第9話 マイホーム

 王都ミストラル。

〝獅子王〟エイリス=ユーネリオンの座す黄金城パレスと、その周囲の城下町からなる獅子王国の首都である。


 黄金城パレスは小高い丘の上にそびえ立ち、丘の斜面全体に城下町が広がる。

 高さ十メートルを越える城壁が丘をぐるりと囲み、その内側に敵兵の侵入を許したことはただの一度もない。


 ミストラル城下、街の一角に〝蝙蝠コウモリのねぐら〟という宿があった。

 ベッドルーム一間の安宿で、ロザリーは魔導騎士養成学校ソーサリエに入ってからずっと、ここを定宿にしていた。

 部屋に入るなりロザリーが彼の名を呼ぶ。


「ヒューゴ?」


 返事はない。

 ロザリーはベッドのマットレスを、上の毛布ごと持ち上げた。

 するとベッドの土台部分に、気味が悪いほど色の白い、妖しい男がすっぽりと横たわっていた。

 彼のそばにはロザリーが魔導騎士養成学校ソーサリエで使う教本が数冊積まれている。


「返事くらいしなさいよ、ヒューゴ」

「やァ、お帰り御主人様。首を長くしてお待ちしておりました」

「寝転がったまま言う台詞じゃないと思う」

「ここがボクのマイホーム。狭くて暗くてジメジメしてるところが、とーっても好きなんだ」

「そんな死霊アンデッドあるある・・・・言われてもわかんない」

「ネクロなのに? 世も末だねェ」


 そう言って、また教本を読み始めるヒューゴ。

 ロザリーは乱暴に教本をひったくった。


「私のよ」


 間髪入れず、ヒューゴが教本をとり返す。


「ボクはキミのもの。教本もキミのもの。んン? ボクは教本で、教本はボク? つまりはボクと教本は一心同体で、常に一緒にいるべきなのサ」

「もう、屁理屈やめて」


 ため息をついたロザリーは、横目でヒューゴを見下ろした。


「そんなに教本が面白い?」

「面白いネ。書物はすべて興味深い。ぽっかり空いた五百年ノ空白を埋めてくれるから」

「ふぅん。そういうものかしらね」

「せっかく没頭していたのに。今日はどうして帰りが早いんだイ?」

「剣技会だったから。って、出かけるときにも言ったよね?」

「あァ、言ってた気もする」

「あなたね……それでも私のしもべ?」


 ヒューゴは肩をすくめて笑った。


「そのつもりサ。で、剣技会の結果は?」

「準優勝」

「そうかそうか。じゃ、これで」


 教本を大事に抱え、そそくさとマットを戻そうとするヒューゴ。


「ちょーっと待ちなさい」


 ロザリーがマットを掴み、押し止める。


しもべなら、もっと言うことない? 『残念でしたね』とか、『いったい、誰に負けたのですか!?』とか。関心ないなら、なぜ結果なんて聞いたの?」

「ボクの魔導を受け継いだキミが、学生ごときに負けるわけがない。去年と同じ、また手加減したんだろう?」


 ロザリーは、うっ、と言葉に詰まった。


「物好きだよねェ、わざと負けるなんてサ」


 かつてヒューゴは大いなる騎士であった。

 赤目のような人外にこそ劣れど、その時代の魔導騎士の中では十指に入る実力者だ。

 その【葬魔灯】を見たロザリーは、彼の魔導をほぼ丸ごと受け継いでいた。

 彼女ならば、剣技会参加者はおろか、教官や観客など、あの場のすべての者をまとめて相手にしたって、負けることはなかった。


 しかし、ロザリーはその力を隠していた。

 ヒューゴが言う。


「ボクにはさっぱりわからないネ。キミはなぜボンクラを装う?」

「別に、そんなつもりはないけど」

「それに、キミに勝った相手も騎士の卵ダ。手加減されたなんて知ったら、悲しむと思うけド?」

「……わかってるっ」

「そうかイ? ならいい。話は終わり。また今夜~♪」


 そう言って、ヒューゴはマットの下に消えた。

 ロザリーはため息をつき、部屋の扉へ向かった。


「バイト行ってくる」



 あの日から五年。

 ロザリーは十四才になっていた。

 研究所を脱出した二人は、ユーネリオン獅子王国を目指した。

 旅する日々の中で、ロザリーはヒューゴから様々なことを教わった。

 魔導の基礎知識から魔術の使い方、剣技、語学、捕えた獣の捌き方まで。

 しかし、ヒューゴにも教えられないことがあった。


 それは現代の知識。

 今の社会常識や世界のありようを、五百年前に死んだヒューゴが知るはずがない。

 ロザリーだって研究所の閉ざされた世界しか知らない。


「国ヲ建てるにも滅ぼすにも、まず知らなければネ」


 ヒューゴの言葉だ。

 二人は王国内を旅しながら、現代の知識を積極的に吸収しようとした。

 だが、旅する身ではどうにも効率が悪い。

 他に良い方法はないのか。

 最も効率的なのは書物からの学びだろう。

 一冊では足りない。

 できるだけたくさんの書物がいる。

 大都市には魔導書図書館グリモワールというものがあるらしい。

 だが一般市民が気軽に入れる場所ではなかった。

 素性の怪しい子供ではなおさらだ。

