第24話 花祭り―意外―
グレイス=ファーヴァティ。
魅惑的な赤い髪に蜂蜜色の瞳を持つメーラと違い、派手さも華やかさもない。
真っ直ぐに伸びた灰色の髪に飾りはなく、冷たい印象を授ける藍色の瞳は一見すると地味だが。彼女から溢れる気品と優雅な仕草に必要な要素となっている。メーロが言った通りの道を歩いているとファーヴァティ公爵家の家紋が刻まれた馬車を発見。傍に立つのはグレイス。ラフレーズに気付くと小走りで駆け付けた。
兄メルローと同い年だがお互い何でも話せる友人でもある。立場としてはグレイスが上なので、礼儀だけは必ず通す。
「お久しぶりです、グレイス様」
「ラフレーズ。何かあったの? 暗いお顔をされているわ」
「いえ……大したことでは」
「此処に来たということはお母様に会ったのよね? お母様は?」
「買い忘れがあるから先に行っててほしいと」
「そうなの?」
訝し気に首を傾げるも、そう、と納得したグレイスに案内されるがまま、馬車から然程離れていない場所に立つカフェに入った。
給仕に後からもう1人来ると告げ、4人掛けの席へ案内してもらった。
席に座り、メニュー表を見る。
「ここはアップルパイが美味しいの」
「そうなのですね」
「ええ。アップルパイを3つ。ラフレーズ、飲み物は?」
「グレイス様と同じで」
「そう? なら、ミルクティーを頂戴」
給仕が去るとグレイスはメーロが来てから気を付けてほしいとあるお願いをした。
「お母様はね、アップルパイが嫌いなの」
「え」
しかし、アップルパイは3つ頼んでいる。
「お母様の前では
「リンゴパイ?」
言い方が違うだけで意味は同じだが普通はアップルパイと呼ぶ。詳しい理由を訊ねるとグレイスは困ったように笑った。
「お母様には双子の妹がいらっしゃるの。名前をアップル様」
「初めて聞きました」
「ええ。お母様とは大層仲が悪いから」
見目は双子だから同じでも中身は全く違ったとか。女性の魅力を惜しげもなく晒し、高位貴族や将来有望な男に近付いては騒動を起こしていたとか。アップルの振る舞いのせいでメーロが苦労したのはグレイスの話から見て取れる。
散々苦労を掛けさせられた妹と同じ名前をメーロはすっかりと嫌ってしまい、アップルパイをリンゴパイと呼ぶのもそのせいだとか。
ミルクティーが運ばれてくるとグレイスは話題を変えた。
「ラフレーズは殿下と花祭りへ来ていたのでは?」
「……それが」
もうじきメーロも来る。グレイスに話しても問題ない。
ヒンメルと花祭りを堪能している最中メーラと会い、戸惑いながらも腕に抱き付くメーラを拒否しないヒンメルを見て惨めな気持ちになって噴水広場にいたと話した。
思い出すだけで惨めな気持ちは強くなっていく。
メーラのことで何度もグレイスから謝られている。妹がごめんなさい、と。彼女が悪くなくても、身内の恥は彼女にとっても恥。
「メーラ……あの子は……」
「メーロ様が教えてくれたのですが、今日は屋敷から出ないようにしていたとか」
「ええ。きっと、ラフレーズや殿下の邪魔をすると決まっているからと。きっとお父様ね」
「メーロ様も言っていました」
「お父様は派手な見目のメーラが可愛くて仕方ないの。地味な私は可愛くないからと邪険にして」
「そんな……」
昔から仲は良くないと薄々は感付いていたが容姿だけで姉妹を差別していたとは。ショックを受けるラフレーズだが、グレイスは慣れているから気にしないでとミルクティーを堪能する。
「お待たせ」
そこへ待ち人メーロが戻った。買い忘れがあったと言う割に手に持つのは髪飾り。ラフレーズがよく知る物。ヒンメルから離れる際、地面に置いて行った彼からの贈り物。自分の席に座ったメーロから髪飾りを受け取った。
「殿下に会ったのですか?」
「ラフレーズさんを探している殿下に会いましたよ。今日は帰りなさいと、髪飾りはわたしが届けるからと預かったの」
「殿下が私を?」
あの後メーラを振り切って探してくれた?
