第2話 新しい世界を知った
カラフルな色彩の中でも、どこか懐かしさを感じる絵が魅力だった。
「大人の玩具箱って感じですね。宝物がたくさん詰まったお部屋です」
「大人の玩具箱、ね……。ちょっとどきっとしちゃったけど嬉しいよ。さっき描いていた絵はこれだ」
画用紙に先ほどの男性が横たわっていた。
美丈夫だと自負しているからか、堂々と全裸で隠しもしない。すべて見せつけるように絶対の自信が画用紙からも伝わってくる。
「彼は素晴らしい肉体美だろう? 暇潰しに描かせてもらったんだ」
「暇潰しって……これは売らないのですか?」
「あくまで趣味として描いただけ」
「すごく引き込まれます」
風景画などもあるが、ほとんどが人を描いた絵画ばかりだった。
油絵だけでなく、水彩画もある。
「女性の裸より、男性の裸を描いた方が売れるんだ。性を感じやすいのかもしれない。世の中には猥本が多く出回っているだろう? ほとんどが女性の素肌だ。だが俺の描く絵は、男性の剥き出しの絵が好まれる」
「さっきの男性もでしたが、心まで丸裸にされている気持ちになります。開放的といいいますか。私は風景画を好みますが、先生の絵は男性の裸の絵が好きです」
「ありがとう」
誠一は心から喜んだ。
「君の仕事場へ案内しよう」
アトリエを出て、誠一はすぐ右手にある扉を開いた。
「使っていない部屋を物置部屋にしているんだ」
「これ全部ですか?」
棚には数え切れないほどの絵画が乱雑に重なっている。
埃を被っている像や、巻物、古美術まである。
「そう、全部さ。作品を集めるのも好きなんだが、家に埋もれていた作品も多数ある。多分、俺の両親が集めていたんだと思う。もしかして、絵画以外も修復できたりする?」
「日本では絵画修復士を名乗っていますが、イタリアでは絵画以外の修復も学びました」
「それは頼もしいね。でも絵画を中心にお願いしたい。売りたいのは絵画だから」
「そちらにある絵も……?」
棚に置きっぱなしになっているが、布で包まれて一際大事にされているものがあった。
「見てみる?」
「ぜひ」
池で泳ぐ錦鯉の絵だ。
咲はどこかで見たことがあった。
「白神……善四郎?」
「代々美術鑑定士の家に生まれると、やっぱりサインを見て判るもの?」
「本物かどうかはしっかり調べないと判りません。こちらも趣味で集めていたものなんですか?」
「いや。白神善四郎がこの家で描いたものだ」
「どういうことなんです? どうしてこの家に?」
「彼は俺の祖父だからね」
「えっ…………」
世界でも名前が出回るほど有名な画家だ。作品ばかり有名で、彼自身のことはほとんど知られていない。
「本人は外に出るのもあまり好まなかったから。ミステリアスなんて言われてるけど、出不精なたけだよ」
「でも……名字が……」
「葉山は母方の姓なんだ。大きな名前を背負うのは辛いものがあってね」
「判る気がします。私の家も、各界では有名になりすぎていますから」
「だから咲君は父と違う道に?」
「ええ。海外でとにかく勉強したかったです。母の影響でイタリア語はできましたから」
「美術品は好きで、でも親の重荷は背負いたくないってところはよく似ているね」
一刻も早く父から逃れたかった、という言葉は呑み込んだ。
「そろそろ昼食の時間だ。祖父は食事を抜いてでも絵に没頭するタイプでね、よく身体を壊していた。適度な運動と食事は大事だと思い知ったよ。おいで」
おいで、の言葉に心乱されつつも、後を追った。
健康に気をつけているのは身体にも表れていた。シャツから見える腕は筋肉が浮き出ていて、肩幅もしっかりした成人の肩だ。
「普段から和服?」
「そうですね。イタリアにいた頃は着ていませんでしたが、戻ってからすぐに与えられました。父が……似合うからと」
「確かに似合っている。作法が良いからか、とても艶やかに見えるんだ」
「……ありがとうございます」
向かった先は、家庭菜園だった。建物の真ん中が庭になっていて、太陽の光が野菜に向かって差している。
「ここは俺しか入らないんだ。秘密基地みたいなもの」
「秘密基地……わくわくする表現ですね」
「そうだろう? もうすぐ夏野菜が採れる時期だ。今はアスパラや紫蘇がとても美味しい。紫蘇ジュースでも作ろう。好き?」
「好きです。来るときに見ましたが、噴水の回りに薔薇が咲いていて素敵でした。あれも葉山先生が育てているんですか?」
「あそこは庭師に頼んでいる。季節によって絵を描くからね。俺が育ててしまえば、描きやすいように植えたりしてしまうんだ。自然にならない」
アスパラや紫蘇の他にも、サヤエンドウや胡瓜ももぎ取った。
誠一は自らキッチンに立ち、たくさんの野菜を使ってパスタとスープを作った。
「秋子は仕事が終わってから食べるそうだ。もし家の中で判らないことがあったら、彼女に聞いてくれ」
秋子は出迎えてくれた家政婦の名だ。長いこと働いているようで、家族のような間柄だと話してくれた。
「とても美味しいです。すみません、仕事で来たはずなのに……」
「仕事は明日からでいいさ。今日は君と食事をしたかった。紫蘇ジュースは明日よく冷やしたものを用意しておくよ」
「楽しみにしています」
遠慮するより、好意に甘えれば誠一は喜んだ。
料理は好きなようで、食べながら今まで作った自信作、失敗した料理について話した。
食事の後は、仕事場になる部屋の掃除をした。集中して仕事をするには埃が多い。
大方終えた後は家に戻った。父はおらず、つかの間の休息を楽しんだ。
「本日、蘇芳様はお戻りにならないようです」
「判りました」
自然と安堵のため息を吐いてしまう。分家の妾の元へ行ったのだろう。
「咲様、お手紙が届いておりますよ」
「手紙?」
「知らない方ですが、どなたでしょう?」
女中から受け取り、部屋の扉を閉めた。
「中村……兼義?」
何度もフルネームで呼び、中身を確認すると顔と名前が一致した。
あまり良い思い出がない人物だった。相手も送ってきたくて送ったわけではないだろう。同窓会のお知らせだった。
中学のときのクラスメイトで、学級委員長だった人。咲の憧れた人。生まれて初めて本気の恋をした人。
自分のせいでクラスの雰囲気がおかしく歪んでしまったのだ。唯一味方になってくれた担任には、感謝と羞恥が残った。
失った時間は取り戻せないが、担任にはありがとうを伝えたい。
何せ、イタリア行きを応援してくれた数少ない人だ。
葉書に参加すると書き、すぐにポストへ投函した。
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