第11話 犬と猫
「なんだ、こりゃ……」
明朝、ブルバンは荒らされた部屋を前に唖然としていた。開け放たれた窓から風が吹いている。ブルバンの自室は城塞の五階にあった。侵入者は苔が生え、ろくに手をかけることもできないこの壁を昇ってきたということだ。
それができる人間をブルバンは知っている。
「エボめ。どこで嗅ぎつけ……いや、誰かに誘導されているな」
ブルバンの知るエボは確かに魔物のことになると見境のなくなる男だった。それでも不確かな情報で違法な手段には出ない。カルテルの残党かとも考えたが狼蜘蛛の出現は重大機密事項。知っているのは軍の中枢部のみ。
ヴァーリの仕業かとブルバンは思案したが、先日の王族襲撃に関する会議で行動を共にしていた。ヴァーリではない。あの襲撃でもエボは狙われている。つまり誰かがエボを殺そうとしているのは間違いない。しかし、一体誰が……。
思考の海に沈んでいたブルバンの元へ、どたどたと兵士が駆け込んできた。
「ブルバン大隊長! お疲れのところ申し訳ありません。ご報告が……なんですか、この部屋は!?」
「ん……あー、ちょっとむしゃくしゃして暴れただけだ。気にするな。何用だ?」
「そ、そうですか。んん! ……ご報告します。エボ・グリムハートが反逆しました。王国の支援施設を破壊し、爆破した模様です。エボは逃走。死者二名、負傷者多数です!」
「何だと!? いや、待て。なぜエボが犯人だと?」
「目撃者がいます。爆破とは別に壁が破壊されていたそうで、それができるのはエボしかいないでしょう」
ブルバンはちらりと部屋に目をやる。これをやったのはエボだろうが、本当にエボが死者を出すような真似をするのか。先日のエボを襲った刺客の話が脳裏に過る。
「……わかった。私が指揮を執る。分隊長を集めろ」
情報が揃い過ぎている。
これは庇いきれないかもしれない、とブルバンは顔を手で覆った。
* * * * * *
エボは王都を離れ、南の森に身を潜めていた。その手には大剣が握られている。軽く袈裟に振るうと大木が容易く両断された。滑り落ちた木で地面にずしんと振動が響く。剣を目線の高さまであげて刃を観察するが、刃こぼれ一つない。
「すごいな、これは」
柄には宝石が埋め込まれ、刃渡りは約百メートル程。遺跡から見つかったなら相当な年月が経過しているはずなのに錆さえない。
これなら殺せる。朝日を照り返す刃を眺めていると、エボは背後で足音がなった。振り返ると草むらが揺れ、そこにいた何かが走り出す。しっぽがちらりと見えた。獣かと思ったが、そのしっぽには見覚えがある。エボは両腕を振り子にして跳躍する。三メートルほど跳び上がると、逃げ出した相手を超え、前方に着地する。
「……エミー。何やってるんだ?」
「え、えへへへ……」
エボが振り返ると、そこには野草をたんまりと抱えたエミー・キャットテイルがいた。敵対心がないのがわかっていたとはいえ、もしかしたらエ捕まえるために来たのかとエボは警戒する。
「え……っとぉ。そのぉ。偶然すれ違った人がこんなに薬草をくれてー?」
「いるわけないだろ。こんな深い森の中で」
「……お願い! ここで薬草取ってたこと黙ってて! お金がいるの!」
エボは緊張を解き、肩の力を抜いた。本当に偶然の遭遇だったらしい。察するに薬草を勝手に採集していたようだ。エボは持っていた剣をローブで隠す。
なんで逃げたのかを考えたとき、森の中は危険だからと復権ギルドが採集を禁止していたことをエボは思い出した。だが妙だ。普通にここから王都に戻るなら一晩は野宿する必要がある。王都からこんな離れたところにどうしてだろうか。エボはその場ですんすんと匂いを嗅いだ。
「……まさか収穫祭の前に別れてから、ずっと森にいるのか? 汗臭いけど」
「く、臭……!? そ、そうよ悪い!? 収穫祭になると森を警備してる衛兵が減るの。街に戻るときは行商人の荷物に隠れさせてもらえばいいし、いい稼ぎになるの」
通りで服装がイモ臭いというか、ダサいわけだとエボは納得する。だがこればかりは一言注意しておかないと気が済まない。
「危ないことするなよ、そのうち攫われたり、男に襲われるぞ……エミーは可愛いんだから」
