じつは義妹でした。6 ~最近できた義理の弟の距離感がやたら近いわけ~【2023年11月17日(金)発売!!】

プロローグ

 二月十四日、夜——。


 上田光惺は有栖西公園のベンチに腰掛けて、雨風ですっかりボロボロになったバスケットゴールを眺めていた。

 彼はたまにここに来るが理由はない。

 ただなんとなく足が向いて、気づけばボーッとここで過ごすことがある。

 光惺は以前この近所に住んでいた。ここは彼にとって中学時代を涼太と過ごした場所。

 そして、そこにはもう一人、妹の記憶もあった。

 ふと光惺は瞼を閉じた——


 ——……ン……ダン、ダンダン、ダンダン……


 遠くからバスケットボールが弾む音がする。

 眩しい陽差しが降り注ぐ中、二人の少年が汗を流しながら駆け回っていた。

 その様子を一人の少女が木陰のベンチから見守っている様子が見える——


『光惺、合わせろ!』

『ちょっ……! 高すぎっ……!』


 光惺から見た涼太はいつも明るかった。

 なにが楽しいのかいつも笑顔で、なにも考えてなさそうで——そんな単純なバスケ馬鹿だと思っていたが、不思議と気が合った。


『なにやってんの、お兄ちゃん!』

『うっせ! 涼太のパスが悪いんだっつーのっ!』


 ひなたも涼太と同じように明るくてお節介焼き。そしてどういうわけか、涼太といるといつも後ろにくっついてくる。涼太のことを兄のように慕っていた。


 もしかして、涼太に気があるのか?

 そう思った時期もあった。


『光惺、二人で上手くなって一緒にスタメンとろうな!』

『そういう熱いの、恥ずかしいっつーの……』

『お兄ちゃん、涼太くん、がんばってね!』


 三人はいつも一緒に過ごしていた。

 このままずっと、この三人で大人になっていくのかな?

 そのころの光惺は、漠然と、そんな風に思っていた——


 ——ダンダン、ダンダン……ダン……ン……


 ドリブルの音がだんだん遠ざかっていく。

 光惺は瞼を開けて、はぁと息を吐いた。白く濁ったため息は風に流れて消えていった。

 ——俺も前に進まなきゃな……。

 そう思い直し、光惺がゆっくりと立ち上がると——


「いた! 光惺っ……!」


 息を切らした涼太がこっちに向かって駆け寄ってくるのが見えた。


「ハァ……ハァ……よう」

「……うす」


 涼太は大きく息を吸い込んで荒い呼吸を整える。


「はぁ〜……マジで探したっつーの……」


 そう聞いて、光惺は短いため息を吐いた。

 どうして涼太が自分を探していたのか悟ったからだ。


「ひなたの件か?」

「そうだ……お前、家を出たんだろ? しかもいきなり……」


 涼太は呆れた顔をした。


「つーか、なんでスマホの電源入れてないんだよ? ぜんぜん連絡つかないし……」

「あ……スマホ、充電切れてるわ」


 真っ暗なスマホのディスプレイを見せると、涼太はいっそう呆れた顔をした。


「さっき、お前ん家に行ってきた。ひなたちゃん、泣いてたぞ……」

「それで?」

「それでって……今は晶がそばで慰めてるよ。まあ、なんだ……いきなりすぎてパニクッたんだろうな……」


 光惺はやれやれと金髪を掻く。


「んな大ごとじゃねぇっつーの……」

「大ごとだろ? ひなたちゃんからしたら……」

「置き手紙はしといた」

「あれのどこが置き手紙だ! まったく……」


 涼太は深々とため息をついた。呆れを通り越してバカバカしくなったのだろう。

 そうして、先ほどの光惺と同じように、ふと古びたバスケットゴールを眺めた。


「あのゴール、まだあったんだな? ボロボロだ……俺たちが練習してたときは新品みたいだったのにな……」

「そうだな」

「で、なんでここだったんだよ?」

「ん?」

「ほかにも行くところあったろ? ゲーセンとか、ファミレスとか……」


 光惺は少し考えてみたが、


「なんでだろうな……」


 と、誰にというわけでもなく問い返した。


 ただなんとなく足が向いただけ。それ以上でもそれ以下でもなく、誰かを待っていただとか、そういうわけでもない。ただ、なんとなくだった。


「……で、家を出てどこに住むんだ?」

「結城桜ノ町」

「ああ、結城大学の近くか」


 光惺は頷きながらズボンのポケットにかじかんだ両手をしまった。


「もうマンションは借りてあるし、家電とか家具も揃ってる。引っ越しはほとんどできてるし……つーか、そのあたりのことは親に言ってあるって」

「家賃とか、金はどうしたんだ?」

「バイトして貯めてたけど、子役時代の貯金もある。しばらくは、まあ……」

「そっか……。じゃあ、あのさ……頼みがあるんだ——」


 そこから涼太は少し口をつぐんだ。言いにくいことなのかもしれない。

 おおかた実家に戻れと説得してくるのだろうと光惺は身構えたのだが、


「一度、ひなたちゃんに会うだけ会ってくれないか?」


 と、涼太はそう言って苦笑いを浮かべた。


「…‥なんで?」

「今回の件は両親に納得してもらってるんだろ?」

「まあな」

「それなら、ひなたちゃんにも向き会ってきちんと説明してほしいんだ。納得するかどうかわからないけど、それでも、頼む……」


 そう言って、涼太は頭を下げた。

 これにはさすがの光惺も驚きを隠せなかったが、面倒臭そうに頭を掻いた。


「なんであいつに?」

「……血を分けた兄妹だから。兄貴が急にいなくなったらやっぱり寂しいんじゃないか? もしかして、自分のせいじゃないかって理由をどこかから引っ張り出して、自分を追い詰めちゃうかもしれないし……」


 光惺はため息を一つ吐き、お前がそれを言うなよと内心で毒づいた。出ていった母親をいまだに憎み続けているお前は、特に——。


 母親が出て行った理由をはっきりと伝えてほしかったのか?

 いなくなって寂しいと感じたのか?

 母親が出て行ったのは自分のせいかもと自分を追い詰めたのか?


 母親のことを口にしただけで目の色を変えるお前が「血を分けた兄妹だから」と言い訳に使うのはそぐわない。矛盾している。


 考え方が変わったのか?

 あのチンチクリンと一緒に暮らすようになって——。


 次々に浮かんでくる言葉をぶつけてやりたかったが、なんとか自分の内に抑えた。

 それにしても、どうして自分はこんなに苛立っているのだろう。


 光惺はポケットの中で苛立ちに震える拳を握ったが、つい——


「……兄妹なんて、ただ血を分けただけの関係だろ? 血の繋がった他人だ」


 そんな言葉が口を突いて出た。

 途端に、涼太の顔が悲しみで歪んだ。


 これまでの涼太の主張をそっくりそのまま口にしただけだったのに——。

 そこで光惺ははっとなり、涼太から目を逸らした。


 涼太は自分の事情を差し置いていた。母親に対する憎しみも腹の奥底に引っ込めて、最初から光惺とひなたのことしか考えていなかったのだと気づいたのである。

 今のは本当に言うべきではなかった。


 妹を他人扱いする最低なやつだと思われただろうか——。

 それもきっと仕方がないだろうなと思いながら、光惺はもう一度涼太を見て——目を見開いた。涼太は、さっきよりも深々と頭を下げていたのである。


「それでも、頼む…‥!」

「っ……!」


 光惺の苛立ちは喉元を通って腹に落ちた。

 すっと頭の熱が冷めていくと、ポケットから手を出して握っていた拳を解いた。


「大事なことは、血の繋がりより心の繋がり……それはあくまで俺自身の皮肉だ。自分の中に『あの女』の血が流れている、そんなの嫌だなって、自分ごと否定してしまいそうで……正直に言えば、お前とひなたちゃんの関係をずっと羨ましいと思っていた……」

「…………」

「でも、最近俺は前向きに考えられるようになったんだ。晶や親父や美由貴さん、演劇部のみんなや、月森さんや星野さん、いろんな人のおかげで……もちろんその中には、ひなたちゃんと光惺……お前もいる」


 涼太の言葉を聞きながら光惺はこう思った。

 涼太は先に進もうとして、進んだのだと——。


「皮肉とかじゃなく、やっぱり心の繋がりが大事なんだとわかったんだ。だから頼む、ひなたちゃんと向き合って話してくれ……今ひなたちゃんが求めているのは、お前との心の繋がりなんだ。だから、頼む——」


 どうして他人のためにここまでできるのだろう。

 なんの得もしないのに、放っておけばいいのに。


 ——そうか、涼太だからか……。


 それもおかしな理由だったが、妙に腑に落ちた。

 やがて光惺は大きく息を吐いて、やれやれと困ったように金髪を掻いた。


(第1話に続く)

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