民以下ときてる。虚しいったらねえ。卒業してもあの家には戻らないって決めてる」

「それで上に行く、になるわけね」

「上に行って金持ちになる。そして綺麗な嫁さんもらう」

「ふふっ、なるほど」


 ロロが呆れたように言った。


「なーんだ。オズ君も私のこと言えないじゃないですか」

「ちげーよ。お前ら一般出身者と違って、貴族には縛りがあるんだよ」

「縛り?」

「魔導って血で受け継ぐだろ? だから魔導持ち同士、貴族同士でくっつけるのが貴族の鉄則。つまり選択肢が狭いわけよ。俺みたいな底辺貴族となれば、選ぶ余地もねえ」

「はー、なるほど。で、上に行けば選択肢が広がると」

「そういうこと。ああ、でも――」


 オズは不意に真剣な顔になって、ロザリーを見つめた。


「――ロザリーが嫁に来てくれるなら、貴族じゃなくても文句はねえ」

「私?」

「ああ、ロザリーはすごく綺麗だ」


 オズがロロのわきの下に捕らわれたまま歯の浮くようなセリフを言うので、ロザリーはつい吹き出してしまった。


「オズがお邸に住むようになったら考えるわ」



 三年生の一行は日暮れまで歩き、野営の準備に入った。

 クラスの中で五人一組の班を作り、一班ごとに天幕とランプが配られる。

 クラスごとに円を描くように天幕を配置し、円の中央に大きな焚き火を起こした。


 夕食は各自が持つ保存食。

 干し肉と硬いパンだけだが、火に炙ればいくぶんマシになった。

 代表リーダーたちで話し合い、歩哨も立てることにした。

 班ごとの当番制にして、野営地の外を見張る。


 一日歩き通しだったが、みな疲労は感じなかった。

 全員が魔導騎士の卵であるから、この程度でくたびれはしない。

 そうなると夜こそ旅行気分が高まるというもの。

 こっそりと葡萄酒を持ち込んだ者までいて、生徒たちはつかの間の自由を噛みしめていた。

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