ノルンから聞いた話を思い出し、エミーが奴隷になった姿を夢想する。首輪をつけられ、見世物にされたり、いいようにこき使われるのだ。この迂闊さを見ていると心配せずにはいられない。
「な、何よ。いきなり褒めるなんて」
「客観的な事実だ。他意はないよ」
「えー」などと言ってエミーが体をくねらせている。ルーナみたいだ、とエボは笑みをこぼした。ふと家を飛び出したことを思い出し、寂寥感に包まれる。
「んふふ……エボはどうしてこんなとこに?」
「あー……ちょっと野暮用で。」
「怪しいなぁー? 何かあるんでしょ? んん?」
「ははは……互いに見なかったことにしよう」
「乗った!」
がしっと握手を交わす。不純と不純しかここにはいなかった。
「で、何したの? 話さないから教えてよー」
「えー……まぁ、いいか。これで最後かもしれないしな」
「え?」
「何でもない」と返しつつエボは何があったかを思い返す。長くなりそうだが、どうするか。エボは地面にハンカチを敷いてエミーに手を差し出す。戸惑いつつも手を取ったエミーを座らせ、その隣に座った。
「俺の父さんは魔物に……
「それは、お気の毒ね……あれ? もしかして物騒な話になる?」
「なる」
「やだぁ……続けて」
どっちだよと突っ込みたくなるがエボは抑える。
「その
「魔、物が……近くに……?」
横目に見ると、エミーが自分の腕の裾を握って震えていた。怯えすぎな気もしたが、無理もない。近くまで災害が来ているのに知らないのだから。もしかしたらエミー自身も魔物の被害を受けたことがあるのかもしれない。
「そうだ。機密書類まるごと盗み出したはいいんだけど、解読できなくて」
「馬鹿なの?」
「冷静じゃなかったんだ。行き詰まりになって、ようやく冷静になれた。今は肝心の魔物がどこにいるかわからない」
「……北北西」
エボはばっとエミーの顔を見る。その顔には憂いがあった。
「今、なんて?」
「北北西にいる」
「……どうして言い切れる?」
「ごめん、言えない。エボが秘密を話してくれたから、それだけ教え――きゃあ!?」
エボはエミーを押し倒した。そして顔の横の地面に、えぐれるほど強く拳を叩きつける。エミーは怯えて「ひぃっ」と小さく声を漏らした。エボは話せとは言わない。ただただ無言の圧力をかける。それでもエミーは喋ろうとしなかった。
「……確か、なんだな?」
「う、嘘じゃないよ」
「……わかった。ありがとう」
もし優しさで逆の方向を言っていたなら、襲ってきた相手に逆だったと答えるはず。エボはエミーが嘘を言っていないと判断した。
エボが離れると、エミーは慌てて起き上がる。即座に距離を取るとエミーは涙目でエボを睨みつけた。
「ほ、本当に冷静じゃなくなるのね! 鬼畜! 変態! 犬!」
「ごめん、悪かったよ……犬は止めてくれないか?」
「ふん! ……さっき言った最後かもって、死ぬかもしれないってことでしょ。勝機はあるの?」
「……ん」
エボは隠していた剣を出す。巻いていたローブも外した。エミーはじっと剣を見ると、はぁとため息をつく。
「ねぇエボ。それ、すっごい高そうだけど?」
「……盗んだ」
「秘密、まだあったのね……ねえ、もっとヤバいこと話してなかったりしないよね? 人殺したりとか」
「極悪人以外殺さないよ、俺は。これを盗んだときだって、窓ガラス一枚割っただけだ。ああ、いや。入ってた箱の鍵も壊したかな? 本当だ。悪いことは必要最低限だ」
「ふーん……全然信じられないけど、信じてあげる」
エミーは妖しく笑う。矛盾した言葉が何だかおかしくて、つられてエボも笑った。
「勝てるの?」
「死んでも殺す」
「駄目。殺せなくても、死んでも、絶対に生きて帰ってきて」
「いや、無理だってそれは」
「約束ね」
エボは頬をかく。玉砕覚悟だった。腕をもがれても、足をもがれても、死んだとしても殺すという意思だったのに。
「じゃあ、生きて帰らないとな……」
エボはそう言って笑うしかなかった。
木漏れ日が揺れている。くすんでいた視界が少しだけ色づいて見えた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます