第2話「じつは義妹にまさかまさかの出来事が……」(2)

       * * *


 数分後、結城学園前駅の近くのカフェ。

 俺と晶は新田さんとテーブルを挟んで座っていた。

「改めまして、新田亜美です。亜美でも新田でも好きなほうで呼んでくれたら嬉しい。あ、姫野さんのことは晶ちゃんって呼んでもいい?」

「は、はい……」

「お兄さんのほうは涼太くんって呼んでも?」

「あ、はい」

「それじゃあ二人とも、なにか頼む? ここは出すから遠慮なく選んで——」

 新田さんは慣れた感じでメニューを俺たちの前に置いた。

 俺たちは水でいいと遠慮したが、それでも新田さんは「お店の人に悪いし、どうせ会社の経費で落ちるから」と言って、俺たちの分のアイスティーも注文した。

「それにしても晶ちゃん、近くで見たら本当に綺麗だね〜」

「そ、そんなことは……」

「ううん、本当に綺麗なお顔。スタイルもいいし、ご家族も美男美女ぞろい?」

「そ、それはどうかと……」

「じゃあ晶ちゃん自身の日頃の努力の賜物か。ちなみにどんなスキンケアしてるの?」

「と、特に変わったことは……」

「ならやっぱり元がいんだ。こんなに綺麗だとやっぱり学校でモテモテだったり? お友達たくさんいるの〜?」

「いえ、そんなことは……。僕、人見知りで……」

「やだ可愛い! 人見知りのボクっ娘ちゃんか〜。——涼太くんもこんなに綺麗で可愛い妹さんがいて羨ましいね?」

「あ、はい、そうですね……」

 今度は俺のほうに話を振ってきた。

「涼太くんもとっても素敵だよ? 優しい雰囲気が出てるし、年下から好かれそう」

「そ、そうですか……?」

 褒められると悪い気はしないが、一方でどこか胡散臭い。

 はたから聞いていて褒め言葉だけでないのには気づいていた。

 家族、晶自身、晶の周囲、俺のこと——褒め言葉を傘にして、なにが晶にとって効果的な話題なのか会話の糸口を探っている感じがする。

 俺に話を移したのも晶の反応を見るためだろう。

 間髪入れずにジャブを打つような話し方も、こちらが考える暇を与えない感じ——と、そんな疑いをもって話を聞いていたら、急に新田さんが微笑みかけてきた。

「この喋り方は一種の職業病みたいなものなの。だからそんなに警戒しないでね?」

 ——っ……⁉︎ この人……。

 すっかり見透かされていた。あるいは俺がそう思うように話術で誘導したのか?

 わからないが、この人に嘘や下手な駆け引きは通じないような気がする。

「ごめんなさい、私ばっかり話しちゃって。長年こういうスカウトをやってるとついオシャベリになっちゃてね〜……」

 新田さんは困ったように笑ってみせた。

「じゃあ今度は晶ちゃんたちが質問する番。芸能界について聞きたいことがあればなんでも聞いて。——あ、タレントのスキャンダル系はちょっと困るかな〜」

 冗談っぽく笑う新田さんを尻目に、俺はさっきから晶の心配をしていた。

 晶はこういう人が苦手だ。久々に『借りてきた猫モード』を発動してしまって俯くばかりで、さっきからテーブルの下で新田さんに見えないように俺の手を握って離さない。

 だいぶ緊張しているのが晶の手から伝わってくる。

 晶は「僕は、特に……」と言ったが、俺はずっと気になっていることがあった。

「あの、じゃあ俺から質問いいですか?」

「なにかな?」

「どうして俺たちの名前を知ってたんですか?」

 一瞬、新田さんの目が微かに泳いだのを俺は見逃さなかった。

「初めから俺と晶が兄妹だってことも知ってましたね? 苗字が違うのに、どこでそのことを知ったんです?」

 ここぞとばかりに畳みかける。

 新田さんが初めからなにかを隠していることには気づいていた。

 おそらく名刺は本物だろうしこのスカウトも本物だと思うが、どこか違和感がある。

 そもそも、俺と晶の情報がどこからか漏れている気がして仕方がない。

「——はいこれ。じつは私も、花音祭だっけ? 結城学園の文化祭に行ってたんだ」

 新田さんが鞄から取り出したのは、俺たち演劇部が花音祭で『ロミオとジュリエット』を公演した際に配ったA3二つ折りのパンフレット。

 たしかにそこには演者たちの衣装を着た前撮りの写真やキャスティングが書かれている——が、だからこそおかしい。

「そのパンフレットに書かれているキャスティング、当日になって急きょ変わったんです。俺の名前はどこにも入ってませんよ?」

 俺は高校生名探偵のように新田さんの出したパンフレットをビシッと指差す。

 遅れてはっと気づいた晶が「さすが兄貴っ!」という顔で俺を見た。

 ——見たか、晶。これが兄の実力だっ!

 ところが新田さんは動揺することもなく、くすりと笑ってみせる。

「そうね、涼太くんの名前がなかったの。それで隣の席で熱心にカメラを回してる男性に訊いたら、『あれは俺の息子です』って嬉しそうに話してくれたんだ。そのときくんって名前を知ったの」

「あ、ああ〜〜〜………………——なるほど」

 かっこつけた手前めちゃくちゃ恥ずかしいっ! 晶も「ダサッ」って顔してるっ⁉︎

 しかも情報源はまさかのうちの親父かよ……!

「ジュリエット役の子がパンフレットの子と違うから、そのこともお父さんに訊いてみたの。そしたら『あっちも俺の娘です』って誇らしそうに」

 おいおい、親父ぃーーーっ!

「でも、パンフレットの名前が『姫野』になってるし、気になってどうしてなのか訊いたら、涼太くんのお父さんの隣にいた女性、晶ちゃんのお母さんが『最近再婚したんです』っていろいろ話してくれたんだ〜」

 美由貴さんまでっ⁉︎

「あ、そういえば晶ちゃんのお母さん、とっても素敵で綺麗な人だった〜! でも、どこかで見たことがある気がするんだけど……私の気のせい?」

 話が広がると面倒そうだったので、美由貴さんがテレビ局に出入りしているメイクさんだということは伏せておいた。ついでにうちの親父の仕事のことも。

 それにしても、両親から情報がダダ漏れ、垂れ流し……。

 自分たちの子供が兄妹で舞台に立って嬉しいからって会ったばかりの他人にべらべら喋りすぎだろ……。

 ところで、どこまで話したんだ? 花音祭後に真嶋家でスカウトうんぬんの騒ぎになっていないので、新田さんは素性を言っていないのかもしれないが……。

「ほかになにか質問は?」

「えっと、じゃあ……なんでこのタイミングで晶に声をかけてきたんですか? 花音祭から一ヶ月以上経ってるのに……」

 もし晶の才能を欲するなら、公演のすぐあとに声をかけてきてもおかしくない。

 それも俺が感じた違和感の一つだったのだが、

「最近まで他所よその事務所にいたの。他所と言ってもうちの親会社なんだけど、フジプロAに出向しゅっこうすることになってね〜。ここ一ヶ月くらいは引き継ぎでちょっとバタバタしてたんだ」

 と、もっともらしい理由だったのでツッコみようがなかった。

「あの、ってなんですか?」

「親会社に在籍しながらべつの会社で働くことよ。業務命令でね〜、子会社のフジプロAを盛り上げろって上から言われちゃってね〜」

 新田さんはとほほと苦笑いを浮かべた。

 親会社、子会社、出向——学生の俺には耳馴染みのない言葉ばかりだが、要するに新田さんは上の人の命令でべつの会社で働くことになったということは理解できた。

 そしてこの話ぶりからすると敏腕マネージャーなのかもしれない。

 そういう感じがこの快活な話し方からひしひしと伝わってくる。

「ま、そう聞くとフジプロAの内情が大変なんじゃないかって思っちゃうかもしれないけど、上の人たちは変化が欲しいみたいなんだ」

「変化ですか……」

「そう、変化。それもうちの親会社やほかの事務所があっと驚くような変化。そのためには起爆剤が必要。——それで前から目をつけていた晶ちゃんに声をかけたってわけ」

 晶が芸能事務所を驚かせるような起爆剤に……?

