居留守

栗須帳(くりす・とばり)

第1話 望まない来訪者


 ピンポーン




 穏やかな休日をぶち壊す音。

 僕は眉をしかめながら、リビングのモニターを見た。


 くたびれたおっさんが映ってる。

 セールスマンか、それとも集金か。

 何にしても、僕の取る行動はひとつだった。


 僕の住むマンションは10階建て。結構古い物件のようで、オートロックなんて立派な物はない。

 1階のエントランスに管理人室があるだけだ。

 しかも管理人さんは平日の9時から5時までの勤務で、それ以外の時間なら誰でも自由に出入り出来る。


 こういうマンションは、訪問販売のターゲットになりやすい。

 仮に管理人さんがいたとしても、住人、または知り合いを装って簡単に入ることが出来る。

 おかげで日曜の昼間ともなると、こうしてやってくる輩が多いのだ。


 最初の頃は律義に対応していたんだけど、中にはしつこく食い下がって来る人もいる。折角の休日気分が台無しになる。

 そういう経緯もあり、今では基本、誰が来ても居留守を使うのが当たり前になっていた。

 親兄弟や友達なら、いないと分かったら電話してくるし、集金なら請求書を投函する筈。居留守を使ったところで、何の問題もない。


 モニターから目を離した僕はため息をつき、いつもの様に無視することにした。


 と言うか本当、いい加減にしてほしい。




 ピンポーン、ピンポーン




 いつもなら2・3回押して諦めてくれるのに、今日のおっさんは中々にしぶとい。

 でも、おっさんは分かっていない。

 しつこくされればされるほど、こちらも頑なになっていくということを。

 こうなったら根比こんくらべだ。

 僕はテレビの音量を下げ、おっさんが諦めるのを待った。




 ピンポーン、ピンポーン




 ああもう、しつこい。

 まだ諦めないのか。




 ピンポーン、ピンポーン




 ……ひょっとして緊急の要件?

 このまま出ないと、まずいことになっちゃうのかな。


 そんな不安が一瞬よぎったが、即座に打ち消した。

 いやいや、それこそがあちらの手なんだ。

 そうやってこちらの不安を誘い、ドアを開けさせる魂胆なんだ。


 え? どうして開けないんですか?

 本当にいいんですか? 知りませんよ、本当に。

 そんな不安を煽りに煽って開けたら最後、訳の分からない勧誘攻撃の餌食にされてしまう。

 ここが我慢だぞ、僕。


 ……と言うか自分の家で、何でこんなに窮屈な思いをしないといけないんだ。




 そうこう思ってる内に、外が静かになった。

 やっと諦めてくれたか。

 今日のおっさんは中々にしつこかったな。そう思いながらモニターに視線を移した。


「……」


 そのおっさんは、まだ家の前にいた。

 それも、さっきより一歩前に進んだのか、モニターいっぱいに顔が映っている。

 それを見て、思わず「ひっ……」と声を漏らした。


「302号室さーん。いるんでしょー、本当はー」


 おっさんの、にんまりと笑う顔がモニターに映る。

 それを見ている僕は一瞬、おっさんと目が合っている様な不安を感じた。

 いや違う。


 恐怖だ。これは恐怖の感情だ。





 こういう輩と関わりたくないから、居留守を使うんだ。

 なのに僕は今、自分の行動を後悔していた。

 居留守を使ったせいで、僕とおっさんを繋ぐ糸が太く強固なものになっている気がした。

 そして、その糸を握っているのはおっさんなんだ。


「ねーえー、302号室さーん。どうして出てくれないんですかー。あなたに用があるからインターホンを押しているのに、どうして反応してくれないんですかー」


 身震いが止まらなかった。

 ドアの向こうから聞こえて来る声。

 時折、目や口がモニターの画面いっぱいに広がる。


「駄目じゃないですかー、居留守なんて使ったらー」


 僕はモニターを凝視したまま、そこから動けなくなっていた。

 こんなことなら、さっさと出て追い返せばよかった。

 そんな後悔が押し寄せて来る。


 でももう遅い。


 今更、どんな顔で出たらいいのか分からなかった。

 冷や汗を拭い、生唾を飲み込み。

 おっさんが諦めて去ってくれるのを神に祈った。


「302号室さーん…………仕方ないですねー。じゃーあー、これで最後にしますから、ちゃんと聞いてくださいよー。302号室さーん、出て下さいよー」


 僕は目を閉じ息を殺した。

 今おっさんが言った。

 最後だと。

 これを乗り切れば、この恐怖から解放される。

 穏やかな休日が戻って来る。

 そうだ、喉が渇いたな。

 おっさんが消えたら、冷蔵庫のジュースを飲もう。

 それからトイレに行って……気晴らしに映画でも観よう。

 この前買ったコメディ映画、まだ観てなかったな。

 そんな現実逃避に近い思考を巡らせながら、僕はゆっくりと目を開けてモニターを見た。


「……」


 おっさんが、カメラからゆっくり遠ざかっていく。


 勝った! 僕は勝ったぞ! ついにおっさんが諦めたぞ!

 さあ行け! 二度と来るな! この件は明日、管理人さんに報告してやるからな!

 管理人さんのことだ、心配して警察に連絡してくれるかもしれない。だから二度と、関わって来るんじゃないぞ!


 拳を強く握り締め、僕は勝利の余韻に身を委ねた。


「……ん?」


 しかしおっさんは、中々家の前から去ろうとしない。

 何をしてるんだ? さっさと帰ってくれよ。

 そう思った瞬間、僕は目を見開いた。


 おっさんは肩から下げていたショルダーバッグを下ろし、中から1メートルほどの何かを取り出した。

 そしてそれを両手で握り締める。


 おっさんが手にした物。

 それはモニター越しでもはっきりと分かった。





 斧だ。



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