メーラじゃなく、自分を……と微かに喜ぶラフレーズだが。次にメーロから放たれた言葉に全身が冷水を掛けられた冷たさを食らった。
「恋人と婚約者。どちらを優先しないといけないか、なんて、殿下も弁えているんです」
「お母様」
グレイスが非難めいた声でメーロを呼ぶも、構わずメーロは続ける。
「ラフレーズさん、これは経験者だからこそ言わせてもらうわね。浮気者は自分の立場が悪くなると自分の行いを棚に上げて相手を責めるか、恋人を切り捨て相手に縋るかのどちらかなの」
「経験者って……」
「わたしの旦那様。彼は顔だけは絶世の美青年と言われた程ですから、浮気は日常茶飯事。相手の女性からの嫌がらせは後を絶たなかった。殿下がメーラに近付いたのは何か思惑があってのだと思ったのだけれど、さっき会って確信しました。違うのだと」
「……」
本当はメーロの言う通りなのだが、父や国王が動く極秘任務らしいからラフレーズの口からは話せない。最初にメーロが言った、自分の行いを棚に上げてはラフレーズも心当たりがある。自分にはメーラという恋人がいながら、下に見ていた婚約者が魔王公爵と名高いクイーンの恋人になった瞬間詰って来た。
その度に反論したり、クイーンが守ってくれた。
国同士の利益の為に結ばれた完全なる政略結婚。やはり、破棄も白紙も解消も難しい。
「ラフレーズさんが殿下に片思いをしているのは知っています。殿下の妃になりたくて、王妃教育に励んでいたのも」
「はい……」
「ただ、努力しても実らない願いはあります。片方だけが想いを注いでも、相手が想いを返してくれなければそれはただの自己満足になるだけ。どこかで諦めを持たないといけません」
「諦め……」
完全にヒンメルへの恋心を消す、ということ。
浮気者の夫へどう諦めをつけたのかとメーロに言うと――
「顔、かしら」
「顔、ですか?」
「旦那様、顔だけはとびきり良いので生まれ来る我が子が困らないよう旦那様との婚約は継続しました。彼も折角の婿入り先がなくなるのは痛手でしょうしね」
お陰でグレイスもメーラも種類は違えど大変美しい令嬢に育った。
ラフレーズにはクイーンという恋人がいる。彼に頼るのも良いのだ。
ミルクティーを飲み、甘く上品なミルクと紅茶の味に安堵が訪れる。アップルパイも届き、3人の前に置かれていく。
花祭りの為に贈られたドレスと髪飾りを見て嬉しいと抱いたのは本当。ヒンメルと短い時間だったが街を歩けたのは嬉しかった。気に入った小皿を買ってもらったのも嬉しかった。そのどれもがメーラの出現によって台無しとなった。あの時、ヒンメルが冷たくメーラを違う場所へ追いやってくれたら、ラフレーズだって逃げなかった。
逃げず、あのまま花祭りを楽しんだ。
「もっと、考えます。殿下との事。メーラ様の事。クイーン様の事」
「焦らないで、ゆっくり考えたらいいわ。どの結果を選んでもわたしはラフレーズさんの味方です」
「ありがとうございます。こんなにも気を遣って頂いて」
「良いのよ。わたしだって助かっているもの」
「メーロ様が?」
「正確にはグレイスね」
急に話題を振られたグレイスはアップルパイを食べる手を止め、母を凝視した。思い当たる節がないと見える。メルローの名を出されると噎せた。
「旦那様の差別のせいで、グレイスは殿方が苦手だったの。ベリーシュ伯爵にメルロー殿を話し相手にしてほしいと頼んだの」
成る程、と納得した。兄は幼い頃から次期当主として、父の後を継ぐ騎士として励んでいた。口調は騎士らしく誠実で誰に対しても丁寧に話し、決して相手を威圧的に見たりしない。幼いながらに紳士的対応を熟すメルローなら、グレイスの異性に対する免疫もつくのではとメーロは考えたのだとか。
メルローとグレイスの仲がとても良好なのはそれが理由だったのかと知る。同時に、異性が苦手だったと初めて知り意外だとばかりにグレイスを見やると、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。ファーヴァティ公爵は地味だからと嫌ったようだが決して地味じゃない。少女のようにはにかむグレイスの可愛らしさは異性なら放っておかない力を持っていた。
ラフレーズは今を逃すと次は何時になるか分からないからと、思い切って王妃と母の関係について訊ねた。理由を問われ、正直に話した。クイーンがメーロなら詳細を知っていると言っていたからとも。
ティーカップを置いたメーロは呆れた吐息を出した。ラフレーズにじゃない、王妃に対して。
「ロベリア様……まだ諦めてなかったのね、ベリーシュ伯爵を」
「お父様? お父様が何か……」
「……これを聞いてラフレーズさんがわたしを軽蔑しても構いません。
わたしとロベリアにはね、初恋の人が同じだったという共通点があるの」
「もしかして……」
ラフレーズの問いに、メーロはほんの少し寂し気に微笑み「ええ」と頷く。
「わたしも彼女も伯爵に恋をしていたの。魔物に襲われそうになって助けてくれた騎士様に」
父達がまだ学生だった頃。1年生の授業で召喚術のテストがあった。生徒の1人が召喚に失敗し、魔物を呼び出してしまった。予想外だったのは魔物の強さ。生徒だけで対処する強さじゃなく、教師でも苦戦を強いられた。
暴れる魔物が獲物に定めたのはメーロとロベリア。迫りくる恐ろしい魔物から腰を抜かして逃げられずにいた2人を無傷で助けたのが父シトロンだったのだ。当時から高い魔術の才能と戦闘能力を有していた父の姿に2人揃って恋をしてしまった。
その後、隣国の姫であるフレサとの政略結婚が決まってメーロは気持ちに終止符を打てたものの。ロベリアだけは駄目だった。
「公にはなっていないけれど、彼女は何度もフレサに嫌がらせをしていたわ。その度にわたしがロベリアを注意したのだけど……」
効果はあまりなく、卒業まで続いたと。両国の為にも、未来の王妃となる彼女の為にも、嫌がらせは黙っていてほしいとフレサから頼まれた手前メーロは伯爵や国王に言えなかったのが悔いだと語る。
「フレサ憎しのあまり、娘であるあなたにも嫌がらせをするなんて……」
「王妃様がお父様を……」
メーロも意外過ぎた。そのような素振りは全くなかったのに。メーロの中では初恋で終わっている。憧れの騎士様であるのは変わらなくても、良き友人として関係を保てて満足だと語られた。
「フレサが遺したラフレーズさんが気になるのも本当ですしね」
「メーロ様にはとても感謝しています。お父様も、女性の事は女性にしか分からないからメーロ様には感謝しています」
「下心があるかもしれないのに?」
「だとしても、です」
茶化す風に言うメーロ。メーロがロベリアと同じでラフレーズを虐げていたら、今こうして平和にお茶はしない。メーロのお陰で母親がいないと不便だった事にも対処出来ているから、本心から感謝していた。
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