何処かの誰かの白昼夢

檸檬焼酎

壱 海の話

「起きて」


 声が聞こえ、目を開いた。途端に視界が白で満たされ目が眩む。数秒瞬くと視界は青で満たされた。


「ここは?」

「解釈は分かれるけど、悪い場所じゃないよ。私にとってはね」


 聞きたいのはそういうことじゃないんだよな、と思いつつ周りを見やると鮮やかな青緑が煌めいていた。空を仰いでも、地平線を見やっても視界は青一色。砂浜の白だけが異質だ。

 僕は何故ここにいるんだろうか。記憶に穴が開いた、いや、元から何もなかったかのように何も思い出せない。さざ波の音がノイズのように頭に響いている。


「君は誰?」

「私は海だよ。ここには私と君しかいないのさ」

「どうして?」

「君は死んだんだ、または生まれたというべきか。今の君は君であって君じゃないのさ」


 海と名乗る存在曰く、ここは"再生の場所"で行き場を失った魂が元の場所に還るための場所。僕の肉体はもうなくなっていて、魂だけが彷徨いここにたどり着いた。そして今は浄化の最中らしい。


「それで浄化が終わったら転生できるんだよ」

「でも、それはもう僕ではないんだ」


 日差しが爛々と僕と海を照らす。反射した光が目を射すように輝きチカチカする。


「ある種、今の君も君ではないけどね。生きていた頃の君と記憶のない君は決して同じではないよ」

「もう、記憶も体も戻らないの?」

「死んだんだから当然じゃない。安心してよ、全部終わったら転生できるからさ、まぁ人間になれるとは限らないけどね」


 カラカラと、どうでもいいように声は笑う。ひいては寄せて足を濡らしてくる波が、僕をからかっているようでなんだか憎たらしく思えた。


「なんで僕を起こしたのさ。何者でもないなら、そのまま何も知らないままに終わらせてくれればよかったのに」

「仕上げのためさ! 転生のためには君がこちらにこなきゃいけないんだ」


 私は運ばれてきた魂を浄化するだけで、魂を運べるわけじゃないからね。と声は言う。


「こっちって……、周りは全部海じゃないか。何処へ行くっていうんだよ」

「海しかないなら海に決まってるだろうよ! これだから人間は頭が固くて困っちゃうな」


 何を言ってるんだろうかこの声は。生身の人間が海の中を渡れるわけがない、そんなことをしたら死んでしまう。魂の状態でもまた死ぬなんてことはあるのだろうか。


「怯えてるのかい? 大丈夫だよ、万が一苦しくても転生した君にはその記憶がない。刹那の苦しみは過ぎ去れば過去なんだ。未来に渡ればなにもないのと一緒さ」


 海面を漂う白い泡が、こちらを招く手に見えた。恐る恐る海に足を踏み入れる。途端、足場になっていた砂浜が海に溶け、僕の視界は青一色に染まった。それまで聞こえていたさざ波の音はゴポゴポと耳鳴りのような海の音に変わり、意識が薄れていく。海底に沈む最中、水面の光の輪が見える。ぼんやりとそれを眺めていると微かに遠い記憶が蘇り、愛しいあの人を思いだす。薄れる視界の端に、微かにあの人の笑顔が見えた気がした。

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