第40話 疲れ果て、想いも尽きた②
呆然とラフレーズを見つめるヒンメルの空色の瞳が一層昏くなった。じっとりとラフレーズを映す空色には大きな空虚さがあった。少なからず情を持っていた相手が次の王太子妃候補になると聞いて喜ばない彼を怪訝に感じながら、正式決定は後日だと告げると瞳には焦りが強く生じた。両腕は掴まれたままで離したくてもヒンメルの握力が強く動けない。
「正式ではないのならまだ撤回は可能なのだな!?」
「撤回する理由はありません」
冷たく突き放すと傷付いた顔を見せ、両腕を掴む力が弱まった。今更になってヒンメルが傷付く理由がさっぱりと知れない。隣国との関係強化の為の婚約を彼が拘っているとは到底抱けないのだ。
「殿下にとっては朗報かと」
「……メーラは王太子妃にはならない」
「恋人になるまで親密になった方が公爵令嬢であるなら、私よりも――」
「メーラには最初から言ってあったんだ。恋人でいるのは1年だけだと」
「殿下を慕っていたメーラ様が信じるとでも?」
「……」
メーラに近付いた理由を知っても、恋人になるまでの過程は知らない。1年という期限付きでの恋人でもラフレーズは何度も傷付いてきた。王太子として節度ある振る舞いをと求めても嫉妬していると相手にされず、逆にクイーンという恋人を作ったらヒンメルからは非難の嵐だった。
俯くヒンメルとてメーラが1年で大人しく引き下がるとは考えてなかったろう。期間限定と割り切っていたのはきっとヒンメルだけ。
小さく溜め息を吐いたラフレーズは別の話題に変えた。
「メーラ様が嫌なら、ご自分で王太子妃となるご令嬢を探してください」
「ラフレーズしかいない……」
「殿下……殿下は私と過ごした楽しい思い出はありますか?」
突然の問いにヒンメルが戸惑うと寂しげに笑ったラフレーズは「私には殿下との楽しい思い出が何1つありません」と声を出した。途端に強張り、顔を青褪めたヒンメル。そんなことは……と口にしながら、記憶を探ってラフレーズの言った通りであると思い知ったヒンメルの相貌が絶望に染まった。
「殿下は私に笑い掛けたことも、優しい声で呼んでくれたことも、優しい瞳で見つめてくれたこともないんです。メーラ様にはしてあげて、私にはしない理由は何なのですか?」
「ら、ラフレーズっ」
「会っても冷たい瞳で睨まれて、スイーツを出しておけばいいという態度、婚約者がいるのに他の女性を隣に置いて仲睦まじくする貴方と一緒にいる未来なんて到底浮かばないっ。婚約破棄は撤回されません」
全て事実だった。
ヒンメルにも心当たりがあるのだろう、段々と項垂れていった。
暫く沈黙が降りかかり、これ以上何も話さないのなら例の精霊を尋問しているクイーンの許へ行こうと、退室の意思を示すと小さな声がラフレーズを呼び止めた。顔を上げたヒンメルの面は青く、腕を掴む手に再び力が入った。殿下、と強く呼ぼうと力は緩まない。
「……眠っている間、昔の記憶をずっと見ていた。いや、見せられていたんだな」
「見せられていた?」
「ラフレーズが言うように……ラフレーズと楽しい思い出は僕にもない。当然だ、僕がずっとラフレーズを拒み続けてきたからだ。おじ上に嫉妬してばかりで、王太子として決して隙を見せるなと母上や周囲に言い続けられ、僕自身がラフレーズとどう接すれば良いか分からなかった」
ラフレーズは言葉を挟まず、黙ってヒンメルの声に耳を傾けた。
「スイーツの件は、甘い物が苦手だって最初言っていたのに、おじ上と苦手だと話していたスイーツを食べているラフレーズを見つけて……」
話されて記憶の引き出しを探った。どれだ、どれだ、と必死に探した……見つけた。
記憶に映された光景。用意されたテーブルには、確かにラフレーズが苦手とヒンメルに伝えた甘いスイーツがあった。
しかし。
「……あれは、殿下の好きなスイーツをクイーン様に教えて頂いたんです」
「え……」
困惑して見上げてくるヒンメルに気まずそうに、クイーンからヒンメルの好きなスイーツを教えられて嬉しかったのだと語った。
「口にしなくても顔で好きなんだと見て分かる殿下の好きなスイーツをクイーン様は私に教えてくれました。王族は好物すら弱点になる危険があるから、人前で感情を出すなと厳しく躾けられる。特に王妃様に厳しくされていた殿下が僅かに表情を変えて食べたのが、クイーン様が教えてくれたスイーツだったんです」
「おじ上が…………」
厳しい王妃教育に耐えられなくて、婚約者からの冷たい仕打ちに耐えられなくて、人気のない場所で蹲って泣いていた自分を抱っこして美味しいスイーツを食べさせてくれたクイーンは教えてくれた。テーブルに並べられたのはヒンメルの好きなスイーツだと。
「泣いていた私が殿下の好きなスイーツを知って泣き止んだと知ったクイーン様は、それからも時折殿下の好物を教えてくださいました」
本人に聞いてもどうせ答えないからと沢山教えられた。
スイーツだけじゃない、寝る間も惜しんで王太子としての勉学に励み、周囲が求める次代の王の姿を追い続けた。
でも人間限界は迎える。耐えられず、誰にも見つからない場所で泣いて隠れるヒンメルを見つけるのもクイーンだった。
子供でクイーンに気を掛けて貰っていたのは自分だけだったのに、ラフレーズまで構われて大好きなおじを取られた感覚もあったと話すヒンメルの心にほんの少しだけ触れられた気がした。
