第42話 最後の機会を
許可を得てクイーンの屋敷の庭で読書をしているラフレーズは何度も同じ場所の文字を目で追った。読んでも読んでも内容が頭に入ってこない。ページも数枚しか捲っておらず、全く読書に集中出来ていない。見兼ねた侍女が休憩を提案してくれた。その言葉に甘え、お茶の準備を頼んだ。本を横に置き、読書をしているラフレーズの邪魔をしないよう日向で寝ているメリーくんに近付いた。ぐっすりと眠っており、もこもこな体をそっと撫でた。いつ触ってもメリーくんは温かくてもこもこだ。
マリンの尋問を終えて数日。今も例の精霊はクイーンとモリーが。今日からクエールも加わった。マリンの尋問は既に終わった。というより、強制終了となった。最初に尋問した日から、常軌を逸する言動しか繰り返さなくなったマリンに正常な判断能力無しと見做され、精神異常者が収監される牢に移された。彼女自身に『魔女の支配』を使う魔力はなくても、それを使ったという事実だけが重く残る。実際の所有者は精霊とあり、マリンを罪にするのは無理だ。しかしコールド男爵は違う。マリンが高位貴族の令嬢令息と親しくなったのを利用して悪徳商法で平民や下位貴族から金を毟り取り、逆らえばファーヴァティ公爵令嬢が黙っていないと脅しをかけていた。実際マリンとメーラが仲良しだったのとメーラの気性の荒さを知っている下位貴族は泣き寝入りを果たした。平民に至っては冤罪を仕立て上げられ、家を失った者もいる。
叩けば叩く程舞い上がる埃に父シトロンは呆れ果ていた。コールド男爵家は没落は免れない、最悪貴族籍剥奪。
「ラフレーズ」
「クイーン様」
例の精霊の尋問が終わったクイーンがいつの間にか側にいた。丁度、侍女がお茶の用意を持って来た為一緒にどうかと誘った。ラフレーズの誘いに乗ったクイーンとサロンへ移動し、琥珀色の飲み物がティーカップに注がれるのを眺めた。
ラフレーズとクイーンの前に紅茶を置いた侍女が退室するなり、ティーカップを持ったクイーンが声を発した。
「いい香りだ」
「はい」
「精霊の尋問もそろそろ終わることにした。マリン=コールドの目的だが大体は掴めてきた」
長く拘束され、満足に食事も与えられず、弱りを見せ始めた精霊は知っている限りの情報を提供し出した。
マリンが望むのはヒンメルと悪女メーラのハッピーエンド。この部分は以前マリンが言っていた通り。マリン曰く、この世界は小説の世界で本来ヒロインたるマリンがラフレーズに捨てられ失恋したヒンメルを励まし、次第にマリンに惹かれていくヒンメルとの幸せを描いているのだと。
この時点でクイーンは頭が痛いと蟀谷を押さえた。話を聞いているラフレーズも同じ気持ちだ。
「小説の世界、ですか」
「ああ。あの女は別世界の人間で俺達は本の中で生きる登場人物なんだとよ」
「マリン嬢がファーヴァティ家の家庭内事情や私や殿下の関係を詳しく知るのも、マリン嬢の言う本の世界だからですか?」
「だとさ」
クイーンでなくても頭が痛くなる話。真面目に聞いていたら、頭がおかしいのは自分ではないかと疑ってしまう。クイーンも報告を受けた国王も信じてはいない。ただ、ラフレーズの言う通り、普通なら知り得ない情報を持っているので全て嘘とも判断しきれない。
マリンの精神状態が正常に戻るまで尋問の再開はない。
「マリン嬢が言っていたように……ファーヴァティ公爵やメーラ様は……」
「……さあな。だが、お前は気にするな。もう、永遠に関わらない奴等だ」
だとしても、マリンの言っていた通りの結末が訪れるなら後味が悪い。報いを受けてほしいと願いながら、悲惨な目に遭ってしまえとはならない。
思考に浸ろうとしたら「ラフレーズ」と声を掛けられ現実に意識を戻した。
「考えるな。言ったろう、もうお前と無縁の連中だ」
「……はい」
「酷だがそれが貴族だ。落ちた人間をいつまでも引き摺ってても何も始まらない」
「離縁に関してメーロ様はどう説明なさるのでしょう」
「一応、筋書きは書いていたみたいだぜ」
離縁の機会を伺っていた時に娘と夫が王太子を治療中のラフレーズに理不尽な暴力を振るって治療の手を止めさせた。強引な中止は患者の状態によって大きく異なる。1歩間違えればヒンメルを永遠の眠りに就かせていたのだと知ったメーロが夫の過去の不貞を露にして離縁を決行。次女メーラは夫の不倫相手が産んだ不貞の子として、夫共々ファーヴァティ公爵家から叩き出した。その行方は夫の実家侯爵家に委ねたとした。妙な勘繰りを入れて来る輩は多い。散々トビアスの浮気を見て見ぬ振りをし続けた侯爵家への嫌がらせで、無論侯爵家側はメーロの本気を感じ取り反論にも出られなかった。
長女のグレイスが問題なく婚約をし、婿となる令息が爵位を継ぐのに相応しいと判定するまで待っていて。今回の機会もあり便乗する形で爵位をトビアスからグレイスの婚約者に移す手続きをしている最中だ。
「グレイスの婚約者は誠実でトビアスとは正反対の男だ。これでファーヴァティ夫人も安心していられるだろうな」