 決して俺が言えた義理ではないが、さすがにそれは晶を高く買いすぎなのではないだろうか?

「なんで晶なんです?」

「涼太くんならわかってるんじゃない?」

「え……?」

「君、バルコニーのシーンでセリフ飛んだでしょ?」

 ふと、あの時のことが思い起こされた——


『なによロミオのバカ……でも、愛して。私が好きなら、私を、信じて……』


 ——不覚にも、あのとき俺は自分が演じていることを忘れていた。

 綺麗で、切なくて、愛おしくて——あの瞬間俺はジュリエットになった晶にすっかり心を奪われていた。そして、それは俺だけではなかったらしい。

「打ち震えたの……。長年たくさんの俳優のお芝居を間近で見てきたけど、あの瞬間私は心の底からブルッと震えちゃった。そして私はジュリエットに恋をした……」

 新田さんはうっとりとした表情で頬を押さえた。

「たぶん、私だけじゃなくて会場にいた人たちはみんなそう。——涼太くんはあのときどうだったの? 晶ちゃんの近くにいて、セリフ飛んじゃったみたいだけど」

「まあ、兄妹ですから、セリフは忘れただけですよ……」

「ふふっ♪ じゃあそういうことにしておこうかな〜」

 新田さんは俺の嘘を見透かしたように悪戯っぽく笑う。

 それから晶のほうを向いて、いっそう目に力を込めた。

「晶ちゃんはもっと大きな舞台でお芝居したいと思わない?」

「お、思いません……」

「どうして?」

「その……イメージが沸かなくて……」

「誰でも最初はみんなそう。私のいるフジプロAは、そういうイメージが沸かない人でもしっかりマネージメントして大きな舞台に挑戦する人を全力でサポートをするの。そして新しい自分を発見してもらう会社なんだ」

「挑戦……。新しい自分……?」

「言い換えれば、自分の新たな可能性。自分という人間がどんな付加価値を持って多くの人に影響を与えるか——そういうの、知りたくない?」

「ちょっと、よくわからないです……」

「じゃあもっと簡単に言うね——」

 なんだろう、一緒に世界を変えようとか、夢をつくろうとか、そういう耳障りのいい曖昧で抽象的な誘い文句でも言うつもりか?

 しかし新田さんはさらに熱のこもった目でこう言った。


「——私は俳優姫野晶が大きな舞台に立って活躍しているところを見たい」


 俺も晶も思わず「え?」と口にした。

「あなたは全力でお芝居をして、役に入り込んで、自分という人間の新たな一面を探って、そうしてたくさんの人に感動を与える才能がある。私はあの『ロミオとジュリエット』を観て、そう確信したからこうして声をかけさせてもらったの」

 今までの言葉が嘘や着飾ったものだったかのように、その熱のこもった言葉はなぜかすとんと胸に落ちた——いや、落とされてしまったと言うほうが正確か。

 今、この人は正直に自分の気持ちだけを言葉にしている。

 どこまでも自分本位。客観性に欠ける。全部大人のエゴだ。

 ——それなのに、どうしてこんなに説得力があって胸に響くのか?

 今までの胡散臭さが嘘のように晴れた。そして俺は今、新田さんと同じように晶が大舞台で活躍している姿を想像してしまっている。

「晶ちゃんはどう? 大舞台でお芝居をしたあと、みんながどんな顔であなたを称賛するか、見たくない?」

 晶は困ったような表情で俯く。どちらかというと悩んでいる——ということは、晶はやはり役者の道に興味があるのではないか? 新田さんに触発されて、新しい自分を見つけたい、挑戦したいと思っているのではないか?