ラフレーズに頼られるクイーンに嫉妬して、クイーンに構われるラフレーズに嫉妬して。
嫉妬してばかりだと自嘲気味に笑われた。
「おじ上やラフレーズが羨ましかったんだな……僕は」
「……殿下。殿下は……」
言葉が見つからなくて途中で切ってしまうも、最後まで紡いだ。
「殿下は……メーラ様を愛していますか?」
ゆっくりと首を振られた。
愛がなくても情はあっただろう。
メーラと一緒にいる時も視線は常にラフレーズを探していたと話される。婚約の誓約魔術で互いの居場所を把握していながらも、姿が見えないと不安になったと。
「メーラには、僕から話をつける。眠っていた僕を治療してくれたラフレーズを公爵と一緒になって暴力を振るったと父上から話も聞いた。相応の罰は受けてもらうつもりだよ」
既に罰は受けている。ヒンメルがメーラを拒んだ。メーラの行方は南国のハーレム王の何番目かの妃となる未来しかない。父や産みの母と暮らせるのなら幸せよとメーロは語っていたが目が全く笑っておらず恐怖を抱いた。
メーラについてはその内国王やクイーンから話はいく。ラフレーズは敢えて何も言わなかった。今まで嫌がらせをしてきたメーラへのちょっとした仕返しだ。
「頭のどこかじゃ分かっていたんだ。このままだとラフレーズが僕から離れていくと。でも同時にラフレーズなら待っていてくれると思う自分もいた」
「……私は殿下を想い続ける自分に疲れました。待っていたところで殿下は私の手を取っては下さらないと。ただ、このまま婚約が継続されるくらいなら、殿下のように私も恋人を作って殿下に一泡吹かせてやろうと考えました」
「ああ……おじ上以上の適任者はいない。おじ上は僕やラフレーズをよく知っているから」
不思議な気分に浸っている。長い間婚約者であるのに、こんなに長くヒンメルと話した覚えが無かった。
その後、再び沈黙が訪れた。
すぐになくなった。
ヒンメルはマリンの話題に変えた。
「父上から、マリン=コールドを尋問すると聞いたがもう実行されているのか?」
「いえ、クイーン様の別件が終了次第、マリン嬢の尋問が開始されます。私も同席を許可して頂いています」
「そうか」
「殿下にお聞きしたいのですが……」
自分達ではマリンの目的がさっぱりと分からなかった。メーラに接近していたヒンメルなら、マリンがヒンメルとメーラを結ばせようとした目的を知っているのではないかと。まず、マリンの目的を初めて知ったヒンメルは強い困惑を露にした。筆頭公爵家と王家が繋がりを持てばより強い権力の確率が約束されたも同然。しかし、権力がファーヴァティ公爵家に傾くと反感を抱く貴族が多数出て来る。建国当初から忠臣と名高いベリーシュ伯爵令嬢を王太子妃にと推す派と勢力が2つに分けられた危険だってある。
次に個人的感覚でマリンがヒンメルとメーラを結ばせるメリットはないかと訊ねても、反応はラフレーズ達と同じであった。
「マリン=コールドはメーラと最も親しい友人ではあったが、僕とメーラが結ばれてもメリットはない筈だ。友人を思ってだとしても、行き過ぎている」
ヒンメルでさえ予想がつかないのであれば、やはりマリンを尋問して吐き出させるのが最も早い道。
時計を一瞥すると時間の流れは普段よりも早く流れていたようで、病み上がりのヒンメルにこれ以上の会話は負担と自己判断したラフレーズが退室の意を示したら、慌ててベッドから起き上がり道を塞いだ。今度の困惑はラフレーズに現れた。名前を呼んでもヒンメルは退こうとしない。
「殿下」
「頼む、婚約破棄の件はまだ待ってほしい」
「殿下、私は」
「水に流せとも、やり直したいとも言わない。ただ、僕に機会をくれないかっ」
無理矢理扉に進もうとしても意地でも通さないと阻んでくるヒンメルの形相は必死そのもので、退くように言い放ってもヒンメルは扉の前から重い石の如く動かなかった。
「ラフレーズが気持ちを感じられないと一瞬でも思ったら僕はラフレーズを諦める。頼む、1度だけ僕に……機会をくれっ」
「殿下は、何をなさるおつもりですか」
「今は言えない。でも、必ずいの1番にラフレーズに会いに行く。そこで決めてくれていい」
婚約破棄の決心が大いに揺らいだ。真摯に最後の機会をと求めるヒンメルに動揺していると――扉が叩かれ「話は終わったか?」とクイーンの声がした。扉をヒンメルが開けると夜空を閉じ込めた瞳が丸くなった。
「ヒンメル、お前、立ってて平気なのか?」
「はい、ご心配をお掛けしました」
「……話は無事に終わった、とは見えねえな」
「おじ上はラフレーズを呼びに来たのでしょう? マリン=コールドを尋問する為に」
コクリと頷いたクイーンの目がラフレーズに問うた。問いの意味を察したラフレーズはチラリとヒンメルを一瞥するも、了承の意を込めてクイーンに頷いた。
「分かった。地下の尋問部屋に行くぞ。ヒンメル、お前にも後から話す。今はまだ大人しく寝ていろよ」
毛先に掛けて青が濃くなる銀の頭を撫でたクイーンにムッとしながらも、小さな頃に何度もされた動作は幾つになってもヒンメルを大きな安心に包んだ。
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