「ですね。夜会で1度ご挨拶をした事がありますが優しそうな方でグレイス様ととても気が合う方でした」
砂糖を入れた紅茶を飲んでいると不意に「ラフレーズ」と真剣な声色で呼ばれた。ティーカップをテーブルに置いてクイーンを見やった。足を組んで背凭れに体を預ける姿が絵になり過ぎてケチのつけようがなかった。
「『魔女の支配』は現実改変の力を持つ。当時は婚約者のいる令息達が標的にされ、ベリーシュ伯爵家の養子によって次々に魅了されていった。今回はマリン=コールドの目的がメーラ=ファーヴァティとヒンメルを結ばせる為に使われた。あの女が高位貴族のガキ共だけに好意的に見えるようにしたのは精霊の入れ知恵だ」
事件を教訓に貴族との婚約が決定されると必ず婚約の誓約魔術を交わすのが王国法により決定された。再び『魔女の支配』の使用者が現れた時、使用者に魅了されないようにするため。
好きな相手の好意を使用者への好意に改変されれば、解除方法は使用者の抹殺しか残らない。良くて魔力封印である。
「だから、婚約していない方が含まれていたのですね」
「ああ。既に『魔女の支配』は解除した。暫く騒がしくなるな」
高位貴族達を味方にしていくマリンを快く思わない者は必ず存在するわけで、陰で受けた嫌がらせは筒抜けで、何組か婚約破棄まで話が上がっている。
ラフレーズとヒンメルに至っては、ヒンメルが断固拒否をし続けているせいで未だ婚約破棄が受け入れられていない。
「お前はどうしたい?」
「え」
「お前は、ヒンメルとどうなりたい? このまま、婚約破棄でいくか?」
夜空を押し込めた美しい瞳と向き合ってしまうと逸らせなくなった。散々冷たく突き放しておきながら、いざ離れて行こうとすると必死で止めるヒンメルに苛立ちを覚えたのは事実で忘れられない。『魔女の支配』によって感情を増幅させられていたにしても、元を辿ればヒンメルに芽生えた感情のせい。
受けてきた仕打ちをラフレーズは忘れはしない。
黙ったままでは駄目。
ラフレーズは目を逸らさなかった。
「私と殿下の間には最初から何も無かったんです。愛情も信頼も。殿下が私を手放したくないのは、私が今まで王妃教育を受けてきた事とベリーシュ伯爵家を取り込み隣国の王家との繋がりを強くしたいからでしょう」
「あの馬鹿の好きな相手がお前だとしても?」
「どう信じろと? マリン嬢の願いによって私への態度の冷たさが増そうが殿下自身が抱えていた物です。私やメーラ様が駄目なら他の令嬢を探せばいいんです」
今ならクイーンに全てを話して味方にしたら許し受けて入れてくれるとでも思ったのか。だとしたら、とんでもない阿呆だ。クイーンもクイーンだ。『魔女の支配』によってヒンメルがラフレーズに対して意固地になっていったと知った途端に、遠回しながら再構築を促してくるなんて。
ティーカップに注がれた紅茶は温かいのにラフレーズの気持ちだけが急激に冷えていく。
「はは!」
「!」
クイーンにとったらヒンメルは遠い甥っ子。甥っ子可愛さで、と考えた直後、吹き出す笑いを見せたクイーンに目を剥いた。暫く笑ったクイーンは涙に濡れた目を拭って苦笑を浮かべた。
「悪かったよ。からかっただけだ」
「な……!」
真剣に言葉を探して答えたのが急に恥ずかしくなって怒ろうとするもクイーンが自身の口元に人差し指を当ててラフレーズの動きを制した。
「まあ良かった。もしもラフレーズがヒンメルを許すなんて言ったら、説教をしそうになった」
「クイーン様、お戯れは程々にしてくださいませ!」
「悪かったよ。けどホッとした。ヒンメルにも話はしてあるんだ。あいつも同じだった。今までの態度が『魔女の支配』のせいなら、ラフレーズに原因を説明すれば許してもらえると」
結果はヒンメルの激怒と後悔によって終わった。
ラフレーズにしてきた行いは絶対に消えない、『魔女の支配』のせいにするつもりは毛頭ない、何かのせいにして許されたくないと。
「殿下が……」
「でだ。ラフレーズ、まだ学院には行かないよな?」
「お父様には、そろそろ登校したいと申しているのですが心配して暫くは休んでいなさいと言われています」
「なら、まだ休んでいてくれ。9日、いや6日でいい。6日間待っていてくれ」
「待つとは……」
困惑して6日後に何が起きるのかと問われたクイーンにふっと微笑まれた。
「ヒンメルなりに婚約継続させるにはどうしたら良いのか考えた。6日後にヒンメルがベリーシュ伯爵邸に来る。その時のあいつを見て婚約破棄をするか、しないかを決めろ。ラフレーズがしろと言うなら、ヒンメルも受け入れるつもりだ」
おじとして、最後の悪足掻きをする遠い甥っ子の背を押したくなった。冗談でも、愉しんでいる風もなく、1人の甥を見守るおじの面がクイーンに出ていた。
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