「それじゃあ涼太くんはどう? そんな晶ちゃん、見たくない?」

「あ、あくまで晶が決めることですから、俺の意見は——」

「やっぱり晶ちゃんには自分だけの可愛い妹でいてほしい?」

「っ……⁉︎」

 ——この人は、本当に遣り手だ……。

 今のではっきりとわかった。

 さっきの言葉は晶だけでなく俺にも向けられていたのだ。

 俺に晶の新しい一面を見たくはないかと、大舞台で活躍している晶を見たくはないかと、そう俺を説得してきていたのである。

 なぜなら——新田さんは俺と晶の関係をわかっているから。そういう確証をどこからか得ている感じだ。

 自分だけの可愛い妹でいてほしいか?

 いてほしくない——俺がそう答えられないことをわかっていてのこの質問だ。

 いてほしい——そう答えてしまえば、晶の新しい自分を発見するチャンス、役者としての可能性を奪っているのは兄の俺なのだと突きつけてくるのだろう。

 いてほしい——そう答えてしまいたいが、俺はずっと晶のそばにいて知っているから答えられない。

 晶には役者の才能がある——そのことを……。

 つまり、新田さんは最初から俺の返答は求めていない。俺を黙らせるのが目的だ。だから、力づくで言いくるめられているようで悔しい。

 俺が沈黙したところで、新田さんは不敵な笑みを浮かべて晶のほうを向いた。

「それで、どう? フジプロAうちに来てみない? もちろんご両親の許可が必要だけど、あなたの今のお気持ちは?」

「僕の今の気持ち、今の僕は……——」

 俺の手を握る晶の手に力がこもる。

 やがてゆっくりと顔を上げると、その目にはいつになく力がこもっていた。

 決断したのだろう。

 挑戦し、新しい自分を見つけることを……。


「——僕は、兄貴だけの妹でいたいです」


 そっか、晶はやっぱり大舞台で……ん?

「「……へ?」」

 俺と新田さんは同時に目を点にした。

 そのまま時が止まったかのように時間が流れる。

 最初に動き出したのは晶だった。

 ようやく自分が口にした言葉の意味を理解したのか、晶はみるみるうちに顔を真っ赤にして俯いた。

「あ、いえ、やっぱりそうじゃなく、僕は兄貴に普通の女の子として見てもらいたいって言いますか、妹のままじゃ嫌と言いますか……」

 しどろもどろに話す晶を俺は黙ったまま見ていた。

 そしてようやく我に返った新田さんが笑顔を引きつらせる。

「晶ちゃん、それって、つまり……」

「は、はい……。僕、これからもずっと兄貴のそばにいたいんです。だから、ごめんなさい……。兄貴以外の人には、そこまで見られたいとは思いません……」

 俺は静かに俯いた。

 羞恥で真っ赤になった顔を見られたくなかったからではない。

 ここまでの俺と新田さんの心理戦的なものが、このブラコン義妹の前だとこうも意味のないものだと思い知らされ、諦めにも似た脱力感にさいなまれたからである……。


 ——これが『まさかまさかの出来事』……。

 晶がスカウトを蹴った理由は、まさかまさかの俺だった件……。

 それでも新田さんは食い下がった。もう一度両親と相談して考えて欲しいと言い、期限を十二月二十五日——つまり、クリスマスに定めた。

 しかし、今回断った理由が理由だけに、俺の心境は若干複雑だった。

 気をつけなければ、今回の一件が真嶋家の黙示録アポカリプスになりそうな気がするのは、俺だけだろうか……?


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試し読みは以上です。


続きは2022年10月20日(木)発売

『じつは義妹でした。4 ~最近できた義理の弟の距離感がやたら近いわけ~』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

※章の途中に挟まれる「晶の日記」は、こちらのテキストには含まれておりませんので、文庫にてお楽しみください!

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