第17話 魔女術のはじまり

 その日の午後から、いよいよ魔術の授業が始まる。

 魔女術ウィッチクラフトの授業を受けるべく、ロザリーは赤のクラスに向かった。


「でもよかった! ロザリーさんも赤のクラスで!」


 猫背で歩くロロが、胸の前で小さく拍手する。


「ルームメイトと一緒なのは心強いね」

「はい! もし貴族の中に一人だったら、間違いなく標的になってましたから」

「イジメの? それはないんじゃ、年長者だし」

「甘いです! 今までも散々だったんですよ? おばさんだ、年寄りだって! 失礼しちゃいますよね、私まだ二十代なのに!」


 憤慨していたロロだったが、ふいに声を潜ませた。


「……ただでさえ、赤のクラスの貴族たちは苛立っていますから。ロザリーさんも気をつけてくださいね」

「苛立ってる? どうして?」

「ほら、魔女術ウィッチクラフトって、陰険で卑怯なイメージがあるでしょう? 誇り高い貴族たちは好まないんですよ。他の色の貴族からも軽んじられる傾向にありますし」

「へぇ、そうなんだ」

「ま、私なんかは色があるだけで大喜びですけどね」

「色があれば騎士になれるもんね」

「そうなんです! 山奥で一人炭を焼いて老いさらばえていくんだろうなぁ、って思っていましたから。卒業して魔導騎士になれば、炭を焼かなくてもお金に困らない!」

「炭焼き小屋じゃなくお屋敷に住むようになるかもね」


 ロザリーが悪戯っぽくそう言うと、ロロは遠くを見つめた。


「ほんと、人生わからないものですよねぇ」



 赤のクラスに着き、教室の扉を開ける。

 すると、中にいた生徒たちの視線が一斉に彼女たちに注がれた。

 この教室に来ることがそのままクラス分け発表でもあるので、生徒たちはクラスメイトの顔を確認し、それぞれに小さなグループを作って雑談している。

 クラスの雰囲気は心なしか、暗い。

 これから一緒に学ぶ仲間がわかるのだから、もっと賑わっていいはずなのに。


 教室に入ると、扉近くに席順表が貼られていた。

 ロザリーとロロは一般出身者だからか、端の列の前後に並ぶ形に配されていた。


「言ってた通りだね」


 席に着いたロザリーは、後ろに座るロロにそう言った。

 ロロは机に這うような姿勢で、クラスの顔ぶれを確認していく。


「うちのクラス、高位貴族が少ないです。それもみんなが暗い理由の一つでしょうね。大貴族なんて一人もいない。赤クラスの立場がいっそう悪くなる未来がはっきり見えますから」

「んん、そういうものなのね」

「成績優秀者もロザリーさんくらい。これでは先が思いやられます」


 ロザリーは目を瞬かせた。


「成績優秀者?」

「ええ」

「誰が?」

「ですからロザリーさんが。座学は完璧、剣技会準優勝。まじないだってすでに使えると聞きましたよ?」

「……そうなんだ」


 たしかにロザリーは、座学に人一倍、打ちこんできた。

 それは他の生徒と違い、現代常識や知識を得ることが魔導騎士養成学校ソーサリエへ来た目的だったからに他ならない。


「自覚がありませんでしたか」

「ん。まあ、ね」

「ロザリーさんやグレン君は、そんな感じですよね。我が道を行くというか」

「私たちはほら、貴族じゃないから」

「でも、周りは違います。視線を感じませんか?」


 ロロに言われて、ロザリーは意識して周囲を見回した。

 ざっと視線を動かしただけなのに、何人ものクラスメイトと目が合った。


「みーんなロザリーさんを意識してる。隙あらば追い落とそう、あるいは取り入ろうと。常に自分と他者を比較し、少しでも良い位置にいようとする。それが貴族というものです」


 ロザリーは感心したように言った。


「すごいなぁ、ロロ。貴族じゃないのに貴族のことよくわかってる」

「人間観察が好きなんです。山奥に長く一人でいたせいですかねぇ」


 一瞬、教室の中が慌ただしくなった。

 立っていた生徒が、慌てて席に戻る。

 教室が静けさに包まれた瞬間、扉が開いた。


 入ってきたのは、やけに艶っぽい女性の教官。

 胸元や短いスカートの裾から、褐色の肌が覗いている。

 彼女が生徒たちを見回すと、教室のどこかで口笛が鳴った。

 机の下でこぶしを握って喜ぶ男子生徒までいる。


 彼女は魔女術ウィッチクラフト担当教官、ヴィルマ=サラマン。

 女子生徒の人気はそうでもないが、男子生徒の人気はぶっちぎりの一位。

 その色香は、「彼女は淫魔サキュバスと契約したに違いない」と、まことしやかに囁かれているほどだ。

 ヴィルマはそんな反応には慣れているのか、特に何も言わず教壇に立った。


「これより魔女術ウィッチクラフトの授業を始める」


 すると教室のあちらこちらから、無数のため息が漏れた。

 今の今まで喜んでいた男子生徒までも、憂鬱そうな表情を隠さない。

 ヴィルマは眉を寄せた。


「毎年のことだけど。自分の魔導性に納得していない者がいるようね?」


 生徒たちは答えない。

 が、否定する者もいない。


「いいわ。魔女術ウィッチクラフトの授業に入る前に、魔女騎士ウィッチについて話しましょう」


 ヴィルマは持ってきていたテキスト類を端に寄せ、教卓に座って脚を組んだ。


「我々は魔女騎士ウィッチである。では魔女とは何か? なぜ男もいるのに魔〝女〟なのか?」


 生徒たちは答えない。

 答えを知らないからだ。


「その由来は、〝はじまりの騎士〟まで遡る。〝はじまりの騎士〟とは、最初の魔女騎士ウィッチのこと」


 ヴィルマは指先で宙に何かを書いた。

 指の軌道が光を残して文字となる。

 宙に浮かぶ文字は〝ユーギヴ〟。


「彼女の名はユーギヴ。家名はわからない。ただのユーギヴかもしれないし、もしかしたらユーキヴは家名なのかも。どこに生まれ、何に仕えたかもわからない。諸説あるけどね」


 ヴィルマが浮かぶ文字を撫でる。

 文字が蠢き、女性のシルエットを作り出した。


「確かなのは、彼女は女性で魔女騎士ウィッチであったこと。現代に残る魔女術ウィッチクラフトの大半は、彼女が編み出したものよ」


 ヴィルマが女性のシルエットを撫でる。

 シルエットが蠢き、〝ウィッチ〟の文字となった。


「単純な話ね。魔女騎士ウィッチの祖が女性だったから、魔〝女〟と呼ぶわけ。男性もいるのにそう呼び続けるのは、彼女への敬意の表れよ」


 ヴィルマが再び文字を撫でる。

 文字がぐにゃりと変容し、〝ソーサリー〟の文字となった。


「しかし、彼女自身は魔女騎士ウィッチとは呼ばれていなかった。なぜかは考えればわかるわね。ユーギヴが魔女騎士ウィッチの祖であるから、彼女の前に魔女騎士ウィッチはいない。概念自体が存在しなかったの。人々はユーギヴを、魔術使いを意味するソーサリーと呼び、敬い畏れた。……さて。勘のいい人は気づいたかしら?」


 ヴィルマは〝ソーサリー〟の文字の、最後の一字だけを撫でた。


「彼女は最初の魔女騎士ウィッチであると同時に、最初の魔導騎士でもあった。ソーサリーとはソーサリアの語源。すべての魔導騎士ソーサリアは、彼女から――魔女騎士ウィッチから始まったの」


 ヴィルマは宙に浮かぶ〝ソーサリア〟の文字を両手で握り締めた。

 彼女の手が発光する。

 そして手を開き、ふっと息を吐いた。

 光は教室に散り散りになり、生徒一人一人の元へ舞い降りる。

 ヴィルマの威厳ある声が教室に響き渡る。


「我々は魔女騎士ウィッチである。我々はユーギヴの教えを継ぐ者。我々こそが魔導騎士。我々こそがソーサリアなのだ。誇りなさい。胸を張るのです」


 生徒たちはヴィルマを通して〝はじまりの騎士〟ユーキヴの姿を見た心地だった。

 いつの間にか、彼らの顔から憂鬱さは消えていた。



 授業を終えたロザリーは、ロロとともに校内の食堂(生徒無料)で夕食をとった。

 その後ロロと別れ、ヒューゴのために魔導書図書館グリモワールで本を借り、部屋に戻ると。


「わ、真っ暗」


 部屋は暗闇だった。

 二段ベッドの上から声が返った。


「この部屋、ランプがないんですよねぇ。明日にでも寮母さんに頼んでおきます」

「ああ! そっか、あ~、なるほど……」


 ランプがない理由に心当たりのあるロザリーは、ただ頭を掻いた。


「とりあえず、今日はもう寝るしかないかな、と」

「そうだね」

「では、おやすみなさい、ロザリーさん」

「うん、おやすみ、ロロ」


 ロザリーは二段ベッドの下に寝そべった。

 瞼を閉じると、早くもロロのいびきが聞こえてきた。


「はあ。しまった」


 すると心の中で声がした。


『どうかしたかイ?』


 ロザリーはヒューゴにだけ聞こえるよう、静かに言った。


「耳栓を買い忘れた」

『そう。熊みたいないびきだものネ』

「熊のいびきを聞いたことないわ」

『ボクだってないよ。あ、ランプ持ってって悪かったネ』

「いいよ、もう」

『眠れないなら子守歌でも歌ってあげようか?』

「やめて。呪われそうだから」

『呪いの子守歌か、そいつはいいネ! ではさっそく――』

「やめてよ、もう!」


 ロザリーは枕を頭から被り、ようやく眠りへ落ちていった。

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