 魔導書図書館グリモワールに堂々と入り、長期間利用し続けるにはどうすればいいか。


 そんな折、知ったのが魔導騎士養成学校ソーサリエだった。

 魔導の才があれば誰でも入学できて、中には魔導書図書館グリモワールもある。

 そうしてロザリーは魔導騎士養成学校ソーサリエへ入学したのだった。



 ロザリーは、城下にある大衆食堂を訪れた。

 店の名は〈エイブズダイナー〉。

 店内は外から見ても賑わっていて、ロザリーは表から入らず裏へと回った。

 そうして裏口の戸を開け、店の主人に声をかける。


「こんにちはー。荷運びでーす」


 樽のような体つきの店の主人が、忙しく手を動かしながら振り向いた。


「よう、ロザリー! いつもすまねえな」

「仕事ですから。これから倉庫に運び入れますので――」

「――覗くなってんだろ? わかってるさ」

「じゃ、後で」


 ロザリーはにっこり笑って会釈して、戸口から姿を消した。

 その様子を見ていた新入りの店員が、主人に問う。


「彼女が荷運び屋?」

「ああ」

「あんな華奢な女の子が?」

「そうだ」

「彼女、手ぶらでしたよ」

「だな」

「荷はどこに? 今から運ぶんですかね?」

「ロザリーはいつも手ぶらだ。でも荷はきちんと運んでる」

「なんです、それ」

魔導騎士養成学校ソーサリエの学生だからな。荷運びの魔術かなんかだろうよ」


 店員がプッと吹き出す。


「そんな俗っぽい魔術、あります?」

「知るか。運んでくれればなんでもいい。うちの荷は肉やら魚やら酒やら重いのばかりだからな」

「もしかして……この店の仕入れ、全部あの女の子が?」

「そうだ。ほら、テーブル空いたぞ。片づけてこい」

「へーい」


 ロザリーは裏口近くの倉庫小屋に入った。

 扉を閉め、念のため鍵もかける。

 真っ暗になった小屋の中で、ロザリーは命令した。


「出てこい、〝野郎共〟」


 暗闇に溶けたロザリーの影が波打った。

 小屋の床に、白い髑髏サレコウベが続々と浮き上がってくる。

 髑髏は周囲を確認すると、整然とした動きで影から這い出てきた。

 かつて研究所で使った〝亡者共〟と違い、肉も皮もない。

 完全に白骨化し、眼窩だけが暗く光っている――いわゆるスケルトンだ。

 ヒューゴは彼らのことを〝死の軍勢〟と呼んでいた。


 普段は完全武装しているが、今は楯と武器の代わりに大きな木箱を持っている。

 従順でよく働く彼らを、ロザリーは親しみを込めて〝野郎共〟と呼んだ。


「生モノはそっち。干し肉はここ。こら、果物の箱を雑に置いちゃダメだよ」


〝野郎共〟の面々は、木箱を指示通りに積み重ね、荷下ろしを終えたら整然と並んでロザリーの影へ戻っていく。


 ミストラルのような大都市では、荷運びは重要な仕事だ。

 毎日、数百の馬車に載せられた何万もの木箱が王都ミストラルに運び込まれてくる。

 城門にある荷入れ倉庫に山と積まれた木箱は、荷運びによって城門から各住所へと運ばれる。


 ただし、誰もが荷運びを雇えるわけではない。

 ミストラルが丘の上にあることもあり、坂道を上る荷運びは過酷な職業で賃金も高かった。


 だからこそ、ロザリーは荷運びに目をつけた。

 城門の荷入れ倉庫で荷物を〝野郎共〟に持たせ、影に入れてから手ぶらで移動する。

 そして指定の場所で影から〝野郎共〟を出して荷物を下ろす。

 これがロザリーの荷運びのやり方だった。

 ヒューゴは「〝死の軍勢〟を人夫扱いするなんて」とこぼしていたが。


 仕事を終えたロザリーは、裏口の戸を開けた。


「終わりました、エイブさん」

「えっ、もう!?」


 新入りの店員が目を丸くする。


「いつも早いな」


 店の主人はのっしのっしと歩いてきて、ロザリーの手に銀貨を三枚、握らせた。

 ロザリーが主人の顔を見つめる。


「エイブさん、荷の確認がまだです」

「信頼してる。今日も間違いはない、そうだろう?」


 ロザリーはにっこり笑い、銀貨をポケットに突っ込んだ。


「そうだ、ロザリー。三年には上がれそうか?」

「ええ、うまくいけば」

「そうなったら、お前も寮に入るのか?」

「おそらく」

「そうか。ってえと、荷運びも辞めちまうよな?」

「んーと、たぶん」


 主人は腹を揺らして笑った。


「たぶんとかおそらくばっかだな」


 ロザリーは困り顔で笑い返した。


「わかんないんです、ほんとに。予定は未定っていうか。そのときになってみなくちゃ」

「わかった、わかった。もし辞めるときは代わりのソーサリエ生、紹介してくれよ?」

「それも難しいかも。魔導持ちってほとんど貴族の子弟ですから」

「貴族の坊ちゃんはバイトなんかしないか。ま、ダメ元で当たってくれたら嬉しい」

「わかりました」


 ロザリーは軽く会釈して、主人と別れた。

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