第25話

 

 ▪️微かな面影


 半壊した屋敷の中で唯一被害を受けなかった客間の一室。

 オルクスはそこでクローシュが被せられた皿を両手に持ち、ボリスとソラスが着席するテーブルの前に歩み寄った。


 元々オルクスが請け負っていたのは料理を提供する事だ。

 月の雫やミストヴェノムを討伐した影響で本来のタイミングからは大きく逸れてしまったが、結果的にボリスとソラスは邂逅を果たし、ベストな状態で料理を提供できると言えるだろう。

 わだかまりが消えた二人の表情は共に柔らかくなり、今は純粋に自分の料理を待ってくれている事を素直に嬉しいと感じた。

 だからこそ、オルクスはこの一皿を出すと決めた。


「どうぞ」


 二人の前に出された料理は一皿ずつ。コースター料理なのかは不明であるが、オルクスはこれまでにない程に自信に満ちた表情だった。

 だが相反して、クローシュを取り除かれた中から現れたのは何の変哲もないシンプルなリゾットだった。


「これは……」

「え?」


 ボリスとソラスは互いに顔を見合わせ、驚きを露わにした。

 わざわざ他の町から呼んだシェフが出すのがただのリゾット? 絢爛さの欠片もない料理じゃないか。

 少なからず使用人の何人かはこう感じた筈だ。だがテノスをはじめ、古くから支えている人間は違った反応を見せていた。


「オルクスさん……なんで、このリゾットを?」


 困惑するソラスは震える声で質問を投げた。


「まずは食べてくれ、話はそれからだ」


 トマトペーストを野菜から取ったスープで伸ばし、米を加えて煮ている。具材はシンプルでベーコンとパセリのみだが、隠し味で仄かにチーズの香りが立っていた。

 客観的に見ればこれが特別な料理には思えないだろう。だがソラスが抱いた感情は期待外れや失望の念では無かった。

 ただ静かに頷き、両手を合わせて瞳を閉じる。


「……いただきます」


 生唾を飲み込み、スプーンを持つ。

 ボリスも同様に食事の準備を整えると、二人は揃ってそれを口に運んだ。


「ッ!? この味は、やっぱり……」

「……なんという事だ」


 ソラスの頬を一筋の涙が伝う。

 ボリスも声を振るわせ、また一口、更に一口と手を動かした。

 表情から読み取れるのは驚きーーーー驚愕と言って過言ではないだろう。

 何かの間違いか? いや違う、そんな馬鹿な!

 言葉にせずとも伝わる二人の様子に周りは騒ついたが、ソラスはようやく一口目を咀嚼し終わると、ゆっくりと嚥下し、薄く瞳を開いた。


「……お母様の……お母様のリゾットの味です」


 溢れる涙を拭いながらソラスはそう溢した。


「オルクス殿、なぜこの料理を……?」


 ボリスは皿の全てを平らげて問うた。

 病み上がりの人間の食欲とは思えない見事な食べっぷりだが、空になった皿を見てオルクスはホッと肩の力を抜いた。


「やはり、これで良かったか」

「どういう意味だい?」

「……まず俺がこの料理を作った理由は二つあります」


 そう前置き、オルクスは状況の説明を始めた。

 一つ目の理由としてはミストヴェノムの襲撃。ソラスに取り憑いていたミストヴェノムは力を解放した際にキッチン周辺を破壊していた。その際、予め準備していた料理の下準備を巻き添いにしていたのだ。

 屋敷に常備されていた高級な素材をふんだんに使った料理だったが、もし何も無ければそれがボリス達に振る舞われていた。

 だがしかし、ミストヴェノムを討伐しボリスが目覚めた際、全てがリセットされ作り直しを余儀なくされた時にオルクスは何かを感じたのだ。


 半壊したキッチンに立った時、何とも表現し難い不思議な感覚。その場に立った瞬間、微かに頭にイメージが流れ込んできたのだ。

 料理を作る母親と娘の姿、そしてそれを楽しげに眺める男性の姿。なんだこの映像(ヴィジョン)は、少なくとも俺の記憶では無い。

 刹那、映像は途切れたが、女性が作っていた料理だけが残滓として頭に残っていた。

 なんとも優しい料理だ。娘と夫の為に必死に練習した、たった一つのレシピ。

 手にはーーーー包丁で切ったのか小さな傷、それと火傷の痕がある。きっとたくさん失敗したのだろう。食べてくれる二人の為に毎日毎日ひたすらに作り続けた料理に違いない。


 そしてふと涙が溢れた。


 無意識に、その場に立ち尽くしたままオルクスは涙を流していたのだ。これは自分の意思じゃない。残滓から溢れたイメージが涙として具現化し、オルクスの頬を伝っていく。


(ああ、そうか)


 想像が確信に変わったのはすぐだった。

 あの光景はソラスの母親が生きていた頃のラングウェイ家の日常なのだと。

 婦人である筈のクラリアが厨房に立つことにテノスはさぞ慌てただろう。ましてや彼女が料理をした事がないのなら尚更だ。

 だがクラリアは譲らなかった。二人に自分の料理を食べて欲しい、だから料理を教えてくれと。

 テノスをはじめとした使用人達は悩んだ末に、シェフから簡単な料理を教わる事を許可した。

 本来、貴婦人が厨房に立つなど聞いた事がない。そうしない為に腕利きのシェフを雇っているのだ。

 しかしクラリアは頑として聞かなかった。自分が作った料理を食べて欲しいと。


『私の料理を食べてもらって、二人の笑顔が見たいから』


 母親として何かしてあげられないだろうか。

 ソラスに注ぐ愛情の結晶として、クラリアは料理を選んだのだ。

 やがて幾度も失敗を繰り返し、ようやく完成したのがこのトマトリゾットだ。

 ペーストになりきれていない荒いトマト。スープも加熱の段階で野菜に含まれるエグみが微かに出てしまっている。ベーコンも大きさは不揃いだが、それ以上に語りかけるものがあった。


 食べてもらう人に対する無際限の愛情。

 料理としての完成度は低くとも、それを補ってあまる愛情がこの一皿には存在した。


 オルクスはそれを全身で受け止め、今までにない感覚に震えた。

 料理を作る際には食べてもらう人の事を考える。これはウォルフの姿を見て理解していたつもりだった。だがクラリアのーーーーソラスの母親の愛情を真正面から感じた時、その概念は根幹を揺るがせた。


(本当の意味での、愛情の在り方……か)


 食べてもらう人に向けた澄み切った感情。それはどんな高級食材を使っても届かない、究極のスパイスかも知れない。

 クラリアの想いはこのキッチンに色濃く残っていた。病に倒れてからも尚、残された夫と娘に向けた愛情は消える事は無い想いが。

 創者としてのスキルの影響かは分からないが、オルクスはそれを感じ取る事が出来た。触れたままの形なき想いを料理に乗せ、そして振る舞う事こそが使命とさえ思える程に。


 今はただ、亡くした家族の想い出に浸っている時間を大切にしてもらおう。

 オルクス達は二人を残して部屋を後